「コロナ禍からオリンピックを解剖する」

母校の同窓会で話題提供をしました。
(2021年6月26日 オンラインイベント)

東京2020オリンピックをコロナの脅威に立ち向かいながら開催することがほぼ見えてきた時期でした。
オリンピックは何のために開催されるのか?そこから我々は何を学び、どのように生きるべきなのか?
スポーツ文化の意味について意見を述べました。
村山光義

 オリンピックはもはやモンスターと化しています。それは、巨大でその動きを簡単に制御できないという意味です。この怪物が存在する大義は何でしょうか?それは、オリンピック憲章に求めるしかないと思います。オリンピック憲章はJOCのホームページでも和訳されたものが閲覧可能で、じっくり読みこんでいくと様々なことがわかりますが、要点をまとめて説明します。

オリンピックは、スポーツを通じて心身を向上させ、文化国籍など、様々な多様性を受け入れ、友情・連帯・フェアプレーの精神をもって、平和でより良い世界の実現に貢献する活動であり、この精神はオリンピズムと呼ばれ、哲学であり教育活動です。このオリンピズムの推進がオリンピックムーブメントであり、オリンピック競技大会のみがその場面のように見えますが、日常的に、恒久的に続けていくものです。従って、オリンピック開催はメインイベントではありますが、オリンピックムーブメントの唯一のものではありません。

では、オリンピックの構造と周辺を見てみます。オリンピック憲章はオリンピックとIOCの活動のルールです。各国のオリンピック委員会、開催組織委員会、競技団体はオリンピックムーブメントの構成員とされ、東京はIOCから開催を承認され契約をしています。開催がムーブメントのメインイベントではありますが、コロナ禍で昨年延期され、現状の感染抑止状況が芳しくないとなれば、オリンピズムの推進を何か他の形でできないか、等、オリンピックの本質を議論する声がもっと上がってもおかしくない気がします。しかし、開催以外に目を向けることは難しいようです。オリンピック競技大会は33種目339競技を集めて行われ、スポーツ文化の頂点にシンボリックに置かれる特別なもので、世界最大のスポーツの祭典となっています。一方、これに追従するスポーツイベントはたくさんあります。オリンピックにおける新種目はユースオリンピックやワールドゲームズという、オリンピックに次ぐ大会から採用されます。また、単独種目の多くはワールドカップ・世界選手権を開催していますし、伝統的なメジャー大会を持っています。サッカーやラグビーなどはオリンピックよりもワールドカップの方が、確実にレベルが高いでしょう。今年、コロナ禍でもテニスの大阪なおみ選手が全豪オープンで優勝し、ゴルフの松山英樹選手がマスターズ、笹生優花選手が全米オープンで優勝しました。人々を興奮させるハイパフォーマンスなスポーツイベントならば、オリンピック以外にもたくさんあります。仮に東京2020が中止になっても、世界大会は次から次へと開催され、メディアは有力選手を紹介し、我々はファンとして楽しみ、感動できます。

またオリンピック選手に限らず、子供からプロまで、競技成績や自己実現の枠組みでスポーツと向き合い、日々努力する人々は世界にあふれ、スポーツ文化は止まりません。だから、スポーツ文化がオリンピズムにつながるし、オリンピック競技大会でなくても推進可能なのです。しかし、このスポーツ文化は現在、スポーツビジネスに包囲されています。世界最大のオリンピックは種目と参加選手の他、費用面も世界一で、その存在はまさにモンスターとなっています。東京大会の直接的な経済効果は1.8兆円で、準備からトータルでは3.5兆円がつぎ込まれるとも言われています。このスポーツビジネスのキーポイントはTV放映権・スポンサー・チケット販売です。放映権料はアメリカのNBC、ユーロスポーツ、ジャパンコンソーシアムがIOCと5000億円の契約を結んでいます。これが、IOCの収入源で、そこから850億円が東京に負担金として充てられています。

