2006 年1月〜3月 (京都新聞、信濃毎日、熊本日日新聞など地方の新聞で連載)

科学する少女たちへ
                                                                 加藤 万里子
(1)理系進学のススメ--女性はもてまくり 

  私が高校2年生のとき、大学の物理学科へ進む決心を伝えたら、母は泣いて
反対した。「女の子なのに物理なんて」と。女子校から大学の物理学科に入った
が、女性はクラスで5人。先生の冗談に笑う声が1オクターブ低かった。男子ばかり
の中で過ごすには、女の子らしい振舞をせず、周囲に同化する方が楽だと学んだ。

  大学院へ進むと、母の友達から「もうお見合いの口はないわね」と断言さ
れた。初めて出席した天文学会は、広い会場に男性ばかりだった。職を得た大学
でも希少で、現在、教授126名中、女性は私だけである。

  時代は変わる。今では理工系といえども女性が全くいない分野はないだろう。
大学院に進む女性も多く、若手の女性研究者も増えた。勤務先では理工系の
女子学生はあいかわらず少ないが、ひと昔前と比べると、雰囲気が変わってきて
いる。ごく普通の雰囲気の女の子が増え、特別の覚悟をしなくても、理系世界に
飛び込める時代になった。

  自然界は不思議に満ちている。その謎を解くのは文句なしに面白い。大学で
物理学を勉強しはじめたとき、「こんなに面白いものを男性に独占させておく
のは、もったいない!」と思った。星の理論研究をする天文学者になってからも、
自然の巧妙なしくみには驚くばかり。わくわくと驚きに満ちた研究生活は
とても幸せだ。

  理系は女性にオススメだ。地道な勉強の積み重ねが大切で、実力が見えやすい。
就職も文系に比べて断然楽だ。さらに、女性が少ないと「男性にもてる」のだ。
人生のパートナーをみつけるのは、男女に限らず重要事項だから、学生時代に
男を見る目を養うのは、勉強と同じくらい大切だろう。男だらけの理系が
有利なのはいうまでもない。

  日本や米国の調査では、女性の天文学者や物理学者の4分の3は同業者と結婚
する。それだけ身近でいい男がみつかるということだ。我が家も天文学者どうしの
カップルだし、娘も大学に入るとすぐに彼氏ができた。孫が早くほしい私は、
娘が理系でよかったと内心ほくそえんでいる。

(慶應大学教授・加藤万里子、イラストはひろゆうこ)

(C)ひろゆうこ
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(2)理科は男の子のもの?
  == 教科書の隠れたメッセージ==

  「女性科学者のイラストを描いてください」と言われたら、あなたはどんな
絵を描きますか。メガネで白衣、手には試験管の女性でしょうか?

  1989年に国立天文台の宮内良子さんと私で、高校1年生が使う理科Iの教科書
の挿絵を調査した。すると挿絵の人物は、男性が圧倒的に多く、歴史上の人物は
みな男性。スカイダイビング、宇宙飛行士、望遠鏡をのぞくなどの多彩な場面は
男性で、ヒトの進化の図に出てくる「人類」も必ず男。女性の絵は少なく、スポ
ーツ選手などのほかは、エプロン姿で皿を洗う、考える場面など、おとなしいも
のが多い。

  重い荷物を持ち上げるのは男、女は補助と類型な表現が目立ち、実験中の写真
は、生徒4人中女子は1人という具合に、女子の方が少なかった。必修科目なの
で、生徒は男女同数なのに、である。

  これらはささいに見えるが、あるメッセージを発信している。男子は積極的に
理科を勉強すべきだが、女子はそうでなくてよい。「理科は男のもの」という
暗黙のイメージが日本全国に広がっていた。私は小さいころから科学の本が好き
だったが、男ばかりのイラストに違和感があった。そこで私が書いた天文学の本
には、意識して女性を入れた。

