英語の歴史と語源・3
「ローマ帝国の植民地」

堀田 隆一

2019年9月7日
hellog~英語史ブログ: http://user.keio.ac.jp/~rhotta

第3回 ローマ帝国の植民地

紀元前後,ブリテン島の大半はローマ帝国の版図に組み込まれました.この時代にはブリテン島はいまだケルトの島であり,英語が話される土地ではありませんでした.

しかし,ローマ帝国から文明の言語としてもたらされたラテン語は,ケルト語を経由して後にやってくる英語にも影響を与えたほか,当時大陸にいたアングロ・サクソン人にも直接,語彙的な影響を及ぼしました.

英語とラテン語の歴史上初めての接触に注目し,最初期に借用されたラテン単語を覗いてみましょう.

目次

  1. ローマン・ブリテンの時代
  2. ラテン語との「腐れ縁」とその「馴れ初め」
  3. 最初期のラテン借用語の意外な日常性

1. ローマン・ブリテンの時代

81万年前頃 ブリテン付近に人類が居住
紀元前1万年頃 狩猟採集民が居住(旧石器時代末期)
前7–6千年頃 ブリテン島が大陸から分離
前4千年頃 農耕・牧畜の開始(新石器時代の開始)
前22–20世紀頃 ビーカー人が渡来(青銅器時代の開始)
前18世紀頃 ストーンヘンジの建造
前6世紀頃 ケルト系のベルガエ人の渡来
前2世紀末 ベルガエ人が高度な鉄器文化と農牧文化を築く
前55–54年 ユリウス・カエサルのブリタニア遠征
43年 ローマ皇帝クラウディウスのブリタニア侵攻
61年 イケニ族の女王ボウディッカの反乱
80年頃 ローマ軍,スコットランドに到着
122–132年 ハドリアヌスの長城の建造
140年頃 アントニヌスの長城の建造(しかし,60年後に放棄)
2世紀末 ロンドンが中心都市として発達し,街道も整備される
211年 ブリテン,ローマと協約締結し「同盟者」に
306年 ブリタニアで即位したコンスタンティヌス,帝国の再編へ
4世紀半ば キリスト教の伝来,ヨークとロンドンに司教座
406年 大陸のゲルマン諸部族,ライン川を超えてガリアへ侵入
410年 ローマ,ブリタニアから撤退
449年 アングロ・サクソンの渡来が始まる
6世紀末 7王国の成立
597年 聖アウグスティヌス,キリスト教宣教のために教皇グレゴリウス1世によってローマからケント王国へ派遣される
664年 ウィットビーの宗教会議でローマキリスト教の優位が認められる

(年表は #3786 も参照)

ローマン・ブリテンの地図

  1. 117年のローマ帝国の版図

  2. ローマン・ブリテン

ローマン・ブリテンの言語状況 (1) — 複雑なマルチリンガル社会

  1. ラテン語はブリテン島に点在する都市部でこそ用いられていたが,それ以外では従来のケルト語の世界が広がっていた
  2. 公的な領域においてはバイリンガル社会は存在したと思われるが,それほど著しいものではなかった
  3. 一方,ローマン・ブリテン時代の後期には,ゲルマン人もある程度の数でブリテン島に住まっていたことは確か
  4. 当時の言語状況は複雑 (#3784)

ローマン・ブリテンの言語状況 (2) — ガリアとの比較

  1. ブリテンの場合
    1. ローマ帝国の歴史・文化・言語的影響は長続きしなかった
    2. 先住のケルト人も,後に渡来してきたゲルマン人も,さほど大きな言語的影響を被ることはなかった
    3. したがってラテン語への言語交代もなかった
    4. 最終的にはゲルマン系の英語の地域に
  2. ガリアの場合
    1. ローマ帝国の歴史・文化・言語的影響は長続きした
    2. 基層のケルト語も後発のフランク語も,ラテン語に呑み込まれるようにしてやがて消滅していった
    3. 最終的にはロマンス系のフランス語の地域に
  3. 比較・対照
    1. ケルト系言語の基層の上にラテン語がかぶさってきたという点では共通
    2. ラテン語との接触の期間や密度という点で差があり,それが各々の地域における後世の言語事情にも重要なインパクトを与えた
    3. ローマからの距離やラテン語に対して抱いていた威信の差も影響か? (#3785)
    4. 両地域の言語状況の差は,英語とフランス語におけるケルト借用語の質・量の差にも影響を与えた (#3753)

