屈折語尾によらず,人称代名詞の属格形を並置して所有を示す his-genitive という独特な用法が,古い英語で知られている.用例は古英語から見られる.Mustanoja (159) が挙げている次の古英語からの例では,Enac his cynren は "Enac's posterity" の意を表わす.
we gesawon Enac his cynren (Ælfric Num. xiii 29)
このような用法の動機づけは理解できる.固有名詞は一般名詞と異なり明確な屈折語尾を取らないのが普通であり,属格を明示したい場合には,人称代名詞の属格を用いるのが便利だからだろう.属格以外にも,格を明示したい場合に,対応する人称代名詞の格形を並置するという例は古英語にいくらでもあった( he Ninus, hym Olofernus など).
中英語でも,his 属格の用例はいくつも見つけられる.Mustanoja (159) に挙げられている数例を示そう.
- þe cnapenchild hiss shapp (Orm. 4220)
- Hengest his sone (Lawman B 16772); þat wes Hengest sune (A)
- Loth his eldeste sone (Lawman B 23248)
- ine Winchestre his toun (Lawman B 19630); Winchastre tun (A)
- Felyce hir fayrnesse (PPl. B xii 47)
- sche hadde be kyng Alexandre his lemman (Trev. Higd. I 155)
- þe whiche kyng his prayers to God þat day were moche worthy (Trev. Higd. VI 349)
- Gwenayfer his love (Lawman B 22247)
- at þare ditch his grunde (Lawman B 1589)
最後の2例は,his に先立つ名詞がそれぞれ女性,無性を指示する点で特異である.例からもわかるように,Lawman B と Trevisa による Higden の Polychronicon のテキスト(両方とも南西方言)では用例が多いが,それ以外では15世紀までこの構造は稀である.15世紀以降になると,この構造は頻度を高め,17世紀まで存続する.なお,女性を指示する名詞に後置される her 属格は少ないながらも例証されるが,複数形に対応する属格の例 *her や *their はない.
中英語の his 属格の起源には諸説ある.
(1) 古英語の所有の与格 (possessive dative) の特殊構文に基づく類推.例えば,her Romane Leone þæm papan his tungan forcurfon (OE Chron. an. 797) では,所有の与格 þæm papan がかかってゆく tungan が his による修飾をも受けている.
(2) his はその弱形 is が属格語尾 -es, -is と同形となるので,属格語尾が語幹から切り離されたものと解釈できるのではないか.
(3) 古英語にも上掲の Enac his cynren のように対応する構文があったことから,分析的な表現を用いる傾向が中英語以降に継続・発展したものと考えられるのではないか.
(4) フランス語の対応する表現 (ex. pour escaper de Deu sen ire [Gilles de Muisis i 20]) の影響.しかし,フランス語でも用例は多くない.
Mustanoja (161--162) は,(4) は排除しながら,(1), (2), (3) の組み合わせ説を支持している.
英語史の全体的な傾向,総合から分析 (synthesis to analysis) への潮流を考えれば,his 属格の発生と発展はまったく驚くべきことではないだろう.むしろ,なぜ近代英語期に廃れていったのか,そちらの問題のほうが興味深い.
・ Mustanoja, T. F. A Middle English Syntax. Helsinki: Société Néophilologique, 1960.
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