「義太夫節をひもとく――はじめての女流義太夫(ジョギ!)」

義太夫節の歴史


素浄瑠璃の公演風景を描く錦絵「大坂登り 博覧会竹沢連」(資料番号:012-0283~0285、早稲田大学演劇博物館所蔵)

 「義太夫」とは、初代竹本義太夫(たけもと・ぎだゆう、1651~1714)という一人の芸能者の個人名です。
 義太夫は、元々大阪は天王寺村の農民でした。しかし芸道を志し、浄瑠璃という音楽ジャンルの語り手・太夫として、最初は清水理兵衛の一門に、後には当時京都で人気を博していた宇治嘉太夫(後の宇治加賀掾)が率いる人形浄瑠璃の一座・宇治座に参加します。宇治座で腕を磨いた義太夫は、貞享1年(1684)大坂の道頓堀に竹本座を建てて独立します。この竹本義太夫が創始し、確立した音曲の流派が「義太夫節」です。竹本義太夫が語る義太夫節と、その語りにあわせて演じられる人形劇の一種人形浄瑠璃は、その後、道頓堀の演劇界で一世を風靡しました。特に元禄16年(1703)年に初演された近松門左衛門作の世話物「曽根崎心中」は大当りをとり、積年の借財を一気に返済したと伝えられています。
 その後宝永2年(1705)には「曽根心中」を書いた近松門左衛門を座付作者に迎え、義太夫と近松は多くの名作を世に出しました。後身の演者への影響も絶大なものがあり、義太夫の弟子には後に竹本座のライバルとなる豊竹座を創立する豊竹若太夫や、二代目義太夫を継いだ竹本政太夫がいます。そしてこの義太夫節は、文楽の舞台と供に現代に受け継がれているのです。また、文楽から歌舞伎に輸入された演目では、歌舞伎専門の義太夫節語り・竹本が義太夫節を語っています。
 また、義太夫節は大変劇的な音曲であり、人形の演技なしで、語りと三味線音楽だけで鑑賞する素浄瑠璃の興行も行われるようになりました。明治以降は、女性演者が義太夫節を素浄瑠璃で語る女流義太夫(娘義太夫・女義太夫とも)も人気を博しました。


演目説明

「新版歌祭文」錦絵
歌舞伎「新版歌祭文」錦絵(資料番号016-2095-2098)

「新版歌祭文」は、近松半二が書いた人形浄瑠璃作品です。
世話物と呼ばれる、当時の市井生活を描いた作品ジャンルに属しています。
安永九(1780)年九月大坂・竹本座で初演されました。
若者の純粋な恋心が瑞々しく描かれた人気作品です。

あらすじ

 大坂近郊の野崎村の百姓・久作(きゅうさく)に養育された久松(ひさまつ)は、一緒に育った久作の娘・お光(おみつ)とは許嫁の仲で、現在は商人の町・大坂の油屋で奉公をしています。油屋で働く内に、久松はいつしか奉公先の油屋の一人娘・お染(おそめ)と恋仲になってしまいましたが、お染には親の決めた結婚相手(山家屋佐四郎)がいました。そんななか同僚の小助(こすけ)に計られて仕事でしくじってしまった久松は、育ての親である野崎村にある久作の家に一度帰されました。久作は、久松が帰ってきたので許嫁のお光と結婚させようとします。喜びながら祝言の準備をするお光。そこへお染が久松を尋ねてきます。          
 共に久松を恋い慕う幼馴染みの許嫁と、恋人の社長令嬢。そして、慈愛の籠もった育て親の言葉。          久松は迷いながらも一旦はお染と別れてお光と祝言をあげ、後日、妊娠までしているお染と心中してあの世で添い遂げる決心を固めます。しかしその心を見てとったお光は、久松の命を助けるために身を引いて尼になることを選び、髪を切っていました。お染を引き取りにあらわれたお染の母・油屋のお勝(おかつ)は、お光の志しに感謝しながら、お染と久松を大坂に連れ帰ることにします。世間の目を憚り、陸路と川路とに別れてお染久松らは野崎村を去っていくのでした。           

