hellog〜英語史ブログ

#88. 英語史を揺るがした謎の物体[history][norman_conquest][bayeux]

2009-07-24

 下の絵を見てもらいたい.何に見えるだろうか?
ひまわり? 古代エジプト遺跡? ロケット?

Halley's Comet zoomed in in Bayeux Tapestry

 答えはタコクラゲ・・・ではなく,英語史を揺るがした(と考えられなくもない)ハレー彗星 ( Halley's Comet ) である.昨日の日食の記事[2009-07-23-1]に引き続き,英語史にまつわる天体の話しをしてみたい.
 上のハレー彗星の絵は,西洋美術史上,西洋史上,そして英語史上,非常に名高いバイユーのタペストリー ( Bayeux tapestry ) からとったものである.
 このタペストリー(つづれ織り)は,49.5cm × 70m の非常に横に長い絵巻で,11世紀の歴史を活写する70コマ漫画とでもいうべきものである.英国史と英語史にとって前代未聞の大事件であるノルマン人の征服 ( Norman Conquest ) の経緯を詳細に描いた一級の史料である.
 さて,ハレー彗星の現れる問題のコマ.

Halley's Comet zoomed out in Bayeux Tapestry

 1066年4月24日にハレー彗星が現れたとされており,絵の左側の人々が右上の謎の天体を見上げてざわついている.不吉なことが起こるかもしれないと案じているのである.実際に,この約半年後,運命のヘイスティングズの戦い ( Battle of Hastings ) により,絵の右の王座についている Harold 2世がノルマンディー公 William に破れ,アングロサクソン王朝が終焉することとなった.William がイングランド王 William 1世として戴冠したのが,同年のクリスマス.これ以降数百年の間,ゲルマン系の言語である英語が,ロマンス系の言語であるフランス語の影響下に置かれることとなった.
 英語がロマンス語色を強めてゆく方向が確定したのはどの時点だと考えるべきだろうか.王政史的には William が戴冠した1066年のクリスマスということになるのかもしれない.しかし,中世の人々と同様に占星術や予言に重きをおくのであれば,1066年4月24日とするのも一案かもしれない.来るべき擾乱を予告するハレー彗星が空に現れたまさにその日に英語史という物語の筋が決まった,と想像すると,「空飛ぶタコクラゲ」の存在感は意外と大きいのかもしれない.
 以上,ハレー彗星に英語史上の意義を強引に見いだしてみたが,歴史は見方一つで面白くもなるし,詰まらなくもなると思う.あくまで参考までに.
 ちなみに,このハレー彗星の描かれているコマは,Bayeux tapestry 中,私の一番好きなコマである.タコクラゲにしか見えない.

 ・ Martin K. Foys. The Bayeux Tapestry Digital Edition. Leicester: Scholarly Digital Editions 2003, 2003. CD-ROM.
 ・ おんどり刺しゅう研究グループによる,
 バイユーのタペストリーの複製作品と解説が見られるサイト: http://www.asahi-net.or.jp/~CN2K-OOSG/tapestry.html
 ・ その他,Googleからbayeux tapestryで無数のオンラインコンテンツを取得可能
 ・ アングロサクソン時代の天文学については,一昨日公開されたこちらの記事(Podcastもあり)が興味深い: http://365daysofastronomy.org/2009/07/22/july-22nd-astronomy-in-anglo-saxon-england/
 (後記 2013/03/10(Sat) Reading Museum による,Britain's Bayeux Tapestry at the Museum of Reading のページ: 詳しい解説のほか,スライド形式でタペストリーを鑑賞できる)

Referrer (Inside): [2009-09-13-1]

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#338. Norman Conquest 後のイングランドのフランス語母語話者の割合[french][demography][bilingualism]

2010-03-31

 1066年の Norman Conquest の後,イングランドはフランス語を母語とする者たちの支配下に入った.とはいっても,イングランドの居住者の大多数は相変わらずアングロサクソン系であり,フランスから渡ってきた者といえば王侯貴族,そのお仕えの者たち,高位聖職者が主だったが,その数は多くなかった.英語の復権の兆しが見えるまで Norman Conquest から優に300年はかかったが,英語が地下に潜りながらもたくましく生き延びた原因の一つは,英語母語話者の絶対数が圧倒的に多かったことである.では,ノルマン貴族とアングロサクソン庶民の人口比は具体的にはどれくらいだったのだろうか.
 歴史人口統計学をもってしても11世紀後半における人口比を正確に知ることはできない.しかし,Blake によるおよその見積もりは参考になるかもしれない.

It would be reasonable to suggest that the number of native French speakers can never have been greater than 10 per cent of the total population of England, and a more realistic estimate is probably less than 5 per cent. The greatest part of the population in England at this time consisted of the peasants who tilled the land. They probably formed anything between 85 and 90 per cent of all people here, . . . . (107)


 要するにフランス人は人口の約5%を占めたに過ぎないとの見積もりである.さらに Blake は,聖職者階級に入り込んだフランス人の人口比だけをとってもやはり非常に低いと見積もっている.

. . . the number of native French speakers in the clergy at any one time cannot have been very large. Perhaps it amounted to no more than 2 per cent of the total clergy. (108)


 上記の人口統計を含め,当時の社会状況を考察した結果として導き出されるのは,イングランドは真の意味で bilingual ではなかったという主張である.

Although two languages, English and French, were spoken in England, it is doubtful whether it ever became a truly bilingual country. The majority of the population was monolingual and only used English. (109--10)



 "truly bilingual" がどのような状況を指すのかが不明ではあるが,単純に人口の半々がそれぞれの言語を母語としており,かつ他の言語もある程度は理解可能であるという状況のことだと想定すると,中世イングランドを bilingual society とみなす慣習的なとらえ方は不適切ということになる.Blake 的な感覚でいえば,"barely bilingual" くらいの表現が適切なのかもしれない.

