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#4306. 12--13世紀のフランス語の栄光[french][prestige]

2021-02-09

 西洋史においてフランス語が威光を放っていた時期が2回ある.12--13世紀と17--18世紀だ.前者については「#2604. 13世紀のフランス語の文化的,国際的な地位」 ([2016-06-13-1]),後者については「#678. 汎ヨーロッパ的な18世紀のフランス借用語」 ([2011-03-06-1]) などで簡単に扱ってきた.今回は前者の中世における隆盛について改めて考えてみたい.
 アジェージュ (118--19) は,12--13世紀にフランス語が超域的に威信を放っていた事実を次のように描写している.

中世において,フランス語はすでに十二世紀以前から周囲の国々に強い影響力を及ぼしはじめていた.そのことは,フランス国外にフランス語の支配圏を確立させたひとつの出来事が何よりも物語っている.それは一〇六六年のイギリスの征服である.フランス語は三百年間にわたってイギリスに君臨し,巨大で深い跡を残した〔中略〕.さらに加えて,十一世紀のノルマン人の侵略とそれにつづくアンジュー家の移住によって,中世フランス語はシチリア王国にひろまり,さらには一三一五年までナポリで勢力を保った.しかしとりわけ,十字軍はキプロス王国治下のモレアス地方(ペロポネソス半島)にフランス語を移植し,そこでフランス語は十三世紀にリュジナン王朝の公用語となった.また,コンスタンティノープルでは,ガスムロス〔東ローマ帝国においてビザンツ人と「ラテン人」との間に生まれた人間とその子孫を指す〕がフランス語の普及に一役買った.そのほかにも,パレスチナやシリアのようなヨーロッパの外にある隣接地域については,いうまでもない.そこでは,フランク人が支配的な役割を務めていたため,フランス語が西方キリスト教会の共通語となった時代さえあった.エルサレムとアンティオキアで作成された法令集は,フランス語がフランスの公用語となる以前に,フランス語をこれらの王国の公用語に定めた.


 当時のフランス語の威信はどこから来たものなのか.アジェージュ (120--21) によれば,1つは,フランスの王女が外国の君主と婚姻を結び,ヨーロッパの王家どうしのつながりを深めたということがある.これが,フランス語の普及に有利に働いたと考えられる.もう1つは,武勲詩や騎士道物語に代表されるフランス語文学の存在である.文学を通じて多くの言語にフランス語彙が流入するとともに,フランス語自体の存在感も増した.
 しかし,13世紀末になるとフランス語の勢いは衰え始め,14世紀半ばには国際的な存在感を失った.フランス語の影響力がとりわけ強かったイングランドにおいてすら,14世紀にはフランス語は容易に理解されない言語となっていたのである(cf. 「#2612. 14世紀にフランス語ではなく英語で書こうとしたわけ」 ([2016-06-21-1])) .こうしてフランス語の栄光の第1幕が閉じた.

 ・ グロード・アジェージュ(著),糟谷 啓介・佐野 直子(訳) 『共通語の世界史 --- ヨーロッパ諸語をめぐる地政学』 白水社,2018年.

Referrer (Inside): [2021-02-10-1]

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