古英語の修辞技法である kenning について,「#472. kenning」 ([2010-08-12-1]),「#2677. Beowulf にみられる「王」を表わす数々の類義語」 ([2016-08-25-1]),「#2678. Beowulf から kenning の例を追加」 ([2016-08-26-1]) などでみてきた.今回は,福原 (70) が古英語の kenning と日本語の枕詞とを比較している文章を見つけたので,引用したい.ここでは,「海」を表わすのに whale-road (鯨の道)という隠喩的複合語をもってする例を念頭においている.
此處に whale-road といふ言葉でありますが,吾々の國には枕詞といふものがあつて,例へば「あしびきの山鳥」「たらちねの父母」といふ様に申します.丁度此の枕詞が之に似て居ります.「たらちねの父母」といふ言葉の代りに,お終ひには「たらちね」だけですませ,枕詞の中に父母という意味がある様になつて來ました.それから「いさなとり」,是は海の枕言葉でありますが,「いさな」とは鯨のことらしい,whale-road と「いさなとり」といふ枕詞と大變似て居ります.吾々の國の文學でさういふ枕詞を使つた時代は平安朝で一應お終ひになりました.平安朝といふ非常に爛熟した時代でお終ひになりましたが,文化の爛熟といふことと修飾した言葉を無暗に使つて喜ぶことと関係があるのではないかと思ひます.でセルマの歌なんか頗る感情的な,形容詞的な歌でありますが,實質的なことをいはないで無暗に形容詞でもつて人の心を掻き立てる様な演説がある時代が現はれると,其の國はそろそろお終ひだと思つて良いかも知れない.文學に使はれる言葉とその國の文化との關係といふものは一つの注意すべき問題であると思ふのであります.
福原は,kenning と枕言葉の語形成や用法が似ているという点を指摘するのみならず,そのような形容詞的,修飾的な言葉遣いは文化の爛熟期に見られることが多いと述べている.爛熟期ということは,次には退廃期が待っているということを示唆しており,つまり件の語法の存在は,それをもつ文化の「お終ひ」を暗示しているのだ,という評価だ.何だかものすごい議論である.
なお,引用中の「セルマの歌」は,ケルト民族の歌の時代を思い起こさせるスコットランドの古詞である.
・ 福原 麟太郎 『英文学入門』 河出書房,1951年.
Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow