わたしのイタリア語(その2) -- イタリアへ出発 2007.3.1
イタリアへ向かう飛行機の中、隣の席の外国人カップルの会話が
まったくわからない。成田発ローマ行だからイタリア人である確率が
高いはず。すごい早さの会話が続く中で、知っている単語が1つもない。
もしかしてイタリア人ではないのかと思いはじめたころ、話題が変わり
allora がやっと聞き取れて、イタリア人だとわかる。話しかけてみると、
南部(靴の底あたり)の人で東京は仕事で2回めとのこと。こちらは
1年間研究でパドバに行くなどと話す。質問されても全く理解できず、
会話はつながらない。
飛行機が遅れたので、ローマでの乗り継ぎはひさしぶりに係員に先導
されてダッシュした。ベネチア行きの国内線からは花粉のない世界に
なり、とても快適(ただしすぐ後で3月のパドバは乾燥しすぎだと知る)。
機内のアナウンスもイタリア語だけになる。やっぱり少しでも勉強す
ると空気が違う。頭上を飛びかう言葉のうちで、cinque minuti などは
わかるようになった。前の座席に書いてある文字は
GIUBBOTT SALVAGENE SOTTO LA PROPRIA POLTRONA
LIFE VEST UNDER YOUR SEAT
MANTENETE CINTURA QUANDO SIETE SEDUTI
KEEP SEAT BELT FASTENED WHILE SEATED
あ、ジュボットは習った、sotto は「下に」、cintura と siete も
知っている。下の英文と比べれば意味もわかる。わかるって嬉しい
なあ。娘が幼いころ、私が広げていた新聞をみて、漢字を飛ばして
ひらがなだけを読み上げていたのは、こんな気分だったのか。
ベネチアで泊まったホテルでは、さっそくイタリア語で「部屋を予約
してあります」と言ったのに、英語で返されてそのまま英会話だった。
ところでベネチアへ行くのにミラノ乗りつぎではなく、なぜローマなの
かって?それには過去の長〜い歴史があるのです。ではまた。
(c)M.Kato 2007
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