イタリア滞在もいよいよ残り少なくなり、4つめの論文の内容を詰めるために最後に ローマへ出かけることにした。このパドヴァ滞在記には、北イタリアの小都市がたくさん 出てくるのに、ローマやミラノ、フィレンツェなどの大都市が出てこないのは、過去に すでに何度も来たことがあるので、あらためて写真を撮る気がしなかったからだ。特に ローマは3年前に来た時に名所旧跡をかなり回った。有名な小説の「ダビンチ・コード」は パリが舞台だが、そのシリーズの前作「天使と悪魔」はローマが舞台だ。ローマの名所旧跡を 舞台に連続殺人事件が起こる。一つの事件現場には次の殺人事件を示唆する彫刻などがある。 夫と私は物語の順序通りに教会をめぐり、彫刻の天使の指さす方向はあっちだから、次の 殺人事件はあっちの教会で起こる、とひとつひとつ確認して回った(小説とは方向が違う 彫刻が1つだけあった)。 あのときは、ローマ大学の共同研究者の息子に「ダビンチ・コード」を読んだかと聞い たら「禁止されているので読んでない」と言う。あとでパドヴァの天文学者に聞いたら、 別に禁止されているわけではない、ということなので、その家庭の中だけでの禁止だった のかもしれないが、何にせよ、かれら一家が敬虔なカトリック教徒であることは間違い ない。遊び半分に小説の殺人現場を見てまわったなんて話をしなくてよかった。この小説 にはコンクラーベの様子が詳しく書かれている。そのあと帰国してしばらくして、ローマ 教皇の選出が現実となったので、かなり印象に残る小説だった。 ローマ大学の彼とは、新星の観測データが欲しいから送ってくれ、会いにいくから時間を 取れ、とずうずうしくメールしたのがはじまりだ。それまでは国際会議で話したことが あったかないか、論文で互いに名前を知っていたくらいのつきあいだ。きまじめな彼は データを全部解析しなおして送ってくれた。そのデータは今回の滞在中に共同研究の論文と してようやく2つまとまった。 以上が、ローマなのにバチカンもコロセウムも教会も出てこない理由だ。今回行きたかった のは、まず動物園。パリの動物園と比べてみたかった。筋肉もりもりもりのマッチョ聖人 (バチカンにあるミケランジェロ)は私は見たくなかったが、夫が見たがったので今回も 行ったが、撮影禁止だからここには出て来ない。
動物園
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キリン。係の人が鍬で餌を高い所に投げ上げる。パリでキリンや類人猿が見られなかったので、 これでまず満足。
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キリンは下からも上からも観察できるようになっている。上のテラスへ登る階段の下に説明の パネルがあった。左のパネルは、うちの園のキリンはどの模様でしょう、というもの。
人間とキリンの長い長い物語。 キリンと人間の歴史的なかかわりについての説明が面白い。文はキリンを主語にして書か れている。一部省略するが、左から順に、 1)私(キリン)が歴史にあらわれたのは古代エジプト時代。アレクサンドリアのハトシェプスト 女王に捧げられた。 2)私は紀元前46年にクレオパトラからユリウス・シーザーへの贈物としてローマにつれて 来られた。奴隷360人分の価値があった。 3)アラビア人ははじめキリンをらくだと豹のあいのこだと思ったので、 4)どのくらい強いのかを確かめるために、他の動物と戦わされたのだ。何と恐ろしいこと。 5)私は1215年にエジプトのスルタンから他国への贈物として、北極熊と交換でフレデ リックII世に贈られた。(うーん。現代のパンダ外交や、象を外国へプレゼントすることと 大して変わらないですね。。。) 7)1600年に海を渡って中国へ行った。私は幸運のシンボルと考えられた。 8)英国へは1685年にはじめて行った。(ローマの方が歴史が長いと言いたいらしい?) 9)星座にはキリン座もあるよ。
蝶が飛び交う。
蛙園
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いました、ニホン猿。やっぱり動きがかわいいし、見ていて飽きない。
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ちゃんと日本の猿と書いてある。向かい側には日本の鹿もいた。 お昼の時間になり、動物たちがそれぞれ餌を食べていた。キリンの餌は草だが、猛禽類の餌は 何とヒヨコ。
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ヒヨコ殺人事件
鳥のケ−ジはちょっと覗けるだけで よく見えない。
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餌がワイルド。日本の動物園の餌はたしか鳥肉(ふつうの店で売っているようなもの)だった。 イタリアでは町の肉屋さんにある鳥肉だって頭と足が付いているから、動物用ならもちろん ついているだろう。
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掃除する人間が後ろにふたり。
園内は広くて、日本でいえば上野動物園より多摩動物園の雰囲気
後ろ姿
横から
