嶋尾稔(慶應義塾大学言語文化研究所教授)
日本とベトナム(2015年6月17日 6月20日 9月19日 2018年7月14日 12月6日 2019年6月27日 6月29日 2021年9月7日 11月16日)
東京(ドンキン)義塾と慶應義塾(2022年11月20日 12月10日改訂)
資料(南シナ海South China Sea関係)2014年6月13日公開、補遺 2014年7月14日、 補遺2 2014年8月28日(9月19日改訂)、補遺3(含訂正) 2014年9月8日(9月11日改訂 11月28日再訂 12月2日三訂)、南シナ海と日本人 2014年9月8日(2015年7月19日改訂 7月23日三訂、2016年3月31日四訂、2021年7月24日小補)、補遺4 2014年9月17日(2015年9月19日改訂)、 補遺5 2014年9月27日、補遺6 2014年10月2日、補遺7 2014年10月30日(11月7日改訂 11月23日再訂 11月24日三訂 2015年8月3日四訂 2016年5月15日五訂 5月21日六訂)、補遺8 2014年11月19日(2016年11月3日改訂[11月4日訂正]) スプラトリー諸島と中国 2014年12月29日(2015年5月25日改訂 5月27日三訂 6月27日四訂 6月29日五訂 7月12日六訂 2016年10月14日七訂)、補遺9 2015年2月25日、補遺10 2015年3月4日(3月5日改訂 3月6日再訂 3月8日三訂 3月14日四訂、6月24日五訂)、補遺11 2015年4月5日(4月6日改訂) 補遺12 2015年6月15日 補遺13 2016年5月13日 補遺14 2016年5月25日 補遺15 2016年6月3日(2022年5月9日改訂) 補遺16 2016年7月16日(8月1日改訂 8月3日再訂 10月10日三訂 12月6日四訂) 補遺17 2016年9月10日(10月16日改訂) 補遺18 2016年9月16日 補遺19 2016年9月19日 補遺20 2016年10月18日(10月22日改訂 12月6日再訂 12月9日三訂) 補遺21 2016年10月30日(12月16日改訂 12月20日再訂 2021年12月15日ii三訂) 補遺22 2016年12月13日(12月15日改訂) 補遺23 2017年1月6日(3月17日改訂) 補遺24 2017年1月15日 補遺25 2017年3月17日 補遺26 2017年3月17日 補遺27 2018年11月17日(2019年1月9日改訂 1月22日再訂 3月15日三訂 3月25日小補 4月5日小補 2020年2月5日付記5 2021年3月4日付記補正 8月4日付記6) 補遺28 2018年11月30日 補遺29 2019年7月6日 補遺30 2019年7月12日 11月22日 雑感 2019年11月6日 2020年8月27日改訂 補遺31 2021年3月4日 5日改訂 17日再訂 補遺32 2021年3月27日 28日小補 4月2日大改訂 3日微修正 5日三訂 7日四訂 10日五訂 14日六訂 11月20日・21日・22日ii・23日七訂 12月8日八訂 スプラトリー諸島と中国:補遺 2021年7月21日・22日付記1・24日小補・付記2 8月2日付記3・3日小補・7日小補 補遺33 2021年7月21日・26日小補 補遺34 2021年7月30日・31日小改正(重要)・8月4日小補・6日小補・7日小補ii・8日小補ii・10日小補(重要)・11日小補・12日付記・17日iii小補・21日ii小補・9月5日小補 補遺35 2022年3月12日・5月18日小改正 補遺36 2022年7月3日
僭越ながら(2017/5/16,2018/7/25,7/26) 補遺(2017/8/25, 8/26, 9/17, 2018/7/25, 11/16) 補遺2(2017/8/31, 9/2) 補遺3(2017/9/16) 補遺4(2017/9/20, 9/21.iii, 2018年8月9日付記, 9月11日付記2, 9月12日付記3,12月1日, 2019年2月11日補足,2月12日付記4,2月13日, 4月18日微修正) 補遺5(2017/10/26) 補遺6(2018/03/08, 3/14, 7/22, 7/27, 2019年4月20日小補,2020/7/30ケアレスミス修正) 百華堂撰『渡天物語』(2019/09/21, 9/24) 補遺7(2020/06/23) 補遺8(2020/0728, 7/29ii大改正,7/30改訂, 7/31付記,8/1小補 2021/2/23ii・24日補正) 補遺9(2021年1月5日・6日) 補遺10(2021年6月28日 29日改訂 7月16日) 情報(2022年5月10日ii・11日ii・12日iii・13日・15日・18日 9月1日・2日私見を交えた整理) 情報2(2023年8月1日)
日本史の起点(2022年2月11日 18日付記2改訂増補 20日付記2改訂増補及付記3 21日付記4 22日・23日・24日ii・25日・26日ii・28日・3月1日ii・2日改訂補足・3月3日iii付記全面改訂・4日・6日・8日・9日ii・11日・12日・13日ii・16日・17日・19日小補 4月2日・3日ii・4日ii付記・小改正・6日・7日・8日・9日・10日ii・11日・12日ii小改正・18日・19日改正付記) 疑問点(3月20日 28日改訂付記 29日小改正 30日付記2 31日・4月1日小改正 5日ii・7日・10日・18日・23日・25日・5月15日・16日雑感 18日微修正) 福沢・文明・国家・帝室(2022年11月10日 付記2023年1月10日・11日ii 付記29月8日) 無政府主義(2022年12月5日ii・6日・9日・12月10日 21日・26日・29日・2023年2月3日付記:南北朝正閏論争)
頭の整理(2018年3月20日, 3月21日改訂iii, 3月24日, 3月25日,3月26日ii,3月28日,3月29日ii, 3月30日, 4月1日iii含愚かな誤りの訂正, 4月2日, 4月6日, 4月8日ii, 4月9日, 4月12日,2019年11月16日微修正) 補遺(3月21日ii, 3月23日大改訂ii, 3月24日, 3月26日ii, 4月1日ii, 4月4日) 補遺2(3月23日ii, 3月24日, 3月27日, 4月6日, 4月8日iii大改正, 4月9日ii, 4月12日iii, 4月13日) オマケ(4月17日, 4月20日, 5月16日, 5月21日, 5月22日大改訂-ii-iii, 5月23日, 5月26日) 補遺3(5月24日, 5月26日) 補遺3bis(5月27日ii, 5月28日付記1,5月29日付記2・訂正・付記3・微修正, 5月30日, 6月1日) 落穂拾(5月31日.) 弁明(5月31日, 6月2日,2019年11月4日・5日 2021年12月8日・9日・10日・11日・15日・28日・30日・2022年1月1日・2日・3日・29日) 補遺4(6月5日, 6月6日付記1,6月7日付記2,6月25日付記3,6月26日付記4,6月27日,2019年11月16日微修正) 補遺5(6月10日) 補遺6(6月19日) 補遺7(6月23日) 補遺8(12月13日) 補遺9(2019年6月21日) 補遺10(2019年10月11日,14日,11月17日・20日・23日b・24日b・25日b・26日b・27日・28日c〈重要な修正〉・29日e修正・30日・12月1日・4日b・5日・6日・7日d・8日c・9日b・10日) 補遺11(12月4日・7日・9日・11日 12月13日・14日雑感, 12月17日c最終修正,12月18日つけたり,12月20日新展開,12月20日b・23日おしまい,12月24日・25日b新情報,12月25日・28日最終補正,12月31日b最後) 補遺12(2020年3月18日 10月14日・15日改訂 17日・18日三訂) 補遺13(2020年11月24日 30日)
安倍晋三氏の喪に服しつつ(2022年7月9日・10日ii・11日・12日iv・13日v・14日v・15日v・16日vi・17日vi・18日x・19日iv・20日viii・21日ii・22日iii・23日viii・24日vii・25日 了 26日ii修正) 補遺(2022年7月25日ii・26日v・27日vii・28日iii・29日iv・30日iv・31日v・8月1日iv・2日vi・3日v・4日vi・5日vi・6日iv 了 訂正8月6日) 補足訂正(2022年8月7日・8日iv・9日v←重要情報・10日・11日x・12日vi・14日・15日 了)
備忘(2022年8月15日 まとめ HAGIUDA 19日・20日・21日いろいろ 伝道の違法性 22日 了 31日修正) 政治と宗教メモ(2022年8月22日・23日ii・24日iv 当たり前のこと・基本に帰る 25日小註追加 27日・28日iv・29日もう一言 30日・31日・9月1日ii・2日・3日ii・4日ii・5日・6日・7日・8日・9日ii・10日・12日ii・15日ii・16日v・17日iii・18日・19日締めいろいろ〈含改憲問題〉 22日・23日ii・24日・25日・26日・27日疑問追加・国葬雑感 28日iii・30日最終整理 10月2日重要な訂正 3日ii安倍政権期を適切に評価するための資料追加 4日iiメディアの問題 5日結論・提案 7日余談 10日・11日・13日ii・14日・16日ii・17日・19日・20日iii・21日いわずもがな? もう一言だけ22日ii 完 25日・26日ii 記念写真の政治と世論調査の政治 29日ii・31日きりがない・sayonara jiminto 11月1日漫画の政治 2日締9め 5日ii・6日ii・7日・12日・14日・15日浜の真砂 24日・12月5日・6日ii・8日真っ当な議論のために 12月10日新情報 16日・18日・24日・25日・29日・2023年1月5日・6日雑 7日・10日1997年 9日相も変わらず 21日壬寅大晦日 23日ii・25日・2月3日・6日・7日・8日ii・9日・10日ii・11日ii・12日iv・13日新年の補遺 13日ii・14日・15日・16日ii・18日ii・19日v・20日・21日iii・22日v・23日ii・25日ii・26日iv・27日iii結論? 3月2日ジェンダー雑感など・〈亡国〉・52歳の国家主席・ビッグバン仮説 3日・6日vつけたり 7日終わりの始まり? 9日iiアベノミクスは失敗していない 9日iii最後にもう一度草津のことを 10日iii金融資産2021年 11日雑 12日ユーラシアの変動 12日iii・13日ii放送法解釈問題再整理―削除修正 14日若干の補足 15日ii経済学とデータ・格差の可視化 16日iii雑 16日嗤うべし、欧米諸国全権大使。 17日iv放送法問題追記・疑心暗鬼 17日・18日・19日ii雑 19日iiiもうすぐ還暦―おしまい 21日ii・22日・23日ii・24日viii・26日・27日iiもう一言?だけー経団連の勘違い・やってはいけないこと・K議員さま・文化工作と世界の大変動・グローバルAIの複数性・地球史と人間・G7の意味・高市早苗さんの反論:「捏造」・言葉の曖昧さ・野党マスコミの本質・エージェンシーとジェンダー・現場主義・メタ対話AI・無関係な思い付き 27日ii〈29日iii・30日・31日・4月2日ii〉還暦) 4月5日次の時代? 8日ii・9日 10日 1997年(1998年)のトラウマ 12日ii 14日 20日ii 22日 23日立民を軽蔑してよいか 24日もう一度だけ怒りと響き 26日・27日iv LGBTQ法制異論 米国全権大使の横暴を許すな 日本共産党の欺瞞再び 間抜けな大新聞 銭ゲバ宗教法人解散! ゆるやかな価値観外交 28日不可解 5月2日言語論的転回の愚かな結末 3日iiアメサヨ アンケートの政治の無意味 4日・5日ii・8日 9日v自民党LGBT法制推進派の意味不明 10日iii最後の邪推 まずバチカンを打て 11日v自己決定論批判・WHO批判・「正義」の犠牲者たち インチキは続く 左派系芸能人の存在意味 おまけ:Sea Gamesの開会式 腰抜け宰相 12日ii大事なこと 官邸宛メール 13日iv差別・迫害 14日iv 各国全権大使、あなた方の言っていることは無内容だしそもそもあなた方に言う資格はない 15日iii世界の空疎化 アンケートなんて止めよう 同性婚を望む人はどれだけいるのか 16日ii ・17日ivみんなオカシイ ど素人の法律談議 18日vノンバイナリー? 性的自己決定の不可解 19日ii生きづらさ? 20日空疎な言葉の勝利―ささやかな抵抗 21日iii再生産 性的自己決定の不可解II G7
22日iv ・23日v LGBT運動に対する根本的疑義 24日iiファクトチェック 25日ii 26日不可抗力的自己決定? 27日ii 28日vi 提言めいたこと 29日iv少々軌道修正(再修正)30日iv 解釈改憲 due process 31日ii フランス・台湾・韓国・日本 LGBTに対する差別とは何か?? 6月1日ii 同性婚はカップルだけの問題ではない(特別養子縁組) 2日iv 自己決定と遺伝決定 「心の性」の生得性? 当事者の語りは意味を持つのか 3日ii 結婚式と婚姻制度(神道のために) 歴史とモデル らしさ批判の不自然 ルイセンコを忘れるな 4日iii 繰り返すがそれは差別ではない ファクトチェックと左派政治 補正 5日iii 名古屋地裁判決を読む ASEAN Para Games 6日ii 文化的解放と身体的解放 もう一度さよなら自民党・ネット投票による無党派層の政治参加の活性化に向けて(未来の直接民主制とAI官僚制へ) 7日ii エブエブ 配偶者控除 8日弱者の武器? 10日ii補正 25日ii 福岡地裁判決を読む 26日 同性生殖の未来 28日 性別の変更 29日 トランス・イデオロギー 30日・7月1日 多様性? 2日三人称 切の無い話 3日ii子供の立場 ギャグ? 4日雑 6日日本の衰退 当たり前のこと よりよい啓蒙のために 7日ii存在拘束性をめぐる政治 情状酌量? 8日v・9日iv・10日 雑 新聞の終焉に向けて 11日iii 公文書と民主主義 性同一性障害とトランス 12日vi・13日ii 生物学的なノンバイナリー Xジェンダー 最高裁判決を読む インチキ学問?→14日ii西欧的背景 15日v・16日v不可解 17日ii・19日iii・20日・21日 フォイエルバッハ 反ファシズム 20日ii・21日・22日iii・23日iii よりよい公共的情報空間のために 23日・24日雑 27日v・28日v 政治実験 反ファシズム補正 29日ii根本的な不公平 目を覚ませ 30日ii・8月1日ii・2日iii・3日ii 雑 4日iv・5日・7日iv 何故2000年代の下降トレンドを無視するのか 8日雑 9日ii 黒塗り問題 10日iv・11日iii 雑 法を超える左派リベラル 前言撤回 いまさらながらネトウヨ批判の虚妄 12日・13日iii雑 Qアノン 17日v 科学ジャーナリズムとLGBT 雑 生物学的ノンバイナリーについての補足 LGBT理解促進法に意味があるとしたら 18日ii なんだかなあ 世にも間抜けな自民党―左派の工作としての超党派 20日iii 雑 多様性(カテゴリカル、連続的、理念主義、プラグマティズム) 21日 スペクトラム? 22日・24日iii・25日 雑 富の偏在についてii 26日v いつまでも忘れないようにしよう ジニ係数に関する朝日新聞の報道 試金石 正確な情報の共有が足りない 27日・28日v インチキコメントにウンザリ 代案? 29日iii La Hagueの放出基準 海水中の放射性核種 30日iii学術会議の存在意義 大間違い(デブリと使用済み核燃料の混同)の訂正 雑 31日知的水準とバイアスと党派性 9月1日ii・2日 雑 コンタミ インディアンポイント原発 4日もう一度よりよい公共的情報空間のために 5日大嗤、なのか 8日・9日vi・10日viii・11日vii・12日vii・13日x・14日v 雑 日共・立民・れいわの終焉 放送局は圧力に屈したのか 破れ鍋に綴じ蓋 15日 グローバル社会を生きる意味 16日xii・17日ii 偽善者たちを軽蔑しよう 18日ii 世論調査の害悪 イーロン・マスクの問題提起 19日ii 謝るべし 試金石 脱炭素 セカンドレイプ 世界の目? 20日iiiそれらもオールドメディアであることを忘れるな 不条理 批評家たち... 22日偽善は続くよどこまでもー劣等国家日本 空疎な言葉が宙を舞う 23日viii・24日vii・25日v 日本企業にグローバルなコンプライアンスを語る資格はあるのか 安倍氏の亡霊? 生物学的身体性の超克? もう一度劣等国家日本 26日x・27日ii・28日・29日ii・30日 衝撃の事実なんて要らない もうジャーナリズムなど要らない BBCも日本の有象無象も アエラ、古賀茂明、正気なのか 29日iii・10月1日iii・2日ii 法・医学・戸籍 もう一度世界基準を語る者の欺瞞について コンプライアンス違反の制裁基準 覚悟 こんなことが続いてよいのか 浅薄で邪悪なBBC 勘違い新聞 3日ix 単純馬鹿 機械的判断 前途 4日vii 記者会見は反省集会ではない 身から出た錆 5日v本当に大事なこと あとだしじゃんけん 八百長? これはいただけない 建設的な話の為に 論点ずらし? たぶんサクラではない 6日vii ネットの中のバカ大衆 人それぞれ べらぼうな話 関係者情報? 外国人株主の目? 個人の主体性 7日ii ・8日vii 頭を冷やせ 見当違いの反省会 世界の悪を倒したい人たちに関する仮説 見落としていた問題 15歳の〈罪〉をどこまで問えるのか(混乱修正) 9日ii 記者会見の意味 〈見て見ぬふりは同罪〉論 10日iii 記者会見に引き籠るな 自民党の不見識 平静に 別の視点 11日 主語を大きくしてよい場合 言掛りは続くー権力の濫用 13日iii いろいろ 14日ii・15日iii もう一度国際基準の検討 性別変更問題にかんする暫定的見通し 18日ii・19日プロジェクトXを忘れよう 一部メディアの執拗な貧困化詐欺を無視しよう 23日ii 何故阿保なことばかり言うのか 2010年代という時代(ジャーナリズムが進化したわけではない)25日ivやれやれ(性同一性障害特例法の憲法違反 WHOの声明はどこにある?) 27日プロジェクトXを忘れよう補遺 性別変更の件に関する暫定メモ 31日・11月1日 繰り返すまずバチカンを打て 性同一性性障害特例法に関する最高裁の違憲判決を読む(私には納得しがたい、世界保健機構の声明は存在するのか) 2日数量化オブセッション? 微修正 4日ii女子大学ほか 17日オープンソースの囲い込み 20日 一つの背景の推測 12月4日またバカバカしいことを 6日 カンケイシャ ロンパ 継ぐもののために(?) 8日ii・9日iii・10日iv・11日viii今度こそこれでオシマイ そんな低次元な…?? 12日不可解 負のナラティブ 13日何かがオカシイー本当にホントの最後の一言 14日iv・15日安倍氏のための最後のメモ hết 19日・20日・21日ii・22日・23日ii・24日xi・25日iii・26日v・27日vi・28日iv・29日ii・30日 追加情報など 28日・29日・30日・31日締め
