昨日の記事「#1167. 言語接触は平時ではなく戦時にこそ激しい」 ([2012-07-07-1]) で,古英語と古ノルド語の言語接触について,従来よりも現実味のある横田さんの見解を紹介した.この見解は,横田さんの言語接触に対する基本的な立場,言語接触とは話者どうしの社会的な接触の帰結であるという考え方をよく反映している.「はじめに」 (vii) より,同趣旨の力強い文章を引用しよう.
言語接触というと、複数の言語組織が接触するというよりも、異なった言語組織を持っている複数の話し手が接触することなのである。だから、ノルド語の英語への影響という場合、ノルド語の言語組織が英語の言語組織に影響を与えたと言うことではなくて、ノルド語の話し手が英語の話し手に影響を与えたということである。〔中略〕だから「ノルド語の強い影響」とひと言で表わしているものの根底には、言葉を実際に使う人間と、その人間の社会との関わりがあったことを協調する必要があるし、そうすることによって単なるノルド語起源の語彙を列挙するだけでは見えてこないものが見えてくると思う。
拙著『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』の第2章第5節「なぜここまで変化したのか」 (43) でも,「言語接触とは無機質な言い方だが,つまるところ英語と諸言語の使用者たる人と人,社会と社会とが衝突し,融合し,現代の英語を形作って来たのである。」と述べたことがある.
言語学では,「言語が接触する」や「言語が変化する」など,「言語」が主語に立つ表現が多い.当然といえば当然なのだが,このような言い方はあくまでショートカットにすぎず,常に「話者」を主語にして読み替えなければならない.「話者が言語を接触させる」のであり「話者が言語を変化させる」のである.近代言語学において形式主義は強みであることは確かだが,話者不在の議論には常に注意を払っておく必要があるだろう.
・ 横田 由美 『ヴァイキングのイングランド定住―その歴史と英語への影響』 現代図書,2012年.
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