諸般の事情で延長できなかったシンポジウム、みなさまからいただいて答えられなかった質問です。
登壇者が答えを、ここに掲載します。
まだまだ議論にはなりませんが、せめてもの、気持ちです。
たくさんの人が「つながる喜び」、そしてその先にある何か新しい未来がくることを、祈っています。
@山田和人
学習指導要領では、「伝統的な言語文化」「言葉の由来や変化について」など、「我が国の言語文化に関する事項」ということになりましょうか。そうした流れのなかの導入部分で児童・生徒の興味・関心を喚起するために和本リテラシー教育を取り入れるというのが実際的だと考えています。何より和本やくずし字を使った体験的学習として教育効果が高いと思います。そのためにどのような教材が効果的かを検証していくことが必要かと思います。和本リテラシーの体系的な導入はまだ難しいというのが現状ではないかと感じます。お答えになっていないかもしれませんが。@宮川真弥
和本というモノを通しての体験は古典の身体化、あるいは古典を身近にするものであると考えています。地元の記述がある数百年前の実物に触れることはもちろん、曾々祖父くらいの世代の近所の某兵衛さんが持っていた/実際に読んでいた和本(探せば割とあります)に触れることは、歴史・古典との連続性を実感するまたとない機会ではないでしょうか。@勝又基
全体のカリキュラムを変える必要を感じています。現在のような平安文学中心主義では、学生にとって必要性が感じられないと思います。現代から言語文化を遡るような見方の方が良いと思います。その中でくずし字も当然必要になってきます。ディスカッサントの質問として、旧字体はどうするのか聞いたのも、これに基づいています。@津田眞弓
古文が苦手だった国文専攻以外の学生も教える経験からいえば、江戸時代の人々と同じ紙面を共有すること、タイムカプセルとしての物に触れることは、大きな学習意欲の促進になります。小中高の現場では、年に一度のお楽しみぐらいしか組み入れられないのが現状だと思いますが、それでも十分だと思います。あるいは、せめて冒頭の暗記をするような作品は、その部分をくずし字でも提示してみる、本や字の形がもつ情報も教えるというように、普段の授業の中で少しでも触れることもあればと願っています。@宮川真弥
どなたかしていただけるとありがたいですね。(すみません、他人事みたいで。有志を募るということでどうかご寛恕ください)@津田眞弓
ご提案ありがとうございます。現状は予定はありません。日本語がわかる人だけが聞きに来るだろうということで、英語の要旨も、打ち合わせの段階でなくなりました。そのようなご要望が大きければ、考えないといけませんね。ただ、大会運営チームに、英語の達人がいないのと、謝金を払う予算がないので(涙)、ボランティアで英訳をしてくださる方を募集する必要がでてきます……。@海野圭介
国文研を声かけ役として「日本古典籍研究国際コンソーシアム」というコンソーシアムが昨年秋に結成されています。現在、日本国外40機関、日本国内41機関が参加しています。その中で「日本国内外のくずし字教育」「日本古典籍に関する情報リテラシー」の2つのテーマについて分科会が立ち上がり、今後の具体化について議論しています。ご興味があればwebを御覧になってください。@宮川真弥
日本古典籍研究国際コンソーシアムが、コンソーシアム参加機関を対象にオンライン分科会を行っています。部などの小さな単位でも機関として参加できるとのことですのでご検討ください。また、どなたでも参加できるオンライン勉強会も開催予定とのことです。@勝又基
オンラインでくずし字の勉強会があるといいですね。やってみようかな。@佐々木孝浩
発表でご紹介させていただいたFutureLearnのコースもオンデマンド形式である訳ですが、コメント欄を活用することによって、一応の双方向性を確保しています。受講生同士の意見交換なども行われていますので、タイムラグはあるものの、リアルタイムよりも議論が深まるというメリットもあるかと思います。@海野圭介
