hellog〜英語史ブログ

#2154. 言語変化の予測不可能性[prediction_of_language_change][language_change]

2015-03-21

 言語変化の予測 (prediction_of_language_change) について,「#843. 言語変化の予言の根拠」 ([2011-08-18-1]),「#844. 言語変化を予想することは危険か否か」 ([2011-08-19-1]),「#1019. 言語変化の予測について再考」 ([2012-02-10-1]) などで考えてきた.この話題に関しては様々な議論があるが,言語学者コセリウは,「#2143. 言語変化に「原因」はない」 ([2015-03-10-1]) と喝破しているくらいであるから,当然,言語変化の予想自体もナンセンスであると主張している.以下,関連する箇所を p. 336 より引用する(原文の圏点は太字に置き換えてある).

言語変化は予言できるという考え方には根拠がない。一般に未来それ自体は認識にとっての題材ではなく、予測は学問の問題ではない。しかし、ことばのばあい、上のような考え方はさらに不合理な主張、つまり話し手の表現的自由が未来においていかに組織されるかを前もって確定することができるという主張を含むことになる。あらゆる「予言」は一般的な言明であるから、実際には変化はある条件のもとで生ずるというふうに述べる。そして、歴史における一般化とは、形式的であって実体的ではないから〔中略〕、われわれのすでに知っているこれこれの条件のもとでは、これこれの型の変化が生じ得るであろうと言えるのがせいぜいであって、個々のばあいについて、具体的にどのような変化が生じるとか、実際に起こるのか起こらないのかを言うことはできない。同じように、前後する二つの「言語状態」を比較して、どのような変化が生じているかを確認することはできる。しかし、その変化が将来も同じ方向に進むのかどうかを確約してくれるものは何もない。


 コセリウが言語変化の予測不可能性を明言する際の要点は2つある.1つは,予言それ自体は学問の問題ではないということ,もう1つは,変化の条件は一般的かつ形式的に示すことができるかもしれないが,それは個々の実体的な言語変化を予言するのには役に立たないということである.後者は,各種の条件のもとでも常に話者の自由が確保されていることに関係する.
 自然科学においては,一般法則の樹立と未来の予測可能性とはイコールで結ばれる関係である.しかし,言語は自然科学ではなく,そこには一般法則もなければ予測可能性もない.コセリウは,言語学が自然科学に近づこうとすることも,一般法則や予測可能性を追求しようとすることも認めない強い立場を取っている.「言語学は,自由の支配のもとにありながら,なお因果法則を確立しようという,この不合理な企てを放棄すべきである」 (342) と.

 ・ E. コセリウ(著),田中 克彦(訳) 『言語変化という問題――共時態,通時態,歴史』 岩波書店,2014年.

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