その2はペスト地区へ。ブダは王宮がある高台のカルスト地域だが、ドナウ川の対岸にあるペストは 平らな土地に街が開けている。まず豪華な建物を見に国会議事堂へ。国会議事堂
国会議事堂 入場券を買うためになぜこんなに炎天下に並んでいるかというと、護衛が厳重で囲みの内側には 一度に一人しか入れてくれないからだ。一人が買いに行って戻ってきてから次の人が入るので時間が かかる。見学は言語別のグループでガイドさんがつく。この日はイタリア語・スペイン語が早くも 売り切れ、ハンガリー語とヘブライ語、英語、ドイツ語等の希望者が並んでいた。日本語ツアーはない ので、英語の券を買う。建物に入る時には、セキュリティ・チェック(荷物とX線検査)がある。これは 日本も同じ。 国会議事堂は1904年完成、左右対称の構造で、昔は上院と下院に使われていた(今は一院制)。 設計はコンペで決めたそうで、内部はとても豪華だ。原則的に国産の材料を使ったので、大理石も 一色以外は人造大理石が使われている(当時は人造の方が4倍高価だった)。 いろいろな職業の人形がある。 会議場。 前方には議長席、その後ろの高いところが王族の席だそうだ。議員の机には採決のためのボタンが あり、賛成、反対、保留、発言許可のボタンが並んでいる。発言する時は机の中にあるマイクを使う。 座席の下には通気孔があり、当時最新だった冷房装置が設置されている。これは地下に氷を置いて、 その冷気が座席の下から出てきて冷やすもので、今は使われていない。ガイドさんによれば、女性の 議員は20〜30%、大臣は外務省と健康省が女性。まだ首相になった女性はいないとのこと。 重要で意義のある会議ならこの会議場を貸してくれるそうなので、天文学の国際会議にどうか?と 一瞬思ったが、スクリーンを設置する場所がないと使えない。聖イシュトバーン大聖堂
この大聖堂はハンガリーの初代国王イシュトバーンをまつるためのもので、ご本尊はイエスやマリア ではなくイシュトバーン。かぶっている王冠はローマ法王から贈られたもの(王冠の写真はその1)。 ハンガリーはもともと東の方から移動してきた騎馬遊牧民族マジャール人の国で、ヨーロッパの他の 国とは文化が全く異なる。そのハンガリーを統一し、カソリックの国にした功績はとても大きい。 この功績に匹敵する日本人は誰だろうか。徳川家康かな?だとすると、ここはハンガリーの日光 東照宮ということか。派手さにかけては日光も負けていない。 右手のミイラを納めたケース 内部はさすがに絢爛豪華だ。大きな教会には「聖遺物」があることが多いが、ここにはイシュトバーン王 の右手のミイラが展示されている。ケースが何重にもなっているので、近くで見てもあまりよく見え ない。そばの解説パネルには手のX線画像もある。イシュトバーン王は聖人になったので、これは 「聖右手」という。 街の様子(ペスト地区) 建物のかざり ブダペストの街は第二次世界大戦で壊滅的に壊されたので、現在の建物は新しい。日本だったら、 新しくビルを建てる時には、間違いなく直線的で素っ気ないデザインを選ぶだろう。だからこのように 遊びのある建物は、戦前に建てられた大学の校舎や、横浜のように明治・大正時代の建築物を残して いる場所でしか見られない。ここでは街中の建物が華麗に装飾されていることに感心する。だから 街並みに以前と同じ文化の香りがするのだ。 ハンガリーの言葉はマジャール語。アジアの方からヨーロッパに流入してハンガリーに落ち着いたので ヨーロッパのどの言語とも違う。10年ほど前になるが、国際会議のついでにポーランドの南部にある ウ゛ィエリチカの岩塩採掘場を見学したとき、ヨーロッパのおじちゃんおばちゃんの団体がいた。 全く違う言語を話しているので、フランス語でもないし、ドイツ語とも違うし。。。どこだろう?と 夫と話していたら、その団体のガイドさんが、ハンガリー語だと教えてくれた。岩塩採掘場は地下の 坑道に塩でできた豪華な彫刻や礼拝堂があるのだが、こびとの人形が並んでいる場所もあった。童話の 白雪姫に出てくる7人のこびとだ。そこにきたらハンガリーのおばあちゃん達が急に喜んで騒ぎ出した ので、こびとの話はハンガリーが起源らしいとわかった。今回、どこかでこびとの事がわかるかと 思ったが、いろいろな博物館に行っても見当たらなかった。 綺麗なマンーホルのふた。 はじめに行った博物館は歴史博物館。昔の戦争の絵があったので注意して見ると、兵士の服装から 察して、ハンガリーはトルコと戦争したらしい。そこで始めてハンガリーの歴史について何も知らない ことに気がついた。これまで私達は天文学の国際会議でヨローッパへは何度も来ていて、そのたびに その国の歴史の本を読んだり博物館へ行って勉強することにしている。歴史や風習がわからないと、 教会へ行ってもみやげ物屋をひやかしても面白くないからだ。でもこれまでハンガリーには来たことが ないから歴史を知らない。教会の売店で観光客むけの冊子が各国語に翻訳されているのをみつけ、 歴史と観光の本を買って急いで読む。