hellog〜英語史ブログ

#404. Suriname の歴史と言語事情[creole][map][caribbean]

2010-06-05

 南米のギアナ ( The Guianas ) は,他の南米の国々がスペイン語かポルトガル語を公用語とするのに対して,言語的には特異である.ギアナは西から順にガイアナ ( Guyana ),スリナム ( Suriname ),仏領ギアナ ( French Guiana ) の3地域からなるが,それぞれ植民地の歴史に応じて英語,オランダ語,フランス語が公用語となっている.ガイアナについては[2010-05-17-1]の記事で南米唯一の英語国として紹介し,そのピジン語 ( pidgin ) にも触れたが,今日はガイアナの東の隣国スリナムの歴史と言語事情を簡単に紹介したい.

Map of South America

 スリナムは1995年に共和国として独立した旧オランダ植民地で,旧名はオランダ領土ギアナ ( Dutch Guiana ) といった.海岸部の低地はオランダの堤防・干拓技術により拓かれたオランダ風の町並みが見られ,現在でも経済的にオランダとの連携は強い.漁業は近年のスリナムの産業の一つで,海岸で穫れるエビは日本にも輸出されている.
 公用語はオランダ語だが,もともとはイギリス植民地として出発した歴史を背景に,イギリスの奴隷貿易時代に端を発する英語ベースのクレオール語 ( creole ) がいくつか話されている.その中でも Sranan ( Sranantonga or Taki-Taki ) というクレオール語は民族をまたいで国民の95%以上に理解されるので,国内コミュニケーションの主要な媒体となっている.英語そのものも広く用いられている.
 この地域へは1651年にイギリス人が入植していたが,第2次英蘭戦争の結果,1667年にオランダ領となった.代わりにイギリスへ割譲されたのが,アメリカの Nieuw Amsterdam (現在の New York City )である.後から思えば,この領土交換はオランダにとって最大の損失だったといえるだろう.17世紀のイギリスとオランダは,北海の漁業権,海上貿易・海運,植民地支配を巡って反目していたが,この英蘭戦争の後,オランダの威信は衰退していった.
 オランダ領ギアナでは黒人奴隷によってタバコ,コーヒー,カカオ,サトウキビが栽培されていたが,1863年の奴隷廃止令に伴い,農業が不況となった.そこで契約労働者として多数のインド人が呼ばれた.また,同じオランダ領であったインドネシアのジャワからも移民が続々と押しかけ,米も栽培されるようになった.結果として,アジア的な雰囲気の色濃い文化と民族構成になっている.国民の 1/3 強がインド系,さらに 1/3 ほどが黒人クレオール系というから,"a fruit salad rather than a melting pot" と表現されるのもうなずける.こうした民族構成のなかで,オランダ語の影響をうけつつも数世紀をかけて発達してきた古い英語ベースのピジン語 Sranan が果たしている役割は大きい.Sranan の雰囲気を示すとこんな感じである.

Mi sa gi(bi) yu tin sensi ( I shall give you ten cents )


 Ethnologue の記述も参照.

 ・ Svartvik, Jan and Geoffrey Leech. English: One Tongue, Many Voices. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006. 181--83.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow