紀元前後,ブリテン島の大半はローマ帝国の版図に組み込まれました.この時代にはブリテン島はいまだケルトの島であり,英語が話される土地ではありませんでした.
しかし,ローマ帝国から文明の言語としてもたらされたラテン語は,ケルト語を経由して後にやってくる英語にも影響を与えたほか,当時大陸にいたアングロ・サクソン人にも直接,語彙的な影響を及ぼしました.
英語とラテン語の歴史上初めての接触に注目し,最初期に借用されたラテン単語を覗いてみましょう.
81万年前頃 | ブリテン付近に人類が居住 |
紀元前1万年頃 | 狩猟採集民が居住(旧石器時代末期) |
前7–6千年頃 | ブリテン島が大陸から分離 |
前4千年頃 | 農耕・牧畜の開始(新石器時代の開始) |
前22–20世紀頃 | ビーカー人が渡来(青銅器時代の開始) |
前18世紀頃 | ストーンヘンジの建造 |
前6世紀頃 | ケルト系のベルガエ人の渡来 |
前2世紀末 | ベルガエ人が高度な鉄器文化と農牧文化を築く |
前55–54年 | ユリウス・カエサルのブリタニア遠征 |
43年 | ローマ皇帝クラウディウスのブリタニア侵攻 |
61年 | イケニ族の女王ボウディッカの反乱 |
80年頃 | ローマ軍,スコットランドに到着 |
122–132年 | ハドリアヌスの長城の建造 |
140年頃 | アントニヌスの長城の建造(しかし,60年後に放棄) |
2世紀末 | ロンドンが中心都市として発達し,街道も整備される |
211年 | ブリテン,ローマと協約締結し「同盟者」に |
306年 | ブリタニアで即位したコンスタンティヌス,帝国の再編へ |
4世紀半ば | キリスト教の伝来,ヨークとロンドンに司教座 |
406年 | 大陸のゲルマン諸部族,ライン川を超えてガリアへ侵入 |
410年 | ローマ,ブリタニアから撤退 |
449年 | アングロ・サクソンの渡来が始まる |
6世紀末 | 7王国の成立 |
597年 | 聖アウグスティヌス,キリスト教宣教のために教皇グレゴリウス1世によってローマからケント王国へ派遣される |
664年 | ウィットビーの宗教会議でローマキリスト教の優位が認められる |
(年表は #3786 も参照)
117年のローマ帝国の版図
ローマン・ブリテン
デイヴィスとレヴィット (82–83) によれば,ローマ人とアングロサクソン人では,ブリテン島にやってきた目的が異なっていたから (#3454)
ラテン語の地名は,英語が流入してきた地域では英語の浸透によって消滅した.これまでこれまで述べてきたことに付け加えて,ラテン語の地名が残らなかったもうひとつの重要な原因は,アングロ・サクソン人はローマ人とはかなり異なった文化を持っていたということである.アングロ・サクソン人は,居住するための都市を求めて来たのではなく耕すための土地を求めてきたのである.アングロ・サクソン人は自分たちの作った新しいムラの名前を必要とした.ローマ人の作った砦や都市はアングロ・サクソン人の役には立たなかった.ローマ軍の砦は,ローマ軍の撤回からアングロ・サクソン人の到来に至る間に,北方から来た野蛮人に略奪されたか,アングロ・サクソン人の戦争の仕方に合わなかったため放置されたかである.都市と同様に砦は廃れ,それらの名前までも忘れ去られた.
たとえば,Dee 川のほとりのローマ軍駐屯地 Deva は,ローマン・ブリテン時代の長きにわたって軍団を収容してきた砦だったが,古英語の『アングロ・サクソン年代記』では「廃墟のチェスター」と言及されている.ローマの遺産は,砦もろとも名前も捨て去られたのだ.
英語語彙の「3層構造」 (#334; 堀田の拙論「なぜ英語語彙に3層構造があるのか? — ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争」も参照)
英語 | フランス語 | ラテン語 |
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ラテン借用語は一般に堅いイメージをもってとらえられるが・・・