東京国立博物館 百五十年史編纂室長
多数のご視聴
ありがとうございました
平家を語り、琵琶を弾じる。平曲は盲目の琵琶法師によって語り継がれてきた八百年続く日本の伝統文化です。『平家物語』の本来の姿は、琵琶法師によって語られるものです。近代の演奏とは違う、古来の語りと琵琶の調べを通して、平家一門の優しさ、温かさや素晴らしさを、そして、日本の歴史を作ってきた語りの力を体感してください。
〈演奏予定〉「祇園精舎」「大塔建立」「卒塔婆流」「那須与一」
平曲(正調平家琵琶)弾き語り奏者。1979年東京生れ。1999年故金田一春彦先生・須田誠舟先生の下で、平曲を学び始め、指導を受ける。現在は、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、三菱重工業㈱防衛・宇宙セグメントに勤務。数少ない平曲継承者として、一人でも多くの人に平家の語りを聞いてもらうため、平家一門の素晴らしさを伝えるために、平家ゆかりの嚴島神社、六代御前墓所や京都の地蔵寺を始め、全国の神社仏閣、各種教育機関(全国の小中学校、大学や教科書)、NHK大河ドラマ「平清盛」展など平家に関連する各種イベントを中心に年間50回近くの演奏、講演活動を行っている。また、2005年からは宮島観光大使に就任、2007年からは慶應義塾大学非常勤講師となり、活躍の場を広げている。2014年からは平家伝習所を開設し、弟子の育成に当たっている。2016年にはロシアのチャイコフスキーモスクワ音楽院から招聘を受け、2018年にはアメリカのアリゾナ州立大学(ASU)から招聘を受け、タリアセン・ウエスト他3会場で公演を行い、活動の場を世界に広げている。
NHK総合テレビ「探検ロマン世界遺産」やWOWOW「美術のゲノム」などにも出演、映画「禅 ZEN」で琵琶演奏を担当するなどメディアでも活躍中。
平家琵琶ホームページ
平家納経(国宝、広島・嚴島神社蔵)は、平安時代末期に平清盛(1118~1181)が嚴島神社に奉納した経巻です。『法華経』28巻と、『無量義経』『観普賢経』『阿弥陀経』『般若心経』、平清盛筆「願文」を合わせて全33巻あります。ほとんど全巻にわたって染紙に金銀箔が散らされており、箔押し、版木による雲母摺りもあり、金銀泥や群青緑青を使った極彩色の下絵が施され、中には十二単衣姿で引目鉤鼻の平安女性が描かれた巻もあります。また、題箋や八双、軸首には繊細な文様が彫刻された金銀、水晶、ガラス細工が使われています。そして、その装飾の上に、清盛や弟の平頼盛、当時の能書(書の巧みな人)や経師(お経を書く職業の人)が経文・本文を揮毫しています。以上のように平家納経は、隅から隅まで絢爛豪華に荘厳された、装飾経の代表作といえます。平家納経を奉納した平清盛と当時の歴史的背景をご紹介するとともに、これほどの宝物を一巻も欠くことなく現代まで伝えた嚴島神社と宮島の歴史に触れながら、平家納経の魅力に迫ります。
〈触れる予定の章段〉「大塔建立」・「嚴島次第事」(長門本より)・「卒塔婆流」
東京国立博物館・学芸企画部百五十年史編纂室長。専門は日本書跡史。千葉大学大学院文学研究科人文科学専攻修士課程修了。平成17(2005)年より東京国立博物館に勤務、平成27(2015)年より主任研究員、平成29(2017)年より現職。東京国立博物館では主に平安時代の書の展示を担当し、特集展示図録『藤原行成の書 その流行と伝称』(2016年)、『平家納経模本の世界―益田本と大倉本―』(2019年)ほか制作。特別展「和様の書」(2013年)、特別展「仁和寺と御室派のみほとけ」(2018年)など展覧会に関わる。主要論文は、「明治宮殿常御殿襖画の考案―正倉院鴨毛屏風模造・平家納経模本の引用と山高信離」(『MUSEUM』617号、2008年12月)、「田中親美『平家納経模本』-益田鈍翁、高橋箒庵、松永耳庵の眼-」(『MUSEUM』639号、2012年8月)、「博物館制作『嚴島神社蔵経模本』-明治の人々が見た『平家納経』」(『MUSEUM』651号、2014年8月)、「明治の皇室に選ばれた表象―明治宮殿と御物」(『天皇の美術史6 近代皇室イメージの創出』、吉川弘文館、2017年、第29回倫雅美術奨励賞受賞)、「嚴島神社蔵『平家納経』受容の歴史」(『東京国立博物館紀要』56号、2021年)。
