渋沢栄一と言語(学)はあまり結びつかないと思われるが,『論語と算盤』のなかの「習慣の感染性と伝播力」と題する節で,善事の習慣も悪事の習慣も人々に感染するものだから,よく気をつけなければならない,と説くくだりがある.そこで,「言語動作」も例外ではないとして,言語の伝播について,そして実質的には言語の変化について触れている (pp. 101--02) .
言語動作のごときは,甲の習慣が乙に伝わり,乙の習慣が丙に伝わるような例は,決して珍しくない.著しい例証を挙ぐれば,近来新聞紙上に折々新文字が見える.一日甲の新聞にその文字が登載されたかと思うと,それがたちまち乙丙丁の新聞に伝載され,遂には社会一般の言語として,誰しも怪しまぬことになる.かの「ハイカラ」とか「成金」とかいう言葉は,すなわちその一例である.婦女子の言葉などもやはり左様で,近頃の女学生が頻りに「よくッてよ」とか「そうだわ」とかいう類の言語を用いるのも,ある種の習慣が伝播したものといって差し支えない.また昔日は無かった「実業」という文字のごときも,今日は最早習慣となり,実業といえばただちに,商工業のことを思わせるようになって来た.かの「壮士」という文字なども,字面から見れば壮年の人でなければならぬ筈であるのに,今日では老人を指しても壮士といい,誰一人それを怪しむものなきに至っている.もって習慣が,如何に感染性と伝播力を持っているかを察知するに足るであろう.しかして,この事実より推測する時は,一人の習慣は終に天下の習慣となりかねまじき勢いであるから,習慣に対しては深い注意を払うとともに,また自重してもらわねばならぬのである.
当時の新語や言葉遣いの様子が分かっておもしろい.渋沢がこれらの新語に対して必ずしも好意的ではなかったように読めるが,いずれにせよ,それほど言葉も強い感染力と伝播力をもっているのだ,ということが説かれている.
また,言語が伝播するというよりは,言語動作が伝播するという言い方をしているのもおもしろい.言語そのものよりも,その話者に一歩近い立場から言語変化を見ていることになるだろうか.
「感染性」と「伝播力」と関連して,語彙拡散の諸問題について「#5. 豚インフルエンザの二次感染と語彙拡散の"take-off"」 ([2009-05-04-1]),「#1572. なぜ言語変化はS字曲線を描くと考えられるのか」 ([2013-08-16-1]),「#2299. 拡散の駆動力3点」 ([2015-08-13-1]) を含む lexical_diffusion の各記事を参照されたい.
・ 渋沢 栄一 『論語と算盤』 忠誠堂,1927年.KADOKAWA,2008年.
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