林忠四郎賞受賞:(解説の前半部分)

                                                          by Kato (2003.4)

  「新星」は日本のアマチュア天文家が発見してよく新聞にのりますが、暗い星が
急に明るくなり、1年かそこらで暗くなる現象です。(星はなくならない)。
これまで何も見えなかったところに、急に新しく星が見えるようになるので
「新星」と呼ばれています。

この新星がなぜ急に明るくなるのかは、1970年代の研究でわかってきました。
新星を起こす天体は、太陽のようなふつうの星と、白色矮星という半径の小さくて
重い星が互いに周りまわっている連星系です。2つの星があまりにも接近して
いるために、白色矮星の重力にひかれて、ふつうの星の表面のガスが、白色矮星上
にふりそそいでいます。そのガスがある程度たまると、水素の不安定核燃焼が
おこって、大量のエネルギーが出るために、それまで暗かった星が、急に明るく
輝くようになります。これが新星爆発です。
  さて、爆発したあとは、ガスが大きく膨らみ、連星系の2つの星を覆いかくす
ようになります。明るく大きな球状のガスだと思って下さい。そのガスは外に
むかって飛び散っているので、全部飛び散ってしまうと、ガス球の半径がだんだん
小さくなり、連星系がむきだしで見えてきて、星はしだいに暗くなります。

  ここまでは他の人の研究でわかっていたのですが、飛び散る早さが何で決まる
のかはわかっていませんでした。新星が明るくなり、ピーク光度に達したあとは、
だんだん暗くなるのですが、1年もかけてゆっくり暗くなる天体と、20日位で
さっさと暗くなる天体では、何が違うのか、わかっていませんでした。これを
知るには、飛び散るガスの内部構造を数値計算する必要があるのですが、コン
ピューターが発達しても、数値計算が難しくて、世界中の誰も計算できなかった
のです。

  それで加藤は、全く別の計算方法で、近似的に計算することを考えました。
博士号をとったばかりの時です。星の進化を追いかける進化計算の方法では
なく、それより一段回、近似を落した方法(定常状態の解をつなげる)で
計算することを考えました。この近似方法は成功するのですが、近似であるという、
「かっこ悪さ」のため、世界中の理論家から非難ごうごうで、なかなか受け入れて
もらえず、10年以上無視され続けてきました。国際会議で話しても無視され、
論文はなかなかレフェリーの閲読を通らず、喧嘩越しで議論をふっかけて、やっと
掲載にたどりつく具合です。
  20代の終わりと30歳代前半は、この近似のもとで、どうやって、まともな
答えが出せるかという方法を考えるために費しました(微分方程式の境界条件の
つけ方とか定常状態の解系列のとり方など)。そして、やっと計算できる
ようになりました。
  ここでの成功の秘訣といえば、それまで星の進化を計算する人々は、星の内部しか
計算せず(数値計算上の理由)、星の大気の研究者は星のごく表面しか計算しなかった
のが、その両方をつなげようという発想から出発したからです。
  加藤の計算する理論曲線が、観測される新星の暗くなり方(光度曲線)と、ばっちり
合うようになったのが、(4歳だった娘をつれて)アメリカに2年間単身赴任して
いた時です。うれしくて、イリノイ大学の周辺を歩くにも、飛びはねていました。

  いったん計算方法を開拓すれば、計算できるのは世界で加藤だけなので、
新天地が開けました。新星の減光がゆっくりしている場合と、早い場合の違いも
解明できたし(白色矮星の重さとガスの元素組成で違いが出る)、新星にはいくつか
違う種類(サブクラス)があるのですが、それらの違いの原因についても明らかに
できました。減光がとても速い新星は、白色矮星の質量が上限に近いほど重く、
減光がおそい新星は、白色矮星が軽い(これも下限に近い)ことを定量的に示す
ことができました。しかも、古典新星と、回帰新星+おそい新星の両方のグループ
についてです。これが分かった時は、何と美しい理論だろう、これが実現しない
はずがない!と自我自賛していました。
  もちろん、1つ1つ個別の新星について、光度曲線を計算して、連星系の性質
(白色矮星の質量や質量降着率、伴星の質量や性質、降着円盤の大きさ等)を
調べ、定量的に数値を出すこともやりました。それで「新星の光度曲線解析」と
いう分野を構築したわけです。新星の理論家は世界で数人いますが(数人しか
いないとも言える)、私はその中でトップを独走しています。
この理論を optically thick wind theory と呼びます。日本語では
ちょっと狭い呼び方ですが、「新星風理論」と言うことにしています。
(本当は加藤理論って呼んでほしいけど、誰も言ってくれないし、自分で言っては
だめなのです)

  論文を書くたびにreferee と論争し、主張の正しさを認めさせてきました。
10年たったころ、ようやく新星風理論を認め、賛同してくれる人がぽつぽつ現れ
ました。今では、ヨーロッパはだいたいOK、アメリカの一部にまだこの理論を
拒否する人々がいるくらいです。国際会議では、私のかわりに私の理論を弁護して
論争してくれるヨーロッパ人も現れました。
  ケープタウン大学(南アフリカ)のワーナーは激変星の分野で超有名な人ですが、
ある国際会議で、彼が私に「新星風理論はずっと言い続けてきたから、認められる
ようになった。あんたが今回新しく提案したヘリウム新星も、5年くらいずっと言い
続ければ、みんな信用するようになるよ」と慰めて?くれたことがあります。
  今回の加藤の学会発表は、そのヘリウム新星に関するものです。1987年に私ども
が予言したヘリウム新星が、実際の天体(とも座V445)として現れたことに、とても
感慨深いものがあります。(詳細は関連発表の項目をクリック)

  さて、新星の光度曲線が解決したので、この分野で残っている大問題は
あと一つだけになりました。それは新星のピーク光度が、理論的な上限値より
大きいのは何故か?という謎です。これについては、ようやく冴えてきた頭で
今後取り組んでいきたいと思っています。私は40歳のときに、この難問を
解決しよう!と張り切っていたのですが、セクハラ被害のため、フラッシュ
バックや集中力の低下があり、研究者として貴重な40代の時期を8年間も
失いました。とても悔しいです。
(以上)