安倍晋三氏を偲びつつ おわり 付録1 10月21日グローバル資本主義 付録2(怪しげな仮説) 移民 東と西 8月27日同性婚と少子化(9月5日愚考)26日 付録3(給与実態 相対的貧困率iii 15日デジタル庁 27日国民生活基礎調査 8月5日iv OECDデータ 6日iii・7日 国税庁民間給与実態調査データ再検討 9月1日ii ・2日ii・3日・4日消費者動向指数・政策金利・アベノミクス 5日国際金融危機・労働分配率・低賃金 9日・14日雑 15日定年退職金 23日iiマルクス主義者の詭弁も続く 27日・10月13日 貧困化詐欺) 付録4 GDP関連資料 10月25日 付録5 愛国心 10月25日 付録6 日本の国際的地位低下 11月1日ii・2日 アベノミクスの失敗 11月4日 ライドシェアと社会主義 11月13日 物質的インフラという発想 11月15日・16日 財務省は何を考えているのだろう? 11月22日 アレコレウンザリ 11月23日 最後に一言 11月25日 最後の雑感 12月3日 生活保護の動向 12月6日ii 付録もこれで最後:就業構造基本調査 12月15日 24日・25日ii・26日iii・29日iv はみ出しメモ(2024年1月1日・3日・4日ii・5日)
1月6日ii・7日x・8日xiii・9日xv・10日ix・11日xii・12日vii・13日v・14日vii・15日xv・16日vi・17日xi・18日ix・19日x・20日iv・21日・22日ix・22日・23日v・24日xii・25日vii・26日xvii・27日xvi・28日xi・29日ix・30日iii・31日vii・2月1日xiii・2日ix・3日・4日v・5日viii・6日vi・7日iv・8日vi・9日vi・10日viii・11日viii・12日iv・13日vii・14日・15日iv・16日・17日・18日v・19日ii・21日vi・22日iii・23日iii・24日iv・25日ii・26日x・27日iii・28日v・29日viii・3月1日ii・2日ii・3日iii・4日iii・5日iii・6日iv・7日・8日・9日x・10日ii・11日・12日v・13日vii・14日viii・15日・16日iii・17日ii・18日vii・19日vi・20日・21日v・22日iv・23日ii・24日・26日・27日vii・28日iv・29日v・30日・31日viii・4月1日x・2日vi・3日v・4日ii・5日viii・6日iii・7日vi・8日ii・9日ii・10日ii・11日iii・12日iv・14日v・15日vi・17日ii・19日・22日・23日・24日・25日ii・26日iv・27日iii・28日ii・29日・30日iv・5月1日iv・2日iii・3日x・4日iv・5日・6日ii・7日・8日iii・9日vi・10日iii・13日・14日ii・15日iii・17日ii・18日・19日iii・20日・21日ii・23日iii・24日iii・25日ii・26日iii・27日v・28日iii・29日vi・30日ii・31日iii・6月1日v・2日・3日ii・4日ii・5日・6日・7日iii・8日ii・9日v・10日ii・11日・12日iii・13日ii・14日iii・17日ii・18日ii・19日・20日ii・22日・23日ii・25日・26日・27日iv・28日ii・30日v・7月1日iv・2日・3日iii・4日ii・5日ii・7日iii・8日ii・9日xiii・10日iii・11日iii・12日・13日・14日ii・15日ii・16日・17日ii・19日ii・20日ii・22日ii・23日・24日v・26日・27日ii・28日・29日v・30日vi・31日v・8月1日ii・2日iv・3日vii・4日・5日ii・7日iv・8日ii・9日・10日・11日v・12日13日・15日・16日iii・17日・18日・19日iv・20日iv・21日・22日iii・23日iv・24日・25日・26日・27日iv・30日・31日ii・9月1日vi・2日v・3日vi・4日viii・5日iv・6日・7日v・8日ii・9日iii・10日ii・11日ii・12日・14日ii・15日ii・16日ii・17日・18日・19日ii・20日・21日・22日x・23日iii・24日iii・25日viii・26日iii・27日・28日iv・29日ii・30日vi・10月1日iii・2日・3日ii・4日ii・5日ii・6日v・7日・8日iii・9日・10日・11日・12日・14日iii・15日ii・17日iii・18日・21日ii・22日・23日ii・24日・25日ii・27日ii・28日ii・30日ii・31日・11月1日・2日・3日・4日・5日・6日・7日・8日・10日・11日・12日ii・13日ii・14日ii・15日ii・18日・21日・22日・26日・12月2日・3日・5日・6日・7日・8日・9日・11日・14日・15日・16日・21日・22日・23日・24日・26日・29日iii・31日ii・2025年1月1日・2日・3日・4日・5日iii 災害の政治利用を全否定すること、すなわち政権交代は絶対にありえないと言うこと 馬鹿新聞阿保メディア 低能大衆 なにより「見なし避難所」の迅速な拡大を 災害時に扇情的な言葉を吐くものたちを全否定しよう 情報は共有されているのか? 何はともあれイーロン・マスクに感謝。誤解? もしボランティア団体至上主義者がいるとしたら 雪... 道路の管理 情報の共有 二次避難 防犯 よくない報道 受験生 おにぎり一個報道 よい報道 能登半島の人口 国交省ii 自衛隊 何故 立民の本音? 新聞がいけないのか読む側がバカなのか 立民の通常運行 報道の仕事 1月9日午前9時現在 自衛隊の初動再考 なんだこれ? 秋田の殿様の戯言 被害の過小評価? 私は『毎日新聞』を本当に見直した 熊本市と能登半島 時間は止まっていない デジタル庁の仕事?(メモとして) 1月10日午前9時現在 土建業 インフラ 無意味な比較 左派リベラルの不見識 雑 デジタル化 本当に要らない者たち 雑 消え失せろ 砂丘 想像力 防衛庁動画 補正ii 災害時の報道の基本(不安を煽ったり混乱を誘発したりしないこと)を破ったメディアや政治家から公共性をはく奪しよう。時間感覚 能登の杜氏 アウトドア用品の有益性 言いがかりの種は尽きまじii 珠洲のボランティア もう一度熊本地震と比較 雑 東京スポーツの廃業をラサール石井氏の即時引退を強く願う 珠洲のボランティアII イタリアの地震対策 虚心坦懐 開き直った馬鹿新聞 デマについての一般的注意 真の悪党たちのメディア連鎖 情報共有ii 初動問題再び 次の選挙まで絶対忘れないようにしよう 謝罪? 二次避難所など 自衛隊 笑ってしまった クソメディアのNHK批判iv あとからなら何でも言えるvi改iv 防災学の基本見解はこれでよいのか? 〈初動の遅れ〉についての整理 やっぱり立民は全否定でよい 石川県強靭化計画 気になること(ホテルに避難した人の孤独) またよくない報道(news23の責任) 珠洲の避難所の食事 現代思想の虚妄 キッチンカー 劣等メディアの卑しさii もう一度news23の責任 珠洲における最初期の救助活動 〈検証〉 突然だが世界史のなかで 独善と傲慢の塊山本太郎とレイワいますぐ消え失せろ他 もう一度熊本地震との比較 被災地における医薬の連携 処方箋問題にかんする訂正ii 防犯ii 被災地の独居老人のケア・二次避難の遅れ?・一時帰宅支援はどうか もろもろ 連絡係 馬鹿・非道・卑怯(虫唾が走る)(コミュニティノートの限界)←大きな修正と謝罪iv 国や自治体の責任(疑問) 分散する人々のケア 全否定 NHKもやっぱりクソだった(バランスの取れた情報の公開と共有のために) 世界史の中で(補遺) 石川県の防災計画 言葉の政治性 マスメディアとソーシャルメディア 学問の限界 能登の漁業 レイワに引導をii 被災地や被災者より山本太郎の名誉が気になる人たちへiv(芝居?) 本当によくない報道(NHK)iv もう一度重ねてNHKの公共放送としての責任を問いたい 現場への信頼 〈民の声〉 ポピュリズム 道路啓開計画 自衛隊の活動再考 雑 また初動について 何故みなこの明らかな天災を人災にしたがるのか 能登の魚醤文化 おおすみの帰還 大雪 土木と建築・伝統と未来 偽情報対策ii ドローンの有用性 もっと客観的な防災学を! 避難・自宅・地元(改) NHKの劣等部分? 二次避難者数は着実に伸びているii 避難・自宅・地元iii 雑iii 絶望(立民だけは絶対に許さない)←増補(結論)ii データ的に考える事・具体的に考える事 立民の人は誰か杉尾代議士に日本地図を買ってあげてくださいiii 雑 避難所 やはり天災とよぶしかないと思う むしろ二次避難所の充実を! デジタル庁の課題ii いしり(あじ、さば) 山本太郎を絶対に許してはならない ロジスティクス 信じがたい話ii 見え透いたワンパターンiii 悪あがきii改・増補(道路啓開計画は日本海側と関係ない) 過去の大震災との比較についての注意 物語的記憶の限界(暫定版) 富来川南岸断層の位置に関する訂正(二か所) 断層の既知・未知 所謂デマより悪質なこと(ジャーナリストやマスメディアの関係者が今一番真面目に考えるべきこと) 連絡係ボランティア 二次避難所に関する情報の混乱をこのまま放置でよいのか 観光支援の件 二次避難所利用者数 これは犯罪的ではないのか 私が気にしすぎなのかii もし万博を延期するのならば 取水源(オピニオンなんて要らない)ii 〈きれいな政治〉だけではダメなのだ NHKの存在意義 一枚の写真 不謹慎かもしれないが 個人ボランティア出動 発災後の道路渋滞 雑 1月28日14時現在 NHK金沢局の不適切な報道(慌てて読み違えて勘違いしたことの訂正版)増補(食事のクーポン配布はできないのか、二次避難所の息抜き利用はどうか)→そもそもの大問題に気が付いたiv 初動についての情報 1.5次避難所の活用ii DMAT いまさらながら二次避難の基礎知識と基本的疑問iii いしる(いわし) 山本太郎・これ以上災害を食い物にするな もう一度だけ初動について いしり(いか)iii(産地訂正) never ending 言いがかり 水 死因 耐震管率 過疎・孤立・高齢空間のミニマルでコンパクトな強靭化と再生 客観的報道なのか?(思い出した、これもインチキだ)iii 二次避難と仕事 自衛隊方面隊総監と大震災 そんな噂は存在するのか ローカル放送の矜持 原状回復と強靭化 半島の北と西(門前町黒島町の隆起) あらためて正月元日に起きたことについて 地元を離れないこと いしる(いか) 本当にきりがない(道路啓開計画の件ふたたび、日本海側のことなど誰も考えて来なかったのだと何度言ったらわかるのか) もう一度強調するが、これは天災である。皆油断していたのだ(昨年5月の能登地震後の専門家のコメント) ウンザリであるii 滅びろクソNHK!ii 総務省の勧告についてiii(マスコミの不見識)iii NHK本来の良質な報道 安直な災害報道はいますぐやめてほしい 黒部市のために 隆起の3Dマッピング(『日経新聞』)=前代未聞の地震 道路舗装会社 未曽有の災害 統合任務部隊の解消 2月2日14時現在 樹枝状配管 時国家はどうなっているのだろうii よしる(いわし) 奥能登の耐震適合率 偽情報問題 隆起の3Dモデル(『読売新聞』)=とてつもない地震 魚醤製造所の被災ii いろいろ補足 立民は杉尾代議士とそのお仲間の災害救助の妨害をいつまで黙認するつもりなのだろうかii もう一度初動について(『時事通信』のすぐれた記事)ii 偽情報問題(本当に恥ずかしいNHK) 「みなし仮設」のご苦労 二次避難所の期限(最低水道が復旧するまででなければおかしい) 防災連携機関 後衛の位置から 初動に関する重要な情報(『読売新聞』) 2月5日14時 雑iv 能登半島の形成(NHK科学班の出番) ケンリョクカンシという妄念の失敗ii 国道249号の啓開の困難 衆愚のさえずり 生計の問題 「くしの歯」作戦再考ii アエラを心から憐れもう 〈とくし丸〉の活躍 2月7日14時現在 能登半島の西と北(科学啓蒙書は何を語ってきたか)iv シェアキッチン 逐次投入の正当性 東松山方式 「くしの歯」作戦iii ライフラインが完全復旧する前に避難所を縮小するのならば 雑 能登半島の北と西(気象庁の新情報) もう一度デマ問題 「忘れられた被災者」問題iii 雑 2月9日14時現在 雑 もう一度情報の集約と共有について またもう一度初動について ARROWS 断水問題(氷見市) 能登半島の形成(島?)ii 通水状況 在宅避難/二次避難ii 疑問(能登の地震と中越の地震) 雑 あえのこと 発災直後を振り返る(貴重な映像記録)iv 1月前半の道路復旧(ダンプ乗りの貢献) 消防団の活動(門前町)v 集団移住? 「現代集落」化? 地震学者や防災学者は本当に信用できるのか?vi 地震予測(防災対策)を改定する契機とは何か?ii 「避難所ガチャ」問題再びiii 全国地震動調査及び防災計画の意味あるいは無意味(邑知潟断層帯について) 民生委員 消防・警察の初動(youtube、特に兵庫県警公式チャンネル) 正直な防災論議を!ii 雑iii 防災学に権威など要らない! 発災直後の渋滞 2月15日14時現在 珠洲の警察の初動 反省 おやき・とくし丸・スターリンク 海域断層評価 加賀の温泉に行こう 石川県が防災計画を改定していたら被害は少なかったはずだという妄説に駁す 日本海の開裂と能登半島の形成 雑 道路・上水道の復旧状況 避難所の進化 宇宙開発と防災 雑 補訂 下水道 雑ii 簡単な言葉 ボランティアのプロとアマ? 下水道被害の情報と比較 阪神淡路大震災以後30年の災害救援 給水車 喪失感 避難所運営と女性iii(補正) 災害とデジタル化(加賀市の貢献) 継ぐもののためにiii 石川県の防災計画問題再論 いまさらながら地震に関する当たり前のことと不可解なことii 人手不足・人件費 振り出しに戻るiv 道路の強靭化 重機ボランティア テント型シャワーii 国交省の津波対策 2月22日14時現在 広域避難所とは もう一度情報の集約と共有について 新たな局面へ 住民の不安 大局の整理が必要ではないか 作業時間の問題 政府の新たな支援策 雑ii ライフラインが復旧するまでは救援の局面は終わらない 日建連北陸支部の貢献 災害対応のデジタル化(AI防災) 水なしのトイレ! 時間をかけた検証? 〈地理的条件は勿論〉?ii 何故この地震が天災であることをいまだに認めようとしないのか 雑 加賀温泉に行こう 2月26日14時現在 雑 能登半島の将来像(厳しい状況) エッセンシャルワーカー(ケアマネージャー)の献身 地元議員の馳知事の初動に対する批判 いろいろ 日本の真ん中・東日本と西日本の間(『日経サイエンス』の特集を読んで思ったこと) 享保14年の能登地震に関する愚考iii(訂正iv) 一部損壊ii 地元の救援者たち・個別の支援・SNS 道路啓開計画問題再び・併せて災害関連死問題もv いまさら素朴な疑問iii 享保14年の「山崩」箇所は31箇所であり1731個所ではない(訂正) 狼煙漁港 この地震はやはり想定外である 高岡 1月1日の輪島の火災と消防団 メディアの不公正は終わらないiii 液状化問題 一次避難所とはii 相変わらずのNHKii 公共的情報に関する私の見解 石川県はボランティアを冷遇したのか/あるいは石川県のボランティア対応は間違っていたのか 災害ケースマネージメント 山本太郎代議士の弁明についてiv 復旧の長期戦と復興の未来の困難 いろいろな支援 識者は過去の経験から能登大震災を論評するのでなく能登大震災の経験から過去の常識や固定観念を再検討してみるべきなのではないかii 自主避難所ii いろいろ 山本太郎代議士の不毛な主張 懐疑 対立 復興に向けて 追加情報(災害関連死の検証ii[在宅の要介護者の「生活不活発病」] 発災当初の穴水ii 農業の復興 避難所の食事の記録・仮設住宅以後 神社の被災) 〈何も変わらない〉風景の背景に関する愚考 復興のスピード?(全面的再構築の困難)ii 検証? 相変わらずのNHK 記録と記憶 最後の愚考(2024年3月10日) 大事なつけたり メモ(TMAT 災害廃棄物 公費解体・二次避難 復興の時間 《連携》) 本当にひどいメディアたち(『東京新聞』はやはり新聞モドキである) 少し前向きな知らせ(のと里山海道、舳倉屋の「いしる」) メモ(広域避難所 珠洲の消防の初動、金沢市における二次避難) 高慢で役立たずのNHKiii 最後はもう一度前向きにii もう一言ii さらにもう一言二言(珠洲原発反対運動の正しさ ローカルな連携) お風呂で考えたことiii メモ(1月2日のおにぎり、発災直後のボランティアの活動、輪島港の浚渫、農業被害、高知放送の取材 湧水 あつまらんけーのと) 〈被災地の声〉なるものが常に正しいとは限らない メモ(輪島の食文化の継承、中能登町の道の駅、能登町のいしり 復興に関する懸念iv 避難所の卒業式〈産経ニュース〉iii(松波小学校・松波酒造)、図式的人間的思考の限界、国民的課題、アーカイブス、「くしの歯作戦」の限界、だまされないように、地元ボランティア、能登の雑貨屋ii、離水面の生態、〈内外〉の〈連携〉・本当に忘れられていることv、輪島市の備蓄ii、外浦の漁業はどうなるのかii 《司令部》の問題iv 国道249号輪島―門前間の現状iii 駄弁 もう一つだけiv 最後に宇出津の魚屋さん、百年の計、コミュニティという問題、能登鹿島駅の復旧工事・イルカの群れ、七浦、富来、物流その他、またNHK…iii+巧妙なネガキャンか、最後にまたアレコレv) 情報・ネット・新聞 もう一度ボランティア至上主義への疑問ii 地理的表示保護制度に能登いしり・いしるを登録 被災者による地域サポート 小学生のメッセージ 瓦礫問題の整理(東日本大震災との違い) 〈社会〉主義 中能登と奥能登ii ボランティアと復旧 つながり ARROWSの医療支援の終了 その他の救援の終了 生活・生業の再建=長期戦 もう一度ボランティア問題についてiii 巨大ラウンドアバウト 災害関連死・二次避難 自治体の責任 道路の修復 解体・撤去の本格化 取り残された場所(輪島と門前のあいだ) 共同通信の浅薄な地震比較(読売も)vii 家と町 新聞批評v 似ているけれど違う 動画配信者の情報とマスメディアの情報の補完 残念なこと 度し難いマスコミ病v 本当にボランティアは足りていないのかii 本当にひどくないか 〈七尾モデル〉 防犯 適正規模 耐震化 それはアリなのか? 七尾市中島 一番大変な問題 4月2日14時現在 現地の思いiv 具体的な情報ii 見なし仮設の困難 若年層の動き 富来―中島ライン かみほとけ やはり道路と水道が鍵なのだii 《自然》の災害・土地と人 また初動問題 避難所の国際基準 またネットの愚民たちがiv 思い付きiii 隆起・津波・過疎高齢化・伝統木造家屋ii 念の為 移動販売車と仮設住宅ii スピード感?ii 熊本と能登のボランティア活動者数の比較(輪島と珠洲の比較) 松波の魚屋さん 再び二次避難所における食事提供問題についてiii 情緒ではなく 能登の焼酎 避難所問題 住民と行政 マスメディアの責任 松波漁港(競り場の廃止) 自費解体ii やはり能登の公費解体は遅れていない(熊本地震との比較)し、決して見捨てられてなどいない。 