星空の下で(第一回)

「理学博士」の正体

このうち誰が理学博士でしょう
(イラストも筆者)

私の職業は天文学者であるが,私の正体は「ちょっとうるさめの普通のおばさん」で
ある。天文学者は博士号をもっているのが普通だ。私が大学院を修了して博士号を得た
とき、母は「あんたでも理学博士になれるのね」と、ちょっとがっかりしたようにつぶ
やいた。自分の娘が世間でいうところの博士になるとは実感できなかったのだ。親という
ものは、博士号を得たからといって、急に娘を尊敬するようなものではない。でも後に
私が婚約し、同業者の彼が、母のタンスの戸を手際よく修理した時には、「さすがに理学
博士は違うわね!」と感心していた。父は大工仕事をいっさいしなかったので、ありがた
かったのだろう。

私の職業上、博士号は、美容師や電気技師の資格と似たようなものだ。サッカー好きな
少年と同じように、私はたまたま理科や算数が好きな子供だった。勉強が好きで学歴が
長いことと、人間の価値とは、全く関係がない。

大学教授にもいろいろな人がいる。どこへ行くにも赤シャツに短パンで髪ぼさぼさの男性や、
コンピューターおたくを絵にかいたようなタイプもいる。もちろん性格もさまざまだ。
テレビドラマに出てくるような上品で優雅な大学教授は、めったにいない。最も多い
タイプは「ごく普通の人」である。

大学の先生は非常に忙しい。特に理工系の分野では、講義や実験、学生の指導、会議、
書類作成などに追われて、休む暇どころか、研究時間も十分にとれない。時間に追われ
て体を壊すまで働く人もめずらしくない。これも多分世間と同じである。

私も普通のおばさんの一人である。夕方になると大学を飛び出して保育園や学童保育に
お迎えにいき、夕食の買い物を下げて家に帰る。今は子供が中学生になり、楽になった。
大学を離れている時は、私は普通の働くお母さんでいたい。それなのに、保育園の父母
会で私の隣にすわった人は、私が大学教員だと知ると、まるでパンダが隣に座ったかの
ように、ぎょっとした顔をするし、学校の保護者面談に行けば、先生の方が緊張してい
たりする。普通の人として扱ってもらうためには、職業を言わないでいた方が心地よい。
変なところで学歴社会の窮屈さを感じている。


(しんぶん赤旗2000年5月5日掲載)
Copyright (文とイラストも) Mariko. Kato 2000