カタカナ語の氾濫問題を立体的に視る

堀田 隆一/中央大学文学部教授
専門分野 英語史、言語学

問題視されるカタカナ語

 授業などで昨今の日本語におけるカタカナ語の氾濫話題を取り上げると、学生が決まって関心を示す。そこから連想される「現代の若者」「言葉遣いの乱れ」「英語」などのキーワードがいずれも自身と無関係ではなく、身近な話題であることを直感するからだろう。

 英語を中心とする欧米の言語から日本語へ大量に入ってくる外来語、いわゆるカタカナ語は、昨今に限らず盛んに議論の対象とされてきた。先日、文化庁による平成25年度「国語に関する世論調査」が公表された(http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/)。そこでは、例えば「優先順位」を意味する「プライオリティー」という外来語は、日本語の言語生活のなかでしばしば見聞きはするが、約半数の人々に理解されていないことが明らかにされた。「コンセンサス」(合意)や「マスタープラン」(基本計画)なども、あえて外来語を使う必要を認めない人が多いという。カタカナ語のなかにはこのように日本語母語話者にとって混乱を招くものが多いが、日本語を外国語として学習する人々にとっても、厄介な語彙のようである。多くのカタカナ語が日本語に同化してきていることは事実だが、ときに日本語の乱れの元凶であるという非難も聞かれるし、関連して英語帝国主義に対する警戒の声も耳にしたりする。

漢語はそもそも外来語

 カタカナ語を巡る議論は、各論者の個人的な日本語への思い入れを反映しており、そう簡単に決着がつくような問題ではない。しかし、筆者は、議論すること自体は、人々の言語への関心の高さを示すものとして健全な営みだと考えている。以下、この議論に幅と奥行きが加わることを期待しつつ、二つの歴史的な観点から話材を提供したい。一つは日本語の外来語受容の歴史、もう一つはカタカナ語の主たる源泉である英語の外来語受容の歴史である。

 外来語の流入をできるだけ避け、純粋な日本語を守ろうと主張する根強い意見が一部に聞かれることがあるが、日本語の語彙はそもそも大量の外来語から成り立っている。まず、日本語生活にとって不可欠な漢字や漢語は、れっきとした外来語である。日本へ本格的に漢語が流入したのは、6世紀、仏教の伝来とともにであった。まず仏教関係の語彙として「香炉」「蝋燭」「供養」などが入り、後に一般的な漢語も大量に流入した。日本人は、当時の威信ある国際語である中国語の文字や語彙を広く受容し、それを手なずけて日本語のなかに土着化させることに成功した。その結果として生じたのが、仮名であり、国字や国訓であり、和製漢語である。「参照」「番号」「方針」「金額」「特徴」などありふれた漢語の多くが、和製漢語であることに気づいている人はほとんどいない。日本語の語彙は、直接あるいは間接に中国語からの外来語にあふれている。

むっつり受容とオープン受容

 日本語における本格的な外来語受容の第二弾は、明治初期のことである。文明開化以来、日本語は英語をはじめとする大量の西洋語彙を受け入れる必要に直面した。その際に日本語が採用したのは、原語をそのままカタカナ語になおして受け入れるのではなく、原語の意味を汲み取り、それに漢字をあてがうという方法だった。現在はカタカナ語として原語をそのまま受容するのが一般的だが、明治の日本の知識人にはもともと漢語の素養があり、漢語になおして取り入れるほうが自然だったのだろう。しかし、いずれの方法にせよ、西洋の新しい文物や概念を表わす原語の「意味」を受容したことには変わりない。カタカナ語としての受容と漢語になおしての受容とでは方略こそ異なるが、結局のところ借用している意味内容は、西洋の原語のそれなのである。前者はオープン型、後者はむっつり型の受容の仕方といえようか。日本語は、明治期には大量の西洋語彙を幾分日本語化した漢語に変換することにより「むっつりと」取り入れ、昭和・平成期には同じく大量の西洋語彙をカタカナ語として「オープンに」取り入れてきたのである。ある現代日本語の話し言葉に関する語彙の調査によれば、異なり語数で和語が46.9%、漢語が40.0%、漢語以外の外来語が10.1%、その他が3.0%を占めるという結果が出ているように、日本語は実は半分以上が起源的には日本語ではないのである。