以前に、オンデマンドでの報告の後に別途時間を設けてディスカッションをする会議を行ったことがありましたが、進行がもたつく印象がありました。また、ディスカッションを口頭ではなく掲示板方式で行うという会議にも参加いたしましたが、こちらは担当者の貼り付き時間が長くなり、かなりの負担が生じる印象があります。そのような方法に慣れてくれば問題無いのかもしれませんが、現時点ではいずれもなかなか難しい方法だと思っております。@宮川真弥
おっしゃるとおり、同時性(ライブ感)は時差によって難しいのですが、テキストベースの双方向性は掲示板形式やSlackなどの活用によって、容易に確保できるのではないでしょうか。テキストベースだと、入力に手間がかかる一方、閲覧は短時間で可能ですので、多対多の議論だとかえって良いようにも思われます。その場合、実施期間は数日から数週間のように長めに取る必要があろうかと思います。ただ、長すぎると熱量の維持が困難なのと、管理の手間が増大するのが問題となるかもしれません。@津田眞弓
なんだか実験してみたくなりますね……。@海野圭介
テキストの集積のためには、AIによるくずし字認識によって新規に作成することと並行して、既存のテキストを蓄積する手段やルートを作ることも必要だと考えています。「漢籍リポジトリ」は長い期間をかけて収集されてきた成果を蓄積していますので、同様のものが即座にできるとは考えてはおりませんが、当館の新規計画もそのようなことに貢献できるように設計して参りたく存じます。また、中国語資料については、「中国基本古籍庫」がビジネスベースで開発されていますので、同様の方法を取ることも方法的にはできないこともないと思いますが、私どもの計画はオープンサイエンスの推進に寄与する方向性で考えています。@宮川真弥
もっとも効率的なのは、絶版になった出版物から蓄積することだと思います。出版社が残っていて版下データも残っていればそれに越したことはないですが、そうでなくても活字のOCR(光学文字認識・本からデジタルテキストへの変換)なら二重目視で精度を確保したとしても比較的安価に引き受けてくれる業者はあります。国文学研究資料館のマイクロフィルムからのデジタル化のように、国文学研究・国文世界がこれまでに豊富に蓄積してきた資産を活かさない手はないと思います。各学会が協力すれば研究者や遺族の方のご了解を得る手続きは多少楽になるのではないでしょうか。学会誌のリポジトリ公開の時に同じように許諾を得ており、手法の蓄積があるはずです。@海野圭介
近世文学研究者の方々には、他の時代や領域に比べて、新規資料の発掘とその翻刻に関わるお仕事をされている方が多く、学会としても翻刻やデータ作成についても議論してきた歴史があります。そうした知見やデータの共有化への展開についても、改めて議論をさせていただければと思っております。@勝又基
デジタル翻刻が業績として認められるようになる土台づくりが重要ではないか、と考えています。@津田眞弓
海野氏が本学会の委員会でも、その説明をなさっていましたが、残念ながら質問は一件もありませんでした。皆様の反応を拝察するに、自分の研究にどう使っていくかイメージがわかない、という状況ではないでしょうか。作る前の開発者の方々と、もっと踏み込んだ意見交換の場を強く望みます。@宮川真弥
国文学は要求駆動型の方が多い印象があります。そのなかでは、割に書誌学はデータ駆動に近いでしょうか。大量処理、要素分析・分類、法則の発見など、機械処理に親和性の高い要素が多くあります。出版研究は、日本古典籍総合目録データベース(国書総目録)、全國漢籍データベースによって、それ以前とはまったく異なる地平に立っているのではないかと思います。一方で、書誌(メタデータ)の作成は、すなわちアナログ・デジタル変換処理でもあり、機械の代替が困難な営為でもあります。もしかすると、これが今回の登壇者のような書誌学者が割合とAIなどの先端科学技術に寛容な理由の一つなのでしょうか。そう考えていくと、目の前にある現物(データ)からものを考えることがしばしばある近世文学は、実はデータ駆動にかなり親和性の高い国文学分野なのかもしれません。他方、テキストデータが蓄積すると、たとえば多少あり方が変わってくる分野もあるでしょう。このあたりは、先行する中国文学や他国の文学、青空文庫を擁する近代文学、新編国歌大観をもつ和歌文学研究の事例をつぶさに検討していくと比較的予測はしやすいかもしれません。そのなかで、近世文学がなにを目指していくのかは、私もぜひ、近世文学研究者のみなさんに伺ってみたいと思っています。@ラウラ モレッティ