  現在の教科書は、劇的に改善されたものもあれば、変わらないものもある。女
性が一人でも著者に入ると、イラストを男女のペアにしたり、宇宙飛行士向井千
秋さんの写真を大きくしたりする工夫がされるようだ。科学の一般書でも、女性
の著者はめずらしくなくなった。だから今の中高生は親の世代ほど「科学は男の
もの」という思い込みはない。

  冒頭のイラストに話を戻そう。昔の教科書は、物理や地学は女の子が出てこな
いのに、化学では白衣を着て試験管を持つシーンは多い。もしあなたが白衣の女
性を思いうかべたなら、昔の教科書の影響かもしれない。実際は白衣の科学者は
少ない。え、天文学者の私はどうかって?私は理論家で、毎日パソコンの前に座っ
ているので、見掛けは会社員と同じです。詳しくは次々回に。

(慶應大学教授・加藤万里子、イラストはひろゆうこ)

(C)ひろゆうこ
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(3)見えないバリア  == 周囲の励ましが大切 ==

  物理が好きだと女らしくないのだろうか?これが若い頃の私の大きな悩み
だった。男ばかりの中で、ジーパンにぼさぼさ髪で地味な服装に徹していたが、
私が何か言うと「女の子はこう言ってます」となる。身の回りにお手本がいな
いから、日常的な振舞い方から、就職、結婚、出産という大イベントののり
きり方まで、すべて自分で考えて決めなくてはならない。今では別居結婚や
別姓は珍しくないが、周囲の理解がなかった昔は、実行するのも大変だった。

  理系の女性は確かにもてる。容姿や性格には関係ない。まじめな愛の告白も
少なくないが、こちらが好きになってほしいのは一人だけなので、たいていは
大切な勉強仲間である男の友人を失う結果になる。何度か続くと、うれしいどころ
か深刻に落ち込む。小さい時から容姿にコンプレックスがある私が、こんな
悩みをもつなんて、信じられなかった。

  あれから20年たったが、相変わらず理系には女性が少ない。田中耕一さん
がノーベル賞を受賞すると、科学者がぐっと身近な存在になり、男の子の
なりたい職業の第一位になった。でも、かっこいい女性科学者はみあたらず、
小説やマンガにも出てこない。

  中学生を対象にした調査(「理科離れしているのは誰か」村松泰子ほか、日本評論社)
では、理科の成績で男女に差はないのに、将来理系の職業を希望する女子は9%で、
男20%が希望する男子の半分以下だ。「理科は男の子のもの」という意識が残って
いて、女子は理系進学をためらう。その上、現在、女性が少ないから、理系をめざす
女子も少ない、という悪循環になっている。

  だから特に女の子には親のはげましが大切だ。この調査では、女の子を科学
好きにするには、小学生のうちから親子で科学館やプラネタリウムにいく、動植
物図鑑を見るなどの行動が大切で、母親が理科を重要だと思い、科学・技術職に
つくのを喜ぶことも影響するという。願わくば、近いうちにノーベル賞を受賞する
日本人の女性があらわれ、女の子のあこがれになってほしいものだ。

(慶應大学教授・加藤万里子、イラストはひろゆうこ)

(C)ひろゆうこ
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(4) 楽しい研究生活 ==企業の女性登用進む ==

  私は天文学者だが、観測はしないので望遠鏡には縁がない。研究室では、新
星の内部構造を計算するプログラムを作り、パソコンで計算する。こういうこ
とが好きなので楽しい。論文を書いたり考えたりしている時は孤独で集中を要
する作業だが、数値計算の時は、中島みゆきのCDをかけながら、カラオケの練
習をすることもある。まわりには、彗星(すいせい)のぬいぐるみや火星の貯金
箱、趣味で作ったパッチワークが飾ってある。子どもが小さいころは、夕方に
なると保育園のお迎えのため駅へダッシュしたが、今はゆっくりできる。