詞章


「新版歌祭文」の浄瑠璃本(資料番号:ニ10-02088、早稲田大学演劇博物館所蔵)


(引用は、日本古典文学大系『浄瑠璃集 下』(岩波書店、1959年)による。旧字は通用字体に改め、句読点や漢字、送り仮名、会話文の「」を読みやすさのために適宜加筆・修正した。会話文の「」冒頭には話者の名前を入れた。)

跡に娘は気もいそ/\
お光「日頃の願いが叶うたも。天神様や観音様。第一は親のおかげ。 ヱヽこんな事なら今朝あたり、髪も結て置うもの。鉄漿(かね・お歯黒のこと)の付け様。挨拶もどう言うてよかろやら覚束」
膾拵えも。祝う大根の友白髪。末菜刀と気もいさみ、手元も軽ふ、ちょき/\/\切ても切ぬ恋衣や。
本の白地をなま中に。お染は思い久松が。跡をしとうて野崎村。堤伝いに漸と。梅を目当てに、軒のつま。供のおよしが声高に。
およし「申し、ご寮人様。かの人に逢うばかり、寒い時分の野崎参り。今、船の上がり場で、教えて貰うた目じるしの此梅。大かた爰で、ござりましょうぞえ」
お染「ヲヽ、もそっと静かに言やいのう。久松逢いたさに、来事は来ても在所の事。目立ては気の毒、そなたは船へ。早う/\」
と追いやり/\。立寄ながら越えかぬる。恋の峠の敷居高く。
お染「ものもう、御頼み申しましょう」
と言うもこわ/“\暖簾ごし。
お光「百姓の内へ改まった。用が有るなら、はいらしゃんせ。」
お染「ハイ/\。卒爾ながら、久作様は内方でござんすかえ。左様なら、大坂から久松という人が、今朝戻って見えた筈。ちょっと逢わして下さんせ」
という詞つきなり形。常々聞いた油屋の、扨はお染。と悋気の初物、胸はもや/\かき交ぜ膾、まな板押しやり、戸口に立寄り、
お光「見れば見る程、ヱヽ美しい。あた可愛らしい其顔で、久松様に逢わしてくれ。そんなお方はこちゃ知らぬ。余所を尋ねて見やしゃんせ。あほうらしい」
と腹立ち声。心付かねば、
お染「ホンニまあ、何ぞ土産と思うても、急な事。コレ/\女子衆、さもしけれども、是なりと」
と、夢にもそれと白玉か、露を帛紗に包みの儘差し出せば。
お光「こりゃ何んじゃえ。大所のご両人様。様々々と言われても、心が至らぬ置かしゃんせ。在所の女と、侮ってか。ほしくばお前にやるわいな」
とやら腹立ちに門口へ、ほればほどけて、ばら/\と。草に露銀、芥子人形。微塵に香箱割れ出した。中へ、つか/\親子連れ、出てくる久作。
久作「どうじゃ、膾は出来たであろう。扨祝言の事、婆が聞いてきつい喜びじゃあが、年は寄るまいもの。さっきの、やっさもっさで、取りのぼしたか、頭痛もする。いかふ肩がつかへて来た。アヽ、橙の数は争われぬものじゃわいの。」
久松「左様なら、そろ/\わたしが、揉んで上げましょうか」
久作「ソリャ久松、忝い。老いては子に従えじゃ。孝行にかたみ恨みのない様に。コリャお光よ。三里をすえてくれ。(三里にお灸をすえてくれ)」
お光「アイ/\。そんなら風の来ぬ様に」
と、何がな表へ当たりまなこ。門の戸ぴっしゃり、さしもぐさ、燃ゆる思いは娘気の、細き線香に立つ煙。
久作「サア/\、親子じゃとて遠慮はない。艾もけんぴき(あんま)も大掴みにやってくれ。」
久松「アイ/\、きつうつかえてござりますぞえ」
久作「そうであろう/\。次いでに七九(背中のツボ)をやってたも。ヲットこたえるぞ/\。」
お光「サア、据えますぞえ」
