読書


イタリアへ来る前、引っ越し荷物は最小限にしたかったので、どんな本を
用意するかは思案のしどころだった。1年間はけっこう長いので、ダンボール箱
1つ分だけ本を用意した。最近は電子辞書があるから巨大な英語大辞典を入れなくて
済む。イタリア語と英会話のテキスト、理科年表は別として、ヨーロッパの歴史や
文化の本と旅行ガイドブック、小説類、ストレッチ体操の本を入れた。以前アメリカに
2年間行ったときには、料理の本も持っていったが、今はインターネットでレシピが
手に入る。科学の本は科学史だけ持ってきた(パドバは科学史の舞台)。科学雑誌が
読めないのがちょっと物足りない。週刊誌は海外に送ってくれる業者があるが、
マイナーな物理雑誌は送ってくれないのだ。

イタリアに来てまず読んだのは、イタリアの歴史の本。これまでも国際会議で外国に
行くたびに、その国の歴史や文化の本を読んできたので、ヨーロッパの歴史について
何も知らないわけではないが、イタリアを旅行するときに歴史や文化を知らないと
教会に行っても面白くない。それではじめのうちは歴史や文化の本、日本人の書いた
旅行記や料理の本を読んだ。パドバをはじめ、観光客のいる街ではその街についての
詳しいガイドブックを売っているから、それを買って読む。つまり生活と観光のための
読書だ。

小説をろくに持ってこなかったのは、現地調達で済ませようと思ったから。以前、夫が
いたアメリカの大学では、中央図書館に東洋の蔵書がたくさんあって、夏目漱石から
赤川次郎までなんでも借りることができた。今回もどうせ大学の図書館があるだろうから、
もし暇を持て余したら日本の古典でも借りて読むかと思っていた(そういえば「解体新書」
は原文で読んだことがある。パドバ大学は解剖学のさきがけだし)
来てわかったのは、パドバ大学とベネチア大学では分野を住み分けており、物理や
天文などの分野はパドバ、建築はベネチア、そして文学部の東洋部門はベネチアにある
のだった。

だいぶ前のことになるが、同僚と昼食を食べながら、もし定年後に住む場所を
変えるとしたら、どんな所がいいか?という話をしたことがある。まだふたり
とも定年には間があるので、現実的というよりは空想の話だった。私は本屋が
近所になければだめと言い、相手は本はネットでも買えるから田舎でいいと
いう。私は本は手にとって立ち読みしたいし、新刊本や雑誌をぱらぱら見るのは
本屋に行く楽しみでもあるので、本屋がある場所、それも理系の本も置いて
あるには都会でないとだめだと主張した。

ところが、パドバに来て4ヵ月間、本屋には一度も入らななかった。イタリア語が
わからないからショーウインドーに新刊本が並んでいても興味がもてない。それに
もしイタリア語がわかっても、政治的・文化的・宗教的な背景がわからないと面白く
ないだろう。キリスト教関係の本もよく見かけるが、表紙の人が誰なのかすら知ら
ないから、本屋の店先はただの風景になる。

先日イギリスに行った時、本屋に寄った。言葉がわかるってすばらしい。夫はハリー
ポッターの最新刊を買い、私はバーネットの「小公女」(A Little Princess) を買って
読んだ。ハリーポッターは朝食でオートミールを食べている。そういえばロンドンの
ホテルでもKeele 大学の朝食にもオートミールがあった。小公女の主人公はサンド
イッチとマフィンを差入れにもらう。たぶんこのサンドイッチはパドバのとはだいぶ
違うはず。だいたい屋根裏部屋の天窓がずらっと並んでいて、隣の家の天窓がすぐ近く
にあることがこの小説の大前提になっているのだが、パドバの建物は1つ1つが小さい
からあまりピンとこない。ロンドンやバースで見たような巨大な建築物を縦割りにして、
隣には違う人が住んでいる構造になっているからこそ出てくる発想だ。さらに主人公の
社会には明確な身分制度があるから、身分制度が体に染み込んでいる当時の人が読むのと、
私が読むのとでは、感じ方がかなり違うだろう。

以前英文学が専門の同僚に、英語がうまくなる方法をたずねたことがある。答は、
やさしい英語の小説を10冊以上読みなさいだった。そこでまず読んだのが、サラ・
パレツキーの探偵小説。若くない女性の探偵ウォーショスキーが巨悪に挑むのが面白くて、
知らない単語を適当にとばして読んだ。でも全部を飛ばすと推理小説の筋がわからなく
なる。慣れるまでは訳本も買って交互に読んだ。同じくらいの年齢の女性が、どのような
場面でどのような言葉使いをしているかは英会話の参考にもなる。それ以後「マジソン
郡の橋」やコメディーもの、古典も若草物語、赤毛のアン、ジェイン・エア、足なが
おじさんなど、子どものころ少女文学として読んだものを英語で読んだ。古典ものは
単語の使い方が今とは少し違うが、若草物語は、牧師の家庭の物語だから、当時のキリ
スト教の規範のなかで、つつましい暮らしがどのようなものか、生活感覚や社会の
雰囲気が伝わってくる。

「キルトの作り方」という題名の本を買ったときは、表紙がきれいなキルトだったので、
キルトの作り方が書いてあると早とちりして買った(キルト作りは私の趣味)。読んでみたら
大きなキルトを合同で作っている数人の女性の物語を、キルト風につなげたものだった。

英語が上手な他大学の天文学者に、英語をどうやってポリッシュアップしているか
聞いたことがある。彼はシェークスピアを毎朝大きな声で読むそうだ。悲劇だと登場
人物が次々に死んでしまうので、喜劇の方が良いと言っていた。

翻訳文は訳者の個性が反映されているから、原作とは雰囲気がかなり違うことがある。
そういえば、米文学の同僚が、「わたしは翻訳はちょっと読めない。小説はいつも原本で」
と言っていたなあ。彼女たちの英文を読むスピードは私の3倍はある。わたしの英語力は
天文学の論文がやっと書けるくらいで、小説に出てくる単語は知らないし辞書でひく
そばから忘れてしまう。こんなことをだらだら書いたら馬鹿にされるだろうな。。。。
まさかこれを読んでいないでしょうね?

(2007.6.30)

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Copyright M. Kato 2007