〈司令部〉―情報の集約と共有 宇出津のスーパー 災害ボランティア 輪島の移動スーパー 発災時の情報源問題 松波酒造のその後 穴水の介護施設のベトナム人職員の帰国 二次避難者とボランティア 能登鹿島駅の桜の映像を見ながら 集約化・コンパクト化 少しずつ もう一度能登大震災と他の大震災の違い 一歩ずつ 携帯会社の貢献 過去を美化して悦にいる人間たちに災害を語らせるのはぼちぼちやめにしたらどうだろうii 能登大震災について語る人は必ずまずグーグルアースを参照しようii サザエ サイボウズによる災害支援 もう一度、この地震はあくまで天災であって人災ではないii 公費解体の長期戦ii 羽咋市とボランティア 福祉施設の職員不足 珠洲神社のコンサート(神仏混淆) 珠洲の若者たちのアピール サザエ 門前における自衛隊入浴支援の終了 金沢に避難中の輪島の漁師 不在者とボランティア 避難者数 道路の応急工事の終了 地震のエネルギーと仕事 酒造りと災害ボランティア team Japan 石川モデルの低調 高齢者福祉施設 災害とシェアリング 宇出津の大敷網の重要性 海女の漁具 何度でも繰り返すが政令都市熊本(や政令都市仙台)と奥能登の市町を同列に論じる神経が私には全く理解できない 建築基準法85条4項について知りたいこと(高齢者のために) 若い人のためのデザイン 能登の義経伝説 港の復旧・道路の復旧・改めて地震の猛威 零細事業者へのリーチ不足 珠洲の井戸水 公費解体の停滞・仕組みの更新はできないのか 消滅可能性自治体の大震災・今回の地震は過去の地震とは全く違うのだ 現代人にとっての水道の不可欠・今回の地震は過去の地震とは全く違うのだiii 最後の砦 再建意欲の低下・コンパクトな強靭化 圃場と用水の全面的再構築・国家的プロジェクトを 若者の志 上からやるべきこともあるのでは 被災のマッピングiv 電柱 ARROWSのベースキャンプの撤収 ポジティブな締め 「変わらない風景」についてもう一度だけ強調しておきたいこと 正院・蛸島の現状iii 門前のボランティア(熊本との不適切な比較)ii 騙されないようにiii 関係者不在問題・宿泊場所問題 依然インフラとライフラインの復旧が優先課題であり続ける 小木港の現状 宿泊所問題再び ボランティアを軽視した行政のせいで復旧が遅れたという主張に反論しているだけである 通常を求める・通常に向かう動き これがジャーナリストの現地報告なのか?ii 輪島市民の不信感v 具体性と全体像 公費解体の〈遅さ〉報道 災害ごみ処理の現状は? 来るべき〈防災庁〉のために 建築家の出番・復興空間のための復興住宅の博覧会を 過疎高齢空間の一つの可能性 「創造的復興」の一つの軸 どうして地理的条件をかくも軽視するのか(ジャーナリズムってなんだ+経験豊富なボランティアの無理解と悪影響) 馬緤地区の避難所の現状(自給自足問題) 輪島市街地の問題ii 地震の経験を語りたいなら客観的・具体的に語ってほしい 人それぞれ(寄りそう?) ウンザリである 能登町の全面通水・大阪市水道局と京都市水道局・半島の手前から時間はかかっているが着実に復旧しているということだ 志賀町の工業団地 物流の再構築と移動スーパー 疑問はないわけではない この四か月を振り返るii 輪島の山間地(三井) iii 地元愛・外部支援・空き家 「見捨てられた」と叫ぶ前に 東日本大震災の経験者が語るべきこと 地震の恐怖 思い付き・休日市民のためのコテージii 珠洲市長のメッセージ ボランティア諸団体の連携 宝立町鵜飼・春日野 緊急解体(水道工事と倒壊家屋・私的所有権と公益) 宇出津の信用金庫・中小事業者の支援 何度でも繰り返す・「くしの歯作戦」は万能薬ではない 公費解体の全権を上物の固定資産税納入者に委ねる立法は不可能なのか 宇出津のイカ加工会社の倒産 加越能 〈がんばろう能登〉 宇出津の営農・国土の問題 能登大震災と熊本地震の住家被害の比較 全国建設業協会によるまとめ 鵜飼港の復旧などii 蛸島漁港 浅海底調査 さいはて蒸留所 災害関連死申請審査iii→みなし仮設の現状は?/帰宅者の自宅の状況は? 珠洲の水道管被害 珠洲の事業所の困難 馬緤のキリコ太鼓 二地域居住制度 能登を考えることは日本を考えること 補助制度 この未曽有の地震の破壊力 地籍調査 災害関連死審査ii 縁起担ぎ(倒れないこと) 輪島港の浚渫作業 珠洲の事業所の困難 漁業地域復旧・復興技術検討会 よくない言葉遣いのお詫び 富山湾の海底の破壊(ベニズワイガニの不漁) 自衛隊の支援 一次産業・先端技術・子供 共感できること・不可解なこと 事業所の廃業 生活の基本 輪島−新幹線−東京 狼煙漁港の浚渫開始 復旧の現状 応援したくなることと不可解なこと 能登高校書道部 蛸島の漁業 門前―富来(土砂崩れ) ボランティア数の検討(更新) ことには順序がある 町はずれの仮設住宅の問題 モバイルハウス ベテラン・ボランティアの不見識ii 復興不要論再燃と諦念に抗して 隆起海岸の海藻 七尾県 思い込みを超えて 東日本大震災と能登の大地震が如何に違うかをもう一度確認しておく 土砂災害も比べておこう 見捨てられたとか、取り残されたとかいう言葉は禁句にしたほうがよいii 輪島の焼け跡ii 外浦の漁師 〈創造的〉復興私案? 宇出津港で水があふれている 初動の再検討 発災前からの困難 奥能登のトリアージは必要か これは人災であるiv アーカイブ 希望はあると信じたい やはり宿泊場所が問題なのだiii 宅地内配管修理進行中 奥能登という〈島〉は〈外浦〉側が上がり〈内浦〉側が沈んだということか 全体像を意識しようii 耐震化がなされ精力的に復旧を進めてきた恵寿総合病院でさえいまだに工事中なのだ 〈孤独〉〈リロケーションダメージ〉〈ごちゃまるクリニック〉〈集会所〉〈居場所〉 ボランティアについて語る人が根本的に間違っていること すず駅のコンサート 法務省への一面的非難の撤回ii 体育館で運動会 JMATの支援終了 珠洲の廃棄場所 田植え 復旧困難地域を除く基幹管路の断水解消 政府もボランティアも東日本大震災で時間が止まっているのではないか 宇出津の解体作業 自然の再生 穴水の状況 生存維持・生活再建・産業復興 いまだに大平野・大都市と奥能登を安直に比較するメディアの不見識はなんとかならないのか メディアの論調は世間が望んだものなのか 真浦町の山崩 群発地震期は続いているのか?(コンパクトな強靭化の意義) こんな地震かつてあっただろうか(東日本大震災時の連動型地震とも別であろう) 能登の大地震は東日本大震災のオマケではない 住民集会 金沢港の被災(この地震の破壊力たるや) 公費解体と所有者の再建の意志 流体 つながり 泊まるところ 能登の地震について考えるときに東日本大震災は忘れようiv 〈能登いいわいね 海あるし〉ii 言葉遣いの問題2 『能登乃國百年之計』のアンケート・能登への思い(人を育む力)iv(地球史のなかの能登) 珠洲の更地 見守り 小木沿岸の崩落 小木港からスルメイカ漁船出港! 馬鹿サヨたちの唄ii この地震の固有の過酷さ 生存維持支援 姫漁港からもイカ釣り船出港 分散・集中・持続 改めて奥能登の住宅被害を考える この地震たるや これが今の能登か 地理学の役割 迷いの時間 宇出津〈漁港・鮮魚店・鍛冶屋〉 能登の発酵文化 インフラ&ライフライン・生存維持支援・生活再建・産業復興・創造的再生の長期戦とその支援 動いていない現場? 外浦の漁港の復旧方法 宇出津港の沈降? 能登の〈ようこそ〉?ii 「ごちゃまぜ」施設 住民集会 住まう(住み続ける)こと 順番にことは始まるが順番にことが終わるわけではない 何をいまさらii 国家査定 岡山の農機具メーカー 中学卒業見込み者の2割減 ラジオ体操はもう流行らないのか(集会所で涼もう) コンサルタントってなんだ? 夏に向けて記憶と気持ちをつなぐ 復興の速度(難問) 外浦と内浦(能登の地震の固有性)ii 家屋雑考ii これはいけないii 官民連携ii なぜ防災庁をつくらないのか 要らないもの もっとよいやり方?iii 被災地内ボランティア 北陸の建築のために はてさてこれからも一か月ごとにこんな見出しを繰り返すのだろうか 被災地の感情・メディアの役割 輪島の炊き出しの終了 冷静な報道iii 珠洲市の洋菓子屋さん 何故復旧・復興が進まないのかーそれはこの地震が能登の土地を徹底的に破壊したからであるーそのことを決して語ろうとしないメディアもジャーナリストも学者も存在意義はない このあまりにもバカバカしいこと(『ガイアの夜明け』必見) 能登の小学生の夢(テレビ金沢)これも必見 過去の地震の経験に正しく学ぶ(石川テレビ)これも必見 行政の杓子定規・似非災害学者・田舎者根性 事業所を閉じること 輪島沖海底の泡 能登町小木のいしり生産の再開!! 公費解体を加速するために成すべきことはわかっているのだからそれに全力をそそぐべきだ 祭りの始まりii お風呂・ラジオ体操・テレビの出番ほか 「こんな時こそ祭りやらんとね」 集団移住 少しずつ一歩ずつ 「報道」と書いて〈れっかしたじょうほう〉と読むのだろうか?iv のとじま水族館営業再開 情報を隅々まで行き届かせることの難しさ 「風景が変わらない」理由 この地震の復旧過程について考えるとき東日本大震災や熊本地震のことはすっかり忘れよう(個別的対策で有益なものは勿論参照すべきだが) 限界集落の自然消滅(きわめて重要な話。MRO北陸放送) この地震への対応を悲憤慷慨する者たちが一人として信用できないのは残念なのか当然なのか あばれ祭りでよかったiii 大谷地区の仮設住宅建設開始 社協ボランティアの動向 半年間の道路啓開をふりかえる 地区のつながり 見なし仮設で孤立しているかもしれない人のために 漁港の仮復旧 羽咋の重要性 あばれ祭りと女性 NHKの災害報道の低水準xiii(受信料をすぐに返せ!)→もっと科学解説を・有益な番組もあった ずれ動き方の異なる断層? ステルスと発酵 宇出津新港(廃棄物の海上輸送) 日本の災害支援体系全体の見直し 災害対策庁 想定外は禁句か 斜面崩壊 災害対応の抜本的見直しの必要性 あばれ祭りと女性・その他 あばれ祭りだけではない のと里山海道の段差・作業員&運転手の労働環境・珠洲市野々江〜正院の舗装・災害ごみ処理 休眠キリコの復活 〈若年〉労働力 もう一度あばれ祭りにおける女性の存在感について 「まけとられん能登」 災害公営住宅 闇を照らす光 明るさの裏 マスメディアの使命 食う寝るところ住むところ 情報の整合性 馬緤の現状 公費解体雑考 飯田のお祭り:未来につなぐ:奥能登の祭りの可能性ii 豆腐の移動販売車 富来のスーパー お墓の修復 無意味な検証ii 下衆の勘繰り ビッグデータ 東日本・熊本・能登 相変わらずひどいNHKの災害報道 仮設住宅の共住性 避難所生活を続ける理由 頭を冷やして考え直してみたがやはりNHKに受信料を強制徴収する資格はないと思う 能登から日本の水産業の危機を考える 公費解体の展望 門前の仮設住宅の小さな図書館(本の力) 舳倉屋のいしる製品販売再開 能登の水産業・水産加工業を支える東南アジア人実習生 「やわやわ」としかし前向きに怠りなく・マスメディアの役割 『読売』も少しオカシイ 馬鹿サヨも阿保ウヨも要らない 神輿を壊すことii 底辺メディア連鎖iv 全国管工事業協同組合連合会 本当に大事なことii 福祉人材(復興と共生あるいは伝統と継承の意味と可能性) 避難所と仮設住宅 飯田港始動 七尾市長は謝罪すべきでは?(対応済) 仮設住宅完成の遅れの肯定的側面 正院の子供消防団の見回り 輪島市町野のデーサービス再開 災害関連死 悲憤郊外でなく客観的で全体的な認識を! 金沢片町での二次避難(能登の将来への悲観) 金沢での被災者の合同就職相談会(能登に仕事がないこと) 白山市の見なし仮設に住む能登の人の交流イベント 仮設住宅用地の災害リスク 集団移転 〈本当〉の声 お寺の修復 政府に責任があるとしたら及び現場主義批判 珠洲の世帯調査 いまさらながら一つ気が付いたii 人口流失状況 ビニールハウス 仮設住宅の展望 現場主義の問題再論iv 災害対策庁を何故つくらないのか 幹線道路の復旧=長期戦(前向きに) 『SmartFlash』の不可解な情報(石川県のメディアは是非事実を確認してほしい)iii 石崎奉灯祭と女性 普通の人の普通の声のために 公費解体は順調である(前向きに考えよう) 防災学術連携体報告会(業者という重要なアクターを防災学が視野に入れていないことは大きな問題ではないか)iii 避難所 輪島市の動き(仮設商店街、緊急通報システム) 金沢以南での(災害廃棄物処理 東日本大震災の際の対応が能登地震の対策のお手本になるという発想は捨てるべきだ 一般的秘訣 防災学術連携体報告会への要望(補足) 国家やプロ集団に頼らないことを良しとする理念に防災学が縛られているとしたら私はそんな防災学は迷惑だと思う 家持の時代 揺れの長さ コミュニティ・伝統・祭りの現在 レイワの面々にも困ったものだ(確かに政府も問題だが) 復旧の全面展開の遅れ 発災当初一般ボランティアが軽視されたわけではないことについて 小木カネイシの被災と復旧 具体的なプロセスを踏まえて 全面的破壊 作業員の待遇ii 能登観光の模索 中央のメディアはもう能登の復興について語る必要はない 日帰りツアー どうしてもっと前向きにプラグマティックに考えていかないのか 馬緤の砂取節祭り 避難者数(8月13日現在) これほど好き勝手に政治利用された災害がかつてあったのだろうか 仮設商店街オープン ともしび 山間地の農業ii 天領黒島 見なし仮設居住者の意向調査(応相談であることを強調すべきでは) 曽々木大祭(新しいかたち) あらためて頑張ろう能登iv(それぞれの祈り) 志賀町のホームセンター 珠洲市若山町の「断層壁」
災害の復旧・復興で最も重要な存在は自衛隊でも行政でもボランティアでもなく、工事の業者と作業員なのに誰も(メディアも防災学者たちも)それをきちんと語らず問題が蓄積されているiii
即天去私v
公費解体の加速化の失敗=相当深刻な問題である=やはり業者と作業員の問題こそが復興の要である 翻って1月の避難はどうあるべきだったのか? 町野の料理人 鹿磯漁港 カブトムシ 底辺メディア中の底辺 あらためて能登地震の復旧過程の特異性 広域的災害廃棄物処理 輪島大祭 「防災監」 能登の多様性(富来八朔祭礼) 地球史のなかの能登地震 能登地震の特異性 道路の本格復旧(夜間工事) ペンギン 立替払い自費解体(むしろ行政手続きの簡略化をはかるべきなのではないか) 能登の漁港・漁業の状況ii (ブロック化、脱漁業化?) 自然と人間 輪島の有効求人倍率 公共交通網 避難所終了の見通しii 社協ボランティアの縮小傾向 歴史的記憶を超えた災害 交通の軸の仮復旧ようやく終了 漁港の仮復旧工事の現状 自衛隊の災害派遣の終了(8か月、延べ114万人) 子供の代弁者? 被災地映像のアーカイブ化 輪島市街地のレストラン紹介 能登の観光資源の状況
問題の根本としての耐震化―それに関する重要情報(日経新聞、必見)
石破代議士にも困ったものだ 門前の公費解体状況iii 営業再開の動きiii 首尾一貫して本当に恥ずかしい東京新聞(ほかにも似たり寄ったりのところもあるが)iv 伝統産業の苦境 珠洲市の一報告iv(更地の固定資産税問題iii―大きな訂正あり) 仮設・更地・再建をめぐる不安 自衛隊活動終了式(心からの敬意を) 寺家の漁師の憤懣iii(誤解があるのでは?) 更地の将来ii 日常としての祭り 人口流出に抗するためにii 輪島市本町九区のキリコ 私は性格が悪いv(含む更地問題) 被災地観光の問題点(モニターツアー開始) 地下の破壊(能登地震は他の地震とは違うのだ)(門前の小学生たちを応援しよう)ii 2024年9月4日の状況 〈変わらない風景〉認識の持続の問題 仮設の困難への対応(当面の課題) 水道の早期復旧困難地区(やや不可解)iv(ジャーナリズムの文法を見直すべきとき) お風呂の重要性 もう一度〈変わらない風景〉について 災害関連死 七尾側の沈下 F目のタコ漁・大谷の避難所 応急危険度判定 ボランティア問題再び コンパクトでわかりやすくバランスのとれた報道 作業員の宿舎 公費解体は進んでいないのか(景色は確かに変わりつつあるようだ)ii 門前―輪島をつなぐ 能登半島地震フォトグラメトリ・マップーこの地震の凄まじさ 珠洲のコワーキングスペース 町野の古代米アートii この項終了viii(いろいろ、最後に国〈とくに環境省〉の責任を強調する) もう一言だけ(『東京新聞』はすぐに廃刊するか、最低でもこれ以上能登の事は語るな。) もう三つ(初動の検証 官民連携 半年間のプロセスの整理ii) もう一点だけ(瓦礫に関する誤解ー想定外の災害に備える) 本当に最後(地方民放の力―福岡と能登)ii 大事なことなのでもう一つ(観光問題) ホントにもう一つ(発災時の渋滞問題)ii 瓦礫の道をキリコが行くiii つけたり(避難所とLGBT運動)iv もっと大事なこと(更地問題iii、報道の意義)
輪島に線状降水帯...iii 迷うことなく防災庁あるいは防災省を設置せよii 被害のマッピングをiii 海と山(新しい能登のための超長期戦)iv 作業員軽視を改めよiii 豪雨被害iv NHKの災害情報マップ(こういうものをもっと一般化すべき)ii 避難所再構築・作業員宿舎は大丈夫か・幹線道路の問題 微地形愚考 里山里海はどうなるのか 絶対許せない人たち 奥能登の平地 二つの人災主義 豪雨と大地震 スターリンク 外浦の土砂災害ii 宇出津港沿岸の冠水 ラサール石井さん能登について語らないで下さい(いまさらながら『日刊ゲンダイ』も『SmartFLASH』も、識者もまあ) 立憲民主党が政権を取りたいなら災害対応について補正予算が予備費より優れていることをきちんと説明してください 豪雨被害=地震被害 客観的情報の共有 地元業者の人手不足 末端の道路状況ii 新米の浸水被害 谷地の河川の危険性(町野町)―微地形の問題ii―地震による河道埋塞の影響ii 馬緤のレポート 1月との違い 流木 金輪際他の地震を引き合いにだすことを止めよう 金沢の空気? 防災庁/防災省の必要性ii NHKの役割 町野の炊き出し 補正予算とスピード感(クズメディアの判定法) 山間盆地の洪水被害 due
process 工学的適応 もっと地形図を 災害のミクロな空間的把握ii 能登の漁業 賞味期限ぎりぎりの水はゴミではないと思う 人災なのか もう一度だけ、災害の政治利用はやめよ 防災庁の必要性 アジア防災共同体 洪水についての誤解の訂正 可動橋 輪島の冠水範囲 珠洲市上戸の被害ii 被災状況の情報共有(プロ・ボランティアの機動力) ノイズ その時が来ることを 〈重ねるハザードマップ〉の限界ii 大谷は終わらない 上戸の仮設団地はどのように浸水したのか
予備費を使うことで本当に復旧は遅れたのか(金子恵美氏の見解に関係者はきちんと答えてほしい)
小川の氾濫:〈防災〉学の役割とは?ii(科学的検証は後回しでよい)
新聞さん達も災害の政治利用は本当にやめてくれないか
どうして次に大雨が能登を襲ったときのことを誰も語らないのか?
小ネタ
石川県は公費解体の完了数とその推移についてもう少し整理して発表してほしい
神仏 故郷 危機感 断水状況 孤立空間のオフグリッド化
何故地理的条件やハザードマップの失敗を無視し続けるのか・豪雨による斜面崩壊は地震と関係があるのかないのか・流木の脅威をもっと強調すべきでは
もう一度問う、岸田政権が予備費で災害に対応したから復旧が遅れたのか?
敢えて素人の浅知恵を述べてみる
何度でも言う、メディアさん、正義漢面して災害をもてあそぶのはすぐやめてください(ダイアモンド様)
道が川になる 伊賀集団
大谷と仁江のレポート 門前の洪水被害(道路と豪雨) 輪島の水害
メディアの巧妙な不誠実 なんだこのマッチポンプは?(うそつけ!)
氾濫の始点(内浦と外浦の違い?)ii 震災を振り返り未来を思うii
現場の怒り 輪島消防署一帯の冠水 輪島市街地西方水守山の倒木ii(応急工事済)
奥能登の〈僻地性〉を考慮せよii(業者の移動費600億円、奥能登流二拠点生活)
外浦の漁港の再建(関東大震災後の房総半島南端の経験に学べないか)
私は今回の能登地震を通して専門家のコメントというものを簡単に信じることができなくなった(文系も理系も技術系も問わない)iii
欺瞞の党、立憲民主党を絶対に許すな!iv(立民を全否定すべき客観的理由)
9月の公費解体(加速化の失敗。このままではいけない)ii
不可解な馳知事批判ii(懲りないメディアたち)
あばれ祭りと女性
政治や政治家について語っている場合なのか(斜面崩壊、倒木、河川)
未来像
不可解
この地震の最大の教訓(基礎自治体の限界、人災とは、危機感とは、信頼関係、具体的情報の共有) 祭りをつなぐ意味ii
想定外はある 祭りの広域性
不毛な批判はやめようii 建設的なアイディア(一つの気がかり)、砂防ダム、オフグリッド、事業・産業の持続 公費解体に時間がかかる理由の一つ 門前の小学校 ハザードマップ・洪水浸水想定地図・それ以外の小河川 予備費と補正予算 中小河川・低地・橋・流木・土砂
事業所への公的支援 〈自然〉災害からの復興 新聞報道の黄昏(簡単なこと)
残念なこと(いろは書店REBORNプロジェクトの変質?)