久作「アツヽ/\、えらいぞ/\。明日が日死うと、火葬は止めにして貰いましょう。丈夫に見えても、もう古家。屋根も根太も、こりゃ一時に割り普請じゃ。アツヽヽヽヽ。」
お光「ヲヽ、とと様の、仰山な。皮切りはしまいでございんす。ほんに風が当たると思や、誰じゃ表を明けたそうな。閉めてさんじょ」
と立つを引きとめ。
久作「ハテよいわいの。昼中にうっとしい。ノウ久松/\/\、コリヤ久松。よそ見ばかりしていずと、しか/\と揉まぬかいの。」
久松「サアよそ見はせぬけれど、ヱヽ覗くが悪い。折りが悪い、悪い。/\/\」
と目顔の仕方。
久作「ヤ、悪いの覗くのと。足に灸こそ据えていれ、どこもお光は覗きはせぬ。」
久松「サア、アノ、悪いと言いましたは、確かに今日は、瘟㾮日(うんこうび、灸を据えるのを忌む日)。それに灸は悪い/\/\、と言うたのでざります。」
久作「ヱヽ、愚痴な事を。この様に達者なは、ちょこ/\灸すえ、作り(農作)をする。そこで久作。アツヽヽ。ヱヽ、何じゃわい。わがみ達も、達者な様に灸でもすえるのが、おいらへの孝行じゃぞや。」
お光「ヲ、そうでございんすとも。久松様には、振袖の美しい持病が有って、招いたり、呼び出したり。にくてらしい。アノ病いづらがはいらぬ様に、敷居の上へ、大きゅうしてすえて置きたい。」
久松「コレお光殿。振袖の、持病のと。色々の耳こすり。はしたない事、聞ては居ぬぞや。」
お光「ホヽヽヽヽ。かわった事がお気に障った。」
久松「ヲヽ、障らいじゃ」
お光「こりゃ、おかしい。其訳、聞くぞえ」
久松「言うぞや」
と、我を忘れていさかいを、外に聞く身の気の毒さ。振りの肌着に、玉の汗。久作も持てあつかい。
久作「アヽ、コリャ、肩も足もひり/\するが。/\。まだ祝言もせぬさきから、女夫いさかいの取り越しかい。灸業のかわり、喧嘩の行事さすのかいやい。二人ながら、嗜め/\」
お光「イヱ/\、構ふてくださんすな。今の様なあいそづかしも、病いずらめが言わしくっさる」
久作「何を言うやら、モウ/\、両方とも。おれが貰いじゃ。ヨ、ヨ、中なおしが直ぐに取り結びの盃。髪も結うたり、鉄漿も付けたり。湯もつかうて、花嫁御を、コリャ、作っておけ」
とうち笑い。無理に納戸へ連れて行く。
その間遅し、とかけ入るお染。
お染「逢いたかった」
と久松に、縋り付けば。
久松「アヽコレ、声が高うござります。ガ、思いがけない。爰へはどうして、訳を聞かして/\」
と、問われて漸う顔を上げ、
お染「訳はそっちに覚えがあろう。私が事は思い切り山家屋へ嫁入りせいと、残しておきゃったコレ、此文。そなたは思い切る気でも、わしゃ、なんぼでも、え切らぬ。あんまり逢いたさ、なつかしさ。もったいない事ながら、観音様をかこつけて、逢いに北やら南やら、知らぬ在所も厭いはせぬ。二人いっしょに添うなら、飯もたこうし、織りつむぎ、どんな貧しい暮らしでも、わしゃ。嬉しいと思うもの。女の道を背けとは。聞こへぬわいの、胴欲」
と。恨みのたけを友禅の、振りの袂に北時雨、晴れ間は更に、なかりけり。曇りがちなる久松も、背撫でさすり、声ひそめ。
久松「そのお恨みは聞こえてあれど、十の年から今日が日まで、船、車にも積まれぬ御恩、仇で返す身の徒。冥加の程も恐ろしければ。委細は文に残した通り。山家屋へござるのが、母御へ孝行、家の為。よう、得心をなされや」
と言えどいらえも涙声。
お染「いやじゃ/\。わしゃ、いやじゃ。今となってそう言やるは、是までわしに隠しゃった。いいなずけの娘御と、女夫になりたい心じゃの。是非、山家屋へ行けならば、覚悟はとうから究めて居る」