サマー・スクールにご興味を持っていただき、ありがとうございました。「意味を理解する」という件ですが、翻刻を作成する段階の中で文章に意味を英語訳や日本語の現代語訳を通して確認することに致します。それに加えて、JapanKnowledgeなどの辞書を調べてもらうように参加者に協力してもらっています。なるべく未翻刻の資料を選んでおりますので、教材そのものは自分で作っております。@宮川真弥
誤解を招いたようで申し訳ありません。私は比較的と申したつもりでして、もちろん「原文に忠実」よりの翻刻でも随時文脈判断(判読)をおこなっていることは自明です。また、文字量(数)が変わらないことがAI-OCRとの親和性が高い要因の一つですね。なお、国文学分野においては全員がそうだというわけではありませんが、(1)~(5)のいずれの段階のものもおおむね「翻刻」という枠組で捉えられていると思います。(6)~(8)は校訂本文に位置付ける方もあろうかと存じます。@海野圭介
ご存じのように、自然科学分野の論文では、関与した研究者の名前を列記して発表を行うことは常識です。研究自体が分担的に進められることにもよりますが、当事者からみて権利を守ることに有益であるのみならず、後続のものからみても研究情報の連続性の確保のためにも大事なことだと思います。「謝辞」も同じで、その研究に有益であった情報源や資金源などについて明示することで、研究の連続性の確保にも繋がります。人文学の研究は予算的には小規模の範囲で行われることが多く、そのような文化は育ってきておりませんでしたが、規模が大きくなると、その研究や基盤整備はどのような新しい研究や成果を生み出したのかということが常に問われます。その対応のためにも「謝辞」は大切で、関係した方々の寄与を正確に記すことが、次の研究推進や資金獲得にも繋がると考えています。@宮川真弥
予算獲得やプロジェクトの継続における謝辞の重要性は海野先生の仰るとおりだと存じます。一方、研究者の立場としては使用したデータベースや工具書に対して謝辞を記していくとするとその数が膨大に過ぎ、限られた紙面の中では現実的ではない側面もございます。利用者がこの論文を執筆する際に当該データベースを利用したと報告できるフォームなどを、データベースの運用側が用意することで、実体の把握はある程度可能ではないかと思いますがいかがでしょうか。紙面での謝辞だと、総数の把握(統計処理)が難しいという難点もあります。 また、著者や利用者の申告によるものということでいえば、日本古典籍総合目録データベースへの論文・研究書の紐付けもあると先行研究調査の際にとても助かります。これは国文学論文目録データベースへの論文登録時に研究者が論文を読んだ上でタグ付けを行っているわけですから、その時に同時に行っていただけると効率的ではないかと思いもします。@佐々木孝浩
そういう心配は確かにあると感じていましたので、コロナ以前はワークショップなどを行う際に、和本を持参したり、現地にあるものを展示していただいたりして、できるだけ現物に触れていただけるようにしておりました。また、同じデジタル画像を見ても、現物を良く知っている人と、知らない人とでは、見え方と言うか、引き出せる情報の量と質がまるで違ううことを、できるだけ丁寧に説明するようにしています。@海野圭介
