国際会議でチュービンゲン(ドイツ)へ


     旧市街

マドリッドから帰ったばかりだというのに、あわてて準備してドイツへ行く。ヨーロッパに住んで
いると、隣の国へ行くのは、日本で地方へ出張するのと同じくらいの気軽さだ。(もっとも旅慣れて
しまえば、日本から欧米に出張するのも、お正月に夫の実家へ行くのもたいして変わらない)
せっかく1年間ヨーロッパにいるのだから、私の理論の宣伝と情報収集(つまりコネ作り)をしよう、
論文を書くだけなら日本にいてもできる、というわけで、声がかかれば気軽にでかけることにした。


 ホテルの部屋。
かわいい部屋だった。このライティングディスクは下が箪笥で、上部はふたを開けると机になる。小さな街の
小さなホテルなのにインターネットが各部屋にあって感心した(しかも無料)。先々週マドリッドに行った時には、
各部屋インターネット装備とあったから大きなホテルを予約したのに、実際に行ってみたらついてなかった。
インターネットは、昔はドイツ-日本間はすごく遅くて、マックスプランク研究所から日本にアクセスしてメールを
読む間にコーヒーが必要といわれたくらい遅かった。それでドイツはブラックホールなどと悪く言われていたが、
今回来てみると、それほど悪くない。イタリアと同程度(つまり日本国内よりワンテンポ遅い)。

   朝市 アーティーチョーク  

    お城(今は博物館)


この会議のテーマは私の専門とは少し違うので、出席者は私の知らない人ばかり。私は昔から顔を
区別するのが苦手で、学生の名前と顔を覚えるのに苦労する。まして外国人となるとお手上げだ。
欧米の映画をみるときは、次のシーンで出演者が違う服をきていると誰が誰だかわからなくなって、
筋が混乱する。名前と顔がわからないままでは1週間不便なので、講演を聞きながらプログラムに
特徴をメモする。名前の横に茶髪、めがねなどと書いておいても、日本語だから見られてもわから
ないだろう。そういえばこれ、若い時にはよくやったなあ。でも出席者にドイツや北ヨーロッパの人が
多いと、メモも「髪は薄茶、ひげ、はげ、背が高い」ばかりで役に立たない。スペインやイタリア人
は肌が小麦色で背も低め。6月にイギリスの国際会議に行ったときには、金髪のロングヘアが印象的な
若い男性がいた。背が高くスリムで、頭のうしろで縛った金髪が腰まで届く。こんなにユニークなら、
メモしなくても覚えられると思ったが、次の日は髪をしばらずにヘアバンドをしていた。3日たった時、
金髪ロングのスリムな若い男性は2人いるのだと教えてもらった。二人は雰囲気がよく似ている。
油断はできないものだ。



  ポスター会場
会場は理学部ではなく医学部の講堂だった(使用料が安いから)ので、白衣や作業衣の人がうろうろして
いた。チュービンゲン大学は500年の歴史があり、学生は院生を含めて2万2千人。女性研究者の割合は
私の年代で5%と日本並に少ない。若い世代でも10-20%だそうだ。物理は10%だが、天文は人気があって
15%以上。それを反映してか、この会議は異常に女性が少なかった。SOCに一人、招待講演はその人ひとり。
5日間で登壇者の女性は4人だけ。ふつう国際会議には女性が3割はいるのでかなり寂しい


ドイツで開かれる会議はマネジメントがしっかりしているので定評があるが、今回は特に準備が念入り
だった。参加者は4つのホテルに分散して宿泊したが、日曜日にホテルにチェックインすると、部屋に
会議の書類一式がおいてあり、名札やプログラムはもちろん、バスの券と時刻表、それもホテル近くの
バス停の時刻と、どのバスに乗ると会場に何時に着くかまでリストアップされている。地図も普通の地図の
他に、グーグルの航空写真で大学付近をカラーで拡大したのも入っている。これなら方向音痴の私でも、
ひとりで行けるというもの(夫が帰国したので今回は私ひとり)。


