パドヴァの冬--クリスマスと新年

3月の帰国まであとわずか。それまでにあと1つでも論文を書くことに集中すべきか、
それとも新しい観光地に行く(ついでに天文学者に会う)べきか、かなり真剣に迷った
あげく、とりあえず前者を選ぶことにした。このページが未完成のまま2月になった
のはそういう理由だ。どんな論文にしようかと考えながら書くのは楽しくて、どんどん
時間が過ぎて行く。しかもこれは文章書きとパズルを同時にやるようなものなので、
Web の更新にも気が乗らず、ペンシルパズルも遠くなる。

  
駅の北側にある教会と正面のモザイク

パドヴァの冬は寂しい。北ヨーロッパよりはましだとは思うが、陽が早く落ちてすぐ夜に
なる。研究室でパソコンを前にしてはっと気づくと、外は真っ暗で天文台の中はシーンと
している。かといってイタリア人のように5時半にさっと帰るのももったいない気がして、
わびしい古城に一人取り残されるはめになる。夜の街は暗く、繁華街もショーウインドーの
中は黒い服ばかり、道を行く人も黒が多い。暗い中を歩くのはわびしいので、一日一万歩を
達成するためには、せいぜい明るいうちに抜け出して散歩するか、街の反対側までお昼を
食べ行くしかない。冬至のころには夜明けが朝8時、夕方は4時半だった。最近は日暮れが
5時半になり日がのびた。


だから12月になって街にイルミネーションがついて夜店が並び、買物客で通りが賑やかに
なるのは、わびしい長い冬を越すための実にうまいしくみだ。教会にプレゼーピオが並ぶ
のも、クリスマスを控えて教会に行こうという気にさせる。

前にも書いたがクリスマスの雰囲気はなかなか盛り上がらず、1〜2週間前になって飾り
つけがやっとクリスマスムードになった。せめてめずらしいものでも見物しなくてはと、
プレゼーピオを探しに街中を見てまわる。

 道路わきのプレゼーピオ


ケーキ屋さん  

その気になって探すと、道路わきにも駅の中にもプレゼーピオがあった。駅にはクリスマス
ツリーもいっしょに飾ってあったが、教会にツリーはない。ケーキのデコレーションまで
プレゼーピオで、日本のように小さなツリーがささっていたりしない。クリスマスに招かれ
た家にはプレゼーピオとツリーの両方が飾ってあった。昔(私の年代の天文学者が子どもの
頃)には、どの家でも自分たちでプレゼーピオを作って飾ったものだが、最近はあまりしな
くなったとのことだ。ちなみにユダヤ教徒の家にも招かれたが、当然のことながらツリーも
プレゼーピオもなかった。日本なら子どものいる家庭ではどこでもクリスマスツリーを飾る
が(でも多分お寺では飾らないよね?)、キリスト教徒に迫害された歴史の長いこちらでは、
宗教はきっちり分けられている。



聖アントニオ寺院の巨大なプレゼーピオ
   
聖母マリアが赤ちゃんのゆりかかごをゆらし、人物がかがみこむ。最初ゆりかごは布で覆わ
れており、12月25日になってから赤ちゃんが現れた。新生児というのに、おめめがぱっちり
開いており、首もすわっていて両手を差し出す。聖母マリアの方は出産直後というのに
起きあがって、赤ちゃんの方へかがみ込む。(右)1月6日に東方3博士が出現した。

    

川には水が流れて石臼が回る。水がちょろちょろ流れる音は本物だ。朝には明るくなり、
洗濯女が前のめりで洗濯をする。これらの動作はかなり自然。この巨大なプレゼーピオは
毎年違うものが展示される。以前は寺院の中にあったのだが、見物人がふえたので中庭に
移ったそうだ。子どもが上がって見られるように、前列に段差がついている。夜はバックの
空に星が出て、彗星や天使がゆっくり空を飛んでいく。しだいに明るくなると、鶏が鳴き、
部屋も明るくなって人物が動きはじめる。良くできているが1サイクルがゆっくりしていて
(7分くらいか)、朝から夜になりまた朝がくるまで見ていると、こちらの気分もゆったり
してくる。ここに限らずイタリアのプレゼーピオの朝夕サイクルはとてもゆっくりしてい
る。日本だったらもっと短くするのは間違いないが、みんなもゆっくり見ている。


