ヴェネツィア散歩:その4- 運河


<<ヴェネツィアはパドヴァから電車で40分。最後にもう一度行きた
   かったが、引越しや手続きやら帰国前のあわただしさであきらめる>>



帰国して3週間。多くの事がたて続けに起こり、あまりの忙しさで、イタリア
生活は早くも夢の中になってしまった。帰国前にはうちでさよならパーティを
開いたり逆に呼んでもらったり。最後に友人たちを招いて、だしコブと干し椎茸と
車麸をちょうど使い切るメニューにしたが、小麦粉や片栗粉などはかなり余った。
アジアゴやポーランドに滞在した時には、主婦根性を発揮して、持ちこんだ食品を
ぴったり使い切ったので、ちょっと悔しい。まあ帰国が早まったのだから仕方ないか。
(片栗粉はアフリカ食品店でみつけた1キロ入りの大袋で、和食で使い切るのは
とても無理。チーズを混ぜて焼いたりしてみたが食べ切れなかった。アフリカ人は
主食にしているのだろう)



引越し荷物は昔と比べるとすごく少ない。亭主が20年前にアメリカに行った時
には、引越し会社に頼んで荷物を木枠に組み、船便で送った。その4年後に私が
娘とアメリカに行った時には、こどもの玩具などもあったから、みかん箱20箱
くらいを郵送(船便)で送った(大学から費用は出ない)。そういえばあの時は、
パソコンも大きいし、日本語が印刷できるプリンタも必要だったし、亭主の時は
パソコンがむこうで壊れて大変だったので、念のため2セット持っていったから
荷物が大量だった。2年後に日本に帰る時には、船便も大量だし、手荷物は
私と子どもでスーツケース2つ、パソコンとプリンタも2セットあったので、
空港ではカート2つに載せて、1つは私が押し、1つは6歳の娘が背伸びして
押して歩いたっけ。

時代は変わり、インターネットの発達で大量の論文類を送る必要はないし、世の中
カジュアルになったから衣類も少ない。今回イタリアへ行くときは日本からみかん箱
4つを送っただけで、私と夫がそれぞれのスーツケースとパソコンバッグを持った
だけですんだ。帰国する時も、テーブルやベッドはアパートの付属だし、毛布や
調理器具はほとんど天文学者からの借り物だったから返せば済む。使わなくなっ
たものは先に帰った夫に持って帰ってもらったから引越しは楽なはず。それでも
1年もいると物は結構増える。捨てるのはもったいないタチだから、荷物を減らす
のは大変だ。もっとも大変だったのは書類の整理。読んだ論文はメモが書き入れて
あるから、捨てるのは損だが、スーツケースに入れるには重すぎる、でも迷って
いる時間もない、ということで、結局、船便で箱1つを送り(船便にしたのに
なぜか航空便の早さで着いた)、帰りの飛行機にはスーツケース1つとパソコン
バッグだけで乗り込めた。

運河の旅

タクシー乗り場 ヴェネツィアでは道路が運河だから、タクシーもバスも救急車もパトカーもぜんぶ船。 鉄道の駅からヴァポレット(観光客向けの大きなボート)にのってサンマルコまでいく。 次の船つき場が見えてくる 細い運河が縦横にはしる。 渡し船にのる人々 橋がないところは渡し船で対岸へ。乗客は立ったまま乗る。 運河から見た市場。広場に野菜を売る店がならぶ。魚市場は建物の中。 隣の船を横切って小包を荷揚げする。 リアルト橋の下を通過 小包の荷揚げ(車は入れない) ゴンドラ乗り場 ゴミ収集も船で サン・マルコ広場 塔の上からみたヴェネツィア

(2008.5.6)

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Copyright M. Kato 2008