東京はオフィシャルパートナーの他、多くの企業をスポンサーとし、さらにチケット販売で合計5000億円の収入を見込んでいました。このイベントの経済的波及が招致の本音で、政治のツールであるとすれば、簡単にはやめられない。「もうどうにも止まらない」と言えるでしょう。ちなみに、中止の損失は1.8兆円ですが、無観客時の損失は1500億円と言われます。このスポーツビジネスの包囲網に、スポーツ文化は飲み込まれつつあります。みる、支えることがメインで、スポーツイベントが成り立っています。しかし、多くの人々にとって、スポーツを見て楽しみ、感動して、スポーツの大切さを知る、というだけであれば、オリンピック競技大会でなくてもいいでしょう。そもそも、選手たちがオリンピズムに則って競技をするだけで目的は達せられるでしょうか?人々がその世界一のパフォーマンスに触れ、感動すればいいのでしょうか?現状はそれがオリンピックと認識されている気がしますが、ワールドカップでも同じではないでしょうか?私はこれではオリンピズムの実現に不足すると思いますし、スポーツの価値は高まらないと思います。

スポーツは本来「するもの」であり、オリンピズムにおいては、その象徴であるアスリートを目指すという直接的な連結が可能です。私は、体育の教員として、日々、運動やスポーツをすることの意味と重要性を考えています。スポーツは気晴らしの遊びが語源で、遊びこそ人類の文化の源です。自己の喜びのために努力すること、フェアに友好的に他者とつながること、その実践が平和な社会を築く。まさに、スポーツの有効活用がオリンピズムです。

コロナは日常生活に大きな制限をもたらしました。今まで当たり前だと思っていたことが制限される。だからこそ、自分自身と向き合い、気晴らしや遊びをどう発展させるか、スポーツや運動の実践を生活に取り入れて健康で充実した人生をどう形作るか。オリンピズムは哲学であり、生涯の学びの題材だと思います。見るスポーツの役割は、すべてのスポーツイベントに備わっていますが、その役割しか、スポーツに求めないのでは、単なるエンターテイメントにとどまってしまいます。オリンピックからの学びとして、見るだけでないスポーツとの関わりが生み出されるべきではないでしょうか?

実は、東京2020の組織委員会のホームページには、開催のコンセプトが示されています。「すべての人が自己ベストを目指し」、「一人ひとりが互いを認め合い」、「未来につなげよう」というものです。オリンピック関係者は、地道にオリンピズムの啓蒙に努力してくれていると思いますが、このコンセプトを押し出せていないのが現状で、初めて聞いたという方がほとんどかもしれません。この、全員が自己ベスト、というのは選手だけのことではありません。組織委員会はすべての日本人がベストのおもてなしをしようと言っています。しかし、私は思いました。おもてなしも大切だったが、コロナ禍となった今、個別にオリンピズムを実践することが大切なスピリットではないかと。だから、この夏、何か自分の体と頭を使って、今の自分のベストをだそうと。私の場合、例えば毎日必ずストレッチングを継続し、柔軟性テストを10cm向上させようと思います。 体が硬くなってしまって、小さな目標でも、取り組むことは簡単ではありません。

私が大好きな、怒髪天というロックバンドの歌に、ちょうど同じテーマのものがあり、紹介させていただきたいと思います。チャレンジボーイという歌で、作詞とボーカルの「益子直純」さんは私達と同い年です。

10分早起きしてみた 苦手なセロリ食ってみた ムカつく上司の小言を一つ多めにガマンした ♪

誰も知らない 俺の世界の新記録 今日も更新しまくって 昨日の俺こえるんだ ♪

こんな気持ちで生きていくことが大切だと思います。皆さんも何かトライしてみてはどうでしょうか?本当に些細なことでいいのです。 オリンピック開催を機に何かに挑戦する。オリンピアンと同じように、人生を謳歌するために行動するのです。

「百万人と雖も我往かん」という清陵魂は挑戦の魂ではなかったでしょうか? 挑戦の内容に良し悪しはありません。自分の中で決めたことを貫く姿勢が共有されれば、オリンピズムに通じ、意味のあることだと思います。


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