チンプン漢語

 明治期に西洋語を漢語へなおした上で日本語へ受け入れた経緯と影響について付言しておきたい。この時代には、人々が追いついていけないほどの大量の和製漢語が生み出され、「漢語の氾濫」が問題となった。これらは「チンプン漢語」とも呼ばれ揶揄されたが、一方で理解を助けるための漢語辞典が多く出版されることにもなった。ひるがえって現在は、「カタカナ語の氾濫」が問題視されているが、一方で大量のカタカナ語辞典が出版されてもいる。明治と平成とで状況が酷似していることに注意したい。現在、カタカナ語のなかには原語から直接に取り入れたもののほか、和製英語と呼ばれる手なずけられた英語由来の外来語も多く、かつての中国語からの外来語のたどった歴史を繰り返しているといえる。

外来語だらけの英語史

 次に、カタカナ語の大半を供給している側の言語である英語の歴史をみてみよう。英語は現在でこそ世界で最も影響力のある言語であり、世界の約20億人に話されていると見積もられているが、1500年の段階では英語はその300分の1ほどである約600万人の話者を有するほどの、特に目立たない言語の一つにすぎなかった。さらに千年をさかのぼれば、ゲルマン民族の一派の話していた小さな方言にたどり着く。それ以前、英語はほぼ純粋なゲルマン系の語彙で構成されていたが、その後の英語語彙の歴史は、日本語語彙の歴史といくつかの点で驚くほどよく符合している。例えば、日本語が6世紀の仏教伝来とともに主として仏教関係の漢語を外来語として多く受容したのと同様に、英語も同じ6世紀にキリスト教伝来とともに主としてキリスト教関係のラテン語を外来語として多く受容した。英語話者がアルファベットで文字を書くことを本格的に覚えたのもまさにその機会であり、日本語話者の漢字の習得もまた同じ契機であった。

チンプン羅語

 英語はその後も外来語の受容に余念がなかった。ブリテン島が8~11世紀に北欧のヴァイキングに襲われた時期には900語ほどの北欧語彙を受容したし、1066年にノルマン人による征服を被った後には1万語以上のフランス語彙を受容した。しかし、外来語受容の最も著しい時代は、何といっても16世紀である。16世紀は英国ルネサンスの時期に相当し、それはいわばイギリス版文明開化の時代である。日本語が文明開化の時代に、当時の最先端の文明を体現する西洋語彙を、漢語化した形ながらも大量に受け入れたのと同様に、英語は英国ルネサンス期に権威あるラテン語から語彙を大量に受け入れた。明治の日本で外来語の大量受容に伴う消化不良がおき、「チンプン漢語」の問題が発生し、お助け辞典が登場したのとちょうど同じように、英国ルネサンスのイギリスでも類似した消化不良がおき、「チンプン羅語」の問題が発生し、やはりお助け辞典が数多く出版されたのである。現在、英語語彙の3分の1が本来の英単語だが、2分の1がフランス語あるいはラテン語に由来し、残る6分の1がその他350もの言語から受け入れた外来語である。日本語と英語において、外来語受容の歴史に関して多くの類似点があることがわかるだろう。

カタカナ語の行く末

 日本語も英語も、歴史的に多くの外来語を受容してきた。しかし、かつて受容された外来語がすべて現在に生き残っているわけではない。むしろ、いずれの言語でも、多くの外来語は定着せずに、言語から消えていった。各語が定着するか否かを決めたのは、それぞれの言語を用いて生活してきた話者たちである。そしてそれは、ほとんどの場合、話者たちの無意識の集合的な選択だった。外来語彙も本来語彙も、社会全体が有用と判断すれば生き残ったし、無用と判断すれば消えていったのである。この生き残りに関わるプロセスは、現在のおびただしいカタカナ語にも当てはまるはずである。外来語の氾濫の問題は、日本語に特有の話題でもなければ、今に始まったことでもない。問題を立体的に視ることにより、有意義かつ刺激的な議論が可能となると信じている。

堀田 隆一(ほった・りゅういち)/中央大学文学部教授
専門分野 英語史、言語学
東京都出身。1975年生まれ。1998年、東京外国語大学外国語学部卒業。2000年、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。2005年、英国グラスゴー大学英語学研究科博士課程修了(Ph.D.取得)。2006年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程満期修了。神奈川大学経営学部助教、中央大学文学部助教、准教授を経て2013年より現職。研究課題は、英語の内面と外面に関わる歴史的変化をたどり、なぜ、どのように英語が言語的、社会的に現在の姿となったのかを明らかにすることである。特に複数形の -s の歴史的発展について研究している。主要著書に『英語史で解きほぐす英語の誤解 --- 納得して英語を学ぶために』(中央大学出版部、2011年)がある。また、「hellog~英語史ブログ」を http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~rhotta にて日々更新中。