歴史の本を読んで、パドヴァがよく出てくるのは医学の歴史。ボローニャの解剖学教室 については10月のボローニャの項で紹介したが、宗教的な束縛のきつい社会で解剖を実行 するのは困難がともなう。学問は自由な気風の社会でこそ発展するのだ。世界ではじめて 人体解剖がおこなわれたのはボローニャ。その後、弾圧をさけて教授や学生たちがパドヴァ にのがれてきて、大学ができ、パドヴァでも解剖がおこなわれた。ボローニャの解剖学教室 (Teatro Anatomico) 教室の壁ぎわは3段の階段になっていて、医学生はそこから中央のテーブルでおこなわ れる解剖を見学する。 ボローニャ大学の解剖学教室は無料で見学できるが、パドヴァ大学の解剖学教室は有料で ガイドつきの見学だ。この見学コースのみどころは、何といっても解剖学教室。撮影禁止 なので、見るよりちょっとしょぼいが、チケットの写真で我慢していただこう。
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パドヴァ大学は1222年創立 みごとな階段教室で中央が解剖台。医学生は周囲の段のところに立ったままで解剖を見学 する。350人が入れる大規模なものだが、中央は人間の大きさだから、思ったより狭い。 教授は椅子にすわって命令するだけで、実際の解剖は助手が行う。 階段教室の下は狭い部屋になっていて、楕円のところが開き、そこから献体が上にもち 上げられる。見学者は階段部分には入れず、楕円部分の台の下から上をのぞく。 ここに入る前に見学する部屋は、大きなフレスコ画のある古めかしい豪華な部屋だ。とは 言ってもフレスコ画は人体の筋肉とか内蔵など解剖学教室にふさわしいものばかり。壁の 大きなフレスコ画を見ながら授業をしたのだろう。ところでその部屋には、ガラスケースの 中にしゃれこうべが8つ並んでいた。初代からの歴代の解剖学教授のしゃれこうべだそうで、 亡くなった後で学生が解剖したのだそうだ。 そういえば、フィレンツェの絢欄豪華な建物にある博物館では、人体標本の模型が非常に たくさん展示されていた。手なら手だけの模型ががずらり、胸部なら胸部のだけがずらり。 それぞれ血管をみせるもの、リンパ線をみせるもの、筋肉を見せるもの、内蔵それぞれなど 同じ部所でも勉強するところが違うのだ。なまなましい色のついた模型がずらっと何部屋も 並んでいるのをみると、ルネッサンスの美術の発展が人体模写からはじまり、それが医学の 発達を促したというのがよくわかる。そのなまなましい模型の前で、学生が血管やら筋肉を 模写していた。(ルネッサンス美術の学生か?医学生か?) ものの本によれば、メディチ家のコジモは物理学の研究にも熱心だった。ピッティ宮殿に 薬物学の実験室をもっていたし、植物にも詳しかった。後期ルネッサンスの宮廷人はあら ゆる学問に親しむことが理想とされていた。ただし文化は一部の上流階級のものであって、 一般人には教育は必要ないと考えていたので、大学は支配階級の息子が行くので必ず街の 中心にあり、庶民の行く学校は郊外にあるなど階級に応じた立地になっていたそうだ。 そういえば、パドヴァもボローニャもヴェネツィアも大学は町のど真中にある。
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卒業風景 卒業生は鳥の羽のついたとがった帽子をかぶる。2階で式が終わると降りてきて、このように 両親や友人と記念撮影。その後、右の写真のように人の間をくぐりぬけ(蹴とばされることも)、 道路に出てからは大騒ぎをする。 話をパドヴァに戻すと、この見学コースの最後はガリレオが講義した部屋だ。当時パドヴァ大学 で一番大きい教室だった。ガリレオはパドヴァに18年いたのに講義をほとんどしなかったので、 年平均にすると15分にすぎないとガイドさんが言っていた。その隣の部屋は大きなフレスコ画が きれいなのだが、卒業式があるとそこで学生が学長から卒業証書をもらうので、見学者は入れ ない。はじめの頃に書いたが、イタリアの大学の卒業は、季節がきまっていなくて年がら年中 卒業式がある。ここへは3回行ったが、3回とも入れず、1回だけ中から卒業生の父母が出て きた時に、ちらっとドアの外から窺い見ただけだ。
(2008.6.22)
Copyright M. Kato 2008