と。用意の剃刀取り直せば。
久松「夫れは短気」
と久松が、留めてもとまらず。
お染「イヤ/\/\。そなたに別れ片時も、何楽しみに生きて居よう。とめずと、殺して/\」
と、思い詰めたる其風情。
久松「そんなら是程申しても、お聞き訳はござりませぬか」
お染「添われぬ時は死ぬるという、誓紙に嘘がつかりょうかいのう」
久松「ハア、たって申せば主殺し。命にかえて、それ程までに。」
お染「思うが無理か、女房じゃもの。」
久松「叶はぬ時は、私も一緒に。お染様」
お染「久松」
と互いに手に手取りかわす、悪縁深き契りかや。
始終後ろに立ち聞く親。
久作「その思案悪かろう」
と。言われてはっと久松、お染。さわぐを押さえて。
久作「アヽ、大事ない/\。マア/\下にいや。因縁とは言いながら。和泉の国石津の御家中。相良丈太夫様という、れこさの息子殿。いささかの事で家が潰れてから、わがみの乳母はおれが妹。その縁で、十の年まで育てあげた、此久作は後の親。草深い在所に置こより、知恵付けの為、油屋へ丁稚奉公。夫程までに成人して、商いの道、読み書きまで。人並みになったは、コリャ、親方の大恩。その恩も義理も弁えぬは。これ見や。さっきに買った、お夏清十郎の道行本。嫁入りのきわまってある、主の娘をそそのかすとは、道しらずめ。人でなしめ。サ、こりゃ清十郎が咄じゃわいの。とうから異見もしたかったけれど、ちょうど今のような事があろうかと、それが悲しさ一日延び、二日延ばしする間、降ってわいた銀のもめ事。ヤ、是言い立てに隙をもらい、分けて置くのが上分別と思うから。引き負いの銀の工面。どの様に気張っても、高のしれた、水呑み百姓。わずかの田地、着類、きそげ。お光めが櫛笄まで売りしろなり、漸う拵えた、さっきの銀。なさぬ中でも親子という名があるからは、肉心分けた子も同然。可愛うなうて、なんとしょう。コレお染様ではない、此本のお夏とやら、清十郎を可愛がって下さるは、嬉しい様で、恨めしいわいの。聞いての通りお光めと、女夫にするを楽しみに、病苦をこたえている、アノ婆様に、今の様な事聞かしたら、何と命がござりましょうぞいの。若い水の出端には。そこらの義理もへちまのかわと、投げやって、こな様といつまでも、添い遂げられるにしからが、戸は立てられぬ世上の口じゃわい。ヱヽ、アノ久松めは、辛抱した女房嫌うて、身上のよい油屋の聟になったは、コレ、栄耀がしたさじゃ、皆欲じゃ。人の皮着た畜生め、と。在所はもちろん大坂中に、指さされ、人交わりが、なりましょうかいの。コレ/\/\爰の道理を聞き分けて、思い切って下され。申し、コレ拝みますわいの/\。是程言うても聞き入れず、親御達が満足に産み付けておかしゃったその体を、切り裂いて浅ましう死ぬるのが、女の道か、心中か。サ、久松も其通り。不義密通の悪名請け、実親の名を汚すばかりか。世間の義理も主の恩も、むちゃくちゃにしてしまうのが、侍の子か、人間か。返事次第で思案がある」
と。真実、親身の、剛異見。骨身にこたえて久松、お染。なんと返事もないじゃくり。
久作「是程言うても返答のないは、コリャ二人ながら不得心じゃの」
久松「アヽもったいない。実の親にも勝った御恩。送らぬのみか苦をかけるも。私が不所存から。」
お染「イヤ/\、そなたの科ではない。皆、此身のいたずらから。親にも身にもかえまいと、思い詰めても、世の中の。義理にはどうも、かえられぬ。成る程、思い切りましょう。