 日本は酷暑だというのに、ここはすっかり秋

13年ほど前に、パドバの隣町アーバノで新星の国際会議が開かれた。最終案内のメールがきたのは土曜日
だったので、日本やアメリカからの参加者はすでに出発していて、見ることができなかった。初日の月曜日、
定刻を過ぎても秘書さんが来ない。登録受付ができないのでみんなプログラムがないまま会議が始まった。
画面を指すポインターがないので、隣の工事現場から長い角材をもってきて、それを使う。間の悪いこと
に、男性用トイレが会期中だけ工事中だったので、みんなで女性用トイレに列をつくる。受付の手伝いは
現地スタッフ(LOC)のお姉さんが担当し、会議を記念した特製Tシャツは別のLOCの子どもが販売した。
コンファレンス・ディナーの会場は、LOCの親族が経営するレストランだった。さすがイタリア、マフィア
経営と皆から冗談口をたたかれた。イクスカーションでは昼食のはずが、手違いでスナックになっており、
クラッカーを少しもらっただけで、ベネチアの無人島に船で行ったのはいいが、帰りに船が島から離れた
とたん、LOCチェアーをおきざりにしたことがわかり、船は島に戻って出直し。このように毎日必ず何かが
起こったが、みんなイタリアだから仕方がないとあきらめている。私は今日は何が起こるだろうかと
楽しみだった。ただし会議の内容は充実しており、レベルがとても高かった。今、私が滞在している
天文台が、何を隠そう、このずさんな会議をホストしたメンバーのいる所なのだ。

こんな調子だから、次の年にドイツ語圏で同じテーマの国際会議があった時には、会議最後のコンファ
レンス・サマリーでマネジメントが絶賛されたのは言うまでもない。1つのスクリーンに3つの
ポインターが用意され、毎日違う生花がかざられ、プログラムも時刻どおり、イクスカーションのバスも
時刻通り、記念撮影ではカメラが5台も用意された。(5台目は天文学者の女性が大きなデジカメで撮影
したので、おまえのCCDカメラを使え!と冗談が飛んだ)


水曜日の午後はイクスカーション。バスで1時間余離れたお城にいく。都市の名前を確認しようとコンファ
レンスのWeb ページをみたら、すでにリンクがはずされていた。手際が良すぎるのも考えものか。
   

    お城にも時計がついている。上の球は月の満ち欠けを示す。


   


今回は知らない分野の研究会に出て勉強するつもりでやってきたが、この歳になると知合いは結構いる
ものだ。10年前に会いましたね、とか、私は25年前にアメリカのどこそこに滞在したが、あなたはそこに
20年前にいたのですね、なんて会話で仲良くなる。私のtalk は木曜日だったので、イクスカーションで夜
遅くまで飲み食いして体調をくずしてはとちょっと気になるのが面倒だ。夕食の時間はドイツでは日本と
同じ頃だが、スペインでは夜10時。夕方7時ころにお腹がすいてもレストランはまだ開いてない。スペイン
の国際会議に出た時には、コンファレンスディナーは夜8時にはじまった。早くてよかったと思ったが、
みんなでテーブルについても、いっこうに料理が出てこない。結局飲物だけで2時間すごし、10時をすぎて
から料理が出た。みんな午前1時くらいまで平気で騒いでいるが、翌朝のtalk の人は気が気じゃない。
そういうわけで、木曜日の午前は、話す方も聞く方も結構大変なのだ。最近は私の研究もメジャーになって
きたから、たいてい初日か火曜日に話すことが多くなった。今回は私のテーマは会議の本流ではないから
後半なのである。まあ会議のプログラムが気に入らなければ、自分で国際会議を主催して、自分が一番
目立つようなプログラムを組んで一番長くしゃべればいいのだ。(もっとも私が主催したら、敵のグループ
が参加するかは疑問かも)


      
左の2枚はコンファレンス・ディナーの料理で、スープは結婚式のお祝いのスープだそうだ。ドイツの
料理はおいしくないことが多いが、今回は結構おいしかった。スイスに近いほど料理はおいしいとスイス人
は言う。右はチュービンゲン地方の郷土料理で、茶色の豆の煮込みとソーセージ。


ドイツ名物の看板。めがね、ブレッツェル(塩味のおかし)、くつなどの商品がわかりやすい。
    

   
くすり屋の看板にはやはりへびがあった。


 ペンシルパズルはどこにでもある

左のカックロは飛行機の乗り継ぎで降りたチューリッヒ空港で買ったもの。右はチュービンゲンの街の本屋で
買った数独。レベルが4つに分かれていてぶ厚いが、2.99ユーロと安い。最終日、荷物が多くてパソコンバッグが
ふくれたので、嵩を減らすために第4レベルだけをはがし、残りは会場の隣の席にいたインドの天文学者にあげた。
前の席のドイツ人(多分)は、いつも飛行機の中でやっているそうだ。普通の数独よりX数独のほうがやさしいと言って
いたけど、私はそうとは限らないと思う。


     

帰りの飛行機からみたシュトットガルト(ドイツ)近郊、時計は乗り換えのチューリッヒ空港の売店にあったもので、
マッターホルンの石が入っている。右のアルプスはスイスとイタリアの国境近く。

(2007.9.27)

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