天文月報1984年2月 第77巻 P48
書評  『天文学通論』        鈴木敬信 著
(地人書館 昭和58年8月30日発行,491ページ 3800円)

 私は文科系の学生に一般教育の天文学を教えている身
として.教科書として使えるような本が出版されること
を切に願っている.天文学の解説書は数多いが,文系の
学生には難しすぎたり,内容が古かったり,分野が限ら
れていたり,高価なために,これ一冊という本がない.
アメリカにはやさしくて良い教科書がたくさんあるのに
比べると,日本は一般教養としての天文学がいかにも手
薄という感じがする.

  私の望む教科書の必要条件は、(1)やさしくわかり易い
こと、(2)安価、(3)現代天文学の広い領域をカバーして
いる,(4)物理的な意味がきちんと説明してあり,レベル
は低くないこと,である.その上にできれば私はロマン
を要求したい.天文学者は現代の語り部である.あたか
もホメロスがオデュッセイアの英雄伝説を語るかのよう
に,天文学者はビッグバンからはるかな未来までの宇宙
の様子と,その中で起こるいろいろな出来事 -- 銀河・
銀河団の形成や星の一生や知的生命の誕生に至るまでの
一連の出来事の長大な叙事詩を物語らねばならない.た
だしこれはあくまで評者の個人的な偏見であるが.

   さてこのような日本の教育事情の中で本書が出版され
た.本書は1963年の同名の本を,天文学の新しい成果
を取り入れて全面的に書き直したものである.内容は
天体力学から始まる古典的なスタイルで,太陽・太陽
系,恒星,星間物質,銀河系,とかなり広い分野にわた
っている.式はほとんど用いず説明は平易である.また
各章末に問題と答がついているのはありがたい.教科書
として(1)(2)の条件は満たしているといえよう.

 内容は天体力学のほかは観測的なことがらで占められ
ており,理論とのバランスをいちじるしく欠いている.
観測的なことがらについては,たとえば各種変光星の光
度曲線とかスペクトルの変化、X線バースターの特徴な
ど,一般むけの教科書としては細かすぎるほどであるの
に,いわゆる天体物理学の理論については,記述が全く
ないか,あっても星の進化の部分のように誤りであるこ
とが多い(後述).せめて星の一生,宇宙諭,太陽系形
成理論,銅河の密度波理論など,最近20年間の重要な
成果にはきちんとふれてほしかった.現代天文学は宇宙
の生き生きした様子を時間・空間にまたがって描き出し
ている.天文学が博物学であった時代はすでに久しい.
本書が「天文学通論」である以上,一般の人々がこれを
読んで現代の宇宙像を正しく理僻することこそ,著者の
意図するところであると思う.

 この本には残念ながら明白な誤りがあまりにも多い.
たとえば星の進化の部分はどう読んでも現在確立してい
る星の進化の理論とは相いれない.例をあげると「超新
星爆発のあと白色矮星や中性子星ができる」「中性子星
は冷えるとつぶれてブラックホールになる」「重い星は
主系列段階のあと中心部のヘリウムが1.44太陽質量に達し
たとき超新星爆発をする」等である.この本が著者の意
図どおり,中学高校の先生方の参考書にもなるとすれ
ば,こういった本質的な誤りは一般の混乱をまねくだけ
である.一般に誤解を広めないためにも,できるだけ早い
機会に書き直されることを望む.

 その他気づいたことを並べると.太陽系の起源論で
は,遭遇説等まで詳しく説明してあるにもかかわらず,
現在もっとも成功を収めている林学派の精緻な太陽系形
成理論にだけはひとこともふれていないのは,学問の
現状を歪曲するものである.また天体望遠鏡の章では光学
望遠鏡のみを詳述しているが.いまや天文学にとって可
視光以外の波長領域は欠くことのできないものである.
日本にも野辺山の電波望遠鏡やX線天文衛星など見るべ
きものは多いのだから,多少なりともふれてほしかった.

 最後に訳語についてであるが,これは各人意見の異な
るところと思う.著者は意欲的に訳語にとり組んでおら
れるようで,擾乱小宇宙,クアサール.重星種Iなどの
新たな訳語を提案されている.しかしすでに学界では特
異銀河,クェーサーなどの用語が定着しているいま,本
書の中だけでこれらの言葉を使用するのは,一般の読者
にとってはかえって不親切なのではあるまいか.
                            (加藤万里子)
(C) 日本天文学会

注:原稿には、いちばん最後に『従ってこの本は教科書には
向かない』と、とどめの文章が入っていましたが、編集部に
削除されました。この頃はまだ天文学会ではあまり天文教育の
議論に熱心とは言えない時代でしたし、私も若くて押しが
きかなかったのです(^_^)。