フライヤー/ポスターの画像: 平家納経(模本)田中親美制作 大正~昭和時代・20世紀 東京国立博物館蔵(こちらは、国宝 平家納経 厳王品 平安時代・長寛2年(1164)奉納 広島・嚴島神社蔵に基づいています)
『平家物語』は、鎌倉時代前期の戦記文学で、平家一門の盛衰を諸行無常・盛者必衰などの 仏教観を交えて描いています。作者は今のところ未詳であり、「信濃前司藤原行長が天台座主 慈円の庇護下に琵琶法師生仏の協力を得て作ったとする説(『徒然草』)が、幾つかの状況証 拠にも支えられて有力ではありますが、確証は得られない」(『国史大辞典』)というのが現状です。『平家物語』の本文は、琵琶法師によって平曲として語られ、民間に普及していきました。 また安土桃山時代には、「外国人宣教師の日本語教科書」(『国史大辞典』)として『天草版平 家物語』がつくられ、ローマ字で記述されました。 前半部では、『保元の乱』や『平治の乱』をきっかけに朝廷内で平家が着々と権威を得て いく様子が描かれています。一門の中心者である平清盛は太政大臣の地位を手にすると権勢 を欲しいままにし、人々の反発を招くように。やがて後白河法皇の皇子である以仁王が発した令旨によって源頼朝や木曾義仲をはじめとした平家打倒の兵が各地で挙がり、その中で 清盛は病死します。 後半部では、信濃で挙兵し平家を都から追い落とした木曾義仲が頼朝の命を受けた範頼や義経によって逆に討伐される様子や、一の谷の合戦や屋島の合戦で源氏が平家を追い詰めていく様子が描かれています。壇ノ浦の合戦で平家一門は自決をはかり、生き残った平家の 者達が合戦後にどのような末路を辿ったかということを説明して物語は締めくくられています。
平家物語は平家の盛衰を記した歴史物語ですが、その中には様々な説話があります。中でも有名なものには那須与一の説話があります。これは多くの中学校で教材として取り扱われることが多く、馴染みのあるものではないでしょうか。『日本架空伝承人名事典』や『角川古語大辞典』などによれば那須与一は鎌倉前期の武士で、源義経に従い、屋島の戦いで功績を上げました。その話が平家物語で語られています。屋島の戦いにおいて、小舟に立てられた源義経の扇を射落とせとの命を奉じた那須与一は、目を閉じて菩薩や神々に祈念し、射損じたときは自害する覚悟を決めます。与一が目を開くと、激しく吹いていた北風も少し弱まり、鏑矢を射ると扇の要かなめの際から一寸ほどのところに命中しました。敵味方を問わず、これを見ていた人々は、与一の妙技を賞賛し、彼はその名を後世に残すこととなりました。この場面は能や浄瑠璃などの題材として用いられたほか、屏風や絵巻にも描かれました。
嚴島神社は、593年に安芸国(現在の広島県)に建てられました。ただ、今のような海 の上に鳥居が浮んでいるような社殿が作られたのは平安時代後期とされており、それには当時一世を風靡していた平清盛の大きな援助があったとされています。 嚴島神社のある宮島全体が御神体として崇められていたため、陸地に社殿を作らず、海の上に作られることとなりました。満潮時には青い海に浮かび上がる大鳥居 が見え、干潮時には鳥居の足元まで歩くことができます。さらに干潮時のみ砂浜か ら水が湧き出してできる「鏡池」が境内3ヶ所に出現します。 松島、天橋立と並んで「日本三景」の一つとしてその名を馳せる嚴島神社は、1996 年には世界文化遺産に登録され、さらに世界中に注目されることになりました。毎 年旧暦の6月17日に行われる嚴島神社の神事である「管絃祭」は、まるで平安時代 の絵巻のように優雅な様子が有名です。 このように、嚴島神社は今後も日本を代表する文化遺産として、保護されるべき神 社建築なのです。
参考資料
宮古島観光公式サイト https://www.miyajima.or.jp/