パドバに来てまず必要になったのが文房具。大学街だから文房具は簡単に 買えるはずなのに、売っている店が見当たらない。天文台のきまじめな 秘書さんに言えばもらえると思うが、せっかくだから、どのような文房具が あるのか見てみたい。大学の宿舎の受付の人は、私のイタリア語と同じくらい しか英語が話せない、つまり会話が成立しないので、身ぶり手ぶりで聞き 出した店を探しに行くが、見当たらない。 そのうちに、2km 先のタバッキにノートが飾ってあるのをみつけ、店に入る。 あとでわかったことだが、タバッキも場所により品ぞろえが違い、観光客が 多い所ではタバコや絵はがきが目玉商品として置いてあり、住宅街なら玩具や 雑貨が前面に出ているので、店の印象が全然違う。イタリア語でカウンターの 向こうにいるおじさんに、ノートをくださいと言うと、巨大なノートが出てきた。 もっと小さいのを要求して買ったのが、この赤いノート。別の色とか中間の 大きさがあるかを聞く気力も能力もなく、そのまま買った。この赤いノートは 方眼のマス目がじゃまだが、わりと気にいって、人の名前や店の開店時間など、 何でも書き入れる便利帳として使っている。次に宿舎から別の方向に文房具屋があるのを発見。やはり大学の近くにあった のだ。昼休みは長いし、閉まっていると中が暗いので、気がつかなかった。 ノートの柄をあれこれ探していると、イタリア語で怒られる。勝手に下の方の ノートをとってはいけなかったらしい。つまり表紙の柄を選ぶには店主とあれ これ会話するだけの語学力が必要なのだ。あわてて一番上のノートを買う。 これでマス目のないノートとセロテープが手にはいった。 天文台は大学から離れていて、周囲には店がほとんどない。アパートに引っ 越すと、上記の店は遠すぎる。郊外には何でもそろうスーパーがあるらし いが、車がないから買いにいけない。秘書さんに近くの店を教えてもらい、 1.5 km 離れた文房具屋にいくが、それらしい店は見あたらない。次の日に 行ってもない。看板がないから、シャッターが閉まっていると、わからない のだ。せめて店の名前や閉店時間をシャッターに書いてほしいものだ。3度 目に行って、はさみをください、いや、もっと小さいの、と要求して買った のが横にあるはさみ。ノートでもホチキスでも、何でも大きなものが最初に 出てくる。紙製の書類入れもほしかったけど、似たような品物が多い中から、 私の欲しいものを言葉で伝える能力(または勇気)がなく、あきらめる。 このように個人経営の店では何でも対面販売が基本だから、イタリア語の 能力は別にしても、どのような文房具があるのか知らなければ、何々を くださいと言うこともできない。日本のようなスーパーやコンビニは便利 だなあ、とあらためて思う。このままでは不便なので、同僚から大きな 文房具屋の在処を聞き出す。今度は別の方向にアパートから 3 km 離れた ところ。住宅街をずっと歩いて、商店街に出る。イタリア語のテキスト そのまんまの会話で道を聞き、やっと目指す店に行く。大きな店だが、 外から見ると文房具屋だとはわからない。中は大きく、画材から事務用品 までそろっていて、勝手に選んでよい。 これでようやく文房具はどこで何が買えるかわかった。大きな店は一番 遠いので、必要に応じて、どの店に買いに行くかを決めることにしよう。 昼休みは閉まるから要注意。不便なようだが、どこに行けばいつ手に入る かを知っているということは、精神的にとても安心できるものなのだ。 私はイタリアに来ることを選んだとき、日本の生活リズムは捨てて、こちら の生活スタイルになるべく同化しようと決めた。なるべく現地にある物で 生活すること。それからスローライフに徹すること。でなければイタリア 生活は楽しめない。 思えばこれがパドバ生活のはじまりで、以後、買物はすべて、同じような ことを繰り返すはめになる。
(2007.4.11)