 ・ Blake, N. F. A History of the English Language. Basingstoke: Palgrave Macmillan, 1996.

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#661. 12世紀後期イングランド人の話し言葉と書き言葉[anglo-norman][writing][bilingualism][reestablishment_of_english][diglossia]

2011-02-17

 ノルマン征服によりイングランドの公用語が Old English から Norman French に切り替わった.イングランド内で後者は Anglo-French として発達し,Latin とともにイングランドの主要な書き言葉となった.ノルマン征服後の2世紀ほど,英語は書き言葉として皆無というわけではなかったが,ほとんどが古英語の伝統を引きずった文献の写しであり,当時の生きた中英語が文字として表わされていたわけではない.中英語の話し言葉を映し出す書き言葉としての中英語が本格的に現われてくるには,12世紀後半を待たなければならなかった.それまでは,イングランドの第1の書き言葉といえば英語ではなく,Anglo-French や Latin だったのである.
 一方,ノルマン征服後のイングランドの話し言葉といえば,変わらず英語だった.フランス人である王侯貴族やその関係者は征服後しばらくはフランス語を母語として保持していたと考えられるし,イングランド人でも上流階級と接する機会のある人々は少なからずフランス語を第2言語として習得していただろう.しかし,イングランドの第1の話し言葉といえば英語に違いなかった ( see [2010-11-25-1] ) .
 このように,ノルマン征服後しばらくの間は,イングランドにおける主要な話し言葉と書き言葉とは食い違っていた.12世紀後期において,イングランド人の書き手は普段は英語を話していながら,書くときには Anglo-French を用いるという切り替え術を身につけていたことになる.逆に言えば,12世紀後期までには,Anglo-French の書き手であっても主要な話し言葉は英語だった公算が大きい.Lass and Laing (3) を引用する.

By the early Middle English period, four generations after the Conquest, the high prestige languages in the written/spoken diglossia (though distantly cognate) were 'foreign': normally second and third languages, formally taught and learned. By the late 12th century it is virtually certain --- except in the case of scribes from continuingly bilingual families (and we do not have the information that would allow us to identify them) --- that none of the English scribes writing French were native speakers of French (though some may of course have been coordinate bilinguals). It is certain that none were native speakers of Latin, since after the genesis of the Romance vernaculars in the early centuries of this era it is most unlikely that there were any.


 当時のイングランドの状況を日本の架空の状況に喩えてみれば,普段は日本語で話していながら,書くときには漢文を用いる(ただし中国語での会話は必ずしも得意ではないかもしれない)というような状況だろう.
 12世紀後期イングランドにおける話し言葉と書き言葉の diglossia 「2言語変種使い分け」あるいは bilingualism については,Lass and Laing (p.3, fn. 3) に多くの参考文献が挙げられている.

 ・ Lass, Roger and Margaret Laing. "Interpreting Middle English." Chapter 2 of "A Linguistic Atlas of Early Middle English: Introduction.'' Available online at http://www.lel.ed.ac.uk/ihd/laeme1/pdf/Introchap2.pdf .

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#76. Norman French vs Central French[norman_french][doublet]

2009-07-13

 昨日の記事[2009-07-12-1]で,英語の waffle と フランス語の gaufre の対応に言及した.このペアにみられる語頭の子音 /w/ と /g/ の差はフランス語の方言の差に起因する.
 1066年のノルマン人の征服を契機に,中英語期だけでも約1万ものフランス語単語が借用された.中英語前期のノルマン王朝の時代に英語に入ってきたフランス借用語は,主にノルマン方言 ( Norman French ) の形態だった.それに対して,中英語中期以降に英語に入ってきた借用語は,中央のパリ方言 ( Central French ) の形態だった.NF と CF には子音や母音の音韻対応があり,そのうちの一つが /w/ と /g(u)/ だった.
 wafflegaufre の例でいえば,前者が /w/ をもつ NF 形,後者が /g/ をもつ CF 形である.同様に,1066年に征服をなしとげてイングランド王として即位した William の名は,フランス語では Guillaume 「ギヨーム」と発音される.ここでも,前者は /w/ をもつ NF の形態であり,後者は /g/ をもつ CF の形態である.
 さて,英語の側は,フランス語の方言間のそんな対応を知ってか知らずか,語源的には同一のフランス単語を別々の時期に,かたや NF から,かたや CF から借り入れたので,両形態が共存する結果となった.このような一対の語を二重語 ( doublet ) という.以下に,/w/ と /g(u)/ の対応を示す二重語のペアを,初出年代とともに挙げよう.添えた日本語訳は現代英語における代表的な意味である.

NF CF
warden 「番人」 ?a1200 guardian 「守護者」 1417
warison 「攻撃開始の合図」 ?a1300 garrison 「駐屯地」 a1250
warranty 「保証(書)」 a1338 guaranty 「保証(書)」 1592
reward 「報いる」 ?a1300 regard 「みなす」 1348


 上に述べた経路とは少し異なるが,もともとゲルマン語の単語で /w/ をもっていたものが,フランス語へ借用されて /g(u)/ となったものも多く,この経緯で /w/ と /g(u)/ が英語の中で共存しているという例も少なくない.war -- guerilla, ward -- guard, wile -- guile などを参照.

