文字と綴字の英語史・1
「文字の起源と発達 — アルファベットの拡がり」

堀田 隆一

2023年4月29日

「hellog~英語史ブログ」: http://user.keio.ac.jp/~rhotta

* 本スライドは https://bit.ly/40EPvEB からアクセスできます

講座「文字と綴字の英語史」(全4回)の概要

アルファベットは現代世界で最も広く用いられている文字体系であり,英語もそれを受け入れてきました.しかし,そのような英語もアルファベットとは歴史の過程で出会ったものにすぎず,綴字として手なずけていくのに千数百年の年月を要しました.本講座では,英語が文字や綴字と格闘してきた歴史をたどります.

  1. 文字の起源と発達 — アルファベットの拡がり(2023年4月29日)
  2. 古英語の綴字 — ローマ字の手なずけ(2023年7月29日)
  3. 中英語の綴字 — 標準なき繁栄(秋・未定)
  4. 近代英語の綴字 — 標準化を目指して(冬・未定)

第1回 文字の起源と発達 — アルファベットの拡がり

文字は人類最強の発明の1つです.人類は文字を手に入れることにより文明を発展させてきました.では,文字はいつ,どこで,どのように発明され,伝播してきたのでしょうか.歴史の過程で様々な文字体系が生まれてきましたが,そのうちの1つがアルファベットでした.アルファベット自身も変化と変異を繰り返し多様化してきましたが,その1つが私たちのよく知るローマン・アルファベットです.英語は紀元6世紀頃にこれを借り受け,本格的な文字時代に入っていくことになります.

目次

  1. はじめに — 文字の発明
  2. 文字論事始め — 話し言葉と書き言葉
  3. 文字の種類
  4. 文字の歴史
  5. アルファベットの歴史
  6. アルファベットの配列
  7. 文字体系をめぐる議論
  8. おわりに

1. はじめに — 文字の発明

産経新聞2023年2月4日の朝刊に掲載された連載「テクノロジーと人類」のインタビュー記事「文字の発明」

人類がイノベーション(革新)の利器である文字を見つけた瞬間に,言葉が持つポテンシャルが一気に開花し,文明の進化が指数関数的に加速した.知識の貯蔵庫である文字は人類史上最大の発明の一つだ.

特に注目されるのは,文字のメッセージを会話のようにリアルタイムでやり取りするチャットの台頭だ.堀田氏は「話し言葉の即時性と書き言葉の特性の両方を備えるもので,言語のメディア史で初めての革命的なことだ」と指摘する.いわば「第三の言葉」の登場だという.

本シリーズ初回に寄せて

  1. 「hellog~英語史ブログ」の本日(2023年4月29日)の記事「#5114. アルファベットの起源と発達についての2つのコンテンツ」
  2. Voicy 「英語の語源が身につくラジオ (heldio)」「#698. 先生,アルファベットの歴史を教えてください!」(2023年4月29日配信)
  3. khelf(慶應英語史フォーラム) による「英語史コンテンツ50」企画の「#7. <b>と<d>は紛らわしい!」(2023年4月19日公開)

2. 文字論事始め — 話し言葉と書き言葉

  1. ヒトの言語は,話し言葉として発生した.書き言葉の歴史は非常に浅い (#41)
  2. 個体発生を考えても,幼児はまず話し言葉を習得する.習得に関して,話し言葉は常に書き言葉に先立つ
  3. 話し言葉の能力はヒトという種に先天的だが,書き言葉は常に後天的に学習される
  4. 過去にも現在にも,文字をもたない言語のほうが文字をもつ言語よりも多い
  5. 以上より「話し言葉の優位性」が結論づけられそう?