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寄付のお金を入れるとサル側に落ちる。
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プールは左側につながっていて、とても広い。イタリアでは人間の住む家も日本の 標準よりかなり広いが、動物のスペースもすごく広い。お客も少ないから動物に ストレスがなく、ストレス行動をしないのはとても嬉しい。
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虎の分布
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このへんコメントなしで手抜きですが勘弁を。徘徊老人の世話と見張りは想像以上に 疲れるもので、片手間の気分転換にパドヴァ滞在記を完成させようと思ったのが甘かった。 何より帰国してから全く研究する時間がとれないのが辛い。
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下側には点字で説明がある。花はさわれるように立体になっている。
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熊も人も同じようなポーズ。熊は戸口の内側にヒト(餌)が来るのを待っている。ヒトは熊が 近くに来るのを待っている。
熊注意。
イタリアでの熊の分布
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どこに動物がいるのか見えない
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動物園の入口付近
サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
ローマ大学の近くにある大きな聖堂で、コンスタンティヌス帝の時代に聖パウロの墓の 上に建てられ、386年に大規模に再建されたもの。中世には聖人や殉教者のゆかりの地を 回る巡礼が盛んになり、ここも巡礼者でにぎわった。壁画はラベンナのモザイク師による もの。1823年の火災でほぼ全焼したが、祭壇や後陣天井、中庭の回廊(コズマーティ様式) も残った。他の部分は再建されたもの。![]()
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聖パウロの墓
骸骨寺(サンタマリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ教会)
ここもぜひ来たかったところ。パリ天文台の近くにカタコンベ(地下の墓)があり、 「中国人が見にいってショックを受けていた。東洋とは文化が違うから、オマエも 気をつけろ」と言われて是非みたかったのだが、工事中で入れなかったのだ。 だからローマではぜひここに来たかった。ガイドブックには隠れた観光名所とある。 ここは1626年カプチン派の枢機卿 A.バルベリーニの以来でカソーニが建てたもので、 カプチン派の修道僧4000体の骨が納められている。宗教や死後の世界感が違う!と いわれるゆえんは、装飾性にある。僧侶の骨が驚くほど大量に飾ってあるのだが、 壁一面にも天井にも、びっしり骨が芸術品のように飾られているのだ。頭蓋骨だけを 集めて柱のようにしたり、アーチをつくったりしている。別の場所では鎖骨や尾底骨 だけを大量にあつめて壁の模様や花模様や紋章の形に飾ってある。一見、美しいの だが、シャンデリアまで骨でできている。同じ形の骨をきれいに並べてあるという ことは、一人ぶんの骨をばらばらにして、他人のとまぜてあるわけだ。なるほど 生命感の違いというか、遺体に関する違いを強く考えさせるものがある。
蜂仲間で喜ぶ夫 蜂の噴水。ベルニーニ作。(3匹の蜂はバルベリーニ家の紋章)
ローマ駅構内
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カラフルなネクタイがみごと
警官の乗物 ローマにいた頃は、帰国したら介護が待っているとは覚悟していたものの、これほど 大変だとは知らなかった。大学に勤めている研究者は、1年や2年海外に出ることは めずらしくないが、特に女性にとって、いつ出かけるかは大きな悩みだ。たった1、2年 とはいうものの、出産や子どもの学校のつごう、老いた親などでタイミングはなかなか 難しい。2年海外にいる間に老いた親ががんばってくれたという場合もあるし、両親が 2人とも相ついで亡くなったという人もいる。私の場合、前回は17年前に米国に2年間 滞在したのだが、最後の頃になって父の病気が重くなり、3日でアパートをたたんで、 あわてて子どもと帰国した。その日は偶然子どもの6歳の誕生日だったが、早朝の飛行機に 乗り、国際線に乗りかえて(日付変更線を越えて)帰国したら次の日で、子どもは誕生日を 失ったことになる。スチュワーデスさんに、今日は私の誕生日だと言ってAAのバッジを もらったのが、唯一のバースデープレゼントだった。今回は私がイタリアにいる間に急に 母のボケが進行して、少し早めに帰ることになったのだが、警察に何度も保護される ような状況なのに、早く帰れと私に愚痴らなかった夫と子どもに本当に感謝する。
(2008.3.29)
Copyright M. Kato 2008