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#383. 「ノルマン・コンケスト」でなく「ノルマン・コンクェスト」[norman_french][doublet]

2010-05-15

 英国史上の最大の出来事である1066年の Norman Conquest については,これまでも様々な形で触れてきた.この事件の名称を日本語でカタカナ表記するとき,「ノルマン・コンクエスト」「ノルマン・コンクェスト」「ノルマン・コンケスト」などの間に揺れがあるようだ.[2010-04-24-1]で紹介した JReK による検索では,「ノルマン・コンクエスト」が圧倒的に多い.しかし,私としては是非とも「ノルマン・コンクェスト」と表記し発音したいと思っている.その理由は,何も /ˈkɒŋkwɛst/ という英語の発音に忠実でありたいからではない.「ノルマン」ときたら「コンクェスト」しかない歴史的な理由がある.
 conquest はフランス語からの借用語だが,特にそのノルマン方言 ( Norman French ) から借りてきた語である.このことは <quest> という綴字と /kwɛst/ という発音によって示されている.一方,中央のパリ方言 ( Central French ) での形は,現代フランス語の conquête 「獲得;征服」や conquêt 「取得財産」の綴字 と発音 /kɛ(t)/ に反映されているように,Norman French とは異なる.ノルマン方言風には「コンクェスト」,パリ方言風には「コンケ(ス)ト」ということになり,「ノルマン」ときたら是が非でも「コンクェスト」と続けたいのである.「エ」か「ェ」かという問題については,/kw/ こそが Norman French の特徴であるから,この子音群を尊重し,正確に反映して「コンクエスト」よりも「コンクェスト」がよい.日本語表記・発音としては少数派のようだが,今後はこれで行きたい.
 それでは,動詞形の conquer /ˈkɒŋkə/ はどうだろうか.conquest と同様に <qu> という綴字を含むものの,現代英語での第二音節の最初の子音(群)は /kw/ でなく /k/ なので,こちらは Central French の形に由来すると考えてよいだろう.
 Norman French と Central French の二重語 doublet に関する話題は[2009-07-13-1], [2009-07-30-1], [2009-07-31-1]を参照.

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#117. フランス借用語の年代別分布[loan_word][french][statistics][lexicology]

2009-08-22

 ノルマン人の征服以降,フランス語の語彙が大量に英語に流入したことはよく知られている.その流入は実に今日まで絶え間なく続いてきており,英語史全体で2万語近くが入ってきたのではないかという推計がある.だが,もちろん常に同じペースで流入してきたわけではない.借用されたフランス単語を年代別に数えるという研究は古くからなされてきており,有名なものとしては OED を利用した Jespersen と Koszal の共同調査がある.宇賀治先生がご著書で数値等をまとめられているので,それに基づいてグラフ化してみた(数値データはこのページのHTMLソースを参照).ただ,この調査は悉皆調査ではなく,OED でアルファベットの各文字で始まるフランス借用語のうち,最初の100語を抽出し,その初出年で振り分けたものである.目安ととらえたい.

French Loanwords Intake Rate



 中英語期の中盤をピークとし,初期近代英語期にも一度小さなピークはあるものの,現在まで漸減を続けている.それでも,悉皆調査をすれば,どの時代も絶対数としてはそれなりの数にはなろう.借用が爆発的に増えた13世紀と14世紀は,イングランドにおいて英語が徐々にフランス語のくびきから解放され,復権を遂げてゆく時期である.そんな時期にフランス借用が増えるというのは矛盾するようにも思えるが,フランス語を母語としていた貴族が英語に乗り換える際に,元母語から大量の語彙をたずさえつつ乗り換えたと考えれば合点がいく.
 一方,16世紀の漸増は,[2009-08-19-1]で見たとおりルネッサンス期の借用熱に負っているところが大きい.借用語の増減の背後には,常に何らかの社会の動きがあるようである.
 英語におけるフランス借用語の研究はされ尽くされた観があるが,悉皆調査が行われていないというのは大きな盲点かもしれない.Jespersen などの時代と違って OED も電子化されているし,やりやすくはなっていると思うのだが.

 ・Jespersen, Otto. Growth and Structure of the English Language. 9th ed. 1938. Oxford: Basil Blackwell, 86-87.
 ・宇賀治 正朋著 『英語史』 開拓社,2000年. 95頁.

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#302. 古英語のフランス借用語[french][loan_word][oe][benedictine_reform][i-mutation]

2010-02-23

 英語史でフランス借用語といえば,[2009-08-22-1]のグラフで明らかなとおり,12世紀後半以降,中英語の話題とみなされている.しかし,数こそ少ないが古英語期にもフランス語からの借用があったことは,フランス語の名誉(?)のためにも記憶しておいてよい.以下,Kastovsky (337--38) より.

prud, prut "proud"
sot "foolish" (but possibly from Vulgar Latin)
tur "tower" (but possibly from Vulgar Latin)
capun "capon"
tumbere "dancer" (from OF tomber "fall")
fræpgian "accuse" (from OF frapper)
servian "serve"
gingifer "ginger"
bacun "bacon"
arblast "weapon"
serfise "service"
prisun "prison"
castel "castle"
market "market"
cancelere "chancellor"


 数こそ少ないが,現代英語でもなかなかに重要な語が含まれているではないか.これらの多くは11世紀後半に文献に現れており,古英語とはいってもその最末期の借用である.10世紀後半から11世紀にかけてイングランドに起こった修道院改革 ( the Benedictine Reform ) はフランスに範を取っており,ノルマン人の征服 ( the Norman Conquest ) を待たずともフランスとのコネクションはあった.また,エドワード懺悔王 ( Edward the Confessor ) はノルマン人を母にもち,ノルマンディで亡命生活を送った人物として,イングランドとフランスとのコネクションに貢献している.
 このなかで,特に prud / prut "proud" は,古英語から派生語や合成語がみられる希有な例である: ex. prutlice "proudly", pryto / pryte "pride", prytscipe "proudship", prutness "proudness", oferprut "haughty", prutswongor "overburdened with pride", woruldpryde "worldly pride", oferprydo "excessive pride".名詞形 pryto で母音が変化していることから,この語群が英語で使われ始めた10世紀末くらいにはまだ i-mutation が作用していたことが推測され,音変化の歴史においても重要な意味をもつ.
 古英語のフランス借用語はあまりに少なく目立たないため,英語史の概説書でもほとんど扱われることがないので,今回の記事で取り上げた次第.とがんばってみても,マイナー感は否めない・・・.

