ロールモデルを探して
                                        加藤 万里子(慶應大学理工学部、天文学)

「科学者」をイメージするとき、たとえば幼児のために忙しく夕食を作るお父さんや、
孫たちと楽しくカラオケをするおばあさんを思いうかべる人はいるだろうか。どんな
人が「科学者」になるのだろう。よほど特殊な人間なのだろうか。
  私を長いこと苦しめたのがこの問題だった。今でも状況はそれほど変わらないようだ。
これから科学をめざす人たちのために、私の体験も交えながら本の紹介をしてみたい。


<女性と物理?>
私が大学の物理学科に進もうと決心した時、両親は猛反対した。女の子なのに
物理なんて、という理由だった。大学院で理論物理に進んだときには、母の友人から
、もうお見合いの話は来ないわね、と断言された。理学部には女性用トイレが少なく、
唯一の女性の先生は、隣の建物まで行かずに実験室のそばの男性用に行くという話も、
めずらしくはなかった。はじめて出席した天文学会の年会はどぶねずみ色の背広で
埋まっており、女性は修士の私をいれても全国で片手で数えられるだけだった。

  日本には「物理の好きな女の子」という概念が存在しなかったので、とりあえず
女であることを抹殺することが物理を勉強する唯一の道に思えた。大学時代にスカート
をはいたことは数回しかなく、汚いジーンズとサファリジャケットが落ち着ける
ファッションだった。大学院に入ってスカート姿になり、結婚し出産して、ようやく
赤や黄色のセーターが着られるようになった。

  女性の物理学者はキュリー夫人しか知らず、身近な存在ではなかった。日本の窮屈
な社会の中で仕事の道を切り開いた女性のことが知りたくて、近代小説や女性の手記を
たくさん読んだ。外国に飛び出して自分の可能性をひらいた女性も多かった。新し
い世界を切り開くためには、「常識」にとらわれない勇気が必要であることも教わっ
た。科学者の話でなくても参考になることは沢山あった。


<理科の好きな女の子は教授をめざす>
図1の悲惨な状況をみてほしい。物理の世界の女性の少なさに関しては、日本は文句
なく"世界のトップレベル"にある。女性が直面する困難も想像できるだろう。それ
でも理科が好きで科学者をめざす女性は少なくない。「女性科学者 21世紀への
メッセージ」1)では、猿橋賞の受賞者13人が研究の面白さと喜びを語っている。女
性の科学者がこれだけそろうと迫力がある。

  賞をとった"有名人"でなくても、科学の分野で働く女性はたくさんいる。「女性技術
者の現場」2)には、企業で働く女性がどのようにして理系に進学し、就職して、出産
や育児をこなしているかを、仕事の面白さとともに語っている。また「女性の理系能力
を生かす--専攻分野のジェンダー分析と提言」3)にも、理系女性へのインタビューが
ある。女性が理系をめざすうえで、周囲の理解や励ましが大きな役割を果している。

  ロールモデルの少なさをお助けする本としては、「理系の女の生き方ガイド -- 女性
研究者に学ぶ自己実現法」4)がおすすめ。研究分野や研究室のえらび方、出産や
子育てののりきり方など、きめ細かい情報が載っている。京都は女性研究者のパワー
が結集しており、共同保育所を作ったり、情報交換の活動を盛んに行ってきた。この
本にもその雰囲気がうかがわれる。

  最近ではインターネットが発達し、知らない研究者どうしが交流できるようになっ
た。研究分野別や目的別にさまざまなネットワークがあり、研究者の特殊事情に
対応した超マイナーな情報をやりとりしている。私も学会会場に保育室を設置するた
めの情報を Web ページに掲載してあるし5)、 学会保育室のネットの世話人でも
ある。ネットには父母だけでなく、子供のいない人も独身男女も参加している。


