パリ その3 -- 観光編

オルセー美術館

日曜日は美術館が無料なので混んでいる。といっても建物が巨大だから混み具合は日本の 比じゃない。下の写真は午後遅くもっとも混んでいる時の様子で、午前中はもっとすいて いる。 一階中央通路 この絢欄豪華な建物はもともとオルレアン鉄道の終着駅として建てられた。この通路は 昔ホームと線路があったところ。上の階(3層)に展示室がたくさんある。 よく見ると左の絵のピンナップが右の絵の中にある(マネのマネ?)。この絵は隣あわせ に置いてあるのでみんな気がついて指さして笑う。 (左)モネ(1865-66) (右)(1866-67) よく知っている綺麗な軽い絵がたくさんあって思わずにっこりする。しかも中世でない のが特に嬉しい。北イタリアはどこへ行っても中世の宗教画ばかりで、さすがに飽きて きたところだ。宗教画の悲しみや祈りは気分を落ちつかせるかもしれないが、楽しくは ない。コレクションの豊富な博物館では、聖母子像だけを1つの部屋に集めたり、 ピエタ(十字架から降ろされたキリストを抱いてみんなで悲しんでいる場面)だけ集めた り、それくらいはまだいいのだが、十字架像だけの部屋は重すぎる。中世の表現は血が 水滴の形をしているので、全身に何百個もびっしり赤い水滴が浮いた像ばかりたくさん 集めた部屋なんて早く通り過ぎたくなる。おまけに復活の場面では、血だらけのキリストが 立ちあがってにっこり笑っているのだ。中世は刑罰も残酷だし身分制度はきついし感情の 強さも極端だったらしいし料理の味もどぎついかったらしいから、表現の強さのレベル が現在と違うのはわかる。わかるけど、ここがはりつけ像のない世界でよかった。画家の 個性や世界観がもろに出ている近代美術はやっぱり自由で嬉しい。ルーブルにしようか ここにしようか迷ったが、戦争画もドイツの暗い絵もないここにして正解だった。 祝宴の間 美術館の中のレストランも祝宴の間におとらず豪華な広間だった。食べたのはマトンの足の肉。 ソースはドライフルーツや麦(みたいなのを細かく砕いてあった)が入ったもの。わずかに香料が きつい気がするけど、もし薄くしたらマトンの臭みがとれないかも。これに水(Vittelが出て きた)とコーヒーで22.1ユーロ。お昼だと思うと高いが、イタリアもパリも、昼食むけの食事は なく、昼も夜も同じメニューで同じ値段。普通はこれにサラダ(巨大)とデザートをつけるので もっと高くなるが、それではとても食べきれない。 時計の裏側 みんな絵に飽きる頃なので近寄って写真をとる人が多い。 きれいでみとれる絵が多く、ゆっくり見ていると時間がどんどん過ぎていく。画集より 色が地味で、思ったより目立たない絵もあった。アールヌボーの家具もたくさんある。 ミレーの晩鐘のところでは、日本人の若い男性のグループの会話が聞こえてきた。 「これって有名な絵だよね。前から思っていたけど何してるところだろ?。子どもでも できたのかな」「悲しいことがあったのかも」吹き出しそうになるの我慢していたら 顔が赤くなってしまった。まあ私の知識も自慢できるレベルではないけど、うなだれて いるのではなくて祈っているポーズでしょう。タイトルが晩鐘なんだから。 美術館で他人に写真をとってもらう時は、背の低い人に頼むに限る。美術館に来るくせに 構図も考えずにシャッターを押されるだけだからだ。上の写真はちょっとお願いして 後ろから撮影してもらった。 夕方足が疲れて帰る人々 特別展としてHodler展をやっていた。これも日曜は無料!風景画がすごく綺麗だった ので、写真を撮ろうとしたら撮影禁止だった(よそから借りた絵は版権がこの美術館に ないから禁止だそうだ)。けっきょく朝から閉館までここにいた。万歩計はたいして 進まないけど、ずっと立っているから足が疲れる。 パリは道路も建物も公園も巨大すぎて、写真映りが悪い。というわけで最後は墓地へ。 天文台の近くにカタコンブという共同墓地がある。ここは地下の共同墓地で、地下道の 左右に頭骸骨や勁骨がぎっしりと模様までつけて並んでいるそうだ。以前、中国人の 天文学者を案内したらカルチャーショックがひどかったから、オマエも気をつけろ、と 言われていたので、恐いもの見たさでちょっと楽しみだったが、残念ながら工事中で 閉まっていた。

モンパルナス墓地

パリには大きな墓地がたくさんあり、有名人がたくさん埋葬されている。フランスの墓地 はどんな感じかと思って来てみたら、巨大な墓地に巨大なお墓が並んでいた。 広いので番地を示す標識が立っている。 (左) ブランクーシの彫刻がついたお墓。(ブランクーシの墓は別にある) (左)サルトルとボーボアールの墓、(右)ポアンカレ(数学者)の墓

(2007.12.7)

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