 ・ Kastovsky, Dieter. "Semantics and Vocabulary." The Cambridge History of the English Language. Vol. 1. Ed. Richard M. Hogg. Cambridge: CUP, 1992. 290--408.

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#594. 近代英語以降のフランス借用語の特徴[loan_word][french][statistics][history]

2010-12-12

 英語語彙史においてフランス借用語の果たしてきた役割の大きさは本ブログでも幾度となく取り上げてきた ( see french ) .しかし,しばしばフランス語借用はもっぱら中英語期の話題であると信じられているきらいがある.確かに[2009-08-22-1]の記事で掲げたグラフで示されている通り,15世紀以降はフランス語借用が一気に落ち込んでいる.しかしこれは13, 14世紀の絶頂期と比べての相対的な凋落であり,近現代に至るまで絶え間なく英語に語彙を供給してきた点は注目に値する.
 英語史において絶え間ない語彙の供給源としては,ほかにラテン語とギリシア語が挙げられるが,この3言語のなかではフランス語が最も優勢のようである.数値を挙げよう.トゥルニエ (347) は The Shorter Oxford English Dictionary による調査で,1900--50年の間に英語に入った208の借用語のうち93例 (44.71%) がフランス語に関係しており,1961--75年では253例中の136 (53.75%) がフランス語であるという(ブランショ, p. 132--33).
 英語語彙借用におけるフランス語の優位性はさることながら,借用語彙の分野が中世以来あまり変わっていないことも顕著である.その分野とは,貴族の生活,流行,美食,贅沢品,芸術,文学,軍事などで,まとめてしまえば「貴族的気取り」「知的流行」といったところだろうか.
 近代英語期のフランス語借用に特徴的なのは,フランス語のまま入ってきているということである.つまり,発音や綴字が英語化されていない.フランス語らしさ,外国語らしさが保たれている.

古典期のフランス心酔は,1685年のナントの勅令の廃止後,フランスのプロテスタントの国外流出によって育まれたものである.これがフランス語に特権的な地位を与えるようになり,借用された語はもはや英語化されなくなる.それらの語は優先的に社会生活に関わるものである.例えば,à propos, ballet, chagrin, chaperon, double-entendre, étiquette, fête, moquette, naïve, intrigue, nom de plume, rendez-vous, rêverie などでは,そのままの採用が見られる.(ブランショ,p. 132)


 ナントの勅令 ( L'Édit de Nante ) は,1598年4月13日にフランス国王アンリ4世がナントで発布した勅令で,限定的ながらも新教徒の権利を認めた寛容勅令の集大成だった.これにより30年以上続いた宗教戦争に一応の終止符が打たれたが,17世紀に絶対王権の強化とともにナントの勅令は形骸化していった.1685年,国王ルイ14世がナントの勅令を廃止すると,大量の新教徒が国外亡命することになった.この事件が,現代英語へフランス語ぽいフランス借用語がもたらされる契機となったのである.

 ・ ジャン=ジャック・ブランショ著,森本 英夫・大泉 昭夫 訳 『英語語源学』 〈文庫クセジュ〉 白水社,1999年. ( Blanchot, Jean-Jacques. L'Étymologie Anglaise. Paris: Presses Universitaires de France, 1995. )

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#96. 英語とフランス語の素材を活かした 混種語 ( hybrid )[hybrid][suffix][french]

2009-08-01

 歴史上,多くの言語接触を経てきた英語には,語幹と接辞の語種の異なる派生語が多数存在する.このような語を混種語 ( hybrid ) というが,典型的なのは, (1) 語幹はフランス語だが接辞は本来語,(2) 語幹は本来語だが接辞はフランス語,の二通りのタイプである.以下の例では,フランス語部文を赤のイタリックにしてある.

 (1) colourless, commonly, courtship, dukedom, faintness, faithful, noblest, peacefully, preaching
 (2) enlightenment, fishery, goddess, hindrance, loveable, mileage, murderous, oddity

 (1) のタイプは14世紀ころから,(2) のタイプは14世紀後半ころから見られるようになった.特に (2) のタイプは,大量のフランス借用語に慣れてこその習慣と考えられるから,フランス語との接触が本格的に始まった12世紀以降,かなりの時間を経たのちに出現してきたということはうなずける.
 日本語の接尾辞にも,漢語由来の「?的」や英語由来の「?チック」などが和語の語幹に付加される例があるが,それは日本語が両言語と接触して久しいからといっていいだろう.

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#331. 動物とその肉を表す英単語[french][lexicology][loan_word][etymology][popular_passage][lexical_stratification]

2010-03-24

 中英語期を中心とするフランス語彙の借用を論じるときに,この話題は外せない.食用の肉のために動物を飼い育てるのはイギリスの一般庶民であるため,動物を表す語はアングロサクソン系の語を用いる.一方で,料理された肉を目にするのは,通常,上流階級のフランス貴族であるため,肉を表す語はフランス系の語を用いる.これに関しては,Sir Walter Scott の小説 Ivanhoe (38) の次の一節が有名である.