ローマ軍の残した -chester, -caster, -cester の地名

  1. ローマン・ブリテン時代にローマ軍が建設したと考えられる町の名には,ラテン語 castrum (野営地)に由来する要素を含むものが多い
  2. この単語は,すでに大陸時代にゲルマン諸語に借用されていた
  3. 地名における異形の分布 (#3440)
    1. サクソン系が定住したイングランドの比較的南部の地域では,-chester が多い (ex. Colchester, Dorchester, Manchester, Rochester, Winchester)
    2. アングル系が定住し,後にデーン人が入り込んだ北部・北西部・東部では -caster が多い (ex. Doncaster, Lancaster, Tadcaster)
    3. サクソン系とアングル系が融合したとされる中部地域では -cester が多く,発音は Anglo-French の影響でつづまって /-stə/ となる (ex. Bichester, Gloucester, Leicester, Worcester)
    4. ウェールズとの境界近くでは語頭子音が x となる (ex. Exeter, Wroxeter)

多くのラテン地名が後にアングロ・サクソン人によって捨てられた理由

  1. デイヴィスとレヴィット (82–83) によれば,ローマ人とアングロサクソン人では,ブリテン島にやってきた目的が異なっていたから (#3454)

    ラテン語の地名は,英語が流入してきた地域では英語の浸透によって消滅した.これまでこれまで述べてきたことに付け加えて,ラテン語の地名が残らなかったもうひとつの重要な原因は,アングロ・サクソン人はローマ人とはかなり異なった文化を持っていたということである.アングロ・サクソン人は,居住するための都市を求めて来たのではなく耕すための土地を求めてきたのである.アングロ・サクソン人は自分たちの作った新しいムラの名前を必要とした.ローマ人の作った砦や都市はアングロ・サクソン人の役には立たなかった.ローマ軍の砦は,ローマ軍の撤回からアングロ・サクソン人の到来に至る間に,北方から来た野蛮人に略奪されたか,アングロ・サクソン人の戦争の仕方に合わなかったため放置されたかである.都市と同様に砦は廃れ,それらの名前までも忘れ去られた.

  2. たとえば,Dee 川のほとりのローマ軍駐屯地 Deva は,ローマン・ブリテン時代の長きにわたって軍団を収容してきた砦だったが,古英語の『アングロ・サクソン年代記』では「廃墟のチェスター」と言及されている.ローマの遺産は,砦もろとも名前も捨て去られたのだ.

2. ラテン語との「腐れ縁」とその「馴れ初め」

  1. 英語とラテン語との関係は,ヨーロッパ諸言語の例に洩れず,紀元前から続く「腐れ縁」
  2. 両言語は同じ印欧語族の親戚筋であるとはいえ,ゲルマン語派とイタリック語派という異なる派閥に属しており,血縁は非常に薄い (cf. 印欧語系統図)
  3. しかし,いってみれば知人としてあまりに長い間付き合ってきたために,英語はラテン語なしでは自らを表現できないほどまでにラテン語を自らの一部として取り込むに至った
  4. その関係の「馴れ初め」は,ローマン・ブリテン前後の時代,つまり英語そのものはブリテン島ではなくいまだ大陸で用いられた時代
  5. 今回は,紀元650年辺り以前に借用された「最初期」のラテン単語に注目

ラテン語との「腐れ縁」の概観

  1. 通時的俯瞰 (#2162, #2385)

