天文学の絵本を作る

パリティ・2006年5月号(p.44-46)・加藤 万里子

私は大学で文科系の学生のための一般教養科目「天文学」の授業を担当している(脚注 1)。
過去には学生に向かって私が話をする普通のスタイルの講義をした時期もあったが、
しだいに受身の学生が増えたように感じて、話すだけの講義では物足りなくなった。
教師に教わったことを「覚えるだけ」では、科学も暗記科目になってしまう。何とか
学生が自分で考えるような授業ができないかと試行錯誤を繰り返して、現在のスタイ
ルにたどりついた。ここでは私が1995年度から行っている班発表や絵本の共同製作を
採り入れた授業について紹介する。

  この授業のねらいは、天文学全般の広い知識を身につけるだけでなく、自分で疑問
を整理して質問の形にする、グループで調べて相談したことをわかりやすく発表する、
理解したことを自分の文章にするである。できれば、科学が苦手という意識を克服し
て、やれば理解できるものだと自信をつけてほしいし、科学を好きになってほしい。
また、新聞の科学欄をよく読むような大人になってほしい、とも思う。それでは授業
内容を見ていこう。
 



図1。学生が作った天文学の絵本。上部中央は飛び出す絵本でロケットが立体的に飛び出て
いる。その後ろのプロジェクトXは小柴先生がニュートリノを検出するまでの苦労話。
右の源氏物語の巻物は現代文(上)と古文(下)の対訳。
右下は主人公の電子が宇宙を飛びまわって天体を見物するストーリーで、全文が
詞になっている(方程式が散りばめられているのは表紙だけ)。
乱星平定では、秀吉が天文学を語り信長がロケットで本能寺を脱出する。