このシンポジウムの登壇者の多くは、実は書物自体の研究を行っている研究者です。海外所在資料の調査の際に、比較できるデータがオンラインで公開されてたら便利だというようなことから、デジタルへの反応が早かったのだと思います。和本の実際を知っているからデジタルに欠けるものが具体的に分かるということもあるかと思いますので、デジタルでわかること、実物でなければ分からないことの差異についても、改めて明確化して発信することが必要だと思っています。なお、国文研では以前に、『古典籍研究ガイダンス』(笠間書院、2012年)という本を刊行して、マイクロや複製本などから分かること、原本でないと分からないことなどについても説明しています。ご興味があれば手にとっていただければ幸いです。@宮川真弥
おっしゃる通りで、翻刻や影印、電子画像の公開により代替手段が出来ると、いままでそれしかないから使っていた現物が不要になる側面があります。工具書や基礎資料のたぐいはその最たるものでしょう。江戸期の和本の特徴は、残存点数が多く、坊間に出回っており、極めて安価なことです。これは購入する立場からはありがたいのですが、市場原理を考えると倉庫代と釣り合わなくなる(あるいは現在の文庫本などのように古本に値段がつかずそもそも市場にすら出なくなる)危険をはらむということでもあります。中野先生が和本リテラシーの復興を望まれた(あるいは危機感の)一因に、読まれなく(読めなく)なった本はただの紙束であり、破却されてしまうというものもあったと把握しています。(古文書でも同様でしょう。村方文書など、当事者にこそ最も価値が高く、家が途絶えれば/地縁が薄れれば相対的に失われやすいことを考えるとさらに深刻なのかもしれません)@勝又基
まったく心配していません。くずし字に興味を持つことは、物としての和本への興味を失うのではなく、むしろ興味を喚起する方向に働くと思っています。さらに言えば、くずし字が読めて和本に興味を持たない人がいても一向に構いません。デジタルはあくまでも道具。人によってさまざまな使い方があって構わないのではないでしょうか。@ラウラ モレッティ
AIを研究対象とする研究者とAIを利用する近世文学の研究者の目指しているゴールが異なるというのはある程度致し方のないことだと思いますので、それも含めてお互いの目指しているゴールを理解し合うことが大事だと思います。@山田和人
和本をじかに触ってみることで、未知のものに触れる喜びを共有できるようです。何人かで和本を回覧して、感想を述べ合ったりして、くずし字学習の導入的な役割を果たします。モノとしての本・古典は好悪は別にして、興味の対象になるようです。くずし字解読の専門家になるわけではないので、和本やくずし字にまずは興味を持ってもらうことを第一に考え、昔の人と同じ本・古典を読んでいるという感覚が学習意欲につながるのだと思います。和本がタイムマシンのような役割を果たします。学会の出前授業で、毎回の実践を記録し、生徒の受け止めを検証しているのが、名古屋大学教育学部附属中学高等学校の実践です。こちらも参照なさってください。@佐々木孝浩
最近は古典籍のデジタル画像も多数公開されていますので、古典文学作品を紹介される際に、その代表的・あるいは典型的な伝本の画像を併せて説明されると、和本の装訂や大きさ、装飾などが様々であることや、書物と言う実態を持った存在であることが理解できて、授業全般の理解も深まると共に、書物そのものにも興味を持ってもらえるようになるのではないでしょうか。単なる思い付きで恐縮です。@宮川真弥
佐々木先生がお書きのように、代表的な伝本を画像でビジュアルに示すというのはどうしても文字情報で観念的になりがちな文学概論において、形態面での意外な連関などが見えてくることもあり、効果的だと思います。いわゆる書物の格や型ですね。@宮川真弥
重要なご指摘です。実はスライドは作っていたのですが省略したのでした(当日のスライドは未使用分も含め、こちらでご覧いただけます)。字母情報はかつてはデジタル環境では字母の漢字を使うしかなかったのですが、近年、Unicode 10.0から変体仮名(285文字)が登録されました。高田智和先生や矢田勉先生ほか、国語学の先生方のご尽力によるものと伺っています。まだまだ対応フォントは多くないですが、学術情報交換用変体仮名公開サイトでは文字コードの検索機能に加え、フォントも配布しています。これらの変体仮名をIMEやATOKなどの辞書に登録しておけば、わりと楽に書き分けられると思います(辞書登録の際は「あ」単独よりも「へあ」など組み合わせての登録をおすすめします)。書き分けておけば、あとで通行の仮名に一括置換で戻すことも出来ます。なお、表記研究の先生方が実際に使い分けがあろう変体仮名を選んでいらっしゃるはずですが、資料によっては不足があるかもしれません。そういう場合は専門知を活かしてどうぞご提言ください。@山田和人