久松「ヲヽ、よう御合点なされました。わたしもふっつり思い切り、お光と祝言致しまする。」
お染「そんならそなたも。」
久松「お前も」
と、互いに目と目に知らせあう。心の覚悟は、白髪の親仁。
久作「アノさっぱりと、思い切って、祝言をしてたもるか」
久松「なんのうそを申しましょう」
久作「娘御も今の詞に、微塵も違いはござりませぬか」
お染「久松の事は是限り。わしゃ、嫁入りをするわいの」
久作「ヲヽ、出来た/\。むくつけな親仁め、と腹も立てず、よう聞き入れて下さりました。晩の間のしれぬ婆が命。息のあるうち、祝言が済んだと聞かして下さるが、大きな善根。善は急げじゃ。今爰で盃さそ。お光。/\/\」
と呼び立てる。
声聞こえてや、病架より、母は漸う探り出で。
お光母「親仁殿、久松もそこにか。待ちに待った娘が祝言。嬉しゅうて/\。此間にない、気色のよさ。大患いの上、目まで潰れた因果人、仏様のお迎いを待ち兼ねたに、つれない命があったりゃこそ。よろこぶ声を聞くというも、孝行な久松が陰。ふつつかな在所生まれ。心には入るまいけれど、末の面倒見てくだされ。頼みまする」
という中も、痰火は胸にせきのぼせば、
久松「ヱヽ此寒いのに、寝所にやっぱりいたが、よござります。冷えれば悪い」
と布団の上。抱きかゝえて久松が、介抱如才、納戸より。親子の中も丸盆に、乗った盃、銚子鍋、運ぶ久作。
久作「コレおばゝ。やっぱり寝てはいやらいで。したが、島台のないかわり、世話事の尉と姥も新しい。目の見えぬは、目出度い秀句じゃ。ハヽヽヽヽ。ヱヽ、目出たいついでに、此嫁はどこに居るぞい。お光/\」
と、尻軽に、立って一間を差し覗き。
久作「ハテ、出くすみをしているは、それでは果てぬ」
と手を取って、
久作「サア/\マア/\、嫁の座へ直ったり/\。ヱヽトキニ、一家、一門、着のままの祝言に、あらたまった綿帽子。うっとしかろう、取ってやろ」
と。脱がすはずみに、笄も。ぬけて惜しげも、投げ島田。根よりふっつと、切り髪を。見るに驚く久松、お染。久作あきれて
久作「こりゃどうじゃ」
と。言う口押さえて。
お光「コレ申し、とと様も、おふたり様も。なんにも言うて下さんすな。最前から何事も、残らず聞いておりました。思い切ったと言わしゃんすは、義理にせまった表向き。底の心はお二人ながら、死ぬる覚悟でござんしょがな。サ、死ぬる覚悟で居やしゃんす。かか様の大病、どうぞ命が取りとめたさ。わしゃ、もう、とんと思い切った。ナ、切って祝うた髪かたち。見て下さんせ」
と両肌を、脱いだ下着は白無垢の、首にかけたる五条袈裟。思い切ったる目のうちに、浮かむ涙は水晶の、玉より清き貞心に、今更なんと詞さえ、涙呑み込み、のみ込んで、こたゆるつらさ、久松、お染、久作も手を合わせ。
久作「なんにも言はぬ、この通りじゃ/\/\。ヱヽ、女夫にしたいばっかりに、そこらあたりに心もつかず、莟みの花を散らしてのけたは。皆、おれが鈍なから。ゆるしてくれ」
も口の内。聞こえ憚る忍び泣き。
お光「アヽ。冥加ない事おっしゃります。所詮、望みは叶うまいと、思いの外の祝言の、盃する様になって、嬉しかったは、たった半時。無理に私が添うとすれば、死なしゃんすをしりながら、どう盃がなりましょうぞいな。」
お光母「お光の何をいやるやら。女夫になりゃるを此母も、喜びこそすれ何の死の。ノウ親仁殿。」