. . . when the brute lives, and is in the charge of a Saxon slave, she goes by her Saxon name; but becomes a Norman, and is called pork, when she is carried to the Castle-hall to feast among the nobles . . . .


 具体的に例を示すと次のようになる.

Animal in EnglishMeat in EnglishFrench
calfvealveau
deervenisonvenaison
fowlpoultrypoulet
sheepmuttonmouton
swine ( pig )pork, baconporc, bacon
ox, cowbeefboeuf


 「豚(肉)」について付け加えると,古英語では「豚」を表す語は swīn だった.pig は中英語で初めて現れた語源不詳の語である.また,後者が一般名称として広く使われるようになったのは19世紀以降である.bacon (豚肉の塩漬け燻製)は古仏語から来ているが,それ自身がゲルマン語からの借用であり,英語の back などと同根である.

 ・ Scott, Sir Walter. Ivanhoe. Copyright ed. Leipzig: Tauchnitz, 1845.

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#332. 「動物とその肉を表す英単語」の神話[french][lexicology][loan_word][language_myth][lexical_stratification]

2010-03-25

 昨日の記事[2010-03-24-1]に関連する話題.英語史で必ずといってよいほど取りあげられる「動物は英語,肉はフランス語」という区分は,語り継がれてきた神話であるという主張がある.OED の編集主幹を務めた Burchfield によると,"[an] enduring myth about French loanwords of the medieval period" だという.少し長いが,引用する (18).

The culinary revolution, and the importation of French vocabulary into English society, scarcely preceded the eighteenth century, and consolidated itself in the nineteenth. The words veal, beef, venison, pork, and mutton, all of French origin, entered the English language in the early Middle Ages, and would all have been known to Chaucer. But they meant not only the flesh of a calf, of an ox, of a deer, etc., but also the animals themselves. . . . The restriction of these French words to the sense 'flesh of an animal eaten as food' did not become general before the eighteenth century.


 試しに beefOEDMED で確認してみると,確かに動物そのものの語義も確認される.しかし,複数の例文を眺めてみると,動物本体と関連して肉が言及されているケースが多いようである.例えば,この語義での初例として両辞書ともに14世紀前半の次の例文を掲げている.

Hit mot boþe drink and ete .. Beues flesch and drinke þe broþt.


 それでも,Burchfield の主張するように「動物は英語,肉はフランス語」という区分が一般的になったのは18世紀になってからということを受け入れるとするならば,それはなぜだろうか.18世紀には料理関係の語がフランス語から大量に入ってきたという事実もあり,これが関係しているかもしれない.
 肉・動物の使い分けの始まりが中世であれ近代であれ,英語話者の意識下に「高きはフランス語,低きは英語」という印象が伝統的に定着してきたことは確かだろう.

 ・ Burchfield, Robert, ed. The New Fowler's Modern English Usage. 3rd ed. Oxford: Clarendon, 1996.

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#336. Law French[me][french][reestablishment_of_english][norman_french][loan_word][law_french]

2010-03-29

 [2010-03-17-1]の記事で触れたが,法律文書の英語化は非常に緩慢としたプロセスだった.1362年に口頭の訴訟手続きこそフランス語から英語に切り替わったが,法律関係の文書にはまだまだフランス語が使用されていた.実に1731年まで使われ続けたのである.このフランス語は Law French と呼ばれ,Norman Conquest 以来の Norman French がもととなって確立された法律文章語である.
 現在でも英語の法律用語の大半がフランス語由来であるのは,上述の歴史に負っている.法律関係の役職名と犯罪名だけをとってみても,英語の法律の世界がいかに French かが分かるだろう.

 ・ 役職名: advocate 「代言者」, attorney 「代理人」, bailiff 「執行吏」, coroner 「検視官」, counsel 「弁護人」, defendant 「被告」, judge 「裁判官」, jury 「陪審」, plaintiff 「原告」
 ・ 犯罪名: arson 「放火」, assault 「暴行」, felony 「重罪」, fraud 「詐欺」, libel 「文書誹毀」, perjury 「偽証」, slander 「口頭誹毀」, trespass 「侵害」

 また,フランス語の統語では「名詞+形容詞」という語順が普通なので,これを反映した法律関係の句がたくさん存在する.

 ・ attorney general 「司法長官;法務長官」, court martial 「軍法会議」, fee simple 「単純封土権」, heir apparent 「法定推定相続人」, letters patent 「開封勅許状」, malice aforethought 「予謀の犯意」

 英語で法律を勉強するのはものすごく大変そう・・・.

 ・McArthur, Tom, ed. The Oxford Companion to the English Language. Oxford: OUP, 1992. 591.

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#433. Law French と英国王の大紋章[me][french][loan_word][heraldry][law_french]

2010-07-04

 [2010-03-29-1]の記事で触れた Law French について,佐藤 (31) からもう少し例を挙げたい.以下のフランス借用語句は本来的に法律用語であるが,一般化して広く使われるようになった名詞も少なくない.

accuse 「告発(告訴)する」, assize 「巡回裁判;陪審(審理)」, cause 「訴訟(事件)」, court 「法廷,裁判所」, crime 「犯罪」, damage 「損害(賠償金)」, demesne 「(権利に基づく土地の)占有」, dower 「寡婦産」, fee 「相続財産」, guile 「策略」, just 「公正な」, justice 「司法(官),裁判(官)」, petty 「(犯罪が)軽微な」, plea 「(被告の最初の)訴答,抗弁」, plead 「(訴訟事実などを)申し立てる」, property 「所有権」, puisne 「陪席判事」, session 「開廷期」, sue 「訴える」, suit 「訴訟」, summon 「召喚する」, heir male 「男子相続人」, issue male 「男子」, real estate 「不動産」