  研究室は個室なので、夏休みには子連れでくる男の先生もいる。娘もよく研
究室に来て、私の隣で勉強した。この連載の2回目で、科学者の服装は会社員
と同じと書いたら、同僚に非難された。私はお化粧もしないセーター姿だし、
夫はネクタイをしたことがないからだ。

  夫も天文学者で結婚後すぐ米国へ二年間留学した。私が出産する時、冬休み
だったので一時帰国したが、研究室の教授から「男子たるもの、ひとたび外国
へ出たら帰国することまかりならぬ」と反対された。しばらくして、今度は私
が米国へ2年間子連れで留学した。娘は保育園、私は大学。夫も休みのたびに
米国に来て、いっしょに大学で研究した。最近では海外留学にこどもと夫をつ
れていく若手の研究者は珍しくない。女性が研究も家庭生活も両方楽しめる時
代になったのだ。

  理系の就職先は大学だけではない。企業の研究所には基礎研究から開発まで、
さまざまな分野があり、大学よりもたくさんの女性が活躍している。人材登用も
すすんでいて、優秀な人はちゃんと登用されるのがうらやましい。

  私の知合いの若い女性は、社内公募で現在の研究テーマにめぐりあい、女性の
上司のもとで、るんるんと研究を楽しんでいる。お料理を習ったりして、週末も
充実しているようだ。研究は創造的で自分の個性と努力が生きる仕事だ。人生を
楽しんで過ごすせるのはなんて幸せなのだろう。

(慶應大学教授・加藤万里子、イラストはひろゆうこ)

(C)ひろゆうこ

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(5)少女たちよ、たくましく ==甘やかさず、「生きる力」を ==

  「美人になれよ」。新生児にチュッとして夫が言い聞かせている。「まずいっ!」
と警戒する新米ママの私。理系では美人でなくても苦労するのに、さらなる
苦労をさせるのか。娘はたくましく育てなければ・・・。

  保育園児でも家事はできる。お皿を洗う。お米を計って釜にいれる。米を研げ
ずに、ぽちゃぽちゃとゆすぐのは我慢のしどころだ。料理は化学実験と同じだし、
家事はマネジメント能力を養える。夫も私も同じくらい分担するから、子供が
家事をするのは当然なのだ。

  今の時代、子供に「自分の責任」を教えるのは難しい。鉛筆を忘れても、学校
には落し物が大量に置いてある。プリントをなくしても友達からファクスで届く。

  我が家では、自分のことは自分でするのが基本だ。小学校のプールから帰っ
たら水着は自分で洗う。暑い夏に、水着を放置した彼女は、水着が腐るという
現実を知る。中学では、弁当を毎日自分で作り、どのおかずが腐りやすいかも
学んだ。こうして多少のことには動じない子に育った。

   皆既日食は素晴らしい体験だ。太陽がしだいに細くなり、空が暗く風が冷たく
なる。星が輝き、乳白色のコロナがひろがる。見物にトルコへ行ったときは、パス
ポートの申請と現地での両替は娘の役目。中学で習った英語を恐る恐る使い、
理科と社会の夏休みの宿題は、トルコをテーマにした。

  こどもに勉強は教えない。塾の費用も出し渋る。わがままで冷たい母親だと言
われ続けてきたが、娘が超有名大学に合格したとたん、「子どもをしっかり育てる
親」と評価が一変した。

  勤務先の大学では、男女に関係なくほとんどの学生は料理ができない。入試に
親が付いてくる光景も珍らしくない。人生を後押しするのは親の役目のはずだが、
今の親は甘やかしてばかりで、勉強よりも大事な「生きる力」が育っていない。

  理系の道は女性にとってまだまだ厳しい。差別やセクハラに満ちた男社会で
生きるには、人間としての実力が必要だ。少女たちがたくましく育って、未来の
社会を変えてほしいと願う。

(慶應大学教授・加藤万里子、イラストはひろゆうこ)
(連載 おわり)

(C)ひろゆうこ

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