  2. ラテン語借用の時期区分
    1. 大陸時代(5世紀以前): 次ページ以降で扱う(#1437, #1945 も参照)
    2. 初期古英語(650年頃まで): 次ページ以降で扱う
    3. 後期古英語 (650年頃~1100年): 本シリーズ「英語の歴史と語源」の第5回「キリスト教の伝来」にて注目する予定
    4. 中英語期(1100~1500年): #120, #1211, #2961
    5. 初期近代英語期(1500~1700年): #478, #1226, #1409, #3438
    6. 後期近代英語期・現代英語期(1700年以降): #3179

現代英語におけるラテン語の位置づけ

  1. 英語語彙の「3層構造」 (#334; 堀田の拙論「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? — ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」も参照)

    英語 フランス語 ラテン語
    ask question interrogate
    book volume text
    fair beautiful attractive
    fast firm secure
    foe enemy adversary
    help aid assistance
    kingly royal regal
    rise mount ascend

  2. 「英製羅語」 (#1493, #3013, #3165, #3179)
  3. 学名におけるラテン語 (#512, #840)
  4. ラテン借用語は一般に堅いイメージをもってとらえられるが・・・

3. 最初期のラテン借用語の意外な日常性

  1. ラテン借用語は,650年辺りを境にして,その後は「お高い」宗教と学問の用語が中心だが,その前は「親しみやすい」日常語が中心 (#3787)
  2. 最初期(650年辺り以前,つまり大陸時代から初期古英語期にかけての時代)に英語(あるいはゲルマン諸語)に入ってきたラテン単語の多くは,実はよそよそしい語彙ではなく,日々の生活になくてはならない語彙を構成している (#3788)
  3. この事実は「ラテン語=威信と教養の言語」というステレオタイプの陰で意外と知られていない
  4. 実際,現代英語の語彙に関して “the WOLD survey” による1,460個の基本的な意味項目からなる日常語リストで調査してみると,137語ほど(およそ10%)が古英語期以前に借用されたラテン借用語と認定される
  5. 具体例: butere “butter”, ele “oil”, cyċene “kitchen”, ċȳse, ċēse “cheese”, wīn “wine” (and its compounds), sæterndæġ “Saturday”, mūl “mule”, ancor “anchor”, līn “line, continuous length”, mylen (and its compounds) “mill”, scōl, sċolu (and the compound leornungscōl) “school”, weall “wall”, pīpe “pipe, tube”, disċ “plate/platter/bowel/dish”, candel “lamp, lantern, candle”, torr “tower”, prēost “priest”, port “port”, munt “mount(ain)” (その他,合計300語ほどの網羅的な一覧は #3790 を参照)

行為者接尾辞 -er と -ster も最初期のラテン借用要素?

  1. -er は古英語では -ere として現われ,ゲルマン諸語にも同根語が確認されるが,それ以前の起源は判然としない (#3791)
  2. Durkin (114) によれば,ラテン語 -ārius, -ārium, -āria の借用ではないか(このラテン語接尾辞は別途英語に形容詞語尾 -ary として入ってきており,budgetary, discretionary, parliamentary, unitary などにみられる)
  3. 一方,-ster は,女性の行為者を表わす古英語の接尾辞 -estre, -istre にさかのぼる (#2188)
  4. こちらの同根語もいくつかのゲルマン諸語にみられ,ゲルマン祖語形が再建されてはいるが,やはりそれ以前の起源は不明
  5. Durkin (114) は,やはりラテン語の -istria に由来するのではないかと疑っている
  6. もしこれらの行為者接尾辞がラテン語から借用された早期の(おそらく大陸時代の)要素だとすれば,後の英語の歴史において,これほど高い生産性を示すことになったラテン語由来の形態素はない.特に -er についてはそうである.これが真実ならば,最初期のラテン借用要素のもつ日常性を裏書きするもう一つの事例となる.