他に法律関連では,Le roi le veult 「王がそれをお望みだ」(王が裁可を下す時の形式文句)や Le roi s'avisera 「王はそれを考慮なさるだろう」(王が議案の裁可を拒むときの形式文句)という文としての表現が現在でも残っている.英国王の大紋章 ( great arms ) の銘文 ( motto ) として描かれている DIEU ET MON DROIT は「神とわが権利」を意味し,12世紀後半に Richard I が戦場で使った雄叫びに由来するといわれ,15世紀後半の Henry VI の時代に紋章に加えられたという(下図参照).ちなみに,英国王の大紋章には HONI SOIT QUI MAL Y PENSE という銘文も刻まれており,フランス語で「それを悪いと思う者に禍あれ」を意味する.これは1348年にガーター騎士団を創設した Edward III の発言に由来するとされる(森,p. 409).英国王の大紋章 "The Royal coat of arms" は英国王室の公式サイトから大画像を見ることができる.

The Royal coat of arms

・ 佐藤 正平 「英語史考」『学苑』 第227号,1959年,15--41頁.
・ 森 護 『英国王室史事典』 大修館,1994年.

(後記 2018/09/29(Sat):Wikipedia よりこちらの SVGもどうぞ.)

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#120. 意外と多かった中英語期のラテン借用語[loan_word][latin][me][wycliffe][bible]

2009-08-25

 英語はその歴史を通じて絶え間なくラテン語から語彙を借用してきたが,英語史でよく取り上げられる時代は,古英語期[2009-05-30-1]と初期近代英語期[2009-08-19-1]である.前者はローマ世界の文明やキリスト教との接触と関連が深く,後者はルネッサンス期の古典復興の潮流に負うところが大きい.間にはさまれた中英語期はフランス語の影響が甚大だったために[2009-08-22-1],ラテン語からの借用は影が薄いものの,しっかりと継続していたことは覚えておいてよい.
 中英語期にも借用が継続された背景には,イングランドの知識人が,ラテン語を通じて絶え間なく古典文学,医術,天文学などを学んでいたという事情がある.また,宗教改革者 John Wycliffe (1330?-84) と弟子たちが聖書を英訳した際に,ラテン語の原典から1000以上の単語を借用したという事情もあった.
 この時代のラテン語借用の特徴としては,現代英語にまで残っている語彙が多いことが挙げられる.日常用語になっているものも少なくない.このことは,ラテン単語が湯水のごとく借用されては捨て去られていった初期近代英語期の傾向と対照をなす.
 中英語期のラテン借用語をいくつか挙げておく.(Wycliffe が初出のものは赤字.かっこ内は初出年.)

actor (c1384), adjacent (a1420), adoption (1340), ambitious (c1384), ceremony (c1384), client (?c1387), comet (?a1200), conflict (?a1425), contempt (a1393), conviction (a1437), custody (1453), depression (1391), desk (1363-64), dial (1338), diaphragm (a1398), digit (a1398), equal (a1390), equator (1391), equivalent (c1425), exclude (c1384), executor (c1290), explanation (c1384), formal (c1390), gloria (?a1200), hepatic (a1393), impediment (c1385), implement (1445), implication (?c1425), incarnate (1395), include (1402), index (a1398), inferior (?a1425), intercept (1391), interrupt (?a1400), item (a1398), juniper (c1384), lector (a1387), legitimate (a1460), library (c1380), limbo (c1378), lucrative (a1412), mediator (c1350), picture (a1420), polite (a1398), prosecute (?a1425), quiet (c1384), recipe (a1400), remit (c1375), reprehend (c1340), requiem (c1303), saliva (?a1425), scribe (?c1200), scripture (a1325), testify (a1378), testimony (c1384), tradition (c1384), ulcer (a1400)


 ・寺澤 盾 『英語の歴史』 中央公論新社〈中公新書〉,2008年. 69--70頁.
 ・橋本 功 『英語史入門』 慶應義塾大学出版会,2005年. 80頁.

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#653. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別[etymological_respelling][history_of_french][french][latin][loan_word][etymology]

