カテゴリー(用語集) おすすめ度 3 『文部省 学術用語集 天文学編(増訂版)』 日本学術振興会 発売 丸善 3300円 この本は学術用語を整理統一して学術の進歩と普及に役立てる ために、文部省と天文学会共編として出版された。編集にかかわっ たのは学術審議会天文学用語専門委員会、日本天文学会天文学用語 専門委員会、科学研究費補助金「天文学用語標準化の調査研究」班 のメンバー、および30名ほどの協力者である。平たく言えば、 文部省の音頭のもとに天文学会が総がかりで作ったものなので、 書評するなどおこがましい、というものである。 本の内容は天文学でつかう専門用語の英語と日本語を対照させた ものである。用語の意味は出ていない。和英の部と英和の部があり、 語順はABC順で、日本語のローマ字読みも併記されている。 この本の意義は数多くの言葉についての対訳を集めたことである。 このような用語集は天文学の普及にとって必要である。天文学者 どうしなら英語のままでも通じるが、一般むけの科学書や報道記事、 教育関係で使うためには天文用語の和訳が入り乱れていては混乱の もとである。また科学の翻訳本も多数出版されているが、専門外の 人が翻訳をした場合、学術用語であることを知らずに訳したらしい おかしな文章に出あうこともある。この用語集には、英語と日本語の 性質の違いから、日本語の熟語にするには苦しいような言葉もたく さん入っているが、専門外の人のためには必要なのだろう。 (もっとも、天文学の内容がわからないのにムリに翻訳をするのは 止めてもらいたい、というのが私の本心だけれど。) さて問題なのはこの本の使われ方である。私はこの本をじっくり 見るまで、「黒体輻射」はお上によって使ってはいけない言葉になっ ているのを知らなかった。(当分のあいだは使用してよいが望まし い言葉ではないとされた)その経過は巻末に書かれているが、 「かなりの数の大学教官の強い希望にもかかわらず」である。そうか、 だから私の好きな「降下円盤」(降着円盤とすべし)も「つじつま のあう場」(自己無どう着場)も「われわれの銀河」(天の川銀河か 銀河系)もこの本には出ていないのか。きっと天文学者の数だけ不満 はあるに違いない。 学術用語は時とともに変わる。前の版にあった「星雲」という言葉 はこの版でようやく消滅した。つまりこの本は、出版された時点での 学術用語の集成であり、そのうちに時代遅れになる宿命をもつ。こう いう限界があることを使用する側は認識すべきである。この本に出て いないからといって、教科書で使ってはいけませんと規制されません ように。 私は文科系の大学に勤めているが、辞書に関する仕事をする人は 言葉に関して多少なりともマニアックであるべきだという印象をもっ ている。マイルドな人格者の集まりである天文学会にこの種の完璧な 仕事を要求するのは無理なようだ。(巻末のリストにある私の名前が 違っているのは象徴的である)むしろ地味で大変な仕事を曲がりなり にも完成させた労力に素直に感謝すべきだろう。 最後になるが、この本のローマ字表記はヘボン式ではない。いまや 天文学者の半分以上と教育関係者の大部分は、この本で使用している ローマ字表記になじみがない。その点でもこの本はすでに時代おくれ である。文部省の行政矛盾に学会が追随して得になることはあまりない。 天文月報(1995)88,266 加藤万里子(慶応大学)www版 ######################################### 後日談 以上の書評を天文月報に書いたあとで、学術用語集は初等教育の検定に 使われるためにある、との指摘がありました。ですから上の書評は とっても頓珍漢であります。この本が検定のために使われる、となれば 話は全く別で、そういう視点からみるとこの本には問題がたくさん ありすぎてランクとしては最低です。そのうち書評を書き直す必要が あると思っています。 次の文章はある関係者にあてた手紙です。状況説明のかわりに置いて おきます。 事の起こりから申しますと、天文月報の今月号に、私が学術用語集の 書評を書いたのです。そのなかで私はこの用語集に出ている用語には 天文学者のコンセンサスが取れているとは言いがたいものがあることを 示し、「学術用語集に出ていない単語は使ってはいけないと言われま せんように」と書きました。これを見た方から、学術用語集とは初等 教育の検定に使われるためのもので、つまり用語の使用を制限する 目的のためにある、しかもかなり強制力が強い、というご指摘があり ました。我ながらまぬけな話です。 ところで私と蜂巣泉さんは学術用語集の巻末に協力者として名前が出て いますが、これは私達に断わりなく、かってに名前を印刷されたもの です。私達は科研費のメンバーでもないし、合宿とやらも知りません。 いつか作業の初めの頃、天文学会年会の時に、用語集を作ることになっ たのでみなさん協力して下さいとのアナウンスがあり、その後、分厚い 単語のコピーが送られてきたので、ふたりでみて赤で意見を書いて 返送しただけです。その後の協力は私がアメリカへ行く直前だったの でお断わりしました。天文学会のときも、その時も、学術用語集の目的 は、用語の統一をはかるためと聞かされただけで、検定に使うとか、 用語の使用を強く制限するなどは聞きませんでした。検定に使うの だったら目的が全く違うのですから、意見を出すにしてももっと違っ たものになったはずです。この学術用語集の内容は、みるからに用語の 目安として編集されていて、用語を強く制限するためのものとしては 適当ではありません。協力者として私や蜂巣さんをふくむ人々の名前が 勝手に印刷され、しかも、それが検定する上での権威として使われて 責任を持たされるのは、私たちとしてはとても不本意です。これは 委員長に重大な責任があります。 もしかしたら学術用語集が検定に使われるというのは関係者に とっては常識なのかもしれませんが、私のまわりの人はそうではあり ません。この本にかかわった人のうちどの程度がはっきり意識していた のでしょうか。それにしても学術用語集の前書きに検定に使うとか、 用語を制限するとかはっきり書くべきだと思います。 私は協力者のリストに入れられ、責任が生じたことに対してなんらかの アクションをとりたいと思っています。ほかにも同じような状況の方が いらっしゃるかと思いましてお手紙を書きました。どのようなお考えか お知らせ下さい。 加藤万里子 ps2 巻末にある協力者のリストの加藤真理子とは私のことらしいのです。 というのは、協力へのお礼のあいさつ文と本一冊が送られてきましたから。 (以上)