もともと和本はジャンル・領域を問わず存在しています。その意味では、ご指摘の通り、国文学の周辺のみに止まらず、歴史・地理・美術・服飾・哲学・数学・芸能・文化財と多様なジャンルにおける教材として、和本が使用されてくるとさらにおもしろい展開が期待できます。ただ、そうしたジャンルの研究者が和本リテラシーを身につけていくことも必要になります。それができる研究者との連携ができると心強いです。英語ができるようになるのと同じようにくずし字が読めるようになっていくのが理想です。中学校の授業の中では、教科間連携が模索されています。国語と社会、国語と芸術など合同授業を実践しているケースもあります。和本の教材性という大きな課題も見据えつつ、教材開発を進めていきたいと思います。@宮川真弥
FutureLearnの佐々木先生の講義が現在、もっとも整っているのではないでしょうか。(無料版は普段は定期開催、現在はコロナ対応で常時開放。「古書から読み解く日本の文化: 和本の世界」(日本語版))。また、掛け軸の取り扱いに関しては、岡墨光堂さんがとてもわかりやすく、なぜそうするのかという理由も丁寧に説明している動画をアップしていらっしゃいますのでご一覧をおすすめします。なお、日本古典籍研究国際コンソーシアムが、(一般むけかどうかはよくわかりませんが)どなたでも参加できるオンライン勉強会を開催予定とのことです。@宮川真弥
日本古典書誌学における概念の体系をお尋ねと推測してお答えします。@津田眞弓
感想、ありがとうございます。今回のシンポジウムに通底するのは、日本古典文学研究の喫緊の課題への危機感です。関わる人数が減る中で、増やす努力、あるいはその質をどう保持していくか。またデジタル世界でいろいろなことが決められている時に、進んで関わっていかないと、未来に大きな禍根を残すのではないかと。議論する時間はないのを承知でいろいろ盛り込んだのは、その気持ちをまずはみなさまと共有したかったのです。@山田和人
プロジェクト科目では、同志社女子中高で自分たちが作った教材を使って模擬授業を行うことになっています。KuLAのテストをクリアすること、力試しに、できるだけ多くのデジタル画像を見ること、同志社大学に所蔵されている一般書扱いの和本を身近なモノとしてじっくり読むことを推奨しています。実物を見ながらデジタル画像を見ていくというかたちです。学生たちはやはり絵と文字が組み合わされた素材に興味を持つので、そうしたジャンルの活字本も含めて探索させています。試行錯誤のくり返しです。いまは導入段階の教材開発のために、自作のイラストとくずし字を組み合わせた教材を作っています。それをバネにして、展開・応用編の教材開発に進んでいくことになります。この科目は学生が主体的に動いて、協働することで、ひとつの成果を出していくプロジェクト型の授業ですので、わたくしは助言を行うに止めています。今日、お話しできなかったのですが、雑本・端本の寄附を受けて、それを授業で配布・回覧して、和本にじかに触れて、身近に感じてもらうことも考えています。名作主義からの離脱です(笑)@宮川真弥
これは別項でも記しましたが、(原本に忠実よりの)翻刻については半端なデータや、やや正確性を欠くデータも活用の方途は十分にあり、ぜひ、教育の過程で生じたそういうデータは蓄積されると良いと思います。しかし、現代語訳(注釈)という人間が読むためという目的が大きいものに関しては、ただのデータとしての扱いをするのはやや危険だと思っています。すなわち、現代(データ社会)では氾濫する情報から良質なものを見つけ出すことが困難になっており、データが増えるほど、加速度的にその状況は進んでいくことを念頭に置けば、良質な情報を示すことこそが専門家の重要な仕事となるだろうからです。データを蓄積するのはもちろん重要ですが、精選した確かな情報を示すことも同じくらい大事です。結論としては、分析データとして裏で持っておく分には良いと思いますが、表に出すのはしっかりと校訂・批判を経た良質なものを、専門家の責任として提示する必要があるのではないでしょうか。@勝又基