輪島港の復旧は加速できないのか?→物揚げ場の仮復旧完了ii 能登の災害の特異性と一般性 海底の破壊 珠洲蛸島の浸水(ここも完全ノーマークである)
災害報道と防災学の根本的刷新が必要なのではないか 曽々木海岸の啓開(メディアは現場の努力をもっと伝えるべきではないか) 石川三区 「防災庁」についての私見 輪島港の漁業再開 初動の検証について ひろゆきさん 石川三区2 朗報(輪島港で水揚げ)ii 失望と諦念 もう一度祭りについてii 土地勘 避難所 脱情緒主義→あれこれ ジオラマの意義 砂防堰堤 集団移住〈案〉の再検討 民間企業の被災地支援
公費解体の加速化の成功―更地問題とブルーシート問題がこれからの課題である。
分散的能登:それぞれの現況 目前の〈目標〉は何か 大規模総合防災訓練(国家存立の要) 輪島港・蛸島漁港・総持寺商店街の復活 災害ボランティアの諸相ii すずバス:珠洲市の先進性 防災無線の件(何故テレビの役割を問わないのか) ボランティア数の推移ii 補正予算 いろいろな動き 科学の子 災害廃棄物 輪島市街地の暗さ? 大谷の自衛隊風呂 宇出津港のブリ 人とコンクリート 憂鬱(ベトナム人の火事場泥棒・本当に有害なTBS報道特集) 作業員の宿舎 外浦の活路(オフグリッドと国土) また見捨てられた論(珠洲市大谷)―石川県の民放の情報の重要性 中央の災害報道は本当に酷い 能登半島地震の復旧に時間がかかっていることの諸要因を整理しなおしておく→追加一項目ii あいかわらず 半島の北と西 小人口世界の価値 被災地の政治 本格復旧 自然地理学の意義 デジタルアーカイブ 人口減 被災地の政治利用は続く 縁の下の力持ち 漫画家とエコノミストの不見識 馬緤の災害公営住宅 デジタル観光マップ 七尾の漁業と和倉温泉 あえのこと
11月も公費解体は加速した。補正予算を組む前であり、かつ豪雨災害に人手を割いたにもかかわらずである。
おそらく震度だけの問題ではない 仮設住宅のためのコミュニティセンター 能登の信用金庫の連携 〈あつまらんけーのと〉など 普通の報道のために 作業員の安全
本当に残念なこと(門前高校の校舎の基礎の損壊)ii 共同通信のアンケート 豪雨災害後の海岸の惨状(流木と土砂) 広域避難作戦の評価(今後のために) 馬緤の避難所の閉鎖 能登にレイワは要らない→少し反省 加越能の文化交流:獅子舞 スルメイカ不漁 広域避難作戦の評価その2 もう一度言うが、中央のテレビの水準の低さは目に余るiii(この地震の特異性と恐怖 エコマルキストの虚妄)
中央の文化人・経済エコノミストさんたちへ、あなた方は悪の中の悪、愚のなかの愚です。
何故メディアはこの地震が東日本大震災とは全く違うタイプの地震であることが認識できないのか。 中央以外でも中京地区の民放のレベルが低い印象を受ける(被災者の政治利用という狡知) 私はただメディアに大事なことを普通に語ってほしいだけなのだ この地震の凄まじさ 〈直しても直しても終わらない〉 客観性を装ったメディアの醜い〈自己正当化〉(NHK)
各漁港の現状(もっと詳しい情報を) 珠洲の洋菓子屋さん 復旧の進んでいるところ・遅れているところ 平穏な正月元日(いろいろ) 二日(いろいろ続き) 正月から性格の悪い私 報道のあるべき姿とは何か 一部の左派リベラル系ボランティア団体とその支持者による行政の災害対応の歪曲の継続 この地震の不幸 嗤うしかない芸能界の左傾ぶり 憶測ii 人口流出の実態とコンパクト化
付記 運命共同体としてのアジア(地震と台風) ベトナムの状況 豪雨と土砂:人類的課題(山形、能登、カオバン〈ベトナム〉、ヴァレンシア)→ヌー村の移住集落の完成
1月26日-29日最後の雑記iv 3月14日・15日ii・16日ii・18日・19日ii 同性婚問題(いまは丁寧に考える気力なし)+αiii(考え方の一般的整理)vi 突然だが平等についてvi 20日・26日〈道徳主義〉的批判のバカバカしさii (23日備忘) 29日 継ぐことの難しさiii 30日 馬脚を現した元明石市長・毎度おなじみの貧困化詐欺 グローバリズムと舶来信仰iii 31日・4月3日 雑感iv 15日・17日・25日アベノミクス再考v 21日すべてをSNSに帰責するのは馬鹿げている 24日・25日 社会の刷新は可能かii 5月6日同性婚に関するメモ 14日・15日それでも進歩のために(〈三角関数〉問題)18日ii思い付き(単独者・〈批評〉・〈人権〉) 裏金問題 19日iii 出生率 グローバリズム 22日あれこれiii(性的不合への疑義まとめ) 26日〈幸せが増える〉だとさ 30日ii大英帝国の黄昏(今更か)31日再確認 6月2日同性婚と婚姻数(台湾) 2日ii・5日親ガチャ論の大問題 5日東日本と西日本(合計特殊出生率) 5日・6日・9日 タイの性的自由ii 9日iiiグローバル化って? オープンな世界のためにii 東大の男女比問題 11日財界の勘違い 12日オランダですら 13日草津冤罪事件について絶対忘れてはならないこと 26日最高裁が決めてよいことは何か 27日虎の威を借るなんとやら 30日馬鹿サヨさんたちが幸せだったころ 7月1日若干の補足 7月10日 裁判所の暴走―司法は死んだ 左派ポピュリズム幻想の成功? 7月13日裁判所がやってよいことと悪いことの再整理が必要ではないか 7月20日-8月2日教条主義的ブームのバカバカしさx-しかもルールに則った対応でもない‐解せない話v 7月23日・26日弥助問題ii 27日馬鹿サヨたちが幸せだったころはきちんと否定された 28日-30日パリ五輪開会式―所詮LGBT運動などというものが欧米キリスト教世界の内輪もめに過ぎないという感を強くするiv☞30日・31日v開会式の全体的評価のようなこと→8月2日生物学的ノンバイナリーvi(コミュニティノートの意義)→3日性的少数者(LGBTの欺瞞)4日露呈したLGBT運動の限界 5日リベラル学者の硬直 7日ゼロ金利離脱にかかわるメモ 8日オリンピック雑感 11日書かずもがな 11日iiあてずっぽう 12日間の抜けた話 15日・16日岸田政権期を少しだけ振り返るii(大きな訂正19日) 17日iii岸田政権は安倍政権の負の遺産の整理に追われたのかii 階級闘争史観の出がらし そんな手はもう通用しない 18日iiiカルトの政治活動と人権侵害ii オリンピックについてもう一言 似非正義の言語使用 19日パリオリンピックにおけるLGBT運動の敗北再論 自民党の包括性 総裁候補へのお願い 20日NHKの全面的再構築を求めよう! ついでに最高裁裁判官国民審査の年限も変更しよう 統一教会の政治的願望と安倍首相 〈こんな人たち〉の執拗さii 21日・22日もう一度アベノミクスについてii 23日不寛容さについて 25日・27日iiiジェンダーレストイレ再考(暫定)iii 心底頭の悪い常套句 プライド? 夫婦別姓の棚上げ NHKをきちんと否定していこう 29日ii解放のストーリーのステロタイプに用心しようii BBCのことをいまだに有難がっているおバカさんたち 31日・9月1日厚顔無恥の極みNHKii 7日司法の思い上がりは度を越している。次の最高裁の国民審査では司法全体の勘違いにきちんとNOを言おう みんなオカシイと思わないのか 同性愛パートナーの貞節問題 放送法はこれでよいのか 9日同性婚を認めるために必要なことii(16日) 10日民主主義はどこにあるのか 11日死刑制度問題ii 14日親ガチャ論の重要性(超―暫定版) インチキ政治iii 16日・17日 20世紀後半左翼の否定iii 『朝日新聞』は本当に恥ずかしくないのだろうかii 18日・21日いつまでこんな見え透いた手口を続けるつもりなのだろうii 19日雇用を流動化したいなら安心して失業できる社会をつくることが先決であるii 25日令和5年民間給与実態調査の結果(これはいただけない!) 27日〈ネトウヨ〉概念の終焉? 防災省に期待! 28日経済・ビジネス音痴の感想 左派リベラルはそれでよいのか?iv 同性婚に関する最後のコメント 要注意? 10月1日邪推 こんな総務大臣で大丈夫なのか(絶望的な新内閣)→とんだ勘違い(10月3日)
最高裁裁判官の国民審査が行われることもお忘れなく(司法の暴走にNOを言おう)ii
締め:多様性を取り戻そう(10月15日)omake 人間不信 プライドとは何か 欺瞞
最後のお願い(10月21日)クリーンな政治は役に立つのか(10月25日)
最後のメモ(ジャニーズ問題にかんするNHK特集について)(10月22日ii)
最後の雑(日本の科学研究 2023年の停滞)iii(10月23日)
本当に最後に立民・日共・れいわのカルト性についての確認iiーリベラルの異常性ii(10月23日・24日ii)附:民主党政権期を評価する議論について(10月27日) 不毛な道徳の時間が続くのか ケセラセラ 国民の怒り? カルトの時代は終わったのか?(10月28日)
本当に最後(にしたい):分断批判を超えて(10月29日)附:「裏金問題」という虚妄の政治化
最高裁判事国民審査についての反省(この制度で意思表示は可能である!次回こそ司法の横暴にきちんとNoを言おう)
テレビっ子(メディアっこ)与党政治家の無惨
大失敗(司法の横暴をもっと強力に否定すべきであった)
東京高裁判決は読んでいないが暫定的な論点整理ii(10月30日)→憲法改正だけが唯一の道である(10月31日)→別の視点(子供)(11月1日)→何故同性婚を認めてはいけないのか。→家裁の政治利用に要注意(11月2日)→このプロセスで同性婚を法制化することを絶対に認めてはならない(11月3日)→無法状態→そうきたか(11月8日)
リベラルその他の既得権益をなくせば7兆円の税収減など問題ではあるまい、それよりまず社会を広く活性化しよう。→保留
安倍政権期は闇ではなかった(国賊とは誰か)
政治と学歴などii(11月8日)
もうダメかもね(11月11日)
女子スポーツ・トランス・生物学的ノンバイナリー(11月12日)=司法は死んだ
《婚姻の自由》???ii(11月13日)
末法を生きるiii(11月14日・15日)
日共・立民・レイワのカルト性の相違、終わりの始まり?(11月16日・17日)
兵庫県知事選雑感iv SNSの勝利なのか???
まだ絶望すべきではないのかも 〈真実〉や〈事実〉を標榜する者を疑え フレームとフォーカスに留意せよ 軽蔑すべきなのは誰か(11月18日)
兵庫の百条委員会への根本的疑問 いろいろ不可解 話を捻じ曲げる《良心的》左派の頓珍漢 ご用心ご用心 新しい政治のために 見当はずれなSNS批判(11月21日)
諸悪の根源は総務省とNHKか
文学者が人を指導する時代などとうに終わっているだろう
NHKの低水準
兵庫の件:これはよろしくない 当選者自身のSNS戦略(外野の力のみではない)→残念な結果になったのかな?大変有意義な政治実験であった。次に生かそう→様子見
何故みな〈真実一路〉なのか???
たぶん大事なことiii (11月22日)
この間抜けな失敗をポジティブに捉えていこう 相変わらずいろいろ不可解(そもそもハラスメント相談がいきなり公益通報という大げさな話に飛んでしまう体制がおかしいのではないか)(11月23日)
件の怪文書(&陳述書)が殆ど曖昧な伝聞と推測に基づくこと、パワハラ問題はその一部に過ぎないことを皆知っているのだろうか(マスメディアの異常性) マスメディアが全て悪い 或いは、誰が悪いのか。このような曖昧で怪しげな訴えを前にして冷静な態度を取らなかったすべての人である
SNSファシズム論の浅薄さii
選挙ビジネスが民主主義を歪めたのか 我々は騙されつづけているのか
★★★ことの始まりの明白な事実が無視され語られないままに大騒ぎが続いていることにウンザリする。いや真昼の暗黒に戦慄するというべきか。橋下徹氏の主張は首肯しがたい。
知事側の〈不正〉が事実であったとしても、マスメディアの責任は消えない
あの頓馬で負けず嫌いの女性がこの仕事を引き受けたのは、やはり義侠心からなのではないか。
宮崎謙介という人が何だか怪しげなことを述べている
今回の騒動についてキチンと押さえておくべきこと(11月26日)
金額的内容的に買収ではない。常識で考えて委員の委嘱と謝礼の支払い(3年で15万円)が利益を伴う契約にあたるのかも疑わしい。iv(どうも少なくとも真っ黒ではなさそうである)(素人ながら法律を眺めていると、どちらかというと白い感じがする。)(11月27日)
やっぱりマスメディアは終わっている。テレビその他のマスメディアで政治についてコメントをする人たちを全員軽蔑してよい時代になったのではないか???
簡単に考えよう!
当選者を攻撃し続けている人は何を攻撃しているつもりなのだろうか?
今日の記者会見で完全に決着がついているのにまだ引っ張る気なのだろうか?
マスメディアが敗北した、存在意義を失ったという事実が確定したということだ。
多面的に、かつ平凡に考えよう。恐れずありきたりに語ろうiv(11月28日)
当選者批判の不毛。この騒動から建設的な教訓を引き出そう(11月29日)
あまりにもナイーブなひとたち
見えてきた気がする。この素人的な選挙チームが悪質な企図のもとに統率されていたとは到底思えない。もし仮に当選者が選挙違反に問われることになったとしても(そんなことはないと思うが)、私はそのことで彼の評価を下げる気はしない。むしろたった一人で巨大な暴力と戦う決断をしてくれたことに心から感謝したい。Ii
ここで攻撃すべきは、彼女ではない。根本的に否定すべきなのは、マスメディアで根拠薄弱な話を平気で垂れ流し続けてきた文化人、とくに元官僚、元政治家、元知事、弁護士、元検事、大学教授たちではないのか。(11月30日)
もし公開されたファイル群が本物ならば、告発文書と称するものが本来的に不埒な性格を持つという判定(それは既に内容面からも見ることができるが、そのことは巨大な力に隠蔽され続けている)を補強し、懲戒処分の正当性が確認されたと言えよう。このような信頼に足るとは思えない文書を元に、強引に知事の人間性を否定し排除しようとした県議会・マスメディア・左派勢力の軽率と悪辣を徹底的に否定する必要があろう。
マスメディアの有害性(疑惑を只管語り続けるコト、バランス感覚を失わせること)
なんでか知らないが、この件に関して、エリート左翼たちの卑しさが爆発しているようだ。醜い。
小さな推測
不幸の原因は何か・今度の公益通報は成り立つかii(12月1日)
2024年、マスメディアは死んだ
以下のことをきちんと認識すべきだ。
3月の怪文書と4月の〈告発文〉が別のものであること、3月の文書が本来の形であってそれが告発者の本意であること、3月の怪文書は明かな誹謗中傷を含んでいること、匿名で警察に送られた3月の怪文書を警察は公益通報と認めていないこと、〈告発者〉は冒頭の明らかな誹謗中傷を削って4月の〈告発文〉を再構成したこと、それは公用PCの不正使用がばれて懲戒処分が下されることを阻止するための自己防衛のための行動であったように見えること、新しい〈告発文〉も曖昧な訴えに過ぎないこと、それを知事の糾弾のために政治利用しようとする人たちがことを大きくして百条委員会を立ち上げたこと、その結果懲戒処分の是非を確認するために〈告発者〉が私的に使っていた公用PCの中身を委員会で公開することになったこと、〈告発者〉がプライバシー保護のために公開の停止を求めたが委員会が認めなかったこと、怪文書でも〈告発文〉でもパワハラ問題に力点は置かれていないこと、パワハラ問題しか証拠が見当たらないためにそれが過度に強調されて恐るべき権力者のイメージが作り上げられたこと(実際のところこの程度の威圧的なリーダーは珍しくないこと)。
件の女性の話もまだ一部で続いているようだ。支払いがなければ買収は成立しないだろう。個人的頑張りが上限を超える寄付に認定されることはあるのか。公職選挙法をそんな厳密に適用することはあるのか
事の次第(公用PCの中身公開の意味)iii
延々とPR会社の問題をひっぱる気なのだろうか。実態として彼女と選対の実働部隊が一体で動いていたとして、如何なる違法性を問えるのか?70万以上の金が動いておらず形式的に運動員と区分されているのであれば何の問題もないのでは。そもそもこんな弱小チームの選挙違反なんてたかが知れているのに。そんなことより、この弱小チームが巨大なメディアの圧力を覆したことに依然としておどろくべきなのではないか。
公益通報について誤解していたので訂正ii
バランス感覚の陥穽 内部告発の意味 個人攻撃 〈かもしれない〉論
個人ボランティア(候補者から発注も受けず支払いもない場合)が違法性を問われるのは如何なる場合なのか。
世の中の有り様としてよいことだとは決して思えないのだが、トリックスターの奇策が功を奏しているように見える 勝手な判断をしているのは誰か ネットに巣くう惨めな人たち みんな正気を取り戻せii
職業倫理(12月3日)
ドタバタ劇は続く。まさか、当選者の側を処罰するわけではないよね。そんな理不尽があるわけがないと信じますよ。総務省様。
テレビに出ている弁護士さんたちのいい加減さにはあきれるしかない。橋下氏もひどいが、今度は左の紀藤某氏である。
国政政治家への公益通報は妥当か。
コンテクストを誤解させる〈事実〉の報道という情報工作 お里が知れて面白い 切り抜き画像・一枚の写真ii
総務省が後出しジャンケンのようなことを言っている。今回の選挙で問題なのはSNSではない。マスメディア・〈文化人(大笑い)〉・ネットのおバカさんたちが総出で一人の自治体首長をつぶそうとしたことにあるのではないか。iii →整理(12月4日)
つくづく思うのだが、マスメディア対SNSという二元論は全く無意味である。一番悪いのはマスメディアを中心とする政治スクラム、次はネットのおバカさんたちだろう。
この問題について考える人が絶対に忘れてはならないこと。3月の怪文書にせよ、4月の「公益通報」にせよ、パワハラ問題は中心的問題ではないこと、〈告発者〉自身がパワハラを受けたことの告発ではないこと、パワハラを前景化したのは県議会・百条委員会であること、それなのにマスメディアその他がこの〈告発者〉がパワハラを告発したと報じ続けていること。これだけも、知事批判のインチキくささは明白であろう。
買収問題もそうだ。選挙運動員への報酬の支払いが買収に当たるというのが通常なのだが、今回のケースはそれとは随分違うだろう。
故人のプライバシーが暴かれている。悲しいことだ。しかし、これは知事による相応の懲戒処分を県議会が普通に受入れ〈公益通報〉の体をなしていない〈告発文〉(曖昧な伝聞に基づくゴシップの羅列である)を慎重に扱っていれば起こらなかったはずのことである。
軽蔑しかない。
不幸なことだが、不当な知事攻撃が続く限り、故人の尊厳も毀損され続けるだろう。
何が正義なのか?何が民主主義なのか (データの保存時間についての憶測)iii(12月6日)
あるべき姿、あるいは百条委員会を立ち上げるという根本的間違い(12月7日)
マスメディアの悪あがきii
いまだに人を惑わすようなことを垂れ流している文化人とメディアがあるようだ。買収が成立するのは、選挙運動をした人に確かに報酬が払われた場合のみであろう。選挙運動をした人が選対の運動員だろうが、末端のボランティアであろうと関係ない。
怪しげな人たちのドタバタは続く。立花某氏が正常な正義であるから、それに追随したのではない。マスメディアと政治勢力の合同暴力による一公人の追放という異常な事態が当然のことのようにまかり通っていた。異能の人(美学的文学的に評価されることは決してないタイプの)のとんでもない異常な力がその洗脳状態を打開してくれたので正常な認識が可能になったのだ。その功績は大きい。だからと言って平気でうそをつく立花某氏が正義で正常だと考えているわけではない。彼に洗脳されたわけではない。彼の異常さは十分に認識したうえで、その破壊力の効能を評価しているのである。
ことはマスメディアに操作されるか、ネットに左右されるかという話でもない。どちらにも偏らないという二分法を前提としたバランスの取り方では何もわからずに終わるだろう。物事のプロセスの中で、どのような情報操作が行われ、それにいかなる反作用が生じているかを見極めながら、ことの次第の大筋と個々の出来事の位置を見失わないこと。それを阻害して事を捻じ曲げようとする力に留意する事だ。
総務省もズレたことを言っている(12月9日)
マスメディアの存在意義 兵庫県とルーマニアの違い
我々に必要なことはおそらく政治的連帯ではない。かと言って根源的な宗教的共感が懸け橋になるのかはよくわからない。とりあえず世俗的な表層的な妥協しかないのではないか。(2024年12月10日)
兵庫の出来事から学ぶべきこと。新しい政治参加のためにii(12月11日)
マスメディアの横暴には歯止めがかかりつつあるが、司法の横暴は止め処がない。私はただただ不可解である(12月13日)
石川県や兵庫県における知事攻撃を見ていると都道府県レベルのヘゲモニー獲得が左派リベラルの一つの目標なのかもしれない。確かに茨城などは切り崩されつつあるようだ。(12月14日)
古都奈良において仏教的イベントよりKPOPのイベントを優先した知事は朝日新聞出身らしい。さもありなん。なによりバカなのはこれを支持する自民議員だが。全国民が自治体選挙で教訓とすべきことだ。(12月16日)
それは奈良でなくてもよいことだ。奈良のかけがえのなさを蔑ろにすることになりはしないか。奈良の人はそれでよいのか。奈良には維新的浅薄と朝日的左派リベラル的虚妄と自民的付和雷同的愚劣軽薄が凝縮されているようだ。維新的政治の終焉である。勿論、時代錯誤な左派リベラルも無思考の自民も要らない
(12月18日)
ソ連解体後に世界のソ連化が進んだようだ。いや本気で言っているわけではない。
おわりのはじまり(2024年12月15日)
何が起ろうとマスメディアの横暴が免罪されるわけではないiii
結語(私の嫌うもの 単純な二分法 空疎な言葉 根拠のない筋立ての話)ii
Afterthoughts
(選挙期間中の情報学的分析だけではこの選挙は理解できないのではないかー日経、読売の左傾化=原点回帰?、新しげな顔をしたオールドメディアーJpress
Jpress の記事の出鱈目はむしろ清々しい。この数ヶ月のあらゆるメディアの狂想の自己戯画として秀逸である。
この兵庫の出来事でメディア関係者は全て〈死んだ〉と言ってよいのではないか。今後告発のいずれかが成功したとしても、失ったものの大きさを埋め合わせるほどのものではあるまい。
地方自治体レベルのヘゲモニー争は日本の命運を左右するのかもしれない。宮城は杜の都をイスラーム都市にする覚悟はあるのか。あるいは、世界で、特に欧州で起こっている文化戦争の最前線に立つ覚悟はあるのか。
日本の経済界が空疎な観念論に堕することを懸念する)
・ここ十年で得た考え方の基本 とても通俗的で単純だが大事なこと
・司法批判の作法―NHKと司法の悪辣な企みは自己崩壊したii
・2024年はテレビ、新聞、その他の有象無象のマスメディアの死んだ年として記憶されるのかもしれない(地方のメディアに希望をつなぎたい)。―〈角を矯めて牛を殺す〉ことになることを望んではいないのだが
・理念に縛られるのではなく、それが現実に何を引き起こすのかを考えるのが政治家の役割である。無責任なええかっこしいをきちんと否定していこう(地方の政治はピンチである
・災害報道への疑問
・もっとも恥ずべき政党、それが自由民主党 )
新しい政治参加を進めよう。これまで投票に行かなかった人が投票に行くことで政治は変えられる。それが兵庫で明らかになった。同性婚パートナーシップについて東京の10の区の区長が要望を出した。パートナーシップだけなら良いが、LGBT運動との紐づけは明かだ(ちなみに兵庫の当選者もパートナーシップの推進者だが)。そんな政治がいやなら次の選挙で落とせばよい。それは投票率を上げることで可能になる。奈良のかけがえのない個性を守りたいなら、杜の都をイスラーム化したくなければ知事を落とせばよい(イスラーム自体に恨みはない。しかしこのような理念の先走った共生推進の孕む問題を熟考すべきなのだ)。勿論別の候補は必要だ。時流に流されない常識のある人の立候補を支援しよう。最高裁の国民審査も重要だ。司法の暴走を止めたければ最高裁判事に×をつけよう。
政治参加とは左派リベラルの主張を上手に鸚鵡返しできるようになることではない。むしろそれが嫌で政治なるものを敬遠してきた人も多いだろう。実は政治的無関心とはそういうことだ。そんな古臭い政治は全否定しよう。イデオロギーではないプラグマティックな政治を取り戻そう。そしてそれは投票に行くことで可能になる。政治は変えられる。新しい政治に希望を繋ごう。
奈良県知事の詭弁
2024年―マスメディアの死んだ年
(2024年にマスメディアが死んだことを認められない人は、性懲りもなく「権力監視」などと宣っている。党派的批判、イデオロギー工作を「権力監視」という口実で正当化するやり口がもう通用しないということが自覚的できていないようだ)
あらまほしき政党 筋金入りの時代錯誤
2025年に望むこと(論点列挙のセットメニューや図式的思考でなく、現実の歴史的プロセスに即して物事を考えるコト)
マスメディア批判への牽制の問題点
政治家を厳しく追及するのが記者のお仕事??
