hellog〜英語史ブログ

#6351. 英語史でも著名な Jonathan Swift --- St Patrick's Cathedral のお墓を訪ねて[swift][tabihel][dublin][academy][prescriptive_grammar][shortening][prescriptivism][lmode][history][ireland][clipping][complaint_tradition]

2026-09-16


St Patrick's Cathedral, Dublin, seen from the adjoining park



 ダブリンにゆかりのある文人を取り上げる「旅hel」 (tabihel) シリーズ.今回は,文人,政治家,そして主席司祭でもあった Jonathan Swift (1667--1745) に注目する.Gulliver's Travels 『ガリバー旅行記』の著者として世界的に知られる人物だが,英語史上重要なのは,むしろ別の顔のほうである.
 一雨さっと降ったあと,急に日差しが戻ってポカポカ陽気になった午後,ダブリンの St Patrick's Cathedral に隣接する公園のベンチに腰掛けながら,この建築物の威容を眺めていた.この大聖堂は,アイルランドを代表する "National" を冠された,アイルランド国教会のなかでも別格の位置づけを与えられている教会だ.
 名前の由来である St Patrick は5世紀にアイルランドへキリスト教をもたらした聖人で,アイルランドで最も愛され,尊ばれている人物である.大聖堂そのものは,1190年に,彼の布教にゆかりのあるダブリンのこの地に建てられた.すでに800年以上の歴史を数える.
 この大聖堂と結びつけられる著名人が,もう1人いる.Jonathan Swift である.1713年に,この大聖堂の主任司祭に就任した.イギリス政界に深く関わっていた Swift が聖職者としてこの座に収まることには反対の声もあったというが,最終的にはこの職を務め上げた.大聖堂のなかには彼の墓があり,彼との関係がいまだ謎に包まれたままの女性 Stella とともに眠っている.大聖堂内は半ば Swift 博物館のような様相を呈しており,オーディオガイド付きの展示となっていた.
 Swift は英語史の観点からも位置づけられる人物だ.英語史的には,1712年に英語アカデミーの設立を提案した政治家としての顔が重要である.すでにイタリアやフランスでは早々と母語を統制するアカデミーが設立されていたのに対し,イギリスにはいまだ存在しなかった.Swift は A Proposal for Correcting, Improving and Ascertaining the English Tongue と題する提案書を著し,英語を統制する公的機関の設立を訴えた.これは17世紀以来くすぶり続けてきたイギリスにおけるアカデミー設立運動の,事実上最後にして最大の試みだったといってよい(「#134. 英語が民主的な言語と呼ばれる理由」 ([2009-09-08-1]),「#141. 18世紀の規範は理性か慣用か」 ([2009-09-15-1]) を参照).
 だが,この提案は結局は通らなかった.政敵による反発に加え,提案の理解者だった Anne 女王が1714年に急逝し,後ろ盾を失ってしまったことが大きいとわれる(「#2759. Swift によるアカデミー設立案が通らなかった理由」 ([2016-11-15-1]),「#3602. アン女王と英語史」 ([2019-03-08-1]) を参照).結果として,英語はついに中央集権的なアカデミーをもたない言語となったのである.フランス語における l'Académie française のような「上から」の統制機関が存在しないまま,18世紀後半にかけては文人・知識人による「下から」の慣用重視の規範が形成されていくことになる.18世紀初頭の時点では,英語はまだ国際的にはフランス語の後塵を拝していたが,後に世界中に広がっていく英語が,ついぞ1つの機関に統制されることのない野放しの言語として育っていく分岐点が,まさにこの1712年にあったのだと思うと感慨深い.
 なお,Swift には英語史上もう1つのおもしろい顔がある.大の「短縮語」嫌いで,clipping を非難する文章まで書いているのだ(「#1947. Swift の clipping 批判」 ([2014-08-26-1]) を参照).
 大聖堂のすぐ裏手にはアイルランド最古の公開図書館 Marsh's Library (1701年)があり,そこへは Swift, Joyce, Stoker もかつて通ったという.私が図書館に訪れたとき,そこでも Swift 展が開かれていた.大聖堂と図書館を合わせて「Swift 博物館」をめぐった感がある.Gulliver's Travels の作者,大聖堂の主任司祭,という以外の顔として,英語史における Swift の存在感を,多くの方に知っていただきたい.

[ | 固定リンク | 印刷用ページ ]

Powered by WinChalow1.0rc4 based on chalow