最初のハードル 新学期がはじまってすぐ宿題を出す。教科書(文献1)のまとめを丸1冊分書く、という 最近の学生にとってかなりきついレポートである。科学が好きな学生はあまり多くない ので「教科書を読んでおいてね」と言うだけで読んでくる学生は少ない。レポートを 提出しないと失格になると聞いて、しぶしぶ教科書を読む。教科書を理解していないと 発表を聞いても質問が出せないので、これは必須である。 班わけ 履修が決定した学生(脚注2)を、4人の班にわける。学生を教室の通路に誕生日順に 並ばせ、1月1日生まれから12月31日生まれまで1列にして、4人ごとに分けて いく(文献2)。学部も学年も違う4人が、いっしょに問題を解いて答えを発表したり、 絵本をつくる仲間となる。履修希望者が年々増加するのがうれしい悩みだが、班発表の 時間に限りがあるので、1クラス20班までが好ましい。 途中でドロップアウトする学生が出て人数が減った班は、9月にあらためて編制し なおす。人間関係がうまくいかなくて辞めそうになっていた学生も、新しい班で 元気になる。再編成は希望に応じて行ってきたが、この10年間の間に、人間関係を 作ることに消極的な傾向が強まり、くみかえを望まない学生が増えてきた。うまく いっている班は、そのまま存続させた方がよいようだ。 プレゼンテーション 班発表は、教科書にある問題の答を自分たちで調べて、わかりやすく構成して発表す るものである(脚注3)。発表時間は5分間で、必ず事前に発表の練習をすること、4 人全員が話すこと、書画カメラ用の原稿を用意することが条件である。時間を超過 したり、答えが違う、説明が下手、などの場合には再発表となる。大学1、2年生に とって、プレゼンテーションの機会は多くない。最初はかなりのプレッシャーを感じる ようだが、他のグループの発表から学ぶうちに、2回目には上手になる。月の満ち欠け を動かしてみせたり、カラフルでわかりやすい図を原稿に貼りつけて工夫し、皆の 感心を呼ぶグループも出てくる。 問題は次のようなもので、答え方がひととおりに決まらないものも多い。違う班が 同じ問題を担当しても、答え方は同じとは限らない。自分たちで調べて、どのように 答えるかを相談して発表する。 1-3)「星が死んだら人になる」とよく言われる。今までにいた人の数と星の数とでは どちらが多いだろうか。 1-10)ロケットや人工衛星はなぜ天文学に必要なのか。 2-1)望遠鏡がなかったころには、天文学者は何をしていたか。 3-3)宇宙がいつまでも膨張するか、収縮に転じるかは何によってきまるか? 5-1)ブラックホールについて説明しなさい。 6-1)地球はどうして太陽のまわりを回っているのだろうか。 学生の感想には、「再発表の恐怖があると真剣にやらざるをえなくてよかった(文1 男)」「レポートや班での問題発表をやっていくうちに理解できるようになって嬉し かったです。知識が増えると、講義やビデオやプリントの内容(脚注4)も何とかわか るようになりました(文1女)」とある。もちろんプレゼンテーションの練習が将来役 に立つ、との自覚は言うまでもない。 発表のあとは質疑応答をする。聴いていた学生も、最初のうちは質問が思いつかず、 はずかしくて声に出せなかったりするので、慣れるまではマイクを教室中にまわして 全員に質問を考えることを強制する。教師である私の役目は、適切にほめることと、 交通整理をすることである。そのうちに、誰でも自分なりの疑問を素直に出すことが できるようになる。 絵本を作る 秋学期には絵本製作がはじまる。絵本には教科書の問題の答を6題分いれることが 条件である(脚注5)。問題の答は科学的に正しくないといけないが、ストーリーは 自由でよい。政治もの、サスペンス、恋愛物語、童話など多様な絵本が提出され、 見ている私はとても楽しい。なお、小説を書きたい学生や、絵が得意で凝った絵本を 一人で製作したい学生は、秋から単独の班にする。 夏休みの宿題 プロの作った絵本を読んでほしいので、「自然科学をテーマにした絵本を3冊読んで、 ストーリー展開と本のねらいについて調べる」という課題を出す。また秋にオリジナ ル問題を作成する準備として、「○○はなぜ○○なのか」という疑問文を10個作る 課題も出す(疑問は自然科学の内容に限る。「○○の謎」という本などを見ては いけない)。 絵本の構成 絵本には、本文の他に、まえがき、あとがき、奥付、著者紹介が必要である。そこで、 まえがきとあとがきに何を書くかを考えさせるため、夏休みが終ると、またレポート を出す。課題は「一般書や専門書(他の授業の教科書など)にある、まえがきとあとがき の内容を調べて、どんなことが書いてあるかをまとめよ」というものだ。 絵本のまえがきは、ストーリーが決まらないと書けない。絵本製作が進んだころ、 各班のまえがきを発表させる。まえがきは、読者を絵本に引き込むためのものなので、 書く方にとってみれば、「どういう絵本にすれば天文学に興味をもってくれるかを 考える(経2男)」良いチャンスである。