hellog〜英語史ブログ

#4601. 規範文法,学校文法,伝統文法[terminology][prescriptive_grammar][lowth]

2021-12-01

 英文法について用いられる標記の3つの用語は,およそ同じ内容を指すものとして理解されているように思われる.個人によって語感は異なるかもしれないが,私自身あまり区別を意識せずに3者を用いることもあるし,自由に言い換えているケースが少なくない.
 しかし,改めて考えてみると,微妙にニュアンスが異なるように思われる.明らかに類義語ではあるが同義語ではない.3者とも指示対象は同じ(とは言わずとも,少なくともおよそ重なる)ものだが,指示する角度が異なる.フレーゲ流にいえば,3者は「意味」 (Bedeutung) こそほぼ同じでも「意義」 (Sinn) は異なる(cf. 「#2795. 「意味=指示対象」説の問題点」 ([2016-12-21-1])).私の個人的な語感であることを断わりつつ,3者の区別について考えてみたい.
 「規範文法」 (prescriptive_grammar) は,英語史研究者である私にとって第一に英語史用語である.17世紀の助走期を経て,理性の時代といわれる18世紀に興隆した言語規範主義 (prescriptivism) に立脚した,言葉遣いのマナーとして守らなければならない一連の語法,あるいは教養を示そうと思うならば決して発してはならない「べからず集」としての英文法である.Robert Lowth (1710--87) や Lindley Murray (1745--1826) による英文法書がその嚆矢とされる.現代では記述文法 (descriptive grammar) と対置されることが多く,生きた英文法ではないとして,しばしば批判の対象とされる.しかし,英語(学)史に位置づけるならば,規範文法の本質は,すでに英語を習得しており,普通に使いこなせる英語母語話者を念頭においた,言葉遣いのマナー集であるという点にあるだろうと私は考えている.
 一方,「学校文法」は一応 "school grammar" と英訳を与えることはできるものの,基本的には日本の英語教育(史)上の用語ではないか.文字通り「学校で学ぶ/教える文法」と受け取るならば,上記の18世紀以来の規範文法に基づいていながらも,記述的な観点も加えて現代風にアップデートされた,日本の学校の英語教育における現役の英文法を指すものととらえることはできる.しかし,英文法として実際に説かれる内容としては,規範文法も学校文法も中核部分はたいして異ならない.指示対象は同一とは言わずとも,十分に共通している.学校文法の本質は,英語を母語としない英語学習者が学校において習得すべき英文法であるという点にある.規範文法が本質として据える「言葉遣いのマナー」は,先に英文法を習得している英語母語話者にとってこそ関心事となり得るのに対して,学校文法とはあくまで第2言語としての英語を習得するために学校で取り扱う英文法である.およそ同じ内容を指しているとはいえ,両者のスタンスは大きく異なる.
 最後に「伝統文法」について."traditional grammar" と英訳されるが,これも指示している内容は,規範文法や学校文法と大きく異なるわけではないように思われる.18世紀以来の規範文法,および21世紀まで教授されている学校文法の間のスタンスの違いは上述の通りだが,歴史的にいえば両者は「伝統」として連続しているという事実を強調したい場合に,ピタッと来る用語ではないかと考えている.現代言語学理論に基づく最新の英文法と対置して用いられることもあるだろうが,私にとっては,18世紀の規範文法の流れを汲みつつ,現代まで(学校文法においても)影響力を持ち続けているタイプの英文法,という含意がある.そのため,英語の母語話者にとっても非母語話者にとっても等しく使える用語なのではないか.
 以上をまとめると,規範文法,学校文法,伝統文法の3つの用語は,指している文法項目の内容そのものは大きく異ならない.しかし,それをどうとらえるかという視点に応じて,私自身は(使い分けている場合には)使い分けているように思われるのである.
 みなさんは,3つの用語をどのようにとらえていますか?

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