久作「ソウジャワイノ、とても此世はない縁でも、せめて未来は、アヽイヤ、未来までもかわらぬという、盃さそ」
と立上り、口に唱名ぶつ/\と、仏壇明けて取り出す。花瓶の松に鶴亀も、あの世を契る、心の島台。
久作「サア/\、こうしてなりと盃さすのが、せめてもの心ゆかし。ヱヽ、言いたいことだらけじゃけれど、此ような座敷には、たべつけぬ此親仁。三々九度うは言わぬが花嫁。一つのんで、久松へ。アヽ、目出度い/\。ばゞもさぞかし、嬉しかろ」
お光母「ヲヽ嬉しい段かいの。一世一度の娘が晴れ。定めて髪も、美しう出来たであろ。裂き笄に結やったか。」
お光「イヱ」
お光母「そんなら、両輪か」
久作「ヲヽ両輪とも/\。思いがけなう、すっぱりと。アいや、さっぱりと、ようできたわいの」
お光母「ヲヽ親仁殿の言わしゃる通り、自慢じゃないが髪は大てい上手じゃござらぬ。ホンニ前方、大坂行の土産に貰やった、薄の簪。今日の晴れにさしゃったかや。着物は取っておきの花色、加賀の裾模様、それか」
お光「アイ」
お光母「それ着ていやるか」
お光「アイナ」
お光母「ヲヽわがみには、よう似合ぞいの。なろう事なら、鉄漿つけて、顔直しゃった、おとなしさを、たった一目見て死んだら、善光寺の御印文にも勝って、未来は極楽往生。ホヽヽヽヽ。わしとした事が。目出たい中で忌まわしいと、久松、必ず気に掛けてたもんなやいの」
と子に迷う。暗き目盲にそれぞとも、しらず悦ぶ母親の、心を察し誰々も、泣き声せじ、とくいしばる。四人の涙八つの袖。榎並八ケの落し水、膝の、堤や越しぬらん。
見聞くつらさに忍びかね、お染は覚悟の以前の剃刀。
お染「なむあみだ仏」
と、自害の体。久作あわて押しとどめ。
久作「コレ娘御。何が不足で死ぬるのじゃ」
と。聞き間違うて娘ぞ、と、母は驚き
お光母「コレお光、待って/\」
と這い寄って、探る手先に五条袈裟。
お光母「ヤア此袈裟といい、このつむり。どうして、髪を切ったのじゃ。訳を聞かして、/\」
とせけばせく程咳のぼし、病苦に悩む母親を、見るに娘は猶悲しく
お光「コレかか様、こらえて下さんせ。添うに添われぬ品になり、わしゃ尼になったわいな」
お光母「ヤア/\/\、そんならさっきにから、母が気を休みょう為」
お光「ヲイノ、来世の縁を結ぶ盃。此世の縁は、切れてあるわいの。
お光母「ハア」
久作「ヲヽ、尤もじゃ/\。そなたへ見えぬが、いっそまし。傍でまじ/\見ている心、推量してたもいの」
と言う声のどにつまらせば
お染「サア/\/\、其悲しみをかけるのも、此お染から起こった事。死ぬるがせめて身の言い訳。」
久松「イヱ/\。死なねばならぬ此久松。わしから先へ」
とかけよるを、久作剃刀引ったくり。
久作「是程言うても聞き入れず、是非に死にたくば、おれから先へ、物の見事に死んでみしょうか。」
お光「とと様が死なしゃんすりゃ。わたしも生きては居ませぬぞえ。」
お光母「ヲヽ娘出かしゃった。むさい在所に育っても、貞女の道を弁えて、よう尼になりゃったのう。そこにござるが噂に聞いたお染様か。お前様や久松を、殺しとむないばっかりに。蝶よ花よと楽しんだ一人娘を尼にして、出かした、という心の中、思いやりがあるならば、なぜながらえては下されぬ。折角娘が志し、無足にするとは、胴欲」
とこらえし涙一時に、わっとばかりに取り乱せば。
久作「ヲヽ道理じゃ/\。サア/\、どうあっても死にたくば、婆も娘もおれも死ぬる。三人ながら見殺す気か。
お染「サア、それは」
