理想の人生は「くそばばあ」

           加藤 万里子(慶応義塾大学理工学部、天文学)

 小学生のころ、星の一生はとてつもなく長いことを知り、自分の存在が
ちっぽけに思えてとても怖かった。自分はどうしてここに生きているのか、
自分のまわりの世界はどうなっているのか。このような疑問を抱いたことの
ある人は少なくないだろう。自分やまわりに対する好奇心は、人間がもつ
根源的な性質かもしれない。

 自分の親が誰かを知りたいに始まって、自分のルーツをたどっていくと、
人類のルーツになり、生物の進化になり、地球の歴史にたどりつく。太陽
系ができた頃に思いをはせ、銀河の様子や宇宙空間、宇宙全体へと、空間
と時間の認識を広げていく。世界はどうなっているのか、これらの問いに
答えるのが自然科学である。私にとっても、宇宙の中に自分が存在する座
標軸のメモリを示してくれるものである。つまり天文学は私の哲学なのだ。


 科学者になって、よかったと思うことはたくさんある。まず好きな仕事
を一生やっていける幸せがある。私は高校2年まで音大志望で、ピアノを
何時間も練習する毎日だったが、果たして自分は音楽が好きなのか自信が
もてず、どんより悩み続けた。大学では物理学科を選び、物理が面白くて
毎日がとても楽しかった。天文学は天体現象を物理で理解する学問なので、
大学以来,自分の好きな道を歩んできたことになる。これはとても贅沢な
ことだと思う。

 研究をしていて嬉しいのは、ちょっとした小さなことでも、自分で考え
て何かをみつける喜びがあることだ。自然の不思議さ、複雑さ、巧妙さに
はいつも感服しつつ、そのしくみを解きあかせた時の嬉しさといったらな
い。自然のしくみに比べれば、人間の想像力などなんと小さなものだと思
う。科学者は自然に対面したとき、素直になる。素直になれることは科学
者の長所だろう。これを実生活にも応用することができるなら、科学的で
あることは有能でもある。というのは、自分には知らないことがたくさん
あると知っている人は、それだけ有能でもあるし、間違えたときに、それ
を素直に認めることができることも、ひとつの能力だからである。間違い
をいなおって弁論でとりつくろう人間は、どんなに知的にみえてもそうで
はない。

 研究者でいると、時には素直だけでは済まない場面もある。自分の新し
い説が受け入れられない時である。私も、徹底的に無視された時期がある。
私達の論文を同じ分野の人はみな読んで知っているにもかかわらず、論文
の中ではきれいに無視されたり、国際会議で出会って笑顔で雑談した直後
の講演の中で、無視されて引用してもらえないこともあった。論文が学術
雑誌に載るためには、査読者(レフェリー)の審査をうけなければならな
いが、いつもひどいケチをつけられて否定されるから、何回も論争し、時
には,レフェリーの名前を推測して、論文を読んで徹底的に論破し、反撃
することも必要であった。すでに確立した路線にのってお行儀のよい論文
を書くだけの研究なら楽だろうなと何度思ったかしれない。常識と違う研
究結果を出せば、それだけ強い反発にあうのは当然だから、何年も言い続
けていれば、そのうちみんなが当たり前だと思うようになるよと、国際会
議で会った人からなぐさめられたこともある。世の常識にさからって自分
の正しさを主張するだけの論理力と勇気、そしていつまでも戦いつづける
根気も必要である。

 結婚して子供を産んだ時、私の考えていた「よい妻」や「よいお母さん」
は、世間のものとかなり違うことがよくわかった。過ぎてしまえば大した
ことではないが、別居結婚や別姓、家事の平等分担、2年間の子連れ米国
出張など、実行するたびに世間の常識とたたかう必要があった。自分の生
き方は自分で新しく創り出すもの。それは天文学の研究で新しい理論を創
り出す時とかわらない。子育て期間はのりきったが、その後も次から次へ
と戦うあいてが出てきて、今はエネルギーが枯渇しそうになっている。だ
から私の理想は、疲れを知らない強靭な精神力をもち、自由に自分の生き
方を創造できる人である。科学者らしく柔軟に、間違っているとわかれば
すぐ改めるけれど、納得しないと頑固そのものでありたい。しつこいから、
いつまでもあきらめない。こんな人間は、規則に従って世間なみの幸せで
暮らしていれば安泰という人から見ればしまつに悪いだろう。つまり私の
理想は、あくの強い「くそばばあ」なのである。もうその資格は十分ある
と言ってくれる人もいるが、まだまだ人生修行が足りない。定年になるま
でには理想に近づきたい。そしてそういう人間が全く苦でない家族や友人
に囲まれて楽しく暮らしていくのだ。

岩波「科学」 2001年4,5月合併号 テーマ「あなたが考える科学とは」
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