はじめに
 
  この冊子は、視覚障害者が大学に入学してきたとき、どのように対応してよいか
わからなくて困るであろう大学関係者を対象に編集されました。具体的には慶応大学
日吉キャンパスでの97年春の経験をもとにして、新学期の1カ月をのりきるための
情報を集めたものです。どこにどんな資料があるのか、どこに行けば何を買えるのか、
そもそも視覚障害とはどんなものか、どう接したらよいのか、教科書はあるのかなど、
いままで視覚障害者に接した経験も予備知識もない大学関係者が、『よし、これなら
できそうだ』『講義を工夫して楽しくやってみよう』という気になっていただける
ような冊子作りをめざしました。

  新学期の忙しい時期に、何の準備もなく視覚障害者を受け入れることになってあわ
てる大学人はきっと私だけではないだろうと想像します。私の『天文学』の授業の場合
には、各学部共通の一般教育の授業であったことと、視覚障害者の学生と担当者の所属
学部が違うために迅速で多面的な対応ができにくかった事情もありました。たとえば視覚
障害者の学生が入学したこと、その学生が天文学を履修する可能性があると聞いたのが
4月4日、講義初回のガイダンスで始めて顔をあわせて本人に履修の意志を確かめたのが
4月8日、履修をするのなら資料を集めたり補助器具を用意する必要があるだろうと
急いで学内の研究費を申請することにしたものの、その〆切まで24時間しかなかった
のでした。情報収集をしようと思っても、以前在籍していたはずの他学部の視覚障害者
の学生の時の経験は残っておらず資料が何もない。同じ慶応大学の湘南藤澤キャンパス
にも視覚障害者が在籍していることをテレビのニュース番組で知る始末。
キャンパスの違いもこのように大きいが、同じキャンパス内でも学部が違うとカリキュ
ラム上の制約もあり、天文学を履修できることが確定した時はすでに4月15日。それ
からあわてて視覚障害者についてのごく基本的な書籍や点字器、分度器などを求めて
高田馬場の点字図書館へ行ったのが19日と、めまぐるしい2週間を過ごしました。


  5月になっても大学で使えそうな天文教材がみつからないので、天文学会の電子メイル
ネットワークで情報提供のお願いをしましたら、多くの人々から少しずつ情報が集まって
きました。結局のところ使えそうな天文の教科書はない状況だということがわかったのが
この冊子づくりの発端です。もっと早く状況がわかれば、それだけ早く講義の準備を
すすめることができます。この『天文学』は通年科目ですからまだいいようなものの、
半期科目でしたら、あたふたするうちに学期が終ってしまうことになります。


  ですからこの冊子は始めの1カ月をのりきるための情報誌に徹しています。
多くの方からいただいた情報をもとに、天文教育の実践記録を集め、文献リストを
作りました。洩れているものもあると思いますが、この冊子が始めの1カ月用と
いうこともあり、必ずしも完璧さや正確さを追求してはいません。