コペルニクス (宿舎のタペストリー) ポーランド出身の有名人は、コペルニクスを別にすれば、何と言ってもマリア・スクウォドフスカ・ キュリー(キュリー夫人)とショパン。それぞれ博物館があるのだが、今回は忙しかったし、10年前に 見たことがあるので行かなかった。まずは街の中心へ行く途中の教会から。
教会での結婚式 左手前のTシャツの人は観光客 ポーランドはカソリックの国で、懺悔をする人が列を作っていたり、ミサに大勢の人が参列したりと 敬虔な信者が多い(イタリアではミサはあるが懺悔する人を極まれで、ほとんど見たことがない)。 どこの教会でも夏は土日に結婚式をやっていて、観光客が入れないことも多い。通りがかりの、 この聖ヤン大聖堂(昔はポーランド王の戴冠式が行われた由緒ある教会)では、観光客が後ろの方で そっと見ていても大丈夫だった。ちなみにここでは教会で写真をとってもよいらしい。結婚式に 出席する人たちはみなおしゃれしている。女性はロングドレス、男性は背広がほとんどだ。 式のあとは新郎新婦はかざりをつけた車にのって出発し、参加者もばらばらに帰っていく。 ドイツでカソリック教会の結婚式をずっと見ていたことがある(その時は神父さんの説教が短かった ので終りまでいた)。新郎新婦がそれぞれ誓いの言葉を述べて指輪の交換をした後、そばの机に移動 してそれぞれが書類に署名していた。その後、友人たちが署名した。キリスト教では結婚は契約で ある、という言葉をあらためて思い出した。ちなみに、カソリックは離婚を認めていないので、 一度離婚した人は、特別の理由があると教会が認めない限り、2度目の結婚式を教会であげること はできないそうだ。再婚した知合いのイタリア人は、教会での結婚式はやらなかったと言っていた。
聖十字架教会
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内部 ここはショパンの心臓があることで知られている。去年の夏に国際会議で来た時には(ワルシャワが 最寄りの大都市だったので立ち寄った)、結婚式で締めきっていて、3度目にしてようやく教会に 入れた。でもお祈りをしている人が大勢すわっていたので、ショパンの心臓がある柱にはたどりつけ なかった。
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ショパンの心臓が埋められている柱。 ガイドブックによれば、第二次世界大戦の時、この教会もドイツ軍により爆撃され、ショパンの心臓も 持ち出されてしまったが、戦後教会が建て直されて心臓も戻されたそうだ。日本人の感覚からみると、 何でそこまで拘るのか?とか、ショパンはパリで死んだのになぜ心臓だけがここに?などと思うが、 そもそも根本的な生命観が違うのだから何も言えない。 今回は、前ローマ法王(パウロII世)の写真がびっしり展示されていた。街でも本屋さんや宗教グッズの 店では、ショーウィンドーに前法王の写真が大きくかざられている。ポーランド出身だから今も人気が あるのだろう。
旧王宮
右側の赤茶色の建物が旧王宮 旧王宮の内部を見学する。この建物は第二次世界大戦で破壊されたが、内部の調度品は美術史・復元 専門家の手で国外に持ち出されて難をのがれ、復元されたそうだ。完成は1988年。その頃はといえば、 ポーランドの経済危機や連帯が新聞記事になっていた頃。世界情勢に疎い私でも記憶がある。そういえ ば、こっちの天文学者が、肉は配給制でなかなか手にはいらなかったのもベジタリアンになった きっかけだと言っていた。ポーランドの歴史は10年前に来た時にざっと勉強したが、近代についての 記憶がなく、昔は貧しかったという言葉の背景もわからない。観光客むけの街についての詳しいガイド ブックも、日本人観光客が少ないためか日本語訳がなかった。知識不足を痛感する。
王宮内部
王座
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木の床
旧市街
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旧市街も第二次世界大戦でナチス・ドイツ軍により徹底的に破壊されたが、ごらんの通り、それぞれの 建物がそっくり元のように復元されている。絵はがきに戦後すぐの写真と現在の写真を比べたものが あったが、どの建物もぼろぼろに崩れていたのを元通りに建て直したのはすごい。日本ならこういう 場合には、違う形のものを建てるから、街がすっかり変身する。それを私たちは近代化と言う。あえて 元通りの街にするのはすごい。
