パズルな日々

イタリア語がほとんどわからない私たちにとって、3月からの生活は毎日が謎解きだった。
洗濯機も食器洗い機も表示ボタンの意味がわからない。取扱説明書はあるのだが、イタリア語
だからめんどうだし、こっちで常識になっていることは書いてないから、読んでわかるとは
限らない。洗濯に2時間もかかるのかとか、食器洗い機に乾燥機能がついてない??など
不思議なことが沢山ある。コーヒーの入れかたも、知らない野菜の料理方法も謎だった。
試行錯誤でやっていくうちに、1つ1つ生活が整っていくのだが、まるでクイズを解いている
ようなものだった。

道路に設置されているキャッシュサービスマシンで現金をおろす時も、なかなかうまく
いかなかった。こちらがボタンを押し間違えたのか、それとも私の銀行カードではおろせない
のか、あるいは機械が故障しているのかすらわからない。公衆電話や駅の切符販売機は故障
していることも多いのだが、キャッシュサービスはまさか全部が故障ということはないだろう?
そのうち私のカードでは一回の上限値が250ユーロに設定されているのはわかったが、同じ
表示があるのに特定の機械でしか動かないのが謎だった。今では何故かすべての機械でできる
ようになったのだが、それも理由不明だ。

これは何?
こたえ

以前、パソコンゲームで子どもと遊んだ時は、自分が主人公としていろいろな所にでかけて
宝物をひろったり、知らない人から話を聞いて、どこに行けばいいのかヒントをもらい、
しだいに謎を解いていった。天文台に来た当初はまだ研究室が空いてなかったので、始めの
2、3日は会議室に居候していた。すると部屋に知らない人が来て自己紹介をして、書類に
サインしてと言う。文房具が必要になったので、知らない人の部屋を訪ねて、どこで買えるか
聞き出した。別の日にはまた別の人が来て、自己紹介をして研究室が空いたからとつれていって
くれた。さらに数日たって、別の人から建物の鍵をもらった。ファックスの送り方は廊下で
ばったり会った人に聞いた。生活情報は別の人をランチに呼び出して聞いた。日本やアメリカなら
全部初日で済むのだが、ここはイタリア。1つ1つ順番に解決していく。まるでパソコンゲーム
のようだった。しかも天文台のある建物が13世紀の建築で、それ自体が迷路みたいな構造の
うえに、年代モノの重い木のドアをぎーっと開けて、知らない人に何かを聞きにいくので、
本当にパソコンゲームの世界にいるような気持がした。

       
ヨーロッパでは日本の「数独」が流行している。ベネチア空港の売店にも何種類か数独が
置いてあった。「日本のパズル」と書いてあるのが多い。ロンドンでは道で配っている
無料の新聞に、「数独」が日がわりで掲載されていた。右はブダペストで買ったもの。

 (ワルシャワの土産店で)

私は紙と鉛筆で解くパズルが好きで、日本からパズルの本も持ってきたが、6月になるまで、
ゆっくり解く気分にはなれなかった。なにしろ毎日がパズルそのものなので、現実のパズルの
前には、人間の作ったパズルは色あせるのだ。もっとも天文学の研究もパズルのようなもの。
天文学が人間の作ったパズルと違うのは、パズルには必ず答えがあるが、自然科学の問には
答えがあるのかわからないことだ。それに答えがあっても、もっと科学が進んだ時代になら
ないと、解けない問題であることもある。


           
この交通標識の意味は何でしょう?
  

アジアゴの宿舎ではテレビを少し観た。イタリア語のニュースや料理番組は映像を眺めるだけ。
刑事ドラマは推理仕立てだから、こちらは二重に推理しなければならない。彼女がなぜ殺され
かかったのか?というのは本来のドラマの筋なのだが、その上に、あの女は刑事か秘書か?
この男は同僚か恋人か、などとあれこれ推測するのだ。夫と「やっぱりこの女は刑事らしい」
などとあてながら見る。ドラマの会話はさっぱりわからないが、刑事ドラマには、イタリア語
会話の基本で出てきた「彼の名前は?」(被害者の名前は?)というセリフが頻繁に出てくるのが
嬉しい。

テレビでは「時代劇」もよくやっている。こちらの時代劇は、武士のかわりに中世の城とか
騎士とかお姫様が出てくるドラマだ。衣装や部屋が豪華なので、そのままつけていたら王女さまが
出てきた。イタリア語はさっぱりわからないが、どうやらお姉さんがパーティに行く間、部屋に
閉じ込められてしまったようだ。はじめはシンデレラのリメイクかと思ったが、おてんばな
王女が抜け出して釣りにいったりしている。そして姉の見合い相手から見初められる筋書きが
わかって、エリザベートを思い出す。よく聞くとシシィと呼ばれているし、相手の男はフランツだ。
これでやっとエリザベートの物語だと確信した。このドラマは連続で、次の週にはフランツが
ハンガリー国王として戴冠していた。もうすぐブダペストに行くので興味しんしんで見入る。
たしか嫁姑の仲が悪かったはずだが、会話のシーンはイタリア語がわからないとお手上げだ。

エッカー望遠鏡を見に行ったとき、この話をしたら、ここらでよくフランツが狩りをしたと
教えてくれた。現在は牧草地になっているが、当時はまだ深い森で鹿が沢山いたのだ。

(2007.8.04)

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