マスメディアの代表である『新聞』には根本的なところで社会問題について語る資格がない
奈良県知事の詭弁は続く
左派的芸能人政治という時代錯誤の有害性
メディアをめぐる面妖なことども
コミュニティノートが優れているところは那辺にあるかii
自民党代議士の妄言
ヨーロッパの「知性」がここまで劣化するとむしろ清々しいii
日本で簡単に政権を取る方法
善良な人の勘違い
LGBTへの過剰な配慮を止めるというだけの話ではない
我々が直面しているのは移民問題ではないii
週刊誌が生み出す白痴的状況にはウンザリであるii
無知か無頓着か開き直りか慣例的実践か、もし仮に買収が認定されたとしても、マスメディアの暴力が肯定されるわけではない
兵庫の出来事に関して絶対忘れてはならないこと
ファクトチェックの問題点
日弁連の勘違い
参議院の役割転換
財界の勘違いー2025年は勘違い組を全否定していこう!
朝貢外交?
警戒を怠るな!
最後の違和感(経済学・経済紙、自民党、文学)
我々が闘う相手はマスメディアの巨大な暴力だけである
同時に隠れた分散的な政治工作に警戒せよ
全く反省しないマスメディア→社会を攪乱するマスメディアがすべての悲劇の元凶であるーテレビ報道の無価値・フリージャーナリストの無意味・ファクトチェック的政治誘導の有害性ii
いま何故夫婦別姓に反対すべきなのか
ゾンビたちの横暴
破滅的トリックスターは欺瞞的メディアの戯画にすぎない
MBSとお仲間の県議は何をやっているのか??????
業務上の合理性をもった指示か、理不尽な要求か(立民の代議士の官僚酷使とどちらが酷いのか)→パワハラの6類型(厚労省)―百条委員会を立ち上げる必要など全くなかったことは明かである→私は知事の人間性について何もしらないが、それを否定するための確かな根拠が示されているとは到底思えない
唾棄すべき存在in USA iii
アメリカでもマスメディアは死につつあるのか?
そこは主戦場ではない
ものの考え方の整理(メディアの暴力における作用と反作用を考えよ、人権というフレーミングに騙されるな)
この機会にレスバとかロンパとかは恥ずかしいことだという風潮を作れないものかiii
酷い話が続いているー公益通報者保護法改正案に関する『読売新聞』の報道に対する疑問
→『報道』内容は本当に正確なのか
→今回の法改正が今後兵庫のようなケースに対応可能にするためになされるのだとしたら、職員がゴシップを並べ立てた文書を各所にばらまいた場合でも、それを公益通報と見なして、懲戒処分にすることは許さないということになりそうだが、本当にそれでよいのか。
→この改正案により、〈知事たちが正当な告発を握りつぶした〉という話が既成事実であるかのようにみなされかねないが、それでよいのか?
→逆に言えば、上記の認識(3月の告発文が公益通報に相当する)に仮にたったとしても、現行法においては、兵庫県の対応は何の問題もないということにもなろう。
百条委員会報告書の見通しii
絶対混同してはいけないことii
SNSの無法状態を嘆いても埒があかない。根本的な問題は既成マスメディア(テレビ、新聞、週刊誌などなど)のイデオロギー的ないしは特権的な情報の日常的な歪曲への不満だからである。SNSの無軌道はそのようなマスメディアの暴力の戯画ないしは反作用にすぎない。我々がなすべきことは只管マスメディアの独善を批判することであって、特定の個人への攻撃ではない。その区別をきちんとつけることがおそらく状況改善の一つの道である。
→メディアによる論説は不可能なのか。可能か不可能かというより私は不要だと考えるのだが、不可能ではない。まず出来る限り客観的に状況(大局と個別具体性の両方を踏まえて)についての認識を示す。そのうえでその状況についての主観的な意見を述べる。認識に不備があれば随時訂正する。その原則を守ってくれるのであれば、マスメディアのメッセージも容認可能であろう。
→情報の歪曲というのは所謂ファクトチェックも含んでいる。決して決定的・中核的ではない部分的な要素の事実性の確認で主張全体を肯定したり否定したりする、あるいは一見関係がありそうだが実は関係がない近接事象の事実性の確認で議論を複雑化して曖昧な形で自説を有利に導くようなやり口である。そもそもチェックしたと称してチェックができていない場合もあろう。資料の信頼性について吟味することを知らない無能に起因する場合(目に入った都合の良いデータだけを使用する、資料が理解できていない)が多いのだろうが、意図的な場合(資料を捻じ曲げる、関係のない資料を列挙する)もあろう。あるいは断片的で曖昧な情報で印象操作を行うことと言ってもよい。
もう一つの問題(暫定版)iii
建設的な政治家やメディアの最優先の仕事ii
日本の停滞の精神的基盤ii
同調的退嬰も〈反体制〉的硬直も要らない
社会的制裁は要らない(マスメディアはSNSがデマに基づく非道な社会的リンチの温床になっていることを盛んに批判している。しかし、自分たちこそがまず一方的な報道で社会的リンチを焚きつけていたことを忘れたのか。兵庫の悲劇の出発点に自分たちがあるとは微塵も考えないのか。)
立花氏の悪質なデマで選挙が歪められたと論じるメディアは大事なことを見落としている。兵庫で何故あの立花氏の発信が受け入れられたのか。そもそも斎藤氏への信頼があったからであろう。強烈なネガキャンのなかで失っていた記憶をショック療法で回復したようなものであろう。→ここが左派(だけではないか。既成メディアの)の攻め手らしい。確かに立花氏が極悪非道なことは間違いない。しかし、兵庫の知事支援者がみな立花氏に騙された狂信的で短慮で陰謀論的な愚か者なわけがあるまい。前回普通に当選した人物である。その人物への批判に不当性があると気づけば、前回同様の結果になっても全く不思議はない。
→しかしまあ、能登半島地震に関してもそうだったが、どうしてこんな浅薄な比較が多いのだろう。SNSによる陰謀論が選挙の公正を破壊したという共通点があると言いたいのだろうが、トランプと斎藤さんを同列に比較できるという発想が私には理解できない。ii
(《もともとメディアに対する不信感を持っていた人たちが立花氏のデマに飛びついた。それはディープステートにまつわる諸々のフェイクを信じていた人が、ディープステート解体を掲げるトランプを支持したと同じだ》というような線で書かれた記事が文春に載っていた。まず、斎藤氏自身が別にマスメディア批判をしていないことは確認しておこう。マスメディアへの不信は根拠のないことではない。実際、斎藤氏の人間性について一方的な否定を行ってきたことはいまや明らかだし、この記事自体が無反省にそれを続けているわけである。勿論、立花氏のデマを信じた人はマスメディア批判においてもともと虚偽的な内容を信じやすい人だったかもしれない。しかし、多くの選挙民はもっと健全であろう。マスメディアの一方的な断罪に冷めた眼差しを送り、斎藤氏の人格と能力を再評価したのであろう。この筆者はトランプ支持者についてもフェイクを信じる愚か者が中心だと考えているようだ。そんなわけはあるまい。こういう思い込みで世界を見ているから、トランプの圧勝を予測できなかったのではないか。
→立花氏がパワハラはなかった、あるいは元局長は醜聞の流布を気にして自殺したという真偽不明の宣伝を行い選挙民をだましたと糾弾される。しかし、パワハラは確かにあった、パワハラ知事のせいで元局長は自殺したというマスメディアの印象操作が真実であると言えるのか。少なくとも現時点で知られている情報を見る限り、厚労省のパワハラの類型にきちんと当てはまる行為はない。それをあったと断言したマスメディアに不信感を抱くことは不当だろうか。《ウソと虚飾にまみれた兵庫県知事選》と言い切るが、インタビューした個々人についての評価方法自体が主観的であるし、それらの事例の代表性について保証する方法論的工夫もない。こういう恣意的な評論がマスメディアへの不信の契機であることを少しは反省したらどうかと思う。)
→あるいは、ディープステート批判は大規模・広範囲な運動である。立花氏の選挙運動は彼が勝手にやっているだけである。むしろ、邪悪なトリックスターがマスメディアによる目くらましを打破した出来事として理解すべきだろう。
いわずもがなのこと(マスメディアの勘違いと暴力の行きつく先の酷薄さを見極めて置く必要がある。)iii
要するに、〈告発者〉もこの〈告発〉に基づいて知事を責め立てた人たちも皆公益通報という制度を誤解(曲解?)して政治利用したということである。違法行為を告発するのではなく、個人攻撃にそれを利用しようとしていることは明白である。憶測に基づく個人への非難を冒頭に置く人が真面目に違法行為の告発を考えていたとは考えられない(しかも、それをすぐに取りさげるといういい加減さからも違法行為の真剣な告発でないことは明かだろう)。この元々の意図を無視するのは絶対にオカシイだろう。最終的には判断が正しくないことが判明したとしても、その時点では違法行為であるという十分な確信をもって告発を行うのが公益通報であろう。これはそういうものではない。
→確信犯的なデマゴーグの扇動に乗せられて社会的な制裁を加えようとするネットの愚民たちを取り締まることはただしい。しかし、我々は大局的な状況の現実的な認識、事の次第をきちんと把握する冷静さを失ってはいけない。公共的な役割を期待されているはずのマスメディアがイデオロギー装置として働き一方的な偏った情報で社会を扇動するということが先行していることを見落としてはいけない。確信犯的なデマゴーグによる扇動はそれへの風刺的な反動である。
これに相即するもう一つの問題。確信犯的なデマゴーグに扇動されたネットの愚民たちとマスメディアのイデオロギー操作への冷静な批判者が混同されて、後者までもろともに葬られてしまうことである。これはマスメディアや左派リベラルの好む善悪二元論的フレームの目くらましのなかで現実的で具体的な諸批判が隠蔽されていくということである。素朴な普通の疑問がマスメディアの情報工作にかき消されない社会を我々は目指すべきなのではないか。
フジテレビ問題にかんする週刊誌報道を見ていて、一つ気が付いた。兵庫の問題をめぐる報道と何が違うのか。フジテレビの問題では、明らかな犯罪行為・加害行為が存在しそれが隠蔽された。それを週刊誌が暴くことに成功した。兵庫では出発点にいかなる犯罪行為もない。そういうなかで無理やり知事が悪人扱いされた。その無理が隠蔽されたままマスメディアを起点とする社会的制裁が始まった。その一つの無理が増幅し不幸の連鎖を生み出す。報道とは悪について報じるものであって、無理矢理に悪を作り出すものではないということだ。
兵庫問題の整理ii
マスメディアが沖縄県の百条委員会について黙殺していることも特記しておこう。マスメディアは確かに死んだままである。
首相・国会議員の近視眼
マスメディアにSNSを批判する資格などない
最後にLGBT法が許されない理由―市民の異議申し立てのために(付記:日本企業の勘違い:ジェンダーギャップ問題とLGBT問題は別の話である。/あるいはジェンダーレス志向はLGBT支持と直結しない。)
全く関係のない話題をひとつ。外交というのは相互主義が原則ではないのか。隣国は自国に有害だとみなした人物を躊躇なく逮捕拘禁している。外相が隣国との交流を進めたいなら、まず相互主義的な原則をきちんと表明すべきだろう。
→テレ朝がディープシークを称賛し、佐藤憂が石破外交をバランスの取れた現実主義と評価する。沖縄県知事が自衛隊の防災訓練を妨害した活動家を擁護する。いろいろ透けて見える様だ。
結語(マスメディアの報道が歪んでしまう最大の原因は、出発点を正しく語らないことである。そして全てを政治化しようとしてしまうことである。)
おまけ(民主主義にとって邪魔なもの)
もう一つオマケiii(森友文書不開示取り消し:また出発点が忘れられている。この国の不幸)
兵庫のその後の展開iii
なんどでも強調しておきたい。今後、森友問題や兵庫の件でいかなる展開があろうと、いずれの悲劇においても、その起点に政治的な策謀/作為と連携/同期したマスメディアの暴力があるということ。そのことだけは絶対に忘れてはいけない。
権力監視という妄想を根絶するために!
