石の街 Padova -- (その1) 柱廊の建物

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Padovaは柱廊と石畳がずっと続いている街だ。柱廊の下は店のショーウィンドー
や、住宅や大学の大きく頑丈なドアがあったりする。ほとんどの店は7時半には
閉まるので、大学があるこのあたりは、夜は暗くて陰気でわびしい。でも歩いて
いるのは学生ばかりだから恐くはない。土曜日の夜はさすがに繁華街に大勢の
人がくり出すが、通り一本はずれると、人通りもあまりなく静かになる。一晩中
明るい東京が異常なのだが、急にここにくるとやはり寂しい。
土日には店も閉まり、昼間だというのに人も歩いていない。シャッターを完全
にしめてしまうと、何の店だか全くわからなくなったりする。働く人にとっては
土日に休めるのは嬉しいが、買物ができないと生活には少し不便だ。まあ、
そのうち慣れるだろう。

街に緑が少ないのも特徴だ。東京はけっこう緑がある。写真のように柱廊が
あると街路樹が植えられないし、建物と建物の間にすき間が全くなく、ずっと
つながっているので路地もないから、雑草も生えていない。中庭には樹もある
らしいのだが、道路からは見えないようになっている。つまり通行人にとっては、
延々と石の家が続くのだ。パドバに来た当初は大学のゲストハウスに泊まって
いて、天文台に通うために、街を横断して40分歩いた。家も道もぎっちり石が
つまっていて、空もわずかに見えるだけ。1週間で気が滅入った。これは
イタリア人も同様に感じるようで、町中に住む人は休日には公園にでかけて、
緑の中でのんびりして気を休めるそうだ。そういえばイタリア語のテキストの
中に、病気から回復途中の人に対して、「緑の中でのんびりしてリラックスしな
さい」とアドバイスするシーンがあったが、これはそういう意味だったのか。



私は子どものころ、ジョルジュ・スーラの「グランドジャット島の日曜日の
午後」という絵画が理解できなかった。この絵はパリが舞台だが、なぜ休日に
わざわざ緑の島なんかへ行くのかと不思議だったのだ。子どもの私にとって、
日曜日にお出かけといえば、デパートへ買物に行くか、遊園地につれていって
もらうものと決まっていた。昔は東京にももっと緑があったから、何もない
自然の中にわざわざ出かける人の気持がわからなかったのだ。



ここでは大学の建物が道路に面していて、入るとすぐ教室があるのも、私の
大学のイメージと違う。私にとって大学とは、広いキャンパスに建物が点在
しており、緑の芝生と見上げるような大木がつきものだ。日本でもアメリカ
でもそうだった。まあ、これもじきに慣れるだろう。
(2007.3.15)

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