2011-02-09

 中英語期のフランス語借用については,本ブログでも[2009-08-22-1]の記事を始めとして様々な形で触れてきた.同じく,中英語期のラテン語借用についても[2009-08-25-1]の記事で扱った.さらに,現代英語語彙に占める両言語からの借用語の比率が高いことは,[2010-06-30-1], [2009-11-14-1], [2009-08-15-1]で話題にした.フランス語とラテン語の借用は英語史ではよく取りあげられるトピックであり,借用語の数が問題になる場合に「フランス・ラテン借用語」として合わせて数えられることも多い.確かにフランス語とラテン語はロマンス語群のなかで親子関係にある言語どうしではあるが,一応は別々の言語として区別がつけられるはずである.それにもかかわらず,合わせて扱われることが多いのはなぜだろうか.
 1つには,予想されるとおり,中英語期に相当する時代では,フランス語はいまだラテン語から別れて久しくなかったということがある.確かに種々の音声変化によってフランス語はラテン語から区別されるようになっていたが,両言語の形態はいまだに似通っていることが多かった.さらに,中世イングランドと同様に,中世フランスではフランス語と並んでラテン語も書き言葉として用いられていたので,両言語の形態がなまじ似ている分,その混用も頻繁だったのである.英語では中英語後期から近代英語初期にかけてラテン語源かぶれの綴字 ( see etymological_respelling ) が増したが,同じ傾向がフランスでは早く13世紀後半から現われていた.既存のフランス語をラテン語形に近づける方向へ少しだけ変化させたのである.その新しい語形は,従来のフランス語でもないし厳密なラテン語でもない中途半端な語形となり,いずれかに分類するのは困難であり,無意味でもあるということになる(バケ,pp. 72--73).
 ホームズとシュッツ (pp. 78--80) を参考に,フランス語とラテン語の混用の状況を概観しておこう.聖王ルイと呼ばれたルイ9世 (Louis IX; 1214--70) は,1260年頃から法律制度改革に乗り出していた.改革の主眼は証言を文書で提出することを許可にした点にあり,これにより代理人としての職業的法律家が台頭してくることになった.法律家たちはそれぞれ書記を雇っており,その書記たちは basoche と呼ばれる組織を構成し,フランス語の綴字に大きな影響を及ぼす集団となった.当時,告訴状はフランス語で書かれたが,法令はぞんざいなラテン語で書かれており,法曹界は2言語制で回っていた.この状況は,フランソワ1世 (Francis I; 1494--1547) が法廷でのラテン語使用をヴィレ・コトレ ( Villers-Cotterêts ) で廃止した1539年まで続いた.このような時代背景で,書記たちはなにがしかのラテン語の教養を身につけている必要があったわけだが,その教養とて大したものではなく,フランス語とラテン語の綴字が混用されるのが常だった.フランス語の dit 「上述の,くだんの」がラテン語風に dict と綴られたり,doit 「指」もラテン語 digitus の影響で doigt と綴られたりした.
 一方で,14世紀にはシャルル5世 (1338--80) の学芸奨励によりラテン語が重んじられた.実際,14--15世紀にわたる中世フランス語後期の借用語の半数以上がラテン語からのものとされる.それに加えて,既存のフランス語単語をラテン語の形に近づけた etymological respelling の例も少なからずあった.delitierdelecter などとする例である ( see [2010-02-04-1] ) .
 以上が,中英語期に大量に英語に流入した Latin, Latinised French, and French loanwords を別々に扱うのではなく「フランス・ラテン借用語」として一緒くたに扱うのが妥当である理由だ.ラテン語に基づく etymological respelling は英語だけでなくフランス語でも起こっていたこと,後者ではラテン語となまじ似ているがゆえの語形の混用も大いに絡んでいたことに注意する必要がある.

 ・ ポール・バケ 著,森本 英夫・大泉 昭夫 訳 『英語の語彙』 白水社〈文庫クセジュ〉,1976年.
 ・ U. T. ホームズ,A. H. シュッツ 著,松原 秀一 訳 『フランス語の歴史』 大修館,1974年.

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#848. 中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別 (2)[french][latin][loan_word][etymology]

2011-08-23

 [2011-02-09-1]の記事「中英語におけるフランス借用語とラテン借用語の区別」の議論の続き.[2011-08-20-1]の記事「現代英語の語彙の起源と割合」でも触れた Philip Durkin 氏の最近の講演 "Some neglected aspects of Middle English lexical borrowing from (Anglo-)French" で,標記の問題も議論されていた.講演とそのハンドアウトをもとに,議論の一端を紹介したい.

 ・ ある語がフランス借用語かラテン借用語かは,フランス語史の知見に基づき,主に語形から判断されるが,大多数はいずれとも決めがたい.そのようなケースでは,いずれか一方からの借用であるという可能性は否定できないが,それを積極的に証明することもできない.つまり,両言語からの multiple input という可能性を常に念頭に置いておく必要がある.
 ・ 源がいずれの言語であるかにかかわらず,相当数のフランス・ラテン借用語は多義であり,一方の言語を借用元と仮定した場合に想定される語義よりも多くの語義を含んでいる.
 ・ Helsinki Corpus に基づく調査によると,フランス・ラテン借用語で現在頻度の高い語は,借用当初から高頻度だったわけではない.初期近代英語期に高頻度となってきたフランス・ラテン借用語は,主として13--14世紀に借用された語である.
 ・ 1380年より前には,大陸フランス語のみが起源であると証明される借用語は存在しない.そのような借用語が現われ始めるのは,14世紀後半から15世紀にかけてである.

 フランス・ラテン語借用の従来のモデルでは,以下のような暗黙の前提があった.(1) 英語はいずれかの言語(いずれかが判明できないとしても)から語を借用したが,(2) 後に,同言語同語の発展形,他方の言語の同根語,あるいはその派生語や関連語から意味借用を行なうことによって語義を追加していくことがあった.
 しかし,Durkin 氏は,自らの調査結果に基づき,フランス・ラテン語借用について新たなモデルを提案している.その内容は次のように要約できるだろう.中英語から初期近代英語にかけての時代,特に英語が記録の言語として復権を果たした後の時期でも,イングランドにおいてフランス語とラテン語は多くの分野で権威の言語であり続け,当時のイングランド人は日常的に両言語との新たな接触を繰り返していた.このような多言語社会において,イングランド人は,所属する社会集団に応じて程度の差はあれ,英語,フランス語,ラテン語のあいだで互いに対応する語の形態と意味を知っていたと考えられる.数世紀にわたる "multiple input" の結果として,借用語の形態と意味が累積し,複雑化してきたのではないか.
 新モデルでは,いずれの言語が借用元かという起源の議論よりは,中世から初期近代のイングランド多言語社会において借用語の形態と意味がどのように多元化してきたかという過程の議論に焦点が当てられている.形態や語義の直線的な発達というよりは,相互の複合的な影響の可能性が重視されている.[2010-08-06-1]の記事「語源学は技芸か科学か」で,語源には内的語源と外的語源があることを紹介したが,Durkins 氏の新モデルは内的語源のみならず外的語源にも目を向けさせるバランス型のモデルと評することができるかもしれない.