共生のための国家主義
信じがたい!真昼の暗黒である。朝日新聞の報道。兵庫の百条委員会の「報告書案によると、通報者を特定した斎藤知事らの初動は、公益通報者保護法に違反しているとし、通報者に対する不利益処分の撤回を提言」しているのだと。真っ当な判断はこの日本には存在しないらしい。末法である。全てもう終わりなのかもしれないね。
続報が入ってきた。本当にバカバカしいにもほどがある。パワハラも事実認定するらしい。この理屈が間抜けである。告発状にパワハラとして書かれていたことは概ね事実だというが、それがポイントではない。それが本当にパワハラに当たるか否かは別の基準が必要である。人前で大声で叱責したことは厚労省の類型に当てはまるが、一二回の事例でそれをパワハラ認定するのは強引で恣意的な政治的な判断にすぎない。少しだけ証拠が見つかったパワハラでさえこの程度である。そもそも告発状の他の項目は全くのゴシップだったわけである。これが公益通報者保護法の保護の対象になるわけがない。3月の告発状をしれっと書き換えて4月に県に提出した経緯をどう評価したのか?『産経新聞』によると「報告書案は「元県民局長が斎藤県政に不満を持っていた事情はうかがえるが、後輩職員のためを思い行った」とし「外部公益通報に当たる」と判断」したらしい。おいおい。心情論なのか。公益通報とは、職場における違法行為について十分な確信(結果的に間違っていてもよい)をもって告発することだ。知事に不満を持っている後輩のためにゴシップを並べて知事の人間性を否定することではない。全く見当違いである。もう日本は駄目なのかもしれない。絶望しかない。
今回新たな事実が発見されて公益通報者保護法違反やパワハラが確定したわけではない。百条委員会が従来のインチキ議論を少しも反省せず再確認しただけである。
マスメディアも死んだままである。昨年一年間、マスメディアも兵庫県の県議たちもこのインチキ議論を中核において斎藤知事の人間性を否定し続けてきたわけだが、そのインチキを少しも反省せず県議が押し通すのをマスメディアも後押しする気のようだ。マスメディアは自分たちが既に死んでいることに気付いていないのだろうか。人間だと信じ込んでいるゾンビたちが公正を踏みにじる国、それが日本である。もうオシマイなのだろうか。
第三者委員会に期待できるだろうか。無理な気がしてきた。法曹界の連中もマスメディアで好い加減なことを言いまくっている。公正など望むべくもないか。
そもそも事の次第がオカシイのだ。昨年、マスメディアの熱狂のなかで県議会は県知事を全会一致の不信任で追放した。百条委員会の結果を待つべきだったという声もあったが、同じことである。マスメディアも県議会もインチキ議論に基づいて行動し、選挙で敗れた後もそれを一切反省していないということなのだから。インチキ議論で知事を追放した人たちの代表からなる百条委員会が反省するどころか、自己正当化のために出そうとしているのが今回の報告書である。何の意味もない。
橋下徹氏が一貫してこのインチキ議論に加担している。彼の詭弁のよって来るところは、この問題を為政者のチェックのための告発という議論にすり替えているという点だ。公益通報者保護法の主旨は、職場における違法行為の告発であって、為政者のあるべき姿を問題になどしていない。それを語りたい人は別に語ればよい。 弁護士、元検事などの肩書でテレビに出て、無辜の市民をだまそうというやり口をこれ以上受け入れるのはよそう。まず手始めに簡単なこと。テレビや新聞雑誌やネットで法曹関係者が具体的な裁判や裁判手続き以外のこと(政治や社会)を語っていたら、インチキ野郎(男女を問わない)として心の底から軽蔑し嘲笑すること。そういう習慣を市民全員が身に着けるべきだろう。裁判自体だって真理探究ではない。暫定的な社会の安定措置である。そこに特定思想を持ち込む輩は全否定しよう。
何が選挙を歪ませたのか。何が悲劇を生んだのか。お前たちに論評する資格はあるのか。
理念で語るのは本当にやめにしよう。現実を素直に語り合おう。宮城の問題もそうだ。これはイスラーム問題ではない。文化的多様性の問題でも、共生の問題でもない。日本の水産加工業の労働力問題だ。きちんと、その前提を踏まえて語るべきだ。インドネシアから働きに来てくれた方々を日本社会がどのように迎えるかの問題だ。ええかっこしいをする話ではない。もっと切実な話だ。まずインドネシアの墓地がどのようなものかを共有しよう。そのうえで何が可能かを考えよう。それがことの順番だ。多様性を尊重する宮城なんて言う一周遅れの目標なんてすぐに捨てるべきだ。
ついでに言おう。東日本大震災の復興について語るとき、水産加工業を支えてきたインドネシア人をはじめとする技能実習生の人々の事は語ってきたのか。絆のなかにその人たちはきちんと入っていたのか。過去の復興体験の神話化が今回の能登地震の固有性の理解を歪めたことに鑑みても、復興・絆の硬直した理念化をここで一度振り返る良い機会になるのではないか。
自民党の媚中派の人たちは中国共産党創立100周年記念以降、ささやかに国際歌(インターナショナル)が復権していることに気付いているのだろうか。3年前に精華大学の日本人を含む各国の学生たちが各国語のインターナショナルを歌う動画が作られ200万回ほど再生されている(実にささやかではある)。さびの部分があの日本語歌詞(いざ闘わん♡)なのでずっこける。「これが最後の闘争だ」という部分をこう訳さざるを得なかった腑抜けさが日本の左翼史の全てである。そして同じく3年前に唐朝楽隊(Tang dynasty)が30年ぶりに国際歌の新版を披露している。これもまあかつての演奏に比べれば魂の抜けたような陳腐なものだ(再生回数も4万回程度)。2年前には1000人の様々な背景を持つ中国人が国際歌を歌うという動画もあった。再生回数はせいぜい15万人だから微々たるものだ。そうではあっても歌詞はあのままなのだ(勿論革命歌として日本のそれよりはるかに優れている。私も一瞬だけだが一緒に闘いたくなるくらいである。)。彼らは自分たちを奴隷と位置づけ世界の搾取者に対する「最後的闘争」に勝利し「天下的主人」となろうと考えている。その闘いのなかで自民党はどこに自分たちが位置づけられると考えているのだろうか。クリスチャンの首相は「かつて如何なる救世主もいたことはない。人類の幸福を創造するのは我ら自身だ」と高らかに歌う人たちをどう見るのか。「労働の果実を奪回し思想をおりから解き放て」と叫ぶ人たちに日本の財界人は共感できるのか。出来るのならすぐに賃金を倍増せよ(まあ、これは中国の経営者も同じことだが)。「寄生虫なんて要らない、我らの血肉を食らいつくす最も恨むべき毒蛇猛獣をきれいさっぱり消滅させ鮮やかな赤い太陽が全地球を照らすように」。貴方がたことを言っているのだよ。
→youtubeで広東の「東莞流浪天堂」なる状況を見た。ルンプロ風の若者が「立ちあがる(起来)」ことなく地下道や土管のなかで寝そべるか、スマホの前で踊っていた。
最後の弁明
私は何故このようなアホダラ経のような駄文を書き連ねているのか。しかも大学の提供するウェッブサーバー上で。
それは学者も含むリベラルたちの欺瞞の根源についてのゴマカシをやはり許し続けてはいけないと考えるからである。それは出発点の隠蔽ないしは歪曲である。しかもそのリベラルしぐさは非リベラルにも容易に伝染してしまう。本当にこまったことだ。
森友問題の出発点は根拠のない安倍夫妻への攻撃である。それが悲劇の起動因である。瑕疵のある公有地の低価格での売買と安倍氏夫妻の関連の証拠は見つからなかった(というより低価格での売買には理由があった)。そもそも薄弱な根拠で熱狂的に他人を攻撃して恬として恥じない人たちに真理も正義も証明も無縁である。それなのにそれを自分たちが担っていると勘違いを続けている。
兵庫県知事問題もそうだ。ゴシップの寄せ集めにすぎない告発文書を知事攻撃に利用しようとしたことが出発点である。やはり悲劇の起動因である。職場における違法行為を十分な確信をもって告発するという公益通報の主旨とは関係のない個人の人間性の否定にメディアや政治勢力や愚民は明け暮れた。
統一教会問題は実際政治と無関係ではないが、それが根本ではない。二世の不幸の原因は教団が二世の親を洗脳したことであり、二世の親がそんな教団に入信したことである。政治は関係ない。それを政治化したのが日共系の弁護士やジャーナリストである。山上の母親の入信に安倍首相は全く関係ない。山上の母が安倍氏の死を悼むことなど全くなかった。
LGBT運動だってそうである。LGBTはヨーロッパ初の政治運動のスローガンに過ぎない。政治的なフレーミングなのであって、無条件に普遍の人権を体現しているわけではない。
今に始まったことではない。日本国憲法の出発点を自主憲法につなげてみたり、八月革命なんてトンチキな学説をでっちあげてみたり。
国家神道なる実体が明治維新と共に江戸期の国学を基盤に成立したと語るのもそうだ。それと同時に廃仏毀釈で国家が民間の文化や精神を破壊したとする。お寺さんとお宮さんが分かれたのは大事件だし、文化財の破壊や海外流出が大ごとでないとは言わない。しかし、明治維新が日本史上の最大の変革であるすれば傷は浅い。民間文化を破壊したのは廃仏毀釈ではなく文明開化であろう(むしろ民間の精神は国学に近かったはずである)。大教院というイデオロギー装置が失敗に終わったことも忘れるべきではない。国体明徴運動を大本教が支援することだってあった。逆に天皇機関説の美濃部達吉は日本国憲法を否定した。
リベラルによる〈はじめ〉の捏造に騙されないこと。それは学術にとって大きな意味を持つはずだ。よくは知らないが、近代的な学問の嚆矢は神学なのだろう。〈はじめ〉に〈言葉〉ありき。〈言葉〉で好き勝手に世界を構築することが学問の根本であるのならリベラルは正しいのかもしれない。しかし、学問の出発点がそうであることを正しく認識したうえ、それを超えていくことを常識的には進歩というべきだろう。そういう意味でベンヤミンを有難がったりするリベラルこそ退嬰的なのではないか。
勿論、すべての神話が〈はじめ〉について様々な設定を工夫する。それを伝統文化として尊重するのはよいのだ。党派的な政治的社会的ヘゲモニー闘争においてイデオロギー工作として〈はじめ〉を隠蔽したり歪曲したりすることが問題なのだ。
同性愛の動物的起源についての〈科学的発見〉の政治性も同様だ。従来動物の行動に同性愛が見つからなかったのは、そういう視点が欠けていたからだという。逆だろう。そういうフレーミングによってマウンティング等が同性愛と誤って解釈されているだけの可能性が高い。動物によってオスがオスに対して射精を行う(メスに対しても)ことがあるようだが、これは過剰な性欲の代償行為だろう。しかも一般的というほどのことではなさそうである。さらに、これではレズの起源は説明できない。ボノボにレズがみられるという書き込みを見たが、ボノボという動物のリベラルなイメージ(?)と同期するものである可能性を疑うべきだろう。これが通俗化して動物では性の壁が曖昧とかいう非科学的知識を語ることが進歩的でリベラルと勘違いされる。さすがにカビの無性生殖と有性生殖の交替を持ち出す人はいないだろうが、群体ホヤの無性生殖などを引き合いに出す人はいるかもしれない。これは勿論性的自己決定ではなく、群体としての環境への適応の問題である。オスがメスに変る魚類も多い。これはランダムな変異が有性生殖を維持し自然淘汰圧に抗することを有利にしただけのことであり、かつ身体的規制として組み込まれている。文化的拘束の打破や精神の自由の話ではない。雄雌がはっきり分かれた生物における有性生殖の意義を軽視してはいけない。それこそが世界の多様性を生み出したのだから。
→この間の同性婚に関する高裁の時代錯誤判決も同断である。
大事なことを忘れていた。災害を政治利用しようとする輩たちは2024年1月1日4時過ぎに能登半島で起きた大地震の特異性を決して認めようとしなかった。土地そのものがここまで破壊された地震はかつてないというのに。
→もう一つ。これはリベラルだけの話ではない。日本の衰退についてその起点は明かに1997−98年のアジア通貨危機と日本金融危機である。戦後一貫して右肩上がりであった平均給与(国税庁民間給与実態調査)がここで下降トレンドに変わった(それをまた何とか反転させたのが安倍政権期である)。これを転換と言わずに何を転換と言うのか。アジア全体の転換点でもあった。このことを右も左もあえて語ろうとしない。左の場合は、80年代以来の善悪二元論の中で新自由主義による排除が続いているという硬直しきった枠組みでしか世界を見ていないから、20世紀末に起った世界の変化に全く対応できなくなった。情報化と金融の高度化・高速化と投資家資本主義である。右の方では2000年代の改革路線を否定したくないために、この時期の無惨に目を向けようとしないのだろう。いずれも現実から目を背けているということだ。酷い話である。
本当の悪とは何かを見失わないようにしよう。立花某は邪悪であり悲劇の直接的作用因かもしれない。それに情報を提供した県議も共犯かもしれない。しかし、そのような邪悪を起動したものは何か。それは初動における公益通報の政治利用であり、それを焚きつけたマスメディアである。それが真の悪である。百条委員会の判断で斎藤知事が葬り去られることを恐れて行動した人たちをあげつらう声もあるが、見当はずれで我田引水の正義の暴力こそが今我々が問題にすべき対象であることを忘れてはならない。
ドイツで「ドイツのための選択」が票を伸ばした。これにそのまま倣えとは言わない。しかし、「日本のための選択」とは何かを真面目に考えるべき時が来ているだろう。複数の外国人コミュニティが相互に没交渉・無関係のまま経済的・文化的に独立したまま日本の国土のなかに併存する複合社会化を肥大化させるべきではない。それが日本を発展させる道とは思えない。我々はホスト国という発想を復権させよう。緩やかな同化と統合という方向性を堅持した共存のための国家主義を目指そう。
最後の注記
ヨーロッパの賢者の議論では、ヨーロッパは同性婚の容認で社会が崩壊したりはしなかったから、社会的協調の立場から社会の変革を拒絶する保守思想は間違っていたという浅薄な議論があるらしい。これはヨーロッパ的なコンテクストのなかでのみ思考をしている者の議論である(それなのに普遍的な人間的思想を語っていると勘違いしているから大嗤である)。〈宗教的悪・法的悪であるはずの同性婚を認めたら社会が崩壊する〉という懸念を少なくとも日本人は抱いていない。同性婚が婚姻制度という有性生殖を前提とする社会的再生産の公証という制度に包摂する必要がないから筋の通らない無駄なことをする必要がないと考えているだけである。さらに言えば無駄なことでもごり押しすれば通るという前例は、反体制派(反対するだけで建設的なことはしない日本の反体制)の社会紊乱作戦の呼び水として機能する。そのことの害悪をこそ重視すべきと考えているわけである。
→ネットでみかけただけなのでこの情報が正しいのか否か確認していないが、最近の判決は憲法制定時に同性婚はなかったということを前提として認めているという。だから憲法24条は無視して幸福追求の平等を優先すればよいという線らしい。おいおいである。まずそうならば、憲法改正が先に来るべきだろう。その際に同性婚という新しいアイディアを社会がどうどう考えるかが重要である。婚姻制度から除外されたからと言って、別に差別されているわけではない。同性愛者が本来有するべき資格のレパートリーのなかにないだけのことだ。本来持つべきものが拒絶されたのなら、疎外だし差別だし人権侵害であるが、そういうことではない。ここで誤解していけないのは、パートナーとともに家族を持つことが否定されているわけではないということだ。それは婚姻制度と関係なく幸福を追求したらよい。便宜上問題がればそれを改善したらよい。それだけのことだ。損得の議論がある。同性婚を認めたら誰が損をするのか。誰かの得が誰かの損になるという単純なゼロサムで考えるのも短慮である。社会の在り方についての合意、世界観の問題を軽んじるべきではないだろう。さらに同性婚を認めることのメリットとして、同性愛者の生活が安定し、不埒なことがなくなると語られる。ハッテン場にされたせいで銭湯が休業に追いやられたりすることがなくなるということか?本当か?あるいは東アジアにおいて同性婚を認めた台湾の出生率の低さ、東南アジアで同性婚を認めたタイの出生率の低さを無視することない。韓国の出生率の低さは同性婚とは関係がない。しかし、IMF改革以降の伝統社会の変容が関わっていることは間違いない。それが台湾やタイにおいては同性婚やLGBT容認に道を開いた。そのことのアジア的な意味を考えてみることは無駄ではあるまい。欧米の潮流に付和雷同するのがグローバル化ではない。それにきちんとNOと言えることが真のグローバル化である。
「ルールを守れない外国人とは共存できない」という首相の発言に立民が外国人の犯罪のみを差別的に取り上げる「排外主義的なナショナリズム」だと批判した。ルールを守れない日本人はよいのかという絡み方である。二つのことが考えられる。第一に、ルールを守れない日本人を排除することとルールを守れない外国人を受け入れないことは同じではない。すでに国民である犯罪者を日本から所払いにするのはまず困難である。かつ新たに社会の成員を増やすときにルールを守れない人間を歓迎する必要はない。第二に、これまで治安紊乱のファクターとして存在しなかったものを外国人が 特定の生活空間に持ち込むのであれば、それを制御することは不当ではない。
機械的に「排外主義的ナショナリズム」を叫べば、正義の立場が担保できるという時代はもう終わったのだ。そういえばこの人は数年前はアンティファと叫んでいた。あれはどうなったのだろう。国際組織の指示によるスローガン連呼で日本を撹乱しようという魂胆なら、もうそんな手は通用しないのだから無駄な労力を使わない方がよいと思う。
夫婦別姓の件もそうなのだ。例えば、夫婦別姓が世界の標準という大学の先生が、中国、台湾、北朝鮮、韓国の例を強調しているが、これでお里が知れるというものだ。これらの国では父系リニッジの標識として姓が使われているのだから、別のリニッジに属する夫と妻が姓を異にするのは当たり前なのだ。日本はそれとは違う。中国、朝鮮・韓国に日本を従属させようという何らかの意識がこの動きの裏に働いているのならば、それに迂闊に同調するわけにはいかない。
レイワの支持が増えているらしい。能登半島地震への対応において官民その他の諸連携の重要性に一切理解を示さず、被災地に関する一面的な情報を垂れ流し続けた独善の塊であるレイワが社会をよく出来るか、真面目に考えてほしい。
レイワについてもう一つ強調しておかなければならないことがある。彼らは能登においてお仲間のボランティアのことは称揚していたが、道路工事・建設・解体・配管・サルベージなどなどの工事や資材の運搬に超劣悪な環境のなかで黙々と従事していた作業員の待遇や労働環境について何も語りはしなかった。末端の労働者のことなど歯牙にもかけていないのだ。そんな左派政党があるか。彼らの革命など空疎な観念に過ぎない。こんなインチキな〈民衆〉政党に騙されてはいけない。
「ドイツのための選択」という政党がどれくらい排外主義なのかはしらない。しかし、「自国のための選択」という、このような視点はおそらく一つの立場と不即不離なわけではなく、実際のところ実に柔軟で有用なものでありうるだろう。コスモポリタンな地球社会という理想を捨てろというわけではない。しかし、理想はいまだ理想だ。現実論としての判断基準として「日本のための選択」という立場は最優先されなければならない。
日本の伝統を継承しつつ、因襲を脱し、未来への進歩につなげていくか。伝統、未来、進歩を語ることを躊躇しない。しかし、そのために現実の諸問題にまずプラグマティックに対処する必要がある。それは高齢化社会の福利を実現しつつ、現役世代の幸福を実現し社会的再生産を堅持することだ。その他の空疎な理念は要らない。共生、多様性は最優先課題ではない。勿論、拒絶をするわけではない。しかし、如上の意味での「日本のための選択」が最優先である。ただし、近視眼的ではいけない。例えば、今後AIによって労働の形態→社会の形態が変わるのならば、それを見据えた判断が必要である。
帰化の問題において最重要なのは、日本の文化的伝統や歴史を重視し、そのような歴史的国家としての日本への忠誠心を持ちうるか否かである。外国勢力の破壊工作の端緒にならないように最大限の警戒を払う必要がある。とりわけ政界への進出は、厳格な基準を要する。
国土の防衛は、軍事的なものだけではない。国土内での重要拠点の外国勢力の支配に警戒が必要であるし、何より最低限のインフラの維持が国家の存立の基本である。
それと過去の経済政策の評価と政権の評価の問題を切り離して冷静に判断すること。2000年代の賃金の下降トレンド・格差拡大と2020年代の国際的なインフレ状況という大局を冷静に捉えることのできない人たちに経済再生が可能なわけがない。ちなみに安倍政権期について言えばレイワ系の人も財政ファイナンス論者だったわけで安倍政権と経済政策の立場は同じだったはずである。その過去も忘れないようにしてほしい。
こう考えると、日本のすべての政党が失格である。かろうじて国民民主が残るが、国土防衛やインフラ維持と言った点が弱いにように見える。もっと堂々とした日本のためのプラグマティックな政党に化けてほしいのだが。
自民党は公明党が神社や祭りを肯定できないことをもっと真剣に捉えるべきだ。維新はもともと日本の伝統に興味などない。この二つの政党に良いようにされる自民党には滅びの道しかないだろう。
最後にもう一つ、現在の政治情勢についての漫談である。
自民党は高齢者の方だけを向き、立民は将来の世代のために政治を行うと嘯く。見捨てられた現役世代を救い上げるふりをしているのが、国民民主とレイワである。国民民主は生真面目に条件闘争を行っているが、どうせ既成政党に丸め込まれるに違いない、騙されるものかという政治不信と憤りを抱く壮年たちがレイワに一縷の望みをかけ、自暴自棄的に騙されているという悲惨な構図なのだと思う。
しかし左翼史的には興味深い。自分たちの空想の闘いの中で社会に迷惑をかけてきただけの左翼が初めて社会の現実と切り結んでいるともいえる。戦前はコミンテルン先生の言い付けを素直に守り、君主制ファシズムという幻想と戦って弾圧され、それが何故か反戦の栄光の歴史にすり替えられた。戦後は、スターリンの死でロシア革命に始まる左派の歴史がひと段落したところで、革命の大義のないままに革命を行う事や革命家になることが自己目的化した。大義がないから無意味なゲバルトで過激化し、自己目的に過ぎないから実存的に美化された。勝手な空想に浸りながら、というかだからこそ、悲劇の英雄として歴史化された。
いまはそんな呑気な時代ではない。社会と切り結ぼうとする左派は喜劇的でピエロのようだ。私はそんな連中に騙されるのは本当にバカバカしいと思う。しかし、しかつめらしい顔をして悲劇の英雄を気取る中身のないかつての左派よりは少しだけ評価をしたくなる部分もないわけではない。勿論、比較優位の問題であって、どちらも要らない。
左派以外でも兵庫で邪悪なピエロが政治を撹乱している。しかし、このトリックスターが如何に邪悪であろうと、自分たちが悲劇の起動因であることを絶対に認めず、正義面している真の悪、左派リベラルより邪悪ということはありえない。
とんでもない時代に生きていることだけは間違いない。
→文春が優勝パレードのキックバックの件を取り上げているようだ(見出しを見ただけ)。一年間〈パワハラ未満〉の件で〈公益通報〉の正当性を捏造したわけだが、今年は〈背任未満〉で混乱を持続させようというのだろうか。ともに起点は左派勢力である。
→『産経新聞』によると、兵庫県の百条委員会の報告書の修正案は以下のとおり:〈元県民局長が作成した告発文書について「公益通報者保護法上の外部公益通報に当たる可能性が高い」と記載。〉
告発者探しの違法性の可能性を語らなければならないという大前提(知事は悪人であり不信任は正しい)があっての判断であろう。百条委員会の立ち上げの前提もそういうことだろうし。すべてが無意味であり愚かしい。
→「パワハラと言っても過言ではない行為」という認定である。要はパワハラであるとは断定できなかったということだ。「パワハラ未満」である。どういうことか。人前で大声で叱責することは厚労省のパワハラの六類型の規定に適合する。しかし、一回ないし二回の事例だけであれば、常識的に考えて大きな問題ではない。常習的な行動かどうかが問題である。かつ、公益通報者保護法の保護の対象となるは、違法行為ないしそれにつながる行為を告発した場合だけである。この「パワハラ未満」がそれにあたるとは思えない。かつ告発のその他の項目が憶測ないしは噂話程度のゴシップを集めた者にすぎないのであってみれば、ますます保護の対象というのは難しい。本当にこんな出鱈目をたしなめる人がいないというこの状況が恐ろしい、というか空しい。
→ネットで検索すれば、パワハラが公益通報の対象でないことくらいすぐにわかるのにそのことに一切触れずに百条委員会の報告書の概要を一理あるかのように紹介するメディアに存在意義はない。すぐに閉業してください。
告発文が公益通報に当たらないことを隠蔽し、その出発点を曖昧にしたままいくら詳細な経緯を語っても何の意味もない。そんなゴマカシメディアはすぐに解散してください。
〈パワハラ未満〉では攻撃が維持できないとわかって、一年近く経過してから〈背任未満〉のことを言い出すというインチキ臭さ。証拠が見つかったというが何の証拠なのか。それは本当に法令違反の証拠なのか。少し関連のある何事かの証拠なのか。そんな見当違いのエビデンスでファクトチェックを豪語するならそんなメディアも今すぐ消えてください。
→邪悪な人がプライベート情報を暴露している。告発者の意図が〈公益通報〉ではなく、政治的なものであることを知るために、こんな暴露は要らない。〈告発文〉を素直に読めば一目瞭然である。それをしなかった政治家やジャーナリストや文化人の罪は重い。
左派リベラルを悪である。それに同調した旧勢力は間抜けである。日本を衰退させたのはこの連中であろう。
→公職選挙法違反の疑惑があるから斎藤知事は免罪されていないという人がある。この点については結果待ちであるが、このものの言い方からすると、公職選挙法違反があったら、斎藤知事へのこれまでの批判が全て肯定されるかのようである。仮に公職選挙法違反があったとしても、〈告発〉内容や懲戒処分を理由とする知事の人間性否定や公職追放が正当化されるわけではない。
→邪悪な人の暴露には二種の情報がみられる。とりあえずこれが捏造でない場合に何が言えるかを考えておく。斎藤知事派の切り崩し(クーデタ願望)と男女関係の不埒な内容である。不埒な文書の方はちゃんと読んでいない。これが不倫の証拠になるか否かが問題ではない。公用PCで不埒な作業をしていたことが懲戒処分の理由であるということがポイントである。そして、その内容が公になることの恥辱が問題である。〈告発文〉のパワハラ告発が告発者自身に対するパワハラではないことと合わせて、自死の理由がパワハラでないことが示唆される。不埒な文書側だけに注目して、これだけでは〈公益通報〉の認定に影響を与えないというふうに話をずらしている書き込みもみかけたが、それは勿論そうである。仮に不倫をしていたとしても、公益通報は可能である。そうではなく、〈告発文〉が職場における法令違反を告発するものではなく、政治的意図によるものだということの傍証が示されているということが重要なのだ。公益通報者保護法に違反した押収文書だから証拠能力がないという本末転倒な書き込みさえ見られた。むしろこの文書から公益通報でないということが裏付けられたということである。その調査の正当性はあの〈告発文〉を普通に読めば常識的に了解されるはずである。
