パリ その1 -- IAP(パリ天体物理研究所)訪問


パリにはパリ天文台とパリ天体物理研究所(Institute d'Astrophysique de Paris )があり、
天文学者が大勢いる。その中で自他ともに認めるマッドサイエンティストの彼がいる。私が
パドヴァに来る前から、いちどパリに来いと言われていたのだが、ぐずぐずしていたらセミナー
の招待がきてしまった。何もこんな寒い時期にパリと思ったが仕方がない。セミナーで話す
準備と議論の用意をしていざパリへ。ヨーロッパに住んでいると、飛行機1〜2時間で気軽に
どこへでも行けるのが非常に便利だ。時差もないし、通貨も同じユーロだからとても便利。
つまり日本はそれだけ孤立しているということ。

スイスを飛び越して フランスへ

      
着陸。最初から遊び気分のわたし


  マッドサイエンティストの部屋  

書類でぎっしりだが、意外に整理されていた。彼は変人だが学問はまともだ。もっとも、いまどき
図が1枚もない論文を書くのは彼くらいだろう。この部屋も、古いApJやMNを捨てれば少しは
ましになるのにね。雑誌を捨てるくらいなら発展途上国に寄付するなんて迷っているから
かたずかないのだ。でも地震がない国はまだいい。夫の研究室なんて積んだ書類が地震の
たびにくずれて、これよりもっと悲惨な状態。。。小さな箱の上に大きな箱を置かなきゃいい
のに。(私の研究室は綺麗ですよ) 


隣のパリ天文台

 

(左)クーデのあった建物 (右)今は使っていない小望遠鏡用ドーム(ひょっとしたら学生用に使ってる
かもということだった)イタリアから来た私はこれを見て、なんてモダンな(最新式の)建物だろうと
感激する。なにせ私は13世紀の建物の研究室にいるもので。


パリにくる前に、相手の論文をADS(NASA/Smisonianの天文論文検索システム)で調べ、あらためて
いくつか読んできた。ADSはこういう時に便利だ。相手もADSで私の論文を印刷して束にしてあり、
質問も整理してあった。一日中ふたりで議論するということは、早口のフランス英語をずっと
集中して聞かなきゃならないうえに、話は飛ぶし昔話が急に割り込むし、おまけに時々頭を
左右に激しく振りながら話すので、見ていると目がまわりそうになる。2日間それをやったら
てきめん運動不足になった。

   カンテーンの食事 (講演した日は無料)

隣のパリ天文台の食堂に食べに行く。IAPと天文台を合わせると非常に大勢の天文学者がいる
ので待ち行列がいつも長い。メインディッシュは3種類、デザートも何種類かあって自分で
選ぶ。部外者は9ユーロだが、ここの人は3〜5ユーロで食べられる。(私は関係者扱いに
してもらった)それにしても量が多い。


 正面   入口横のプレート

初代の天文台長はカッシーニ(土星の輪のすきまを発見したのでカッシーニの間隙という名前が
ついている)。1671年にボローニャ(パドヴァの隣の都市)からよばれてきて台長になった。息子と
孫もここの天文台長だそうだ。木星の衛星で時刻をはかろうとして、木星の衛星の位置を精密に
観測し、衛星が木星を回る時間が周期的にずれることをつきとめた(光速が有限だから木星が地球
に対して遠ざかる時と近づくときでは食になる時刻がずれる)。後にレーマーがこのデータを
使って有名な光速度の決定をする。レーマーはフランス人ではなくデンマーク人のゲスト天文学者
だが、ここに名前が残っている。


子午線  

一見平凡な景色だが、子午線(東経2度20分17秒)にそって芝生に線がついている。これはフランスの
北端にあるダンケルクから真南にある地中海のバルセロナ(スペイン)まで、まっすぐ続く約1000キロの
線の一部だ。フランス革命の最中の1792年から6年かけて、この距離を正確に測る仕事をしたのが、
天文学者のメシェンとドゥランブル。当時、長さや重さの単位が地方や分野によって違い、非常に複雑な
体系になっていたが、それを統一するためには政治とは無関係の新しい単位が必要だった。それで長さの
単位(1メートル)として、地球の大きさが選ばれた。高い塔や山頂での三角測量を繰り返して、フランスを
正確に南北に切る線の長さを測った。その線がこれなのだ。


     1階

パリ天文台、1672年完成。洗練された建物のデザインが美しい。防火と保磁性のために鉄や木を
使わずに建てられたそうだ。今でこそパリの市街地だが当時はど田舎で、ここにいろんな科学分野
の研究者が移ってくるはずだったのに嫌われて、結局天文学者しか来なかったそうだ。宿舎がついて
いるのは天文学者がここで観測して昼に寝るため。



天文台ができてから10年ほど後に王様(たぶんルイ14世)が来た時の様子。

1859年製      1871年製

フーコーの40センチ望遠鏡(左:1859年、右:1871年)
フーコーは1855年にパリ天文台の研究員になった。フーコー振り子で地球が自転していることを
証明したので有名だが、水中の光速度をはかったり、渦電流(フーコー電流)を発見した。
ちなみに私が着ているコートはパドヴァで買ったもの。暖かくて便利。

 天文台の庭のアーティーチョーク

ここも(アジアゴと同じく)庭に職員の人の畑があり、何やら枯れかけたものがいろいろあった。
よくみると葉の真中に枯れたアーティーチョークがある。和訳が朝鮮あざみという理由がわかった。
パリは思ったより寒くはなく、気温は10度をちょっと切るくらいだった。

    

街の大衆レストランで夕食(セットで14.5ユーロ) 前菜で野菜スープを選んだらアスパラガスの
スープだった。日本のスーパーのポタージュは、コーンかかぼちゃか、じゃがいもしかないけど、
ホテルの近くのスーパーにはアスパラガスのポタージュが紙パックで並んでいたから、こっち
では一般的らしい。味はブロッコリか?というくらいでもっさりしている。メインは本日の
スペシャル(ブロッコリと鮭とチーズを重ねて焼いたもの)にした。上にのってる緑色のものは、
わかめかと思ったら(誰も思わないって)焼かれた香草だった。デザートはチョコレートムース。
味はまあまあ。でもどれも巨大サイズ。

(2007.12.3)

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