あとがきは、絵本製作が終るころ(冬休み)に、 学生たちが自由に感想などを書く。 絵本のストーリー 絵本のストーリーは実にさまざまである。宇宙に冒険旅行に行った主人公が天体を見物 する。主人公の地球が惑星や太陽と話をする。マッドサイエンティストが地球を滅ぼ そうとするドタバタ劇。突然あらわれた宇宙人に誘拐された主人公が、宇宙をつれまわ されて、天文の解説を聞かされる。天文学の単位を落しそうになった学生があわてて 試験に臨む。かぐや姫が求婚する貴公子たちに天文学の難問を出す。織り姫星と彦星 の恋物語など。 絵本づくりの授業をはじめた11年前には、完全にオリジナルな物語が多かったが、 しだいにキャラクターや場面設定を既存のものから借用する班が増えてきた。 どらえもんや銀河鉄道999、星の王子さまなどのストーリーを拝借し、その中に 天文の解説をちりばめるものや、テレビのクイズ番組を拝借して、回答者が天文学の 問題に答えるものなどがある。 ストーリーには流行もある。2005年度は、秋に総選挙があったので、政治家が宇宙 膨張を語り、ホリエモンが宇宙へ行くといった話や、「電車男」をもじった「宇宙男」 、ドラゴン桜(「馬鹿は天文学を勉強して慶應大学に行け!」という受験根性もの)、 などが目だった。2004年度は「世界の中心で愛をさけぶ」がベストセラーになっ たので「宇宙の中心で愛をさけぶ」、2002年度は、古典文学が流行った年で、源氏 物語や竹取ものがたりを絵巻仕立てにしたものが出た。またノーベル賞ダブル受賞に わいた年でもあったので、小柴先生を主人公にした絵本もいくつか出た。それぞれ、 話の中にいかに自然に天文学の話題をいれるかで、苦労があるようだ。 学生の感想 毎年、学生に感想を書いてもらう。レポートが大量に課されるきつい科目だが、 「絵本を作るのは思ったより大変だが面白い」「友人が出来て楽しい」が平均的な 感想で、それに加えて、絵本が完成したときの達成感と喜びが伝わってくる。この 授業は、学生が時間外に集まって相談することが多い。最近の学生はサークルやアル バイトで忙しいので、集まる時間の調整も難しい。また共同作業に慣れていないの で、人と妥協したり調整することにも苦労するようだ。絵本づくりは、ストーリーを 話しあって決め、分担するまでが最も大変そうである。 「自分の力で理解できると、意外と天文学ってわかるかも、と思えたのが嬉しかった (文1女)」「グループを作ってプレゼンや絵本をつくるこの授業は、社会で必要と される学習に書かせない能力であるコミュニケーション能力や社交性を養う意味で 有意義(文1男)」 「理論立てて考えること。わかりやすい言葉で伝えること。興味をひくような工夫を すること。天文学の授業を通して学んだことである。(「愛・宇宙博」のあとがきより) 今後にむけて 勤務先の大学では、カリキュラムの都合で、通年科目がなくなりそうである。この授業 は通年科目だからこそ、夏休みの宿題も出せるし、学生が班の人間関係をつくる時間 のゆとりもある。半年科目の授業になったら、どのようなやり方をすればいいのだろ う。まだまだ試行錯誤は続く。 参考文献 1)加藤万里子:『新版・100億年を翔ける宇宙』厚生社厚生閣(1998) 内容は宇宙膨張から太陽系の形成まで天文学全般にわたる。 2)浅野 誠:大学教師奮戦記、大学における教育実践 3巻 実践的大学教育論 日本科学者会議教育問題委員会 原正敏・浅野誠編、水曜社 (1983) 班分け のやりかたは p.147 3)絵本の画像や課題のリストは、Web の 「講義用のページ」にある。 脚注 1) 1,2年生むけの選択科目で通年4単位。 脚注 2)一般教養の選択科目はマスプロ授業をさけるために、履修希望人数が多い 科目は抽選になる。履修が決定するのは、4月3週目。私の講義はたいへん厳しいと 学生の間で有名なのに、履修希望者は年ごとに増えている。天文学に興味はなくても 絵本を作りたいという動機で履修する学生もいる。05年度は2クラス担当し、 1クラス100人に制限した。最後まで残った学生は7〜8割。 脚注 3) 1班につき年間で3題発表する。3題目はオリジナルに作成した問題で、 授業中に5分間で答えを発表させ、プレゼンテーションも含めて採点する。 脚注 4)天文学に限らず、科学のさまざまな記事をプリントで配る。たとえば 考古学の年代測定、ゴリラと話す、タッチパネルのしくみ、カーボンナノチューブ、 アミノ酸など。学生の感想には、「プリントが楽しみだった」「新聞の科学欄を 読むようになった」とある。1年間配ると科学の面白さがわかってくるようだ。 脚注 5)絵本にいれる問題のうち5題は教科書の問題、1題は班でオリジナルに作成 した問題。


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