hellog〜英語史ブログ

#6337. 英語史上の Arthur Wellesley Wellington --- ダブリンの Wellington の生家と記念塔を眺めて[dublin][ireland][wellington][tabihel][history][language_shift]

2026-09-02


Birthplace of Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington, on Merrion Street, Dublin



 2週間ほど前の早朝,ダブリン市内をジョギングをしていたところ,思いがけず Arthur Wellesley, 1st Duke of Wellington (1769--1852) の生家とされる建物をたまたま見つけた.Merrion Street 沿い,何の変哲もない街並みの一角に,控えめなプレートが掲げられているだけだったので,危うく素通りするところだった.1769年,この家で生まれたとされている.
 せっかくの発見である.翌日の早朝ジョギングでは,西の郊外に広がる公園 Phoenix Park まで足を延ばしてみることにした.ここには,遠くからでも見える背の高い(62メートル!)オベリスク型の記念塔 Wellington Monument がそびえ立っている.1815年,ナポレオン戦争のワーテルローの戦 (Battle of Waterloo) におけるイギリス軍の英雄を顕彰するために19世紀半ばに建てられたものだ.2日連続でダブリンゆかりの英雄の痕跡を追いかけるジョギングとなった.


The Wellington Monument in Phoenix Park, Dublin



 英語史のなかに Wellington を位置づけようとすると,何が言えるだろうか.2点ほど考えてみた.まず,軍人としての顔だ.彼は上述の戦役においてイギリスを勝利に導いた.この勝利がなければ,19世紀以降のヨーロッパにおける覇権の行方は違ったものになっていたかもしれない.ナポレオン戦争での勝利によりイギリスが軍事的,政治的,経済的な覇権国としての地位を固めていき,イギリス帝国の絶頂期を準備したからこそ,英語という言語も世界的な優位性を確立させていくことができた.イギリスの勝利は,もちろん Wellington 1人のみによるものではないが,象徴的な意義をもつ軍人であることは確かだ.
 もう1つは政治家としての顔である.後にイギリスの首相となった Wellington は,1829年に「カトリック解放」 (Catholic Emancipation) を実現した.カトリック教徒の公職就任を大幅に認める改革は,アイルランドにおけるカトリック教徒の社会的地位を押し上げ,結果として皮肉なことにアイルランド人たちがアイルランド語から(アイルランド)英語へと言語交替 (language_shift) していく社会的な条件を整えることになった.信仰の自由の拡大という政治的決断が,長期的には言語共同体の言語選択にまで影響を与えていたわけで,この一連の因果関係は決して単純ではないにせよ,たしかに存在していたろう.
 朝のジョギング中の何気ない発見が,思いがけずイギリスの誇る軍人・政治家と英語史の関係を考えさせることになった.なお,ダブリン(アイルランドの首都)とイギリスの話題が交錯しているように思われるかもしれないが,当時は1800年の連合法 (Act of Union) を通じて,1つの国となっていたことに注意が必要である.ダブリンはロンドンに次ぐイギリス(帝国)第2の都市となっていた.

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