犬はファッション?

パドバでもよく犬をつれて歩いている人をみかける。朝早く芝生で犬を遊ばせて
いるお年よりや、夕暮れにゆっくり犬と散歩しているカップルをみると楽しい。
パドバに来て最初に見た犬がブルドックだった。日本ではめったに見ないので、
めずらしいな、と思ったのが最初だ。その次がコリー。そしてダックスフントと
続くと、何か変だと思いはじめる。犬には詳しくない私でも図鑑に載っていそうな
犬ばかり。大きな犬から小さな犬まで、それぞれ楽しそうにつれられて歩いて
いるのだが、ポチとかシロと呼べるような、普通の犬が見あたらない。ひょっと
してみんな血統書つき?

聞けば、犬は、お金を出して買うものなのだという。高価な犬を飼って
みせびらかして歩く人も多いのだ、とあきれる声も聞いた。そういえば、
茶色のスーツをびしっと着たおばさんが、犬をつれて歩いていた。犬の
散歩に何でスーツ?と思ったが、犬と同系色のスーツで決めてかっこいい。
こっちの人は髪の色がさまざまだから、スーツと合わせると全身の色が
びしっと決まる。他にも黒でシックに決めた女性が、白黒ぶちの犬と
歩いていたり。犬もトータルファッションの一部なんですね。もちろん
普通につれている人が多いけど。



私が子どもの頃、うちで飼っていた犬は、野良犬がよその家の縁の下で
産んだ仔犬をひろってきたものだ。犬を飼っている家も多かったが、仔犬は
もらってくるのが普通だった。うちの犬は、白いメスで、近所のこげ茶の
野良犬と仲良くなり、ある朝3匹の仔犬を産んだ。1匹は白、もう1匹は
こげ茶、あとの1匹は白地にこげ茶のぶちだった。遺伝の法則そのまんま。

思い出せば、日本でも大きな家の並ぶ住宅街に行けば、血統書付きらしい
犬によく出会った。お金を出して犬を買うのは当り前のことらしい。でも
普通の犬もいたように思う。ここでは「普通の犬」は見当たらない。壁の
向こうに隠してあるのか、本当にいないのか。

高価な犬は社会が豊かである証拠なのか、あるいは、犬の生死や繁殖は
人間の統制管理のもとにおくべきだという意識の現れか。

犬に詳しくない私が急に考えはじめても、結論の妥当性には無理がある。

街で見かける犬は、とてもよく訓練されていて、狭い歩道ですれ違っても、
こちらを威嚇することもなく、無関心に通り過ぎていく。犬どうしがすれ違う
時も、めったに吠えない。大きな犬をつれてカフェに入ってくる人もいたが、
テーブルの下でずっと静かに寝そべっていたのには感心した(ラブラドール
ではありません)。犬をつれた人が列車にそのまま乗り込むのも見た。

難点は、たまに犬のフンが落ちていることだ。馬のフンが落ちていたこと
もある。ビニール袋をもっている飼い主もいるが、用意がなければ、街の
中心は完璧に石畳だから、フンを隠す場所もない。重い買物カートを引いて
いる時は、気をつけて歩かないとあぶない。何といっても、家の中に靴の
まま入る国なのだから。
そんなことを思っていたら、天文台のわきにこんなポストをみつけた。どうやら
フンを始末する袋があるらしい。残念ながら中は空だった。

(2007.4.13)

*****************************
後日談:
5月になってポストの中に袋をみつけた。次の週に見たらまた空になっていた。
口の両側に厚い紙がついていて、逆さにして入れるようになっている。
ビニール袋を裏返しにして手で愛犬のフンを拾っている人もみた。ナポリでは
長いはさみのような道具を使う人も見た。


パドバ滞在記へ戻る


Copyright M. Kato 2007