| 1889.8.1 | o歳 | 加賀藩士小畠弥左衛門吉種と小畠家に使える女中佐部ステ(ハル)との間に生まれる。 いわゆる私生児である。生後7日で雨宝院の住職、室生真乗の内縁の妻の赤井ハツにもらわれる。 |
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| 1896.2.11 | 7歳 | 室生真乗の養嗣子となり、室生姓を名乗り始める。 | |
| 1898 | 9歳 | 実父が死ぬとともに実母は行方不明となる。 | |
| 1902.5 | 12歳 | 母・ハツにより、金沢高等小学校を三年で退学。兄の勤める金沢地方裁判所で給仕として勤める。 ここで当時の上司に俳句の手ほどきを受け、文学に多大なる関心を寄せはじめるようになる。 |
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| 1906.3 | 16歳 | 室生残花の名で小品文『河辺の初春』が雑誌「文章世界」に入選掲載。 | |
| 1907.7 | 17歳 | 詩『さくら石斑魚に添へて』が雑誌「新声」に首位掲載。選者の児玉歌外から絶賛される。 これをきっかけに、詩人として立つことを決意。 |
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| 1909.1 | 19歳 | 金石登記所に転配され、金石町の宗源寺に下宿。 | |
| 1909.9 | 20歳 | 八年に及ぶ裁判所勤めを辞し、三国新聞、福井新聞、石川新聞などを記者として転々とする。 その間、京都にいる上田敏を訪ねる。 |
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| 1910.5 | 20歳 | 初めて上京する。根岸・牛込・根津片町・谷中・千駄木林町などに下宿。筆写などをして生計を立てる。 その間に、児玉花外・北原白秋を訪問。 |
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| 1911.7 | 21歳 | 東京の暑さと生活の貧窮に耐え兼ね、金沢に帰る。しかし、養母との悪化している関係や失恋、文学仲間の中傷により、 再び、上京する。以後数年、東京と金沢との往復を繰り返し、放蕩・無頼の生活を送る。 | |
| 1912.10 | 23歳 | 詩三編が「スバル」に掲載される。 | |
| 1913.1 | 23歳 | 『壁上哀歌』『時無草』が白秋主宰の「朱攣」に掲載され、以後同誌に毎号詩を発表する。 以後、犀星は詩壇で注目を浴びるようになる。 | |
| 1914.2 | 24歳 | 萩原朔太郎を前橋に訪ね、滞留する。 6月、萩原朔太郎、山村暮鳥とともに「人魚詩社」を創立。 | |
| 1915.3 | 25歳 | 詩誌「卓上噴水」を創刊。 | |
| 1916.6 | 26歳 | 朔太郎、暮鳥とはかって詩誌「感情」を創刊。七、八月豪に『抒情小曲集』として詩60編を特集。 | |
| 1917.9 | 27歳 | 養父・室生真乗が死去し、犀星は寺を人に譲る。家財を売って幾許かの遺産を得る。 | |
| 1918.1 | 27歳 | 処女詩集『愛の詩集』を感情詩社より自費出版。これは当時耽読していたドストエフスキー、トルストイの影響を受ける。 | |
| 1918.2 | 27歳 | 詩を仲立ちに文通していた金沢の小学職員浅川とみ子と生家小畠家で挙式をする。 | |
| 1918.4 | 27歳 | 『新しい詩とその作り方』を文武堂より出版する。 | |
| 1918.9 | 28歳 | 『抒情小曲集』を感情詩社より出版する。萩原朔太郎に留まらず、当時の詩生年に大きな影響を与える。 | |
| 1919.5 | 28歳 | 習作『抒情詩時代』が雑誌「文章世界」に掲載。『第二愛の詩集』を文武堂書店より刊行する。 『幼年時代』が当時文壇の登竜門であった「中央公論」に掲載される。ついで1919年10月『性に眼覚める頃』、 1919年8月『或る少女の死まで』の連作が相次いで「中央公論」で発表される。 | |
| 1920 | 29歳 | 3月小説『結婚者の手記』、8月詩集『寂しき都会』、11月小説『蒼白き巣窟』を発表。 | |
| 1921 | 30歳 | 2月小説『古き毒草園』、3月小説『香炉を盗む』、6月小説『美しき氷河』、9月小説『蝙蝠』を発表。 | |
| 1922.6 | 30歳 | 長男・豹太郎が死去。12月、亡き子を悼む『亡春詩集』を発表。 以降、作風も精神状態も沈潜としたものになり、史実小説や童話が多くなる。 |
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| 1923.9 | 32歳 | 8月長女・朝子の出生直後の9月1日、関東大震災で被災し、金沢へ移住する。 | |
| 1927.7 | 35歳 | 親友・芥川龍之介の自殺。犀星に大きな衝撃と反省を与えた。 1931年6月より彼の死を題材にした『青い猿』を新聞に連載する。 | |
| 1928.4 | 36歳 | 養母・赤井ハツが死去。 | |
| 1934.7 | 42歳 | 小説『あにいもうと』を文藝春秋から発行。第一回文芸懇話会賞を得る。 | |
| 1935.6 | 43歳 | 文学的な復讐を企てた『復讐の文学』を「改造」より宣言する。 | |
| 1941.3 | 49歳 | 第二次世界大戦中、避暑地かつ疎開先になった軽井沢でも悪条件にもめげず、作品を書き続ける。 | 1949 | 57歳 | 1949年から1954年までの6年間、一冊の新作本も刊行されない。 |
| 1955.10 | 66歳 | 同年2月の萩原朔太郎を題材とした小説『黒髪の書』と『随筆女ひと』で復活を遂げる。 | |
| 1957.10 | 68歳 | 彼の生涯と娘の生き方を描いた長編『杏っ子』がベストセラーとなり、読売文学賞を受賞。 | |
| 1959.10 | 70歳 | 女性洞察の前衛ともいえる前衛的作品『蜜のあはれ』を書く。 | |
| 1959.11 | 70歳 | 王朝ものをかたどった『かげろふの日記遺文』で野間文芸賞を受賞し、犀星ブームとなる。 | |
| 1962.3.26 | 72歳 | 胃がんに侵されながらも、作品を書き続け、72歳の生涯を閉じる。 |