ここのも翻訳はひどくて、日本人だというだけの理由で、 歴史を知らない人が頼まれて適当に訳したような訳だった。もっとも内容がかなりハンガリーに 一方的に思い入れしているから、学者だったら翻訳を頼まれても断るだろうけど。。。。 (勉強の成果は省略するが、ハンガリーはイタリアについてルネッサンス文化が栄えた国。 中世期のブダの建物はオスマントルコに占領(1541-1686)されたとき破壊されたので残って いない。現在の建物は18世紀に完成したもの) 道路にはごみが落ちていない。歩道を歩いていたら撒水車が掃除に来た。歩道がとても広いから 機械でやらないと間に合わないだろう。赤い車は歩道でみかけたもので、黄色の大きな方は車道を 掃除していた。川崎市でも撒水車が車道を走っている。そっちは歩道の縁ぎりぎりも掃除できる タイプだったが、これはアバウト。民族博物館
その国の人々の風習や歴史的文化を知るには、民族博物館が一番。人形の服装が何の職業だかわからな ければ、おみやげも買えない(実際には何も買わないけど)。というわけで、国立博物館で歴史を 勉強した後は民族博物館へ。今回は博物館と美術館をたくさん回ったので、イタリア人はこれを バケーションとは絶対に言わないだろう。 19世紀の家 パブリカの収穫 おもちゃ クリスマスの行事で使うもの 日本の「なまはげ」みたいなものだろうか? 教会の結婚式(人形) このへんはなんとなく騎馬民族の雰囲気がする。 世界の楽器は、弦、管、太鼓などに分かれて展示されていた。いろいろな太鼓を集めた 部屋には、周囲に太鼓がずらりと並び、この装置でさまざまな音色を聞くことができる。 好きな太鼓の写真のボタンを押してドラムを叩くと、その太鼓の音色で音が出る。ちゃんと 強弱も出た。食事
左のフルーツスープは夏期限定で冷たくておいしい。店によりフルーツの種類が違い、フルーツが 小さく切って入っていることもあれば、スープだけのこともある。右はハンガリーの伝統的なスープで 熱くてスパイシー。肉と根菜が入っている。 ハンガリーの食事は全体的に薄味でおいしい。ただしやはり量が多いので、夫と二人で分けてちょうど 良い。左の鳥肉のカツ(ごま味)がおいしかった。真中の三角形のものはハッシュドポテト。右は鳥肉の フリッターが入っているサラダ。立ち食い
(左)棒にパン生地をつけて回しながら焼くので表面がパリパリになる。シナモン味やくるみの 砕いたのをふりかけたものがある。くるみのを買った。少し甘い。 (右)皮の厚いピザで、右の白い窯で焼く。燃料は薪。夕方になると観光客が並んで買っていた。シナゴーグ
シナゴーグ シナゴーグはユダヤ教の教会で、ここはヨーロッパ最大のシナゴーグだそうだ。内部の 雰囲気はキリスト教の教会とそれほど変わらないが、彫像や十字架がなく、綺麗な幾何学 模様で飾られている。入る時に男性には黒い小さな帽子が渡され、頭にかぶるのだが、 髪に止めるものがないので、すぐ落ちてしまう。2階は博物館(宝物殿)になっていて、 宗教関係の宝物や戦争中の歴史写真などが展示されている。ブダペストには第二次世界の 時まで多くのユダヤ人知識人や貿易人がいて活躍していたが、戦争中に多くの人が殺され た。3階はハンガリーのユダヤ人の芸術(絵画)が展示されている。市場
市場 市場の内部 (左)名物の赤いとうがらしが売られている。 市場には肉屋、八百屋、酒屋、スパイスを売る店、パン屋などがずらりと並ぶ。魚屋は無かった。 八百屋を注意して見たが青菜がなく根菜ばかり。つまりハンガリー風スープは、ここで売っている ような根菜から作るのだ。うーん。これでは私は食べたい料理が作れなくてかなり辛い。金の鷲薬局博物館
ここでブダ地域に戻ってマイナーな博物館に行く。ここには18世紀から第一次世界大戦まで 「金の鷲薬局」があった。ガイドブックにはハンガリーで最初に薬局ができた場所とある。 受け付けで簡単な英文の解説を書いた紙を渡されたが、説明文が簡単すぎる上にどれがどれに 対応するのかわからず、理解不足。 解毒薬の作り方(ラテン語:16世紀) 左に見えるのは薬の材料を粉にするすり鉢。ポーランドの天文学者の家に招かれた時、台所に これと同じものがあり、今も現役で使われていた。胡椒などのスパイスを砕くのに使うそうだ。 昔の薬屋を再現夜景
聖イシュトバーン大聖堂 くさり橋とドナウ川 警官がところどころ見張っているが、治安は良いようで、観光客が夜のんびり散歩していた。私たちも だけど。 天文学者としては夜空が暗くなくては観測ができないから、街をライトアップするのは反対だが、 この程度なら許せるか。他はすごく暗いし、外灯も上に光がいかないようなデザインが多い。日本は 街全体がギンギラギンに光っているので、夜空が明るく、宇宙から衛星で見ると日本列島の形が夜でも くっきりしているほどだ。それに最近はどこも街路樹がびっしりランプをつけられて、かわいそうになる (木の生理を無視していて木への迫害だと思う)。ライトアップは他が暗くてそこだけ明るいからいいのだ。(2007.8.18)
Copyright M. Kato 2007