古英語語彙におけるラテン借用語比率

  1. 古英語以前に英語に借用されたラテン単語の数は,少なくとも600語 (#3789)
  2. 650年辺りを境に,前期に300語ほど,後期に300語ほどという内訳
  3. この600語という数を古英語語彙全体から眺めてみると,1.75%という割合
  4. これらのラテン借用語単体ではなく,それに基づいて作られた合成語や派生語までを考慮に入れると,語彙における割合は4.5%に跳ね上がる
  5. 英語の「世界的な語彙」 (cosmopolitan vocabulary) への歩みの第一歩としての最初期のラテン語借用

借用の経路 — ラテン語,ケルト語,古英語の関係

  1. ラテン語 → ケルト語 → 古英語 (#2578)
    • assen, assa (< L asinum “ass”)
    • stǣr, stær (< L historia “history”)
    • ceaster (< L castra “camp”)
    • port (< L portus, porta “harbor, gate, town”)
    • munt (< L mōns, montem “mountain”; #3657)
    • torr (L turris “tower, rock”)
    • wīc (< L vīcus “village”)
  2. ケルト語 → ラテン語 → 古英語
    • binn “bin” (おそらく大陸時代の借用)

cheap の由来

  1. ラテン語 caupō “small tradesman, innkeeper” に由来するとされる古英語 ċēap “purchase or sale, bargain, business, transaction, market, possessions, livestock” に遡る (#1460, #3783)
  2. その関連語も含めて大陸時代の借用
  3. ゲルマン諸語の同根語は,古フリジア語 kāp, 中オランダ語 coop, 古サクソン語 kōp, 古高地ドイツ語 chouf, 古アイスランド語 kaup など
  4. 現代の形容詞 cheap は “good cheap” (= “good bargain”; cf. F à bon marché) という句の短縮形が起源とされる
  5. 動詞化した古英語の ċēapian “to buy and sell, to make a bargain, to trade” や ċȳpan “to sell” もゲルマン諸語に同根語がある
  6. ほかに ċȳpa, ċēap “merchant, trader” を始めとして,ċēapung, ċȳping “trade, buying and selling, market, market place” や ċȳpman, ċȳpeman “merchant, trader” などの派生語・複合語も多数みつかる
  7. ロンドン中心部を東西に横切る通り Cheapside は中世には食料市場だった
  8. デンマークの首都 Copenhagen のデンマーク語名は København であり,第1要素は cheap の同根語で,全体として “market haven” ほどの意

pound (£) の由来

  1. ラテン語の lībra pondō (a pound by weight) という句に由来 (#3783)
  2. 古英語 pund の同根語は,古フリジア語 pund, 古高地ドイツ語 phunt, 古アイスランド語 pund, 古スウェーデン語 pund, ゴート語 pund などと広くゲルマン諸語に確認される
  3. これらのゲルマン諸語では,重さの単位としての「ポンド」の意味が共有されている
  4. 交易において正確な重量測定が重要であることを物語る大陸時代の早期借用といえる

Saturday とその他の曜日名の由来

  1. Saturday (古英語 sæterndæġ)の第1要素はローマ神 Saturnus の名前に直接由来 (#3476, #2595)
  2. Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday については,各々の複合語の第1要素として,ローマ神 Mars, Mercury, Jupiter, Venus に対応するゲルマン神の名前 Tiw, Woden, Thor, Frigga が与えられている
  3. Sunday, Monday の第1要素については,それぞれ太陽と月という天体の名前をラテン語から英語へ翻訳したもの
  4. いずれも広い意味でラテン語からの借用とはいえるが,異なる3タイプの借用の仕方がなされていることに注意

まとめ

  1. ローマン・ブリテンの時代,英語はまだ大陸にあった
  2. 大陸時代から早くも大英語はラテン語との「馴れ初め」を経て,現代にまで続く「腐れ縁」を開始していた
  3. ラテン語の堅いイメージとは裏腹に,最初期のラテン借用語は意外と日常的なものも多い

参考文献