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#111. 英語史における古ノルド語と古フランス語の影響を比較する[contact][old_norse][french]

2009-08-16

 英語は歴史のなかで数多くの言語と接触し、影響を受けてきたが、そのなかでも特に古ノルド語 ( Old Norse ) と古フランス語 ( Old French ) からのインパクトは顕著である.
 古ノルド語は古英語後期から中英語初期にかけて、古フランス語は主に中英語期を中心に、英語に多大な影響を及ぼした.両言語とも現代英語に深い接触の爪痕を残した点では共通しているが、爪痕のタイプは天と地ほど違う.英語史の概説書でも両言語の影響はよく対比されるので、今回は対比ポイントをまとめておきたい.下の表は,英語史における古ノルド語と古フランス語の役割を図式的に対比させたものである.

 古ノルド語古フランス語
影響の顕著な時代後期古英語から初期中英語中英語
影響の始まった地域主に北部・東部から主に南部から
英語との言語的類似大きい小さい
英語との歴史文化的類似大きい小さい
書き言葉としての立場なし確立
影響の及ぼし手の数多い少ない
影響の及ぼし手の階級一般階級上流階級
英語との社会言語学的関係同等上位
相互の意思疎通可能不可能
借用語の数中くらい多い
借用語のタイプ内容語と機能語主に内容語
借用語の難易度主に基本語基本語と難解語
借用語の頻度高い中くらい
借用語の文体口語的文語的
借用語の音節多くは単音節多くは多音節
地名の借用語多い少ない
綴り字への影響少ない多い


 対立を強調するためにいきおい単純化しすぎていることは否定できないが,二言語の影響を対立させてとらえる見方は,全体として妥当だと考える.ただ,あえて共通点は挙げなかったが,人名への影響の大きさなど,両言語ともに英語に大きな影響を与えている点も少なくないことは銘記しておきたい.
 英語史も歴史であり物語であるから、古ノルド語と古フランス語という登場人物に反対の個性をもたせてみるのも,脚本としてはおもしろいだろう.

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#516. 直接のギリシア語借用は15世紀から[greek][emode][loan_word][history][lexicology]

2010-09-25

 英語にギリシア語からの借用が多いことは,「現代英語の借用語の起源と割合」 ([2009-11-14-1]) やその他のギリシア語に関連する記事 (greek) で触れてきた.ギリシア借用語の多くはラテン語やフランス語を経由して入ってきており,中世以前はこの経路がほぼ唯一の経路だった.
 しかし,15世紀になるとギリシア文化が直接西ヨーロッパ諸国に影響を及ぼすようになった.というのは,この時期に大量のギリシア語写本がイタリア人によって Constantinople から西側へもたらされたからである.さらに1453年にオスマントルコにより Constantinople が陥落すると,ギリシア文化の知識も西へ逃れてくることになった.

The possibility of direct Greek influence on English did not arise, however, until Western Europeans began to learn about Greek culture for themselves in the fifteenth century. (This revival of interest was stimulated partly by a westward migration of Greek scholars from Constantinople, later called Istanbul, after it was captured by the Ottoman Turks in 1453.) (Carstairs-McCarthy 101)


 続く16世紀にはギリシア語で書かれた新訳聖書の原典への関心から,イギリスでもギリシア語が盛んに研究されるようになった.16世紀前半には Cambridge でギリシャ語を講義した Erasmus (1469--1536) が原典を正確に読むという目的でギリシア語の発音を詳細に研究したが,聖書の言語にあまりに忠実であったその研究態度が,口頭の伝統に支えられてきた保守派の学者の反発を招き,ギリシア語正音論争を巻き起こした.ギリシア語への関心が宗教や政治の世界にまで影響を及ぼしたことになる (Knowles 67--68) .
 [2009-08-19-1]で示したように初期近代英語期にギリシア語の借用語が着実に増加していった背景には,上記のような歴史的な事情があったのである.

 ・ Carstairs-McCarthy, Andrew. An Introduction to English Morphology. Edinburgh: Edinburgh UP, 2002. 134.
 ・ Knowles, Gerry. A Cultural History of the English Language. London: Arnold, 1997.

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#114. 初期近代英語の借用語の起源と割合[loan_word][lexicology][statistics][emode][renaissance]

2009-08-19

 [2009-08-15-1]で現代英語の借用語彙の起源と割合をみたが,今回はその初期近代英語版を.といっても,もととなった数値データ(このページのHTMLソースを参照)はひ孫引き.ここまで他力本願だとせめて提示の仕方を工夫しなければと,Flash にしてみた.このグラフは,Wermser を参照した Görlach (167) を参照した Gelderen の表に基づいて作成したものである.

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 ここでカバーされている時代は,Görlach いわく,"exhibits the fastest growth of the vocabulary in the history of the English language" (136) であり,借用と造語を合わせて,語彙の成長速度がきわめて著しかった時代である.借用元言語としては,予想通りラテン語とフランス語が合計で8割以上となるが,注目したいのはこの時代を通じて着実に成長していたギリシャ語である.
 ルネッサンス ( Renaissance ) のもたらした新しい思想や科学,そして古典の復活により,ギリシャ語やラテン語に由来する無数の専門用語が英語に流入したためである.まさに時代の勢いに比例するかのように,英語の語彙が増大していたのである.

 ・Wermser, Richard. Statistische Studien zur Entwicklung des englischen Wortschatzes. Bern: Francke Verlag, 1976.
 ・Görlach, Manfred. Introduction to Early Modern English. Cambridge: CUP, 1991.
 ・Gelderen, Elly van. A History of the English Language. Amsterdam, John Benjamins, 2006. 178.

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