日帰り旅行:ラヴェンナ (Ravenna)見物


ラヴェンナはパドバから2時間余りで行ける。急行でフェッラーラまで行き、そこから
4両編成のローカル線に乗り換える。ラヴェンナの教会はどこも外観は質素なのに、
内部は豪華なモザイクで飾られており、内部に入ったとたんにため息が出る。


   

まずはサンタポッリナーレ・ヌオーボ聖堂(6世紀)へ。モザイクは色が綺麗できらきら
美しく、衣服のひだなどの細かな表現もできる。売店でモザイク模様のスカーフを買う。


     
左は聖堂の中庭に展示されていたモザイクの説明。岩石だけでは色数が足りないので、
色ガラスを利用。右2枚は街のモザイク工房でみかけたモザイクの原料とその製品




ダンテの墓  
 内部

ラヴェンナの解説書によれば、ダンテは1321年9月に死去、サン・フランチェスコ
教会で葬式をしたあと、遺体はその近くの石棺に納められた、とある。当時は
ふさわしい墓が作れず、1483年になって読書姿の浮き彫りが作られ、1780年に
聖堂風の墓ができ、1920年にそこの壁が縞めのうやめずらしい大理石で装飾された。
このお墓は長年かけて作られたんですね。

フィレンツェを追われたダンテが最後に逃げ込んだのがここラヴェンナ。「神曲」も
ここで書き上げた。彼が亡くなったあと、フィレンツェの人々が遺骨の返還を
要求したが、ラヴェンナの人々は断固として渡さなかったのでここにお墓がある。



と思ったら、すぐ裏側の庭にこんもりした土盛りを発見。蔦で覆われているが、
白い石にダンテの墓と書かれている。もしかして、こっちが本物では?
ガイドブックをよく読むと、フィレンツェからの遺骨返還は長年つづき、教皇レオ10世
のとき、フィレンツェにダンテの遺骨を返還することになった。しかし、隣の聖フラン
チェスコ教会の修道士たちが石棺に穴をあけて、遺骨をこっそり持ち出した。その後
17世紀に遺骨の箱は回廊に塗込めて隠され、それが19世紀の回廊の修復の時に発見された。
それがこの場所らしい。

  

感心していたら、すぐ裏に石棺を発見。ダンテの名前が刻んである。さて、遺骨は現在
どこに?


  
ネオーネ洗礼堂

  
大司教博物館にある聖ヨハネのモザイク画。右は532年から626年までの暦。イースター
の日を計算するため。



道のわきにあったモザイク彫刻。ベンチに置かれたコートと本もモザイクで
できている。特に本は「本物」そっくり


 
サン・ヴィターレ聖堂(6世紀)。外は地味なのに、内部は綺麗なモザイクで
びっしり。よくこれだけ残ったものだと思う。

    


後ろ側半分は、大規模なだまし絵になっており、天井を見上げると人物や
花が立体的な彫刻のように見える。

  
床も綺麗なモザイクで歩くのがためらわれる。



  
ガッラ・プラチーディアの廟(墓)。外部はみすぼらしい建物だが、内部はきれいな
モザイクでびっしり覆われている。



     
ラベンナの郊外の田園地帯の中にあるサンタポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂。
内陣はびっしりモザイクで覆われている。6月2日(土)は祝日だったので、入場無料
だった。

 柱の上にへびがいた 


(2007.6.3)

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Copyright M. Kato 2007