久作「思い留まってくださるか。但し、死なうか。サア/\/\」
と三方が、義理と情と恩愛の、しめ木にかかる久松、お染。死ぬる事さえ叶わぬは、いかなる過去の報いぞと、前後正体、泣き倒れむせかえるこそ、道理なれ。
久作涙押しぬぐい、
久作「どうやら、こうやら、合点がいたそうな。さぞ母御様が、案じてござろう。大事の娘御、たしかな者に」
お勝「イヤそれには及びませぬ。母がたしかに請け取りました」
と言いつつはいれば、
お染「ヤアかゝ様。ハアはっ」
とばかりに詞なく、さし俯けば、
お勝「コレ/\、お染、野崎参りしやった、と、聞いてあんまり気遣いさ。アイヤ気慰みによかろうと、跡追うて来て、何事も残らず聞いた。夫婦の衆の深切、お光女郎の志し。最前からあの表で、わしゃ拝んでばっかり、いましたわいのう。サア、観音様のご利生で、怪我過ちのなかった嬉しさ。是から直ぐにお礼参り。ホンニ是はさもしい物なれど、ご病人への見舞いの印し。麁抹ながら」
と言葉数言わず、出過ぎぬ、杉折りを、供の男が差し置けば、
久作「マア/\冥加もない御見舞い。頂きまする」
と取り上ぐる。手元はずれて取り落とせば、中よりぐゎらりと、以前の銀。
久作「ヤア、さっきに渡した此銀を」
お勝「ヲヽ、表向きで請け取ったりゃ事は済む。改めて、尼御へ布施。せめて娘が冥加じゃわいのう。言い訳が立つからは、久松も元の通り、戻って目出とう、正月しや。取り込みの中、長居も不遠慮。娘もおじゃ」
と手を引いて、表へ出れば、久作も。門送りして、
久作「是はマア/\。何とお礼を申しましょうやら。お辞儀致すも却って不躾。せめてものお土産に、折って置いた、此早咲き。めでたい春を松竹梅と、お家も栄え蓬莱の飾り物。幾久松が御奉公、大事に勤めて此御恩、忘れぬしるし」
と差し出せば、
お勝「ヲヽ、心有りげな、此早咲き。譬えて言えば、雨露の恵を請けぬ、室咲きは、萎むも早し、香も薄い。盛りの春を待てという二人へのよい教訓。殊更内に、口さがない者もあれば、何かに遠慮せねばならぬ。幸いわしが乗ってきた、あのかごで、コレ久松。そなたは堤、お染は船。別れ/\にいぬるのが、世上の補い、心の遠慮。」
久作「左様でござりまするとも。お志じゃ。乗っていにゃ。」
お勝「娘は、船へ」
と親々の、詞に、否も言いかぬる。鴛鴦の片羽の片/“\に、別れて、二人は乗り移れば。
お光母「そんなら久松、もう行きゃるか。来る正月の藪入りを、母も必ず待っている」
お光「あにさん、おまめで、お染様、もうおさらば」
と、詞まで早、改める、お光尼。哀れを余所に、みなれ竿、
久松「船にも積まれぬ、お主の御恩。親の恵の冥加ない、取り分けてお光殿。こうなりくだるも先の世の、定まり毎と諦めて、お年寄られた親達の介抱頼む」
と言いさして、泣くね伏せ籠の、面ぶせ。船のうちにも声上げて、
お染「よしないわし故、お光様の、縁を切らしたお憎しみ。堪忍して下さんせ」
お光「アヽ、わっけもない、お染様、浮世放れた、尼じゃもの。そんな心を勿体ない。短気起こして下さんすな。」
久作「ヲヽ/\、娘が言う通り、死んで花実は咲かぬ梅。一本花にならぬ様に、めでたい盛りを見せてくれ。随分達者で」
久松「ハイ/\、お前も御無事で」
久作「お袋様もお娘御も、おさらば。」
さらば。さらば。/\/\も遠ざかる、船と、堤は隔たれど。
縁を引く綱一筋に。思いあうたる恋中も、義理の柵、情けのかせ杭、かごに比翼を引きわくる、心/“\ぞ、世なりけり。