過去のプレゼーピオの写真。上が全体の写真、下がみどころを拡大したもの。ちなみに
オーバーとスカーフはパドヴァで買ったもの。スカーフは手袋の色に合わせて買ったのに
(道で8ユーロ)、買った次の日に手袋に穴が開いて大ショック。古い手袋なので他の指にも
次々と穴が開いた。新しい手袋を買うか、穴を修繕して使うかかなり迷って、結局、糸で
ふさいでまだ使っている。ベレー帽は大学時代からのもの。

過去の写真をみると毎年凝った舞台が作られていて感心する。ギリシャありローマあり。
よくみると人形の顔が同じだ。舞台は違っても衣服を変えて違う人物にしたてている。
人形は凝っているし動く仕掛けも巧妙だから、毎年使い回すのだな。我ながら自分の観察力
に感心して一人で悦にいる。


  

街を歩いた経験では、大きな流れ星が入口に飾られた教会には、必ず目立つプレゼーピオが
ある。ここアパートの近くの教会のプレゼーピオは、ヴェネツィアの運河に浮かぶボートの
上が舞台。ボートとオールは本物だった。ろばと牛がボートの上にいるのはおかしみがある
が、聖書の記述にろばと牛の間で生まれたとあるので、どこでも必ず新生児のそばにいる。


パドヴァの南にある教会にも巨大なプレゼーピオがあった。1つ1つは小さいが全体の規模
が大きく、細かな部分まで手が込んでいる。






左側はエデンの園らしく、りんごと蛇がいた。りんごは本物みたいだった。

大晦日。12時になり年が明けたとたんに、デラ・バレ広場の方から花火の音がばんばん
聞こえた。真夜中で近くに住んでいる人には迷惑だろうに。アパートの窓から音のする
方向を見ると、火の玉が時々あがっている。部屋からでは高くあがった花火しか見えない
が、どうやら日本みたいにきれいな色がついているわけではなさそうだ。

そして1月2日からイタリア人は働きはじめる。


   デラバレ広場の屋台

    

1月6日デラバレ広場に魔女が出現。伝説によるものらしいが、このあと火あぶりにされて
しまった。1月6日には魔女が訪ねてきて子どもにお菓子をくれるそうだ。だからクリス
マスと合わせるとこどもたちは2回プレゼントをもらえる。といっても都市によって風習が
すこしづつ違うので、1月6日ではなく12月の別の日に行事をする場所もある。

イタリアは日本と違って大都市に一極集中しているわけではなく、小都市に人口が分散して
いる。住む場所が少し離れると言葉も風習も違う。パドヴァとヴェネツィアはすごく近い
のに、パドヴァからヴェネツィア大学へ通っている学生は、言葉でパドヴァだと見抜かれる
そうだ。他の近くの都市もそれぞれ発音が違うのだと教えてもらったが、私のイタリア語
能力ではいかんせん理解不能。ローマで長年仕事をしてきた日本人の書いたものによれば、
彼がヴェネツィアへ転勤になったら、それまでローマで通じていたイタリア語が、全く通じ
なくて困惑したそうだ。


クリスマス前からカーニバルが終るまで出現するおかし(上側の左2つと下の左1つ)。
クラシックは干し葡萄入りで、他に各種クリームが入っているのもある。地方によって
大きさや中身が違う。右のシュークリームはイタリアではめずらしく、見つけた時は
うれしかった。

  パドヴァのレストランで
リゾ(リゾット)は日がわりでいろいろなものが出る。この日はかぼちゃ入り。西洋梨入り
の日は、上にカラカラに焼いた梨の薄切りが乗っていた。わかりやすい。右はセコンド
ピアットのシーフードシチュー。

(2008.2.7)

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Copyright M. Kato 2008