→共同通信によれば、百条委員会は公益通報者保護法違反で押しとおすらしい。この記事がひどい。まず3月の〈告発文〉と4月の〈公益通報〉の違いに触れていない。さらに、斎藤知事は〈告発文〉を嘘八百といったが、一定の事実性がみとめられたから、公益通報者保護法の保護の対象になるというのだが、これは百条委員会の結論が酷いのか、共同通信のまとめ方が杜撰なのか。公益通報者保護法の保護の対象となる告発というのは、罰金・過料が課される法令違反である。この〈告発文〉にそんなもの含まれていない。3月の告発文の7項目のうち6項目については事実性が確認されていない。というより、6項目のうちの1項目については本人が憶測であると認めている。そのほかのパワハラを除く5項目はゴシップにすぎない。そして〈告発文〉がパワハラの事例として挙げたものに事実が含まれていたとしても、それがパワハラか否かについては、それとは別に判断する必要がある。そしてその件についてパワハラであるとは明確に断言できなかった。なにより重要なことは、パワハラ告発は公益通報者保護法の保護の対象になるものではない。この〈告発文〉を普通に眺めれば、公益通報に値しないことは一目瞭然なのに、そのことを法律関係者やジャーナリストや政治家や文化人が指摘しないことは本当に恐ろしいことだと思う。
→もう一度だけ繰り返す。公益通報とは、職場の不正=罰金・過料の課される法令違反について根拠をもって(結果的に間違っていても良い)告発することである。憶測も含む曖昧なゴシップを6つも7つも並べたものが、それに相当するとは私には全く思えない。政治的な個人攻撃に過ぎないことは火を見るより明らかではないか。しかも憶測による誹謗中傷も含むのであり、それを職務中に行っていたとあらば、処分の対象にするのは普通のことだ。
→『神戸新聞』によれば、百条委員会は「県職員の事前選挙活動や知事選に向けた投票依頼という2項目を除いて「一定事実が確認された」と判断」したらしい。「一定事実」とは何だろう。不可解な話である。その「一定事実」は罰金や過料を課されるような法令違反に関わることなのだろうか。
→→『読売新聞』によれば、「机をたたきながら怒るなどのパワハラや一部贈答品の受領などの疑惑については、「一定の事実が含まれていた」と総括」したらしい。パワハラ告発とオネダリ告発だけだとすると、公益通報者保護法の保護の対象ではないだろう。
なおパワハラ認定に当たっては、当該労働者の就業上に看過しえない支障をきたす(本来の能力を発揮できないなど)ようなものでなくてはならず、しかもその際にその人の主観的な判断ではなく、客観的な判断が求められる。
→→このタイミングで公益通報者保護法の改正案を閣議決定である。公益通報者に解雇や懲戒処分など不利益な扱いをした場合に罰金刑を課すものである。『毎日新聞』は今回の改正の議論で兵庫の事例が参照されたと報じる。それはそうかもしれないが、この記事の論じ方では、斎藤知事が公益通報者に不利益な扱いをしたことが確定事実のようである。果たしてそうだろうか。
→百条委員会の調査報告書の全文が出た。告発のなかに少しでもなんらかの事実が書かれていれば、その事実が法令違反(罰金・過料あり)と直接関係がなくても、公益通報とみなすべきというのは呆れるしかない。不謹慎なことを書くが、五百旗頭先生が要職を解任されたことが仮に間接的な死因であったとしても、それは違法行為なのか。そもそも間接的死因か否かなど証明可能なのか。そういうことは心で思っても言わないことだし、証明不可能なことを文書にしてばらまけば誹謗中傷ではないのか。それを処分したら公益通報の「告発つぶし」なのか。ほかの項目の一定事実とやらも別に法令違反の証拠ではない。うわさ話に事実が含まれていたとしても、それが違法性の証明にならない程度のものであれば、公益通報とみなさないのが常識だろう。そもそも五百旗頭先生の件は本人が取り下げているのではないか。そんな程度のことまで公益通報として意味があるというのか。この世の中はどうなっているのか?何よりである。公益通報というのは法令違反について根拠をもって(結果的に間違っていても良い)告発するものではないのか。曖昧な話を6つも7つも並べたてたものが、政治目的の個人批判ではないなどという判断が私には信じられない。
ファクトチェックの欺瞞的な在り方の典型である。
末法である。もうどうでもよい。
→一晩寝て少し冷静になったが、それでもひどすぎないかと思う。知事は嘘八百と言ったけれど、嘘でない部分もあったもん!知事が全部悪い!知事が公益通報でないと言ったのは間違っている!これは公益通報だ!告発つぶしだ!あまりにも幼稚ではないか。
大事なポイントなので繰り返しておく。
なおパワハラ認定に当たっては、当該労働者の就業上に看過しえない支障をきたす(本来の能力を発揮できないなど)ようなものでなくてはならず、しかもその際にその人の主観的な判断ではなく、客観的な判断が求められる。
→末法だと諦めようと思うが、諦めきれないところもある。
結局違法性は問えないのに訴訟を連発して違法性があるかのように見せかける左翼シンパたち(それを乗せられる法曹界)
違法性が問えないから只管針小棒大の人格批判を続けるメディアと文化人。
記者会見で質問の体の糾弾(答えようない言いがかり)で相手を問い詰めて相手の不誠実・不正義を印象付けようとする自称ジャーナリストたち。
こんなくだらないことを続けないことが今の日本の喫緊の課題ではないのか。
→公職選挙法違反の線も難しくなってきたとみたのか、選挙民のことを扇動された愚民と罵ったり、邪道の選挙として否定したりする人たちが現れた。これを言う方々の政治的立場が全然違うのが興味深い。兵庫で起きていることの真実を誰か教えてほしい。
文春や神戸新聞は飽くまであの〈告発文〉が公益通報だという線を押し通している。さすがに無理だと思うのだが。見出しを見ただけだが、斎藤陣営の選挙応援のLINEか何かで斎藤氏批判を《極左の洗脳》と誰かが呼んでいたらしいことを取り上げていた。何が問題なのか。表現は不適切だが、左派勢力による公益通報の政治利用と理不尽な人格攻撃のことを知事を応援する側がこのように言うのは筋違いではあるまい。
むしろ今気になるのは公職選挙法違反(買収)のほうの捜査結果だ。こればかりは押収資料の精査の結果を待つしかない。知事側からすると形式上の不備はないようだが、何か抜かりはあるのかもしれない。
文春によれば(ちら見だけだが)、冷血な知事と立花某の結合が憎悪に憎悪を呼んで悲劇が生まれたという。立花某の邪悪はそのとおりだが、〈はじめ〉の起動因、根本因を隠ぺいしたインチキなストーリーに過ぎない。公益通報の政治利用という悪事が根本である。エコ左派と旧勢力の反斎藤派とマスメディアの連携のなかで一方的な知事の人格否定と公職追放という非道で不公正な暴力が展開された。それが悲劇の起源である。その横暴について多くのマスメディアは糊塗するか頬かむりしたままであり、文春はむしろその暴力性を正義と勘違いさせようと開き直っている。これこそが日本の癌である。
→兵庫の悲劇の根本因は左派及び旧勢力と連携したマスメディアの一方的な人格批判であったのに、メディアはそのことを覆い隠すべく立花某(勿論邪悪ではある)にすべての責任を擦り付けようとした。いまだにテレビに簡単に左右される人たちがいるのも不幸なことだ。そういう人が直情的な行動をとった。マスメディアは本当に末期癌である。
→瀕死のマスコミ関係者はすべてを道徳主義的扇動で押し切る気らしい。末法である。
どうやら日本は終わったようだ。NHKによると、兵庫の件、第三者委員会も公益通報者保護法違反を認定し、かつパワハラも認めたという。めちゃくちゃである。言ったもん勝ちである。この国は司法関係者とメディアとサヨリベたちによって無法の国となるのだろう。もう知ったことではない。
後学のために法曹関係者に是非解説してほしいことがある。私の公益通報者保護法の理解は、正直に言うとウィキペディアによっている。この説明を見る限り、パワハラが公益通報者保護法の保護の対象となると思えないのだ。その他の事項について事実相当性があるというのだろうか。事実相当性というのは違法性を問えない程度の周辺的な事実が形式上盛り込まれていたらそれでよいのか。そしてそのような法律の在り方は本当によいものなのか。
第三者報告書ダイジェスト版に目を通した。
結局、問題は、公益通報該当性(3号通報)にかんする判断である。罰金を科される法令違反に関わることに少しでも触れていれば、通報事実要件(真実相当性)を充足しているということらしい。ゴシップを積み上げて法令違反と少し言い添えれば、公益通報になるということらしい。オネダリの噂を贈収賄罪に結び付け、キックバックの噂を背任罪に結び付け、パワハラは暴行罪や傷害罪一歩手前だと言い張れば公益通報らしい(そんな明確に書いてあるわけでもない)。しかもこの場合は〈告発文〉自体は法令違反を指摘することを明確な主眼とはしていないというのに(冒頭を見よ)。法令違反の指摘など〈告発文〉のなかの周辺の周辺に微かに窺われるだけである。公益通報というのは不正(法令違反)について根拠(結果的に間違っていても良い)を以て告発することではないのか。
この〈告発文〉が全体としてゴシップを並べて個人攻撃をしているという、火をみるより明らかなことを無視していることが第三者委員会の判断について最も納得のいかない点である。〈告発文〉の全体像と性格を見失っている。まともな告発なら、一つ一つ掘り下げて告発するものではないのか。
優勝パレードについて、副知事が二つの事業に関わっていたから、「見返り」を疑われても仕方がなく、その指摘に「真実相当性」があるのだという。〈疑惑〉論法である。この疑惑は〈告発文〉の一連の知事派攻撃の一環として語られているのだから、間接的根拠に基づく「合理的判断」と簡単にいうことはできない。疑惑によって政敵の印象操作を行うことはよくあることである。それに対して疑惑だけで人を裁かないのが司法の公正さの根拠ではないのか。
実際のところ報告書による〈告発文〉の評価を見ても私には個人攻撃であることは明かにみえる。〈不正の利益を得る〉ことを目的としていないとしても個人攻撃目的であれば、それは公益通報ではあるまい。知事の失脚を目指したものではないと簡単に断じているのは安直であろう。
「本件文書には数多くの真実と真実相当性のある事項が含まれている」という語り口も全体像を見失ったものである。より質の悪い出鱈目の中に本当のことが含まれていたとしても普通は説得力はない。県政の改善を本当に考えていたなら、こんなやりかたはしない。
原因・背景分析も浅い感じである。県庁内のコミュケーション不足により公益通報が誹謗中傷として捉えられたという。県庁内の政治力学という肝心なことには触れられていない。パワハラ的風土の改善という提案はもっともだが、むしろそれは知事の行動の弁明となっている。
最後のまとめも一方的である。パワハラ知事の人格否定という昨年一年間のメディア及び兵庫の政治勢力の政治運動の主張を肯定したものだ。しかし、もともとの〈告発文〉はパワハラ告発を主眼としたものではない。〈告発文〉のなかのそもそもの個人攻撃の諸項目のなかにパワハラが含まれていて、そこしか、取り上げるにたる事実性がなかったから、そこが集中的な攻撃目標となった。その不公正を指摘するのが第三者委員会の役割ではなかったか。
この報告書は、〈告発文〉が県政の改善につながったことを評価するが、それが不当な個人攻撃を正当化する理由にはならないだろう。また、〈告発文〉全体の主旨がそこにあったとは到底思えない。
以下、具体的な内容をもう一度確認しよう。
また「21世紀機構」の人事の件であるが、五百旗頭氏の死因とは断定できないとしつつ、もっと適切な伝達方法があったはずという。しかし、それは法的な問題なのか。行政として責任を問われるべきことなのだろうか。しかも私はずっと誤解していたのだが、五百旗頭氏自身の解任ではなく、これは実は副理事長の解任の話である。その人事が同氏の心的なストレスになったとしても、不正行為というにはほど遠い。人事改革案に県職員として疑問を抱くことがあったとしても、それは内部告発すべき不正という話ではないだろう。
まずこれが〈告発文〉の冒頭である。こんな内容のものを知事を糾弾する(以下の項目から明らかである)ために各所のばらまく行為が公益通報だということが私には信じられない。元裁判官だろうが、誰だろうが、こういう恣意的な判断が堂々とまかり通る世の中にしてよいとは私には思えない。むしろ司法への信頼がさらに揺らぐ出来事だと思われる。
(かつ、3月の〈告発文〉の冒頭にあったこの項目が4月の通報時に省かれていることの意味を何故検討しないのか。当人も公益通報のふりをするためにはそれが邪魔だと考えたからではないか。つまりこの項目を冒頭に掲げた本来の〈告発文〉が公益通報ではないことは当人も自覚していたということであろう。)
知事選挙をめぐる不正の告発に関する二件は事実では無いという。典型的なゴシップではないか。
オネダリの列挙もゴシップであると確認されている。〈告発文〉に記載されていない件で、スキーウエアや竜山石の贈与を打診したことはあるらしい。それが不正とは思えないし、〈告発文〉に記されていないということは、むしろ〈告発者〉が知事に関する確実な情報をもたずに曖昧な噂をもとに針小棒大の誹謗をしていることの証拠ではないか。ベニズワイガニの受領は違法な収賄でなくとも辞退した方が良かったという判断が記されるが、法的というより道徳的な判断である。
政治資金パーティ券の販売を巡る不正も事実無根であった。
優勝パレードのキックバックも無かったという。資金調達のやりかたに無理があったために疑念が抱かれるようになったことを批判するが、少なくとも現在告訴されているような背任という話ではないだろう。
結局、〈告発〉として事実に相当することを述べていたのはパワハラの件だけなのだ。しかも事実でないことも含まれている。とすれば、確実な根拠を以て〈告発〉をしたというより、噂話を書き並べたなかに事実もあったというだけのことである。
パワハラ認定の基準の問題もある。厳しい基準としては〈当該労働者が本来の能力が発揮できない状態になること〉がある。威圧的な態度で職員を委縮させ勤務環境を悪化させたことと理不尽な要求がなされたという判断である。具体的な話としては、AIマッチングシステムや介護テクノロジーなどの事業開始が知事の叱責による士気の低下によるものだとしているが、本当に要因はそれだけなのか。しかも、いずれも職務上の要求である。理不尽な要求も含まれてはいるが、知事を追放すべしというほどのこととは思えない。最低限言えることは、マスコミや各政治勢力を挙げての知事の人格否定と公職追放運動を正当化するほどのこととは思えないということである。
結局法的判断というより、リーダーとしてあるべき行動をとらなかったという道徳論である(橋下徹氏の判断と通底している)。そんなことは弁護士が語るべきことなのか。勘違いしていないか。しかも、それを〈明確な違法〉と言い切るのは職権乱用ではないのか。
司法の横暴が世の中を撹乱することがないように、斎藤知事には是非この第三者報告書を否定してほしい。もう限界かもしれないが。
→どう考えてもおかしな話である。もう一度「21世紀機構」の件を考える。副知事が理事長に人事を通告したこと、その後理事長がなくなったことは事実である。それから理事長が人事に激怒したらしいことも事実かもしれない。この三つは事実かもしれないが、この三つの事実で〈告発文〉のメッセージが出来上がっているわけではない。知事と副知事のせいで理事長がなくなったという陳述が中核であり、これがなければ彼のメッセージは成り立たない。この場合、メッセージの構成要素に事実が含まれている否かということが最も重要なわけではないだろう。事実をもとになされた邪推や憶測も根拠があるのだから尊重すべきという判断に私は同意しかねる。そんなことは言うべきことではないし、文書にしてばらまくなどもってのほかである。さらに報告書の作成者は、この〈告発〉に県政改善の意図が込められていたかのように語る。そんなことは〈告発文〉の文面には書かれていない。読み込みすぎである。不公正というべきであろう。この報告書の作成者の一貫したナラティブは、この〈告発文〉が県政改善の意図を持つというものだ。知事派を攻撃することが県政改善につながると考えていたとは推測できるが、この文書に明示的に見えるのは個人攻撃の部分だけである。その部分抜きに県政改善のための文書と見なすのは欺瞞であろう。
ChatGPTに事実相当性について聞いてみた。どれくらい信頼できるかは知らない。
内部告発について次のようなケースを挙げている。「社長が粉飾決裁をしている」とメディアに告発したが、後に検証したら違法性が認められなかった。しかし、当時の情報は会計記録や証言に基づきそれなりに信憑性があった。そのような場合には事実相当性が認められることもある。兵庫の〈告発文〉のケースとは随分違う印象を受ける。第三者委員会は例えばキックバック疑惑にそれなりの信憑性があったというのだろうか。
ChatGPTは事実相当性の基準を4つ挙げる。本当かどうかは知らない。それなりにもっともらしい。
1 取材・調査の方法は適切だったか。
兵庫の件について、この点の検討はなされているようには見えない。そもそも調査らしい調査はしていないのではないか。
2 情報の出所が信用に値するか。
関係者の情報を含むと報告書は評価しているが、いかなる関係者か不明である。結果がゴシップの寄せ集めであることを考えると、確実な情報源からの情報ではないとみなす方が適当であろう。
3 報道や発言の意図が公益目的であったか。
報告書は、この点を言い繕うのに腐心している。県政の改善という公益目的があったのだとする。〈告発文〉の各項の記載からそれを読み取るのは私には困難である。外挿された意図というべきだろう。知事一派を弱体化させることで県政を改善したいという願望があったということは推測できるが、それを純粋に公益目的として評価すべきかは疑問である。
4 内容が完全に虚偽ではないか
確かに完全に虚偽ではなく、事実も含まれている。しかしである。メッセージの中核が恣意的な個人攻撃である場合、周辺的な事実性が認められても、そのメッセージは虚偽的というべきではないか。
ChatGPTは「ある程度の誤りが含まれても、全体的な事実関係としては妥当である場合」は事実相当性があるという。断片的な事実性は認められても、その関係性が曖昧な場合はこの例にはあたらないだろう。
ChatGPTの事実相当性の理解がどれほど正しいのか知らない。しかし、一応もっともな見解に見える。少なくとも第三者委員会の面々が大威張りで〈明確に違法〉と断言したことを疑うには十分である。一般論であるが、この問題のように複雑に錯綜した案件を一刀両断にして上からご託宣を述べる人が信用できないというのはよくあることだ。
→何が悲しいか、いや恐ろしいかと言えば、日本国中に法律に詳しい人はごまんといるはずなのだが、誰一人この第三者委員会の報告の非道をたしなめる人がいないことだ。滅びゆく国の悲哀だろうか。こんな呆れた話には関わらないところで、まっとうに日本を継ぐ人がどこかに居続けてくれることをただ祈るのみである。
この〈告発文〉を公益通報と見なすことに対する疑問は以下のとおりである。
1.この〈告発文〉の基調は斎藤知事に対するゴシップの羅列である。私の常識ではそれは斎藤氏への個人攻撃である。この文面(ゴシップの羅列)のなかに県政の改善の意図を見るのは無理がある(知事派の弱体化による県政の改善を目指していたとしても、まずこの文書自体はその前段の個人攻撃が第一義である)。意図の外挿にすぎない。斎藤氏が自分への個人攻撃と理解したのはむしろ自然である。
2.その中に若干の事実が含まれるとしても、上記の基調を覆すほどのものではない。
3.そのわずかの事実性は法令違反を証拠立てるものではない。
4.〈告発文〉の中に贈賄罪、背任罪、暴行罪・傷害罪に言及があるとしても、それらの法令違反について真面目に追及して告発したものではない。むしろゴシップの羅列のなかで、違法行為の可能性に触れることで斎藤氏を悪人として印象付けるためのものである。そもそも法令違反を告発したいなら、個々の問題を丁寧にとりあげるはずであって、こんな粗雑な扱い方はしないだろう。このようなコンテクストのなかで示されたキックバック疑惑について、コンテクストを無視して間接情報からの合理的判断と見なすは、解釈者の恣意あるいは空疎な形式的処理にすぎない。
5.そもそも法令違反と関係ない情報が大半をしめるなかで、ごくわずかに根拠薄弱な法令違反の可能性に触れたからと言って、この〈告発文〉の基本性格が変わると思えない。公益目的の文書と見なすのは不可能ではないか。
6.というよりなにより、この〈告発文〉を一読して公益通報だと感じる人はどうかしていると私は思う。
→この一件は日本国の将来に禍根を残すだろう。第三者委員会という公正さを保証する仕組みが信頼性を失ったからである。第三者の恣意的な判断を錦の御旗にしてメディアがまたぞろ斎藤氏攻撃を再開しつつある。勿論形式的には間違っていない。しかし、そこに実質はない。中身のない国にふさわしい成り行きなのかもしれない。
→その人なりの公益の意志が看取できれば、根拠薄弱の個人攻撃も許されるというのはとても危険な発想ではないか。
→橋下徹氏が斎藤知事の人間性をここまで貶める理由は何だろう。彼は政治の世界で多くの政治リーダーを見てきた人だから本来ならば私などが物申す立場にないのだが、彼の斎藤氏批判は異様である。兵庫県庁の職員がパワハラを告発できなかった状況をオーム真理教のようであり恐ろしいというのは明かに見当はずれだろう。冷静な判断とは思えないのだ。私は、むしろ百条委員会や第三者委員会のどう考えても間違った判断が、両委員会の権威を疑うことのない市民によって無批判に受け入れられている状況のほうがよっぽど恐ろしい。こうなってしまうと斎藤知事としては不本意だろうが、太刀打ちはできないか。本当に末法である。
→斎藤知事は第三者委員会の不当な判断とそれを盾に取った兵庫県政界各派及びメディアの暴力に屈しなかった。大したものである。いまだに百条委員会や第三者委員会に理があるという前提で、斎藤知事を非難する声が聞こえる。馬鹿げたことだ。
しかし、まだ公職選挙法違反(買収)の件が残っている。ここでまたどんでん返しがあるのかもしれない。書面上の合法性を覆す証拠は見つかるのだろうか。常識的な支払金額であれば、そこに買収分を含むと見るのは難しいはずである。従来の判断との整合性もあろう。さてどうなることか。
→県職員の声を代表する顔をして労組の親玉が斎藤氏批判にしゃしゃり出てきた。労組とエコ左翼が結ぶのはよいのだが、それに旧保守勢力が乗っかり、マスメディアのジャーナリスト・文化人が左右問わずに反斎藤側に立つ。不思議な構図である。衰退日本の縮図である。〈告発文〉が公益通報でないことは明かすぎるというのに。
→フジテレビの不祥事に関する第三者報告書が出された。私は読んでいないのだが、ちゃんとしたもののようだ。以前のジャニーズ事務所に対する第三者報告書も優れたものであったし、兵庫の低水準の第三者報告書のせいで失われかけた第三者報告書という方法論の信頼性が回復出来て慶賀の至りである。橋下徹氏は斎藤氏にフジテレビの第三者報告書を熟読するようにと説教なさっている。わけがわからない。
→兵庫の政治家(一部だろうが)はどうかしている。斎藤氏の不信任をもう一度出す気らしい。県民から選ばれた斎藤知事が、新たな任期のなかで問題をおこしたのならともかく、どう考えても勘違いとしか思えない第三者報告書で不当に貶められているだけなのに。末法である。
→反斎藤派の兵庫の政治家やジャーナリストのもとに膨大な脅迫メールが届いているという。そんなバカバカしいことはすぐやめるべきだ。しかし、このような愚行を簡単にやめさせる手がある。百条委員会報告書と第三者委員会の報告書が間違っていることを認めることだ。そうすれば、こんな混乱はすぐ止むだろう。もしマスメディアが公益性を標榜するなら率先してその方向に舵を切るべきだ。これは脅迫に屈することではない。間違いを間違いと認めるだけのことだ。
→兵庫をめぐってマスメディアが死に続けているようだ。集英社オンラインが兵庫県の職員内定者の46%が辞退したことを斎藤知事の横暴に帰責しようとしている。しかし、過去にもこの程度の辞退者があったことがネット上で指摘されている。情報源をきちんと確認していないが、過去の記事の写真などが添付されており、ありそうな話である。
→この国はどこまで馬鹿げた国になるのだろう。『毎日新聞』の世論調査。斎藤知事は第三者委員会の報告書を受け入れるべきかとの問い。受け入れるべきが59%。第三者委員会の独立性や公益通報者保護制度の意義を強調する意見あり。受け入れるべきではないが12%。第三者委員会の中立性に疑いありの意見。
問題は報告書の妥当性なのだ。第三者委員会だろうがなんだろうが、出鱈目な内容のものを受けいれる必要はない。その内容の問題をきちんと伝えるのがマスメディアの仕事である。
マスメディアの世論調査とは、要は直前の報道内容への反応を測定しているだけである。第三者委員会の独立性や公益通報者保護法の意義を語る情報がメディアで多く流されれば、それに反応する割合は増える。それだけのことだ。要はメディアの情報操作がどれだけうまく行ったかをはかっているだけである(当該メディアの世論調査の電話に出るか否かという判断がサンプリングに影響を与えているはずだが、あまり語られない)。まあ大成功のようである。末法である。
→→兵庫の脅迫メールの件であるが、マスメディアの偏向報道と二つの報告書の不公正が背景にあることを決して忘れてはいけない。そのことを反省しないマスメディアに公共的なメディアとしての存在意義はない。かつこの件の詳細は知らないが、メールによる脅迫ということであれば、SNSによる誹謗中傷とは異なる(関係はあるだろうが)。SNSが悪でマスメディアが正義という図式はありえない。
→『朝日新聞』によれば〈立憲民主・川内博史議員の質問に答えた。伊東消費者相は答弁の中で、「県議会や第三者委員会などでかなり長時間にわたり審議されてきているものとして、解釈及び結論には一定の納得をしなければならないという思いをしている」と述べた〉。度し難い形式主義・権威主義。お前たちは自分の頭で考えることを知らないのか。立民も自民も要らない。
ついでにイスラーム教国の同性愛者を難民と認定する判決がでた。司法の横暴は目に余る。迫害の具体的な事実の明確な証拠が出されない限り認めるべきではない。自己申告や状況証拠や支援団体(左派系であろう)の証言などでは不十分である。そうでなければ、偽装難民の思うつぼである。司法の横暴にNOを言わなければならない時が来ている。次の最高裁判事の国民審査をそのために流用しよう。そのほかに、市民が司法に異議申し立てをする有効なチャンネルはないのだから。
おわりに
・少子化のアジア的コンテクスト
・コンパクトシティ論を新自由主義的な弱者切り捨ての視点から批判するのは間違っている
・次なる同性婚裁判に寄せて
・渡来人
・司法の横暴への異議申し立てを忘れないようにしよう
・我々が確認すべきこと
・私にとって全く納得できないこと
・いま夫婦別姓に賛成できない理由
・日本が末法となった背景は何かii
・親ガチャ論の歴史的位置(超暫定版)v
・ホワイトカラー幻想?