壁の割れ目もそのまま復元 何もここまで元通りにすることはないと思うのだが、あちこちにこのようなひび割れや剥がれた跡が 復元されている。住民の記憶や設計図を頼りにして街を復元したということだが、これだけの規模の 復元は、住民全体のねばり強い努力がなくてはとてもやれない。ポーランドは歴史上、何度も外国の 侵略や分割にあい、国がなくなったこともあった。その中で国としてのアイデンティティーを保ち続け るには、強い自我意識が必要だ。街を復元するのは自分たちの歴史を大切にし、文化を誇りにして いるから。国境が海岸線で守られている日本とは意識が違う。 街に対するこの感覚は、パドバに住んでみて少しわかるようになった。建物は一度建ててしまえば、 何世紀もそのまま使うものなのだ。13世紀であろうが15世紀であろうが、その都市が経済的・文化的に 最も栄えた時代に美しい建物が次々と建設されて街の中心部ができる。その後はそれをずっと守って いけば、街は華麗な姿をとどめていられる。地震も少ないから内部を改装すればずっと使える。日本は 地震が多いし、木と紙の家はすぐ壊れるから建て直しのサイクルが短かく、何世紀も前の建物を残す 文化は育たない。 イタリアに来てすぐの頃には、石の建物は近代的なビルと比べて窓が小さいし、暗くて不便だろうと 思ったが、夏になって良さがわかった。天文台に入るとひんやりする。壁が厚いから石の建物は夏でも わりに涼しい。イタリアの家で夏に涼しくすごす方法は、昼間は雨戸をきっちり閉めて、外の熱い空気を 入れないようにし、夜涼しくなってから、外の風を入れるのだ。イタリア人は湿度が高いと文句を言う が、日本に比べれば低いので、日中でも日陰は涼しく感じる。ポーランドでも事情は同じで、近代的な コペルニクスセンターの研究室にいるよりも、古い木造の自宅にいる方が快適だと言っていた。
少年兵 ポーランドでは第二次世界大戦のときに人口の1/6が亡くなった。この像は大戦末期にワルシャワ 市民が蜂起した時にドイツ軍と戦った市民兵たちの記念碑だろう。(字も読めないし、詳しい 解説本を買わなかったのでわからないが。)
レストランの料理
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(左)ハンガリー風スープ。パンの容器に入っていた。熱くてスパイシー。パンもおいしい。 (右)名物のローストダック。つけあわせは赤カブ、焼きりんご(おいしい、中にグラズベリー)、甘くない ドーナッツ(団子状)を揚げたようなもの
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鱒の塩焼 魚の目をがくりぬかれてオリーブがはまっていた。こっちの人には目は気持悪いのかも。 お腹の中には香草が入っていた。薄味であっさりしている。つけあわせはワイルドライス (茶色のお米が混ざっている)。
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(左) 海鮮スープ(イカ、タコ、白身魚などがたっぷり) ちょっと辛い。 (右) 辛い鳥肉と野菜のスープ。値段は16ズロチ。凄く辛い。トーストがついてきた。
ベジタリアン用のクレープ。中身はいろいろな野菜を煮たもの。パドバに住んでいるといったら、 ベジタリアンからうらやましがられた。イタリアの方がベジタリアン向けのメニューが豊富なのだ そうだ(そういえばパドバの友人もベジタリアン)。彼が日本に来た時の体験では、日光や京都では 精進料理があるから良いが、東京では日本人といっしょに行かないと、レストランで何も食べられ ないとのこと(ちなみにこの人は、肉や魚などの「殺した動物」は食べない)。いっしょに食べに行く 日本人がいなかった時は、48時間何も食べなかったそうだ。
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(左)ポーランド独特のスープ。バルシチ。赤カブの酢漬けをもとにしたもの。 色は赤く不気味だが、からっとしたすっぱさがなかなか良い(夫の意見)。 (右)ポーランド料理のスープ。サワークリームがベースでゆで卵が入っている。
ケーキ屋さんで食べたキルシュ。おいしい。 今回は意外に暑かったが、私にとってポーランドは寒いという印象しかない。10年前にコニンキ (クラクフの近く)で国際会議があった時は油断してサマーセーターとレーンコートしか持って こなかったが、8月だったのに寒くて、持って来た衣類を全部着て毎日同じ恰好で過ごすことに なった。山しかない所だったので、イクスカーションはハイキング。甘く見ていたら、かなり急な 山道を登り、ハイキングというよりは登山。しかもみんな早口の英語で、天体のスペクトルの話や 論文の内容を話しながら、すごいスピードでどんどん登っていく。歩くか喋るかどっちか一方に してもらいたいと思いながらついていったのだ。 去年の8月に来た時は、セーターを用意して正解だった。山と湖しかない美しい景色の場所が 国際会議の会場で、朝から晩までみな一緒だった。私がセーターを着てちょうど良いくらい涼しい のに、朝食前に湖で一泳ぎしてきたのはヨーロッパのグループだ。今朝は湖の真中まで行って引き 返してきたから、明日は対岸までいこう、なんて話している。インドアのプールではめったに 泳がないそうだ。念のために言えば、彼らは50歳代の女性と60歳代の夫婦(旦那さんは天文学者の 奥さんについてきただけ)。強い女性はたくさんいる。 イタリアへ帰るまぎわ、パドバに住んでいる間にまた来てね、と言われたが、-30°Cの寒さは ちょっと遠慮したい。「いや、それは一昨年のことで、いつもはそんなに寒くはないよ。去年は 暖かくて-15°Cだった」「それって真夜中の気温?」「ううん昼間」きれいなスノーウィンター だから、と言われても、ちょっと。。。第一それまでに共同研究で約束した数値計算ができて いるかが問題なのですけど。
(2007.8.28)
Copyright M. Kato 2007