両メディアの自律と依存

  1. 特徴の比較対照 (##748,849,1001,1665,3274,3886)
  2. 「遠い言葉」と「近い言葉」(高田,Koch and Oesterreicher; ##230,2301)

  1. CMC (computer-mediated communication) (#1664)

書き言葉の3つの機能 — 文字論 (grammatology) 事始め

  1. 言説的機能:口頭の言説を写す (#1829)
  2. 資料的機能:情報の記憶装置
  3. 図像的機能:文字の形や大きさ,文字列の空間的な配列によるコミュニケーションの働き
  4. もう1つの気になる特徴:保守性と秘匿性 (##2417,2701)

3. 文字の種類

  1. 文字が発音に対応していない文字体系=非表音文字 (non-phonographic) (#422)
    • 絵文字 (pictographic) 絵が指し示すモノそのものに対応.鳥の輪郭であれば鳥を指すなど.もっとも原始的な形態で,世界各地で発見される.紀元前3000年頃のエジプトやメソポタミアの絵文字,紀元前1500年頃の中国の絵文字,現代の道路標識など.
    • 表意文字 (ideographic) 絵文字から発展した形態で,文字の輪郭はより幾何学的な形態へ移行.文字はモノそのものだけでなく慣習的に結びついた意味も表すようになる.例えば初期のシュメール文字では,星をかたどる幾何学的文字は,「夜」「暗い」「黒い」など星と慣習的に結びついた意味をも示すようになる.現代では,アイロンの絵に大きな×のついた「アイロンがけ不可」を意味する標示では,アイロンが絵文字的,×が表意文字的な役割を果たしている.純粋な表意文字体系というのは珍しく,たいてい絵文字体系などと組み合わさって存在する.
    • 表語文字 (logographic) 漢字が典型的な表語文字といわれる.中国の漢字は 50,000 ほどあるといわれるが,基本文字に限れば日本の漢字の場合と同様に,2,000 程度で済む.必ずしも語 (word) という単位でなく形態素 (morpheme) に対応していることもあり,厳密には表語文字と呼ぶのは適切でないかもしれない.
  2. 文字が発音に対応している文字体系 = 表音文字 (phonographic)
    • 音節文字 (syllabic)  日本語の仮名が典型的な音節文字といわれる.表語文字に比べて文字数はぐっと少なくなり,数十から数百の間に収まる.
    • 音素文字 (alphabetic) 文字と音素の対応が緊密な文字体系.非常に経済的な文字体系で,文字数は20–30くらいに収まることが多い.Greek alphabet, Roman alphabet, runes, ogham など複数のアルファベットが存在するが,いずれも起源は North Semitic と呼ばれるパレスチナやシリアなどで紀元前1700年くらいに用いられた原初アルファベットに遡る.
  3. 表意文字,表語文字,表音文字の区分について (##2341,2344)

4. 文字の歴史

詳しい年表は ##2389,2390,1834,2414,2399 を参照.

前30000年頃 [陰画手像]
前4000年頃 スサ(現イラン)で土器に書いた文字が現れる
前3300年頃 メソポタミア南部で絵文字が現れる
前3100年頃 エジプト聖刻文字成立
前2700年頃 シュメールの楔形文字成立
前2500年頃 スサで楔形文字が原エラム文字にとって代る
前2300年頃 インダス川流域で「原インド文字」が現れる
前2200年頃 プズル・インチュチナク王の原エラム文字碑文
前2000年頃 シュメールの首都ウル陥落。以降,メソポタミアではアッカド語が共通語として使用される
前1600年頃 原シナイ文字
  地中海で線文字A成立
前1300年頃 ラス・シャムラ(現シリア)のウガリット文字
  古代中国で甲骨文字成立
前1000年頃 フェニキア文字成立
  同じ頃アラム文字、古ヘブライ文字成立
前8世紀 ギリシア文字、エトルリア文字、イタリア文字成立
前6世紀 ローマ字成立
前3世紀 カロシュティー文字、ブラーフミ文字成立
前2世紀 ヘブライ文字成立
前1–1世紀 中国で漢字が完成
1世紀 最古のルーン文字碑文
3世紀 コプト文字、原マヤ文字成立
4世紀頃 漢字、朝鮮半島に伝来
  グプタ文字成立
  ゴート文字、アラビア文字成立
5世紀頃 漢字、日本に伝来。オガム文字成立
  アルメニア文字、グルジア文字成立
7世紀 チベット文字成立
8世紀 ナーガリー文字成立
9世紀 グラゴール文字成立(その後キリル文字となる)
11世紀 ネパール文字成立

文字の系統

詳しい系統図は ##1822,1853,2398,2416 を参照.

