日帰り旅行:ヴェローナ(Verona)見物
ヴェローナはパドバから各駅停車でも1時間ちょっとで行ける街。今回
行ったところはアレーナ、エルベ広場、ランベルティの塔、シニョーリ広場、
ダンテ像、市庁舎の中庭、スカラ家の墓、サンタ・マリア・アンティカ教会、
サンタ・ナスターシア教会、ロミオの家、ジュリエットの家、カステルヴェッキオ、
サン・ゼーノ・マッジョーレ教会、サン・ベルナルディーノ教会。よく歩いた
ので2万歩達成。
ヴェローナはパドバのライバル都市でヴェネト地方の覇権を争った仲だ。
パドバは1405年からベネチア共和国の支配下にはいったが、ヴェローナも
同じ運命だった。パドバと比べてみるとヴェローナの方が城壁も門も大きく
かなわないのではないかとも思える。(ただしパドバのガイドブックには、
1256年から1310年までの、コムーネ・パドバはヴェネト地方第一の絶対的地位
を獲得して栄えたとある。)シェークスピアの「ロミオとジュリエット」は
この街が舞台になっている。
体重が減ってよろこぶ夫
途中で歩道に体重計があるのを発見。イタリアのアパートには体重計がないので、
さっそく乗ってみる(0.5ユーロを入れる)。靴のままだから正確ではないが、
二人とも減ったことは確か。思わずにこにこ。毎日1万歩の成果がありました。
アレーナ(円形劇場。紀元前1世紀に城外に建造され、3世紀にここに移築)。夏には野外オペラが
上演される。舞台上ではオペラの舞台装置を作成中だった。2万2千人収容とのこと。
エルベ広場。ここの屋台はパドバと違って観光客むけのもの。果物はチェリーや苺など、
そのまま食べられるものばかり。あとはサンドイッチやみやげ物。右はマドンナの噴水(1401年)。
ランベルティの塔と上から見た街の様子。真下にエルベ広場の屋台の屋根がみえる。
この塔は84mで16世紀に完成したそうだが、13世紀の天文台に滞在している身としては、
16世紀ぐらいではちっとも驚かなくなっている。街を見渡すと、屋上のテラスに
テーブルと椅子がおいてある家がある。パドバやナポリのように洗濯物は干してない。
左は塔のてっぺんにある一番大きな鐘。右はやや下にある3つの鐘を上から見たところ。
パドバのアパートの部屋から聞こえる教会の鐘はソ・ファ・ミ♭の3音。ド・レ・ミは多分
別の教会だ。シラソレソシラというメロディー(レは低い方)やドシラソと単純に下る
メロディーの時もある。音が2つや3つだけでもリズムの変化でかなり印象が変わる。
それからすると、てっぺんの大鐘はカァーン、カァーンと日本のお寺の鐘よりは響きの
ない硬い音を出し、下の3つはコンキンココンと3音階で鳴るのだろうか。もしかして
1つの鐘から2つの音程を出せるようになっていたかもしれない。もっと良く見てくれば
よかった。
市庁舎の中庭。白とピンクの石の縞がきれい。
ダンテ像
フィレンツェ生まれなのになぜダンテの像がここにあるかというと、ダンテはフィレンツェで
活躍していたが、教皇派によって永久追放処分になり、フィレンツェを追われ、あちこちを
放浪してヴェローナにもやってきたからだ。
スカラ家の廟。(スカラ家は13,14世紀にヴェローナを支配した) 左はマスティーノII世の墓。
右の教会の扉の上にあるのはカングランデの墓、いくら美しく彫刻してあるとはいえ、こんな
場所に棺桶をおいて遺体を入れる神経は私には理解できない。公衆衛生が発達していなかった
時代とはいえ。
「ロミオの家」の近くの郷土料理店で早めの昼食をとる。左はナスの上に溶けた
モッツァレッラ・チーズとトマトソースをかけたもの。ナスには少し甘みをつけてあり
チーズとよく合う。右は馬肉と紫キャベツの炒め。パルメザンチーズも少々入っていた。
左:「ロミオの家」の前で。
中:「ジュリエットの家」にあるジュリエット像。観光客が列になって順番に写真をとっていた。
(ローマのトレビの泉や真実の口でもそうだったが、夫はこういうのが好きだ。ジュリエットの
ベランダで写真をとられたがる夫をごまかして家を見学する)
右:「ジュリエットの家」のパソコン。画面上のキーボードにさわってジュリエットに手紙を書く。
カステルヴェッキオ。14世紀のもの。市立美術館になっており、聖母子像やピエタなどの
膨大な絵画が展示されている。また数は多くないが、目の見えない人のために、絵のコピーの
上に透明なプラスチックで立体的にしたものが展示されている。たとえば聖母子の絵なら、
マリア様の顔や赤ちゃんの体が丸く盛り上がっていて、触ってどんな絵かを知ることができる。
サン・ゼーノ・マッジョーレ教会。右は11〜12世紀の鐘楼を後ろから見たところ。
芸術的な古い絵や彫刻がたくさんある。
サン・ベルナルディーノ教会の中庭の廊下。廊下の床はお墓になっている。廊下の上には
フレスコ画がきれいに残る。ローマやミラノの大聖堂に行ったときに教会の内部に
聖職関係者のお墓がたくさんあった。信者がふみつけて歩くので、だんだんすり減ってきて、
文字が読めなくなる。
サン・ベルナルディーノ教会2階のモローネの間(サラ モローネ)には、フレスコ画がぐるっと
美しく残っている。ちょっと見には立体的にみえるだまし絵が面白い(写真の大理石のように
見える部分もフレスコ画)。
北イタリアのフレスコ画は色が淡くて心地よい。けばけばしくなくて、ほっとする。ここに
慣れた目でローマに行くとさすがに豪華で、(パドバのように煉瓦ではなく)どこもカラフルな
大理石を使っており、富の規模が違うことを思い知らされる。でもローマの豪華でごてごて
した装飾や彫刻や絵画で、壁や柱や天井がびっしり埋め尽くされている教会と比べると、
こちらの方が私は好きだ。ローマの超有名な絵に描かれている聖人は、そろいもそろって筋骨隆々で、
いかにもわざとらしい。こちらのフレスコ画には、筋肉マンの聖人は出てこない。もっとも
聖母子像のマリア像が中世の衣装だったり、王冠をかぶっていたりするのはこちらも同じ。聖人や
聖母子を貧しい服装で描いたカラパッチョは聖職者から嫌われていたそうだから。
てすりにアンモナイトの化石があった。人造大理石が多い日本と違って本物の大理石だらけの
イタリアでは化石があるのはめずらしくない。ちなみにここでは大理石は安いので、アパートの
階段にも大理石が使われている。
教会入口の石畳には、白い石でPACE E BENE 1952 と文字がある。
(2007.5.26)
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Copyright M. Kato 2007