大学時代(物理学科4年生)
私の大学時代
加藤 万里子
私が立教大学に入学した1972年には、まだ日本中に大学紛争の
わさわさした雰囲気が残っていた。立教大学のキャンパスにもヘ
ルメットの集団はいたが、暴力事件はほとんどなく、学生同士が
真剣に討論する雰囲気だけが残っていた。私もよくクラスや他学
部の友達と、学問は何のためにあるか、開かれた大学とは、など
身に余る大きなテーマについて真剣に議論したものだった。
一つのキャンパスに、各学部が一年生から四年生までいっしょ
にいるのは、立教大学の大きな長所だ。クラブ活動が豊かに行え、
他学部や上級生との接触も自然に蜜になる。親からの仕送りなし
に自活していた同級生もいたので、親に甘えて育った私は、何の
ために勉強をするのか、社会の中における勉強とは何か、につい
て考えさせられることも多かった。社会の実益にならないと言わ
れる天文学を研究する身になった今では、このような雰囲気の中
で貴重な青春時代を過ごせた私はとても得をしたと思っている。
立教の理学部の良い点は、化学、物理、数学の3学科とも1ク
ラスで、小人数教育が実施されていることだ。教員対学生の比率
も恵まれていたので、カリキュラムにゆとりがある。入学から卒
業までクラスがずっと一緒なので、自然とみな仲良くなり、お互
いに性格や考え方までよく知り合った仲間で勉強に遊びに熱中で
きた。今思うとこれは立教大学が日本に誇るすぐれた特徴である。
後に慶応大学に職を得てびっくりしたのが、1学年1000名も
の大規模な理工学部だ。大規模である利点はもちろん多々あるが、
一年生からずっと小教室で専門必修科目の授業をうけ、学生個人
用のロッカーが与えられていた私の学生時代とは、ずいぶん勝手
が違う。
私の学年は自主ゼミをよくやっていた。きっかけを作ったのは、
生物物理の山崎照俊先生である。入学したての春に物理学科一年
生の教室にいらして、私たちに自主ゼミを開くことをすすめられ、
実際に一年間私たちのグループのチューターをされた。ここで本
の読み方について勉強した。自主ゼミでは、一人が説明し他がつっ
こみを入れるので、他人に説明することの難しさと面白さ、自分
一人で勉強するのとは違う面白さなど、皆で一緒に勉強すること
の基本を学んだ。私たちのグループはその後も自主的に勉強会を
続けたし、他にも自主的なゼミがいくつも開かれ、科学の本を読
むグループのほかに、力学の勉強をするグループや、追試対策ゼ
ミのような勉強グループができていた。後になって、物理学科の
中にクラス専用の小部屋を獲得してからは、卒業までずっとそこ
を占有して、自主ゼミをやったり、おしゃべりをしたりと楽しく
すごした。
ベトナム戦争終結前後の時代を反映して、クラス討論もよくやっ
た。クラス決議の立て看を出したり、理学部の建物の前の並木道
に、小選挙区制反対のつり看板を出したこともある。物理学科は
リベラルな雰囲気で、小川岩雄先生の核問題概論のような社会的
な科目も設置されていたし、先生方も私たち学生のそういう動き
に対して暖かかった。
今思いかえすと、私の学部時代は、物理学が面白くてよく勉強
したという思いの他に、クラスの仲間と一緒にすごした実験やら
自主ゼミやおしゃべりの時間、そしてクラブ活動に恋愛に人生の
悩みにと、とても盛りだくさんであった。充実した学部時代を過
ごせたことが、その後の私の人生を切り開く原動力となっている。
あれから社会が変わり、時代が大きく変わり、学生の雰囲気も
変わってきた。でも春になると慶応大学の学生に、自主ゼミの効
用を説き、勉強のすすめをしている自分をみると、何のことはな
い、今でも立教で学んだことと全く同じことを繰り返しているの
だと、苦笑することがある。
立教大学理学部創立50周年記念の文集原稿1999年11月15日
(72年物理学科入学、76年理学研究科原子物理学専攻入学、
81年博士後期課程終了&理学博士号取得、現在は慶応義塾
大学理工学部助教授 専門は天体物理学(新星の質量放出理論))
Copyright M. Kato 1999