5. アルファベットの歴史

  1. 紀元前1700年頃,パレスチナやシリアで行われていた北部セム諸語 (North Semitic languages) の話し手によってアルファベットが発明された.22個の子音字からなり,母音字は含まれていなかった.この文字を読む人は,子音字の連続のなかに文法的に適宜ふさわしい母音を挿入しながら読んでいたはずである.有力な説によるとフェニキア人 (the Phoenicians) だったのではないかといわれる.
  2. 紀元前1000年頃,フェニキア文字から発展したアルファベットの変種がギリシアに伝わり,そこで初めて母音字が加えられた.
  3. 紀元前7世紀くらいまでに,ローマ人の前身としてイタリア半島に分布して繁栄していた非印欧語族系のエトルリア人 (the Etruscans) によって改良を加えられ,エトルリア文字 (the Etruscan alphabet) へと発展した.
  4. 紀元前7世紀中,エトルリア文字がローマに継承され,ローマ字 (the Roman alphabet or the Latin alphabet) が派生した.
  5. 紀元前1世紀くらいに同じエトルリア文字からもう1つのアルファベット,ルーン文字 (the runic alphabet) が派生した.
  6. 紀元6世紀,ローマ字がキリスト教の伝道の媒介としてブリテン島に持ち込まれた.
  7. さらに詳しくは ##423,490,2888 を参照.

アルファベットの系統

さらに詳しくは ##1849,2888 を参照.

ルーン文字

  1. 現存する最古の英文 (#472)

    ( u d e m ・ æ g æ m ・ æg og æg )

    = gægogæ mægæ medu

    = ?she-wolf reward to kinsman

    = This she-wolf is a reward to my kinsman

  2. ルーン文字の変種 (#1006)

  3. ルーン文字文化と関係の深い語源:write, read, riddle, rune (#1009)

6. アルファベットの配列

  1. 音韻論的分類法.音韻論の原理に基づくもので,昨日示した五十音図のほか,サンスクリット語の文字(悉曇,梵字),ハングルなどがある.
  2. 形態論的分類法.形字の原理に従うもので,漢和辞典の部首索引など.
  3. 意義論的分類法.意味の関連を考慮したもの.漢和辞典の部首は意符でもあるので,部分的には意義論的分類法に従っている.また,中国最古の字書『説文解字』では,文字の並びそれ自身が意味をもっていたという点で,意義論的分類の一種と考えられる.千字文,「あめつちの詞」,「いろは」なども,字の並びが全体として章句を構成している点で,この分類に属する.
  4. 年代順的分類法.各文字が派生したり加えられたりした順に並べる原理.例えば, はラテン・アルファベットにおいて後から加えられたので,文字セットの最後に配されている等々.<G>, <X>, <I–J>, <U–V–W-Y> も同じ.仮名の「ん」も.
  5. フェニキア・アルファベットの配列の原理は? (#2105)

7. 文字体系をめぐる議論

  1. 「アルファベットと鉄による文明の大衆化」論 (#3700)
  2. アルファベットの卓越性という言説 (#2429)
  3. 文字体系の盛衰は「組織の断絶」にある (#2577)
  4. 文字帝国主義論 (#1838)

8. おわりに

  1. 文字,6,000年の歴史
  2. アルファベット,3,500年の歴史
  3. ローマ字,6世紀に英語へ
  4. 第2回「古英語の綴字 — ローマ字の手なずけ」へ(2023年7月29日)

参考文献