スローライフめざして:日常の買い物編
イタリアでの暮らしを一言でいえば、「ゆっくりした生活リズム」だ。たとえば
日常の買物にも手間がかかる。食材は天文台から 500 m のところにある小さな
スーパーによく買いにいく。その他にも、野菜とくだものは八百屋で、肉は肉屋でも
買う。日本のように商店街にまとまっていないので、それぞれ違う方向に歩く。
店に入ると店主との会話が必要だ。「ボンジョルノ。オレンジを4つください」
「食べるの?それともジュース用?」「ジュース」「それならこっちのオレンジ」
といって店主が1つ1つ良いものを選んで袋にいれてくれる。スーパー以外では
お客が自分で手にとってはいけない。
食料品はチェントロ(街の中心)の市やスーパーに買いにいくことも多い。Tシャツや
衣類は街なかのスーパーには置いてないし、専門店はとても高いので、土曜日だけ
デラバレ広場に出る市に買いに行く。少し街から出れば巨大スーパーもある
のだが、車がないから街なかですませる。特に大変なのは水を買うこと。こちらの
水は石灰分が多すぎて、お茶がおいしくないので水を買う。1.5リットルのボトルを
6本も買うと重くて、買物カートで石畳をごろごろ引いて帰る。夫と手分けして
買物に行けば効率が良いが、万歩計の歩数を増やすには歩かなければならない、
という理由で、どこへ行くにもふたり一緒にせっせと歩く。数年前は杖をついて
ようやく歩いていた私も、やっとここまで回復した。ついでに脂肪も落すことが
できれば一石二鳥だ。
肉屋 パン屋
左:ラジオネ宮の下には肉屋がずらっと並ぶ。午後2時には閉まるので、駆け込みで
買っているところ。右:家の近くのパン屋さん。あの丸いパンを4つください、と
注文して包んでもらう。
肉屋では、番号ふだを引いて、順番が来るのをゆっくり待つ。自分の番が来たら、
この鳥モモ肉を2つください。骨ははずして皮はそのままで半分に切ってと注文
すると、店主はきたない部分を切り落とし、骨をはずして、紙にのせ、重さを
はかって値段を出す。他に何が欲しいか?と聞いてくるから、ソーセージの山の中
から、これを100グラムと言うと、その場で薄くスライスしてくれる。他には?と
いうので、こっちの牛肉を引き肉にしてちょうだい、量はそのくらいと身ぶりで
示して、引き肉にしてもらう。(牛のしっぽを買った時には、もちろん
手でしっぽのゼスチャーをしましたとも) こうして1人の客に数分かかるから、
長い列ができるのだ。パン屋も魚屋も同じで、自分の番になったら欲しい物を
言って包んでもらう。
そのほか、駅の切符売場にも長い行列ができているし、バスもなかなか来ないから
バス停で人が気長に待っている。もちろんイタリア人だって気の短い人はいる
のだが、システムがそうなっているから仕方ない。みんなあきらめて気長に待つ。
家の近くのゴミ回収所。小さいのは生ゴミ用。大きいのは一般ゴミで、足でフタを
あけるが、すごく重い。夜明けに回収車がきて、持ち上げて中のゴミを回収する。
一番奥の黄色が紙で、青がビン類。灰色は一般ゴミ。
日本では、勤務先も自宅も駅のそばにあり、通り路にデパ地下やスーパーが
あった。夕食の買物は夕方帰りがけにあわててするものだった。通勤はわずか
2駅間だったので、どちらかの駅であわてて買物をする、という分単位の買物
生活だった。ここでは2駅以上の距離を歩いて買物にでかけ、デパ地下がない
から夕食は自分たちで作ったものを食べる。買物は土曜や夕方だけでなく、
チェントロの市場が開いている平日の午前中に野菜を買いに行くこともある。
毎日毎日、食料品の調達と料理に時間と手間がかかり、そのために歩く時間も
けっこう増えた。
こうして1日がゆっくり過ぎていく。日本のペースからみると信じられない
効率の悪さだが、イタリアでは効率を追求しても仕方がない。むしろ生活を
変えて、ついでに性格ものんびり屋でずぼらになりたいものだ。
それでも日本で身についた習慣はなかなか変わらない。朝は買物なんかしないで
すぐ研究室に行きたいし、夜は夜でいつまでも陽が高いから家に帰る気になれず、
ゆっくりパソコンの前に座っている。5月の今は暗くなるのが9時近くだから、
気がつくとまわりのイタリア人はとっくに居ない。土日も天文台に来るのは
私達だけらしい。反省してもっと遊ぶことにしよう。
(07.05.15)
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