女流義太夫について


女流義太夫で絶大な人気を誇った豊竹呂昇の写真(資料番号:F70-06979、早稲田大学演劇博物館所蔵)


 義太夫節の女性演者を、女流義太夫あるいは娘義太夫(女義太夫)と言います。人形を伴わず語り手の太夫と音楽を担当する三味線のみが舞台に上がり、音曲を聴かせる興行が主流です。江戸時代以前の日本の古典演劇の担い手は男性が主でした。しかし江戸時代後期から女流義太夫が流行します。
 特に明治期には大変な人気を博し、当時の書生らが大阪の豊竹呂昇、東京の竹本綾之助などに大変熱を上げていました。例えば、志賀直哉や竹下夢二も娘義太夫のファンであったことが知られています。当時のファンは、音曲が佳境(サワリ)になると、客席から拍手とともに「どうする、どうする」の声をかけたと言います。そのために、これらのファンを堂摺連(どうするれん)、あるいは追駆連(おっかけれん)などとも称しました。演者が複数の寄席から寄席へと掛け持ちで公演する時に、ファンも追っかけて寄席を回ったことが、追駆連の名前の由来です。この追駆連は、現代のアイドルの「おっかけ」の語源にもなっています。
 一世を風靡した女流義太夫ですが、関東大震災や第二次世界大戦で東京や大阪の寄席が壊滅的な被害を受けると、上演の場所と機会を失い、次第に衰退していきました。その様な中、女流義太夫はより音曲としての芸術性を高める方向に舵をきります。絶頂期には芸よりも若い女性の容色を目当てとする客層が多かったと言わざるをえませんが、大戦後には義太夫節の愛好家などが寄席に足を運ぶようになりました。昭和57年(1982)には、女流義太夫ではじめて竹本土佐広が重要無形文化財各個指定保持者、いわゆる人間国宝に認定されます。その後、女流義太夫は寄席から国立演芸場、そして現在は寄席のお江戸日本橋亭を本拠地として活動を続けています。

女流義太夫を見る・学ぶ方法

女流義太夫を見る方法

女流義太夫の定期公演は、現在では主に日本橋のお江戸日本橋亭でほぼ毎月公演されています。

参考チラシ「女流義太夫演奏会6月公演 桜桃忌に因んで-太宰も語った名曲-」

公演案内は、一般社団法人 義太夫協会のウェブサイト(https://www.gidayu.or.jp/)で案内しています。


女流義太夫を学ぶ方法

一般社団法人義太夫協会では、義太夫節を習いたい人向けの義太夫教室を開催し、毎年受講生を募集しています。

参考チラシ「義太夫教室入門コース」

或いは太夫・三味線の演者個人への入門も同ウェブサイトから案内しています。お気軽に御連絡ください。

義太夫節を学ぼう 解説

原田真澄(早稲田大学坪内博士記念演劇博物館 助教)