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#5694. ゲルマン民族・ドイツ語純粋主義の言説について --- 池上俊一(著)『森と山と川でたどるドイツ史』より[purism][germanic][language_myth][linguistic_ideology]

2024-11-28

 3日前の記事「#5691. 池上俊一(著)『森と山と川でたどるドイツ史』(岩波書店〈岩波ジュニア新書〉,2015年)の目次」 ([2024-11-25-1]) で紹介した書籍より,ゲルマン民族・ドイツ語純粋主義の言説について,著者の解説を引用したい.本書の最後の第7章の「政治と結びつく危険性」と題する1節 (206--07) より.

 ドイツ人は二〇〇〇年近くにわたって,具体的な自然を活用して生活に役立てるだけでなく,より深い精神的・身体的な交流をもってきました.それが,彼らを政治的不安定・未確定の宙吊り状態の不安から救い,安心感,誇りと名誉の感覚さえ与えてきたのです.
 パリやロンドンのような中心もなければ拠るべきギリシャ・ローマの伝統やキリスト教の伝統もない,しかもおびただしい領邦に分断されたドイツ人が,自己の定着地として認められるのは,曖昧だが根源的な自然や風景であって,生命とエロスが躍動しているーー個体としての人間とその魂がごく一部を構成するーー有機体世界=自然世界でした.
 ですから一九世紀になって,ドイツにナショナリズムがわきおこってきたとき,根源とか自然とか,家郷とか祖国とか,血縁とか地縁などとの,情感あふれる結びつきに深く訴えながらのプロパガンダがくり広げられました.まさにウェットなナショナリズムなのですが,その大元には,ドイツ人にとっては「自然」こそが「家郷」であり,そこから引き離されてはドイツ人のドイツ人たる存在理由がなくなる,という思いがあったのです.
 この独特な自然観を深く考察した当時の思想家たちによると,その「自然」には「言語」との密接な連関がありました.そして「ドイツ人の祖先はーー他のゲルマン民族とは異なりーー原民族の居住地にずっと止まり,かつもとの言語をそのまま維持した」「だからドイツ民族のみが根元とつながっており,そこに真に固有文化が育つのだ」と主張されました.
 ここでは「言語」こそがひとつの「民族」の基礎をなすものであり,それがあたかも,植物や動物であるかのように分化し,成長していくととらえられています.「ドイツ人は言語も自然の根源性につながっているのに,他の諸民族は余所の言語を受け容れたり,故地から別の地域に移動して堕落し,文化も停滞してしまった」とされるのです.
 このような考えに立てば「ドイツ語が話されているすべての地域がドイツとして統一されるべきだ」ということになり,このドイツ民族中心主義が,純血主義や世界主義と結びついていくとどんな恐ろしい結果がおきるかは,ナチ・ドイツが赤裸々に示したとおりです.


 ドイツ語が「もとの言語をそのまま維持した」と考えられた際に,比較対照されたゲルマン諸語の筆頭はおそらく英語と考えてよいだろう.歴史的にみても,英語ほど純粋でないゲルマン語はないからだ.あまつさえ,英語は世界語の地位を得つつある著名な言語でもある.もちろん英語(の歴史)そのものに罪はないが,英語がゲルマン民族・ドイツ語純粋主義の言説のために引き合いに出されたということは十分にありそうだ


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 ・ 池上 俊一 『森と山と川でたどるドイツ史』 岩波書店〈岩波ジュニア新書〉,2015年.

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