<素敵な女性>
科学とは関係ないが、私の好きな本を紹介したい。サラ・パレツキーの探偵小説シリーズ
では、主人公の探偵ウォーショスキーが社会のさまざまな巨悪をあばいていく。スケール
の大きな問題にいどむ緻密な推理方法は、科学のやりかたにそっくりだ。Girl と呼ばれると
即座に Woman と言い返す主人公のセンスも私にはしっくりする。翻訳も出ているが、
推理小説の英語は比較的やさしいので、知的な中年女性である主人公の言葉遣いを、
国際会議での英会話の参考にすることもある。
  また「この女(ひと)に賭けろ」6)は、銀行員の女性が出世する漫画で、女性像が
みどころ。主人公は仕事ができて人望もあり、美人で理想的な恋人がいる。ライバルの
同僚も頭が良く美人で素敵な恋人がいる。そして2人とも男性上司の部長より、かなり
背が高い。2人が先頭になり、部長を後に従えてかっかっかと廊下を歩くシーンが
カッコいい。今まで日本の文化の中で、女性の背が男性より高いことが、魅力的な
女性の象徴だったことがあっただろうか。

  国際会議で出会う外国の女性は個性的だし、何より1つの会場に若手から年配まで、
各年齢の女性がそろう。女性の生活や人生は男性以上にさまざまなので、ロールモデル
が全国で数人だけでは情報が不足する。私も中年になったせいか、上記の漫画では
トップの管理職や官僚の言葉づかいに感心したし、霞ヶ関に勤める私の友人は、キャリ
ア女性の服装に興味を示した。


<服装の自由と研究の自由>
かつては背広の集団だった天文学会も、すっかりカジュアルになった。むかしは国際
会議に出席するときの悩みは、自分の講演よりパーティで着る服のことだった。女性は
ロングドレスが主流だったので、スーツケースの中で皺にならず、そこそこ見栄えも
する服を調達するのが一苦労だった。今ではヨーロッパも急速にカジュアル化が進み、
昼間のジーンズ姿のままパーティに出る人もめずらしくない。服装のカジュアル化は女
性にとって、科学へのバリアフリーでもある。

  研究室の雰囲気はさまざまだ。どんな場合でも背広にネクタイという分野もまだ多い
し、自分の先生を「さん」で呼ぶか、「先生」かの雰囲気も違う。服装の自由や言葉使い
は、若手研究者の研究テーマの自由と関係があるのか興味のあるところだ。気軽
に教授の間違いを指摘できる研究室かどうかと、討論の活発さやセクシュアル・ハラ
スメントの発生頻度は無関係ではないだろう。女性研究者が伸びる研究室とは、男女
を問わず若手研究者が伸びる環境なのではないだろうか。

  日本では、女性科学者は優秀であるほど、女性としては不幸に違いないという先入感
がありはしないだろうか。理科の好きな少女が科学者をめざすとき、どんな教授にな
りたいと思うのだろう。まじめで地味なタイプしか思い浮かばないようでは将来の
イメージは暗い。科学者だっていろいろなタイプがいる。ほれぼれする美人やお笑い
系タイプ、いじわるバアサン、ガングロに厚底サンダルのまま教授になる人がいたっ
て、ちっとも不思議ではない。ステレオタイプの科学者像も、理科の好きな少女たち
にとってバリアの一つである。

参考文献
1。『女性科学者 21世紀へのメッセージ』、湯浅明・猿橋勝子編,ドメス出版、
      1996年
2。女性技術者の現場、中川靖造、学習研究社 1996 年
3。『女性の理系能力を生かす--専攻分野のジェンダー分析と提言』村松泰子編、
     日本評論社 1996年
4。理系の女の生き方ガイド -- 女性研究者に学ぶ自己実現法
   宇野賀津子、坂東昌子 ブルーバックスB1307(講談社) 2000年
5。 http://user.keio.ac.jp/~mariko/
   エッセイは「辛口批評」、本やマンガの紹介は「本の紹介総目次」
6。この女(ひと)に賭けろ、講談社、周 良貨(作)、夢野 一子(画)全15巻

図1  世界の大学・物理学部の職員に占める女性の割合(原著は Science, 1994,263,1468)
(省略)
(C)パリティ 2001年9月号 p.56-57  「thoughts」