青い空に白い雲が少しだけ。イタリアを選んでよかったと思うのは、空の青さだ。アパートのベッド ルームは南向きで、昼間ぽかぽか陽があたり、週末にねころがって本をよんだりできるのは実に幸せ だ。これがイギリスやドイツだったら冬の間じゅうずっと低い雲が立ちこめて、毎日まいにち どんよりと暗くて気が滅入るだろう。パドヴァでも10月には毎日くもり空が続き、雨がぱらぱら して雨期のようだったが(ただし日本の梅雨よりはるかに雨が少ない)、12月にはほとんど雨が降ら なくなった。Webの天気予報(日本語)ではたまに雨となっているが、イタリアの天気予報は当たら ないので、晴れでも曇でも傘はいちおうもって歩くことにしている。 さて、クリスマス(12月25日)には、ほとんどの店が閉まり、バスも市電もほとんど動いていない から街はとても静かだ。こういう日によその街へでかけるのは危険。ということでクリスマスが 過ぎてからヴェネツィアへ遊びに行った。日本と違って12月25日を過ぎたとたんに飾りがお正月用に 変化するということはない。 運河で魚つりをする3人組。クリスマスの歌を合唱しながら楽しそうだった。 窓につけたサンタさん。パドヴァでもよくみかけるが、こうやって窓の外につるしておくのは、雨が 降らない国の人の発想だ。建物の上にものほし台がある。洗濯物を干すほか、日光浴をしたり、 パーティをしたり野外イベントを見たりするのにも役に立つようだ。 ホテルのツリーにはベネチアングラスのオーナメント カーニバル用品とお土産 サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会 プレゼーピオは聖フランチェスコが始めたので、フランチェスコ会に属する教会には必ず飾ってある。 パドヴァやヴェネツィアにはフランチェスコ会教会が圧倒的らしいので、プレゼーピオを見つけるのは 簡単だ。この教会はヴェネツィアで最も大きなフランチェスコ会教会なので、毎年大きなものを飾る そうだ。ミサが始まると観光客は教会の中には入れないが、朝早かったので運よく見ることができた。 テッツィアーノやベッリーニの絵もあり、豪華な建築装飾が迫力だ。 プレゼーピオ 聖書の解説本によると、羊飼いが野宿をしながら羊の番をしているとき、天使があらわれて ダビデの町でメシアが生まれたことを知らせた。それで羊飼いたちがベツレヘムへ行って、 飼い葉桶の中に布にくるまって寝ている乳のみ子をみつけた、とある。羊飼いは律法を守らない ので、当時はユダヤ人からさげすまれていたが、イエスはその羊飼いたちに特別な愛をそそいだ とある。イエスの生まれた町も貧しい町だった。それでプレゼーピオには羊と羊飼いたちが必ずいる のだ。イエスがろばと牛の間で生まれたという伝承は、北アフリカのキリスト教徒オリゲネスに 由来するそうだが、確かにろばと牛も必ずそばにいる。 サン・シルヴェストロ教会 左の拡大図 それにしても、新生児だというのに、どの赤ちゃんも、おめめぱっちり。中には首もすわら ないはずなのに起き上がって合掌している赤ちゃんまでいる。目がぱっちりなのはショー ウィンドーの中の売り物も含め、今まで見たもの全部がそうだった。(聖書の記述にあるのかな?) ここだけでなく多くの教会で赤ちゃんは裸でむき出しだったが、パドヴァの聖アントニオのは ちゃんと服を着ている。リアルト橋付近
リアルト橋のまわりは古くからヴェネツィア共和国の経済活動の中心地だった。写真にはないが、 橋の左手前にある「十賢人のパラッツィオ」は税金など経済に関係した役所だったし、その向こう側 の建物も役所や監獄になっていて、借金を返せなかった人や軽い犯罪人が収容されていた。 カナル・グランデにかかるリアルト橋(左奥)。この運河の左側がワイン河岸で高級レストランが並ぶ。 (高いのでひやかすだけ)、右が鉄河岸で手前に石炭河岸が続く。運河から荷揚げをする品物が場所に よって決められていて、その名前がついている。運河から出ている木の杭はゴンドラや船を止める ためのもの。 ヴェネツィアの気温は東京よりちょっと低め。この日はそれでも6°くらいあったが、寒がりの私には 手袋と帽子が欠かせない。それなのに外で食事をする人がいる。イタリアでは室内での煙草が全面禁止 になったので、煙草はレストランの外で吸うか、路上のカフェしかない。のんびり外でお茶している 人を見ると、こっちが寒くなるくらいだが、まあ、白人は体温が高いから。。。国際会議のとき、 昼休みに水温20°Cの海で泳いでいた天文学者(女性)もいるし、アラスカに住んだことのある友達に 聞いた話では、厳寒の冬にたまに零度を越える日があると、隣人が「今日は暖かいね」と言いながら、 半袖Tシャツのまま庭で車を洗っていたとか。 大理石のリアルト橋 北側は市場になっていて、カナル・グランデから直接野菜や魚を搬入する。野菜は運河よりの広場に 市がたち、魚市場は屋根のある建物がちゃんとある。魚市場はお昼までしかやってないので、午後に 行くと水をジャージャーかけて掃除をしている。この日ようやく見ることができた。魚はパドヴァより 種類も量もはるかに多く新鮮だ。ここに並んでいる魚や貝がレストランに出てくるのかな。 野菜の市 魚市場 ゴミ収集も船でサン・マルコ広場付近
鐘楼の上からみたサン・マルコ小広場。 左がドゥカーレ宮殿。右がマルチャーナ図書館と新政庁。この写真は鐘楼の上から撮った。 2本の柱の上には、右側が9世紀までのヴェネツィアの守護聖人、聖テオドロスの像、左が それ以後の守護聖人、聖マルコの象徴である有翼の獅子像がある。夏に比べると観光客は ずっと少ない。地面の小さい黒い点は鳩。 リアルト橋のあたりは経済活動を律するお役所のならぶ権力の中心地だったが、ここサン・マルコ 広場付近は政治権力の集中する場所だった。ドゥカーレ宮殿はヴェネツィア共和国の総督の居城で あり、国会、行政、裁判の場所であり、牢獄もあった。公開処刑は1322年以前はリアルト市場で 行われ、それ以後はこの2本の柱の間でとり行われた。 鐘をつくムーア人 「ムーア人の時計塔」の手前がサン・マルコ広場。 サン・マルコ広場。 クリスマス用に舞台が出現していた。 夜の商店街にはクリスマスの 灯がともる。(2007.12.31)
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