・法令違反問題再び
・サヨリベ・フィールドの消滅のために
・日本の倒錯
・マスメディアのフェイクニュース批判の欺瞞性
・今度の最高裁判事の国民審査のために
・アテンションエコノミー?
・詭弁?
・私の基本的立場(暫定版)
・絶望的
・もう一言(イデオロギー装置としての教育、NHKのコミュニティ・ノート批判の浅薄)
・あきれたのでもう一言:ニュースヴァリュー? Ii
・本当にもう一言だけ。
・本当に最後にもう一言。騙されるな。それはアップデートではない。
・世直しを夢見る人へ
・雑vi(含、当事者問題)
・売国政党自民党に滅んでもらうことを我々は真面目に考えるべき段階に来ているのだろうIII
・雑+(イオン・ドラッグストア・地方社会の衰退、クルド人問題―NHKの即時解体を!:サヨリベの詭弁―外国人一般への差別やヘイトという問題ではないーベトナム人の場合との違いーすべてNHKが悪い 知識人工作への警戒 習近平のベトナム訪問 すべての悪の根源―サヨリベ)
・目を覚まそう!
・NHKのインチキ報道とバカサヨ(森友問題の公文書開示の件)
・地方自治・資本主義・市民派・愛国・伝統・プラグマティズム
・NHKが引き続き恥をさらしている。もちろんクロ現一派である。劣等、愚鈍、不誠実、卑怯。
・いわずもがなのことだけれど、政治家の軽佻浮薄は目に余る。国民民主党である。地方首長の選挙で、左派リベラル市民派がやや優勢と見るや、そちらに寄せてきた。夫婦別姓の方針を決め、立民・れいわ寄りの候補を物色中らしい。こういうのが一番駄目だよね。我々はバランスの取れたプラグマティズムを求めているのであって、本性を隠した風見鶏はもっとも唾棄すべき存在だとみなされても仕方がない。唾だけでは足りない。汚物まみれがお似合いだ。
→→もちろん国民民主党の支持母体が連合であることくらい知っている。しかし、弱小政党が大風呂敷を広げて〈国民〉民主党を名乗ったのだから、意地でも国民政党を目指さなければ、何のために党を作ったのかわからない。結局、連合の操り人形。名前なんかに拘るやつが馬鹿だということか。それなら私も言い返そう。虚偽の名前を語って人をだまして平気の平左、まことにもって詐欺政党と呼ぶにふさわしい。日本でもっとも惨めな政治家集団、それが国民民主党。
→とはいえ、「外国人の土地取得」に対して、売国自民にモノ申しているのが国民民主党。いまは、現役世代支援、財政の再構築、日本の国土防衛に集中してほしい。そうしてくれるなら、上の罵詈雑言は撤回する。
立憲民主党の節操の無さを嗤おう。食品関係の消費税をなしにするという。おいおい。どういう福祉国家をつくるのか。それはこれまでの構想と何が違うのか。それを語らず減税だけで選挙民に媚びるとは。消費税死守の枝野氏の清々しさ。こちらのほうが政治家としてよっぽどましである。高齢者福祉は減らせない、インフラの更新は不可欠である、現役世代の生活および社会的再生産の支援は切迫した課題である。何を切るべきなのか。答えは明白である。空疎な理念に基づく恣意的な社会改革である。LGBT法案を廃止し、関連予算をすべてなくすこと。そういう財政改革の現実的提案なしに食品消費税を減らしたから庶民に寄りそってますというゴマカシがいまどき通用するものか。いや、選挙民が馬鹿だったら、通用するのかもしれない。末法である。
江戸期男色関係一資料紹介(2023年2月7日)
能登メモ(2025年1月6日iii 7日 8日iii[マスメディアが再生したいならジャーナリストモドキと一線を画す必要があろう][洋上風力発電と漁場] 10日[高知さんさんテレビ・テレビ愛知][過去の災害の経験][土砂崩れ] 11日[仮設住宅の居住性iii][電柱] 13日[メディアが現地の声の信頼性を毀損する懸念][発災一年後] 14日[邪悪な存在が報道の正義を振りかざす異常と倒錯を一刻も早く終わりにしなければならない] 15日[マスメディアの勝利のむなしさ] 16日[中央のテレビは本当に要らないxii][防災・復興と外国人労働者][昔話は要らない][能登の林業][観測されたことのない地震―安心な空間の確保] 17日[歩道の凸凹] 18日[避難所問題についてもう一度][迷惑な話] 19日[続き][
プライドの高い左派リベラルはこのまま自らの信頼性を毀損し続けるのか] 20日[思い込みの再生産][能登の史跡・遺跡:時国家を忘れないように][寒ブリ祭り][住宅の再建][学校支援] 22日[本格復旧][入札不調][道路の修復][公費解体の計画変更][岩ノリの再生][復旧作業の諸相] 23日[みなし仮設][デジタルアーカイブ][和倉温泉][南谷良枝商店] 24日[余効変動][祭りの継承][石川県の初動対応][海の生態系の破壊] 25日[能登のピンチ][NHKクロ現の一貫した低水準iii―NHKは民営化せよ] 26日[鱈の子付け][やっぱりクロ現はレベルが低いv][優先順位の問題] 28日[《みんなで、のりこえよう》][KDDI災害対策訓練―通信確保のための連携ii][富来の岩ノリ][御陣乗太鼓] 29日[町野の塗師の一年][病院の官民連携] [道路網の強靭化][生活道路の復旧の遅れ] [解体から再建へ] 30日[常盤貴子さんと高屋町][もう一度予備費について][珠洲のバイク愛好者カフェ][志賀町立富来病院][珠洲の炭窯] 31日[珠洲の解体業者―家を潰すことの辛さii][修繕という選択肢][安全第一][解体後の不安][黒島周辺の海底の変化] 2月1日[海底の隆起量][中央メディアの災害報道の悪影響iv][防災DX][能登絶景海道:サイクリングロード] [県外避難者の動向][能登復興の海外展開][配管][馬緤の分散型水道システム][水道DX] 3日[復興計画][住まいの意向・事業所の現状] [輪島商工復興センター][金沢の解体業者] [アマメハギ:能登町と門前町の共通項と相違点、伝統の継承の意義と困難] 4日[NHKクロ現の水準の低さについてもう一度考えておくiii] 5日[無益有害なうっぷん晴らし][立山][仁江町の長期避難世帯][融雪装置の排水溝の破損] 6日[LGBT運動の能登進出][見回り相談][松波の移動スーパー][有畜循環型有機農業] 7日[門前中学校][ コミュニティBASEうるしはら(仮称)][大雪] 12日[順調な公費解体][あらためて土石流と豪雨被害の凄まじさ][排泄問題][断水問題:実に不愉快な『朝日新聞』][洗濯・クリーニング支援] 17日[仁江の災害公営住宅][防災庁・デジタル庁の仕事][関係人口とぶらり旅] 18日[輪島のベトナム人女性―石川テレビの素晴らしい特集][市町の復興計画][マイナンバーカードを用いた避難所運営][2024年の輪島港の漁獲量] 19日[ダンプ乗りー復旧・復興の影の主役] 20日[文春の真浦ルポに対する違和感] 22日[除草][伏木の文化財の公費解体][新病院:のと里山空港の中心性] 23日[中屋トンネルの復旧状況] 24日[無意味な比較] 25日[能登の政治状況] 26日[大谷の親子―また石川テレビの優れた特集] 27日[輪島の集団移住][珠洲山伏山の遷座祭―合同会社AMANEの活動][重蔵神社とボランティアの連携][訪問看護][青柏祭] 28日[能登の林業] 3月2日[災害支援物資の一元的管理] 3日[道の駅〈すず塩田村〉営業再開][能登の主体性] 5日[石川県地域防災計画―県の責任を問うなら、きちんと地震学者や防災学者の責任も問うべきだii][珠洲市の断水状況] 7日[寺社の再建状況][生活道路の修復が当面の第一の課題ではないか][子供たちのための生活環境][バイキング形式の給食][和倉温泉加賀屋の高岡進出][土木―復興の根本] 9日[宇出津の魚の空輸] 11日[記憶][「真の復興」?][漁港の修復] 13日[鹿磯漁港] 14日[用語法についての弁明(再掲)][液状化:内灘町の困難] 16日[能登町小木中学の閉校][二次避難作戦の検証] 17日[つづきii] 21日[狼煙漁港][仮設住宅の建設完了][砂防堰堤][輪島港] 22日[能登町長選挙と公費解体] 23日[再建の諸相][花の半島] 26日[局面の変化][飯田港の本復旧][自宅の解体][のと里山空港の本復旧] 27日[国道249号の本復旧][被災河川の本復旧][復興意識の男女差][津幡町緑が丘] 28日[斜面崩壊:地震災害と豪雨災害の関係][災害公営住宅][避難所用ベッド・トイレの分散備蓄] 29日[マグニチュードii] 30日[続きii] 31日[モーメント・マグニチュードii][日本の存在感のなさiii] 4月2日[大地震を客観的に比較する] 3日[太魯閣渓谷の現在][ミャンマー:ベトナム隊の活動] 4日[セメント][イカTシャツ] 5日[〈6日間の記録〉の新動画:本当に貴重な記録ii] 6日[ミャンマー:ハノイ放送情報][災害とAI] 7日[能登地震の固有性:ミャンマー地震との比較][休日市民] 8日[思想家のご託宣][強靭化・雇用・子育て・教育] 10日[農耕儀礼の危機] 11日[鹿磯漁港の再開―大事件][狼煙港はいまだ出漁できず][珠洲の洒落たお店][仮設住宅の完成・避難所の閉鎖][ミャンマー:Arrowsの臨時診療所] 12日[現地性・当事者性の相対化][ICT建機による圃場復旧] 14日[避難所問題の建設的再検討] 15日[〈見捨てられた〉論の新視角] 16日[ミャンマーの避難所][生活道路の復旧][医療と子育て][山本太郎さんへの提案] 18日[静岡糸魚川構造線] 21日[お風呂][宇出津曳山] 23日[桜][公費解体の進捗と許しがたい事態])
資料(『大南寔録』中自然災害関連記事一覧表・疫病記事関連一覧表・飢饉関連記事一覧表)
研究 (要更新・・・)
*主要な論文等
(1)「植民地期北部ベトナム村落における秩序再編について:郷約再編の一事例」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』24(1992年)
(2)「一九世紀ー二〇世紀初頭北部ベトナム村落における族結合再編」吉原和男・鈴木正崇・末成道男編『<血縁>の再構築:東アジアにおける父系出自と同姓結合』(風響社、2000年)
(3)「黎朝期北部ベトナムの郷約再編に関する一史料」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』32(2000年)
(4)「ベトナム村落と知識人」小島毅・伊原弘編『知識人の諸相:中国宋代を基点として』(勉誠出版、2001年)
(5)「タイソン朝の成立」『岩波講座 東南アジア史 第四巻』(2001年)
(6)「阮朝:<南北一家>の形成と相克」『岩波講座 東南アジア史 第五巻』(2001年)
(7)「紅河デルタ沿海部開拓史研究の概観」平成12〜14年科学研究費補助金(基盤研究(B)(1))研究報告書(研究代表者:春山茂子)『紅河デルタの環境変動と環境評価』(研究課題番号:12572040)(2003年)
(8) 「20世紀初頭ベトナムの通史について」根本敬編『東南アジアにとって20世紀とは何か:ナショナリズムをめぐる思想状況』(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、2004年)
(9)「『寿梅家礼』に関する基礎的考察」『慶應義塾言語文化研究所紀要』37号(2006年)
(10)「『寿梅家礼』に関する基礎的考察(二)」『慶應義塾言語文化研究所紀要』38号(2007年)
(11)「ベトナムにおける王朝の終焉」鈴木正崇編『東アジアの近代と日本』(慶応大学出版会、2007年)
(12)「『寿梅家礼』に関する基礎的考察(三)」『慶應義塾言語文化研究所紀要』39号(2008年)
(13) 「村方に残る阮朝期公文」(蓮田隆志、松尾信之と共著)科研費報告書『文献・碑文資料による近世紅河下部デルタ開拓史研究』(研究課題番号 17401021 研究代表者:八尾隆生) (2008年)
(14)「ベトナムの伝統的私塾に関する研究のための予備的報告」『東アジア文化交渉研究』別冊2号(2008年)
(15) 「『寿梅家礼』に関する基礎的考察(四)」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』40(2009年)
(16) ”The Sinification of the Vietnamese Village: Family Genealogy and Ancestral Hall.”ISHII Yoneo ed. The Changing Self Image of Southeast Asian Society during the 19th and 20th Centuries.Tokyo: The Toyo Bunko,2009.
(17) 「ベトナムの家礼と民間文化」 山本英史編『アジアの文人が見た民衆とその文化』(慶應義塾大学言語文化研究所、2010年)重大な誤りあり。
(18)「阮朝朱*本と『大南寔録』」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』41(2010年)*石へん
(19)「ベトナム阮朝の辺陲統治:ベトナム・中国国境沿海部の一知州による稟の検討」山本英史編『東アジア海域叢書 近世の海域世界と地方統治』(汲古書店、2010年)
(20)「17世紀後半ベトナム北部村落の「売亭文契」に関する覚書」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』42(2011年)
(21)「ベトナム阮朝期のラオス方面ルートに関する覚書」研究費成果報告書『中・近世ベトナムにおける権力拠点の空間的構成』(課題番号:20320111、研究代表者:桃木至朗)
(22) ”Confucian Family Ritual and Popular Culture in Vietnam.” Memoirs of the research department of the Toyo Bunko. No.69(2011)
(23)「ベトナムにおける家礼の受容と改変:祭文を中心に」吾妻重二・朴元在編『朱子家礼と東アジアの文化交渉』(汲古書院、2012年)
(24)「ベトナム阮朝期初学テクストの中の国土・国史:『啓童説約』の検討」山本正身編『アジアにおける「知の伝達」の伝統と系譜』(慶應義塾大学言語文化研究所、2012年)
(24)「ベトナム阮朝期の徴税・徴兵に関する新史料の紹介」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』43(2012年)
(25)「『天南四字経』に関する覚書」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』44(2013年)
(26)「江戸時代の日本人のベトナムに関する知識とイメージ」『越日関係史の回顧と展望:中部ベトナムの視点から』(シンポジウム紀要、ダナン、2013年→Đại Học Đà Nẵng, Viện Nghiên
cứu Phát triển Kinh tế - Xã hội Đà
Nẵng , Trung tâm Xuc tiến Giao lưu Việt – Nhật tại Đà Nẵng.2015. LỊCH SỬ VÀ TRIỂN VỌNG MỐI QUAN HỆ VIỆT NAM –
NHẬT BẢN: NHÌN TỪ MIỀN TRUNG VIỆT NAM. Hà Nội: Nhã Xuất bản
Thông tin và Truyền thông.)
(27)「「売亭文契」に関する覚書 其の二」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』45(2014年)
(28)「七洲洋に関する覚書」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』46(2015年)
(29)「『初学問津』に関する覚書」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』47(2016年)
(30)「ベトナムにおける通史的歴史認識の研究のためのノート」『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』48(2017年)
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