「みんなで現代語訳」みたいなシステムがあるといいですね。@宮川真弥
別項にも書きましたが、画像だけではかなり多くの情報が欠けていく(代表的なのは大きさ・重さ)ので、メタデータの記述は画像データベースには必須だと思います。ただ、解題は著作物ですので、出版と関わってくると複雑な問題になります。索引も便利であるが故に商業とも結びつきます。商業的価値を失った後くらいのものの活用は考えられていくべきでしょうし、実際に笠間索引叢刊が国文学研究資料館のリポジトリで公開されているのは先進的な取り組みです。デジタル源氏物語での『校異源氏物語』の利用も同様ですね。国文学研究は歴史が長く、かつ隆盛を誇った時代があり、大量の蓄積がある上に、学問・成果が古びにくい分野ですので、それらの掘り起こし、デジタル化、再活用を積極的に考える必要があると思います。@勝又基
私もアメリカに2年住んでいたので、よく分かります! ボストン、LA、シカゴなど、いくつかの大都市を除くと、二次資料へ簡単にアクセスするのは容易ではないですね。ただ一方で米国の大学はILLや大学間の貸し借りが日本より格段に進んでいるという印象を持ちました。そういったものを利用すれば、ある程度はカバーできるのかな、と思います。あと、必要な資料は身銭を切って手元に置く、ということは、国内外を問わず同じだと思います。@津田眞弓
昔、ケンブリッジ大学図書館にいらした小山騰氏に、日本の研究者はローマ字の書き方を気をつけて欲しいとご教示をうけました。ヨーロッパでは、日本語を使えない日本資料の担当者も増えており、ローマ字が違うと検索ができないと。日本にいる我々がなんとなく使っているローマ字表記は、海外で使われるものとは違うと初めて気がつきました。以前は、草双紙をkusazoushi と書いていましたが、今はkusazōshi と書くようにしています。また英語で何かをする場合、表記使用者が多いであろう米国議会図書館のローマ字方式にしていますが、これは一つの方式とのことで、奥が深い(根が深い?)問題のようです。同様に、学術用語の翻訳が確定していません。これは、英語で目録を作ろうとして、痛感しました。日本の方でも語の意味がゆれているから仕方がないとはいえ、日本語に当てる英語を、ある程度の幅を持たせつつも何か指針をみんなで議論する必要があるのではないでしょうか。海外・デジタルという問題について考える時、いろいろな地盤が確立していないという印象を受けます。@勝又基
ありがとうございました!@津田眞弓
ありがとうございます!@佐々木孝浩
中世文学会会員の私としても、是非そういうことを考えていただきたいと希望いたします。@宮川真弥
和歌文学会や俳文学会、和漢比較文学会などのジャンル別学会とも協力していく必要があるでしょうね。ジャンル別学会は割と価値観が近くなりやすいと思いますので、そこでの知見をうまく取り入れられると案外いろいろなことがスムーズに行くかもしれません。@津田眞弓
日本文学関連学会連絡協議会で、近年、学会の共催、事務作業の合同などを模索したいという学会が出るなど、話題に上るようになりました。まだまだ実現化は難しいと思いますが、各学会の現状は年々厳しくなっており、何らかの形の連携を取らなければというお考えの方が本学会でも増えてきているように思います。なお、2018年に調査した本学会員の年齢構成では、50代が一番割合が高く、次が40代でした。未来のためには、何らかのトライアルをしなければならない時期だと個人的には思います。特に、各学会の次世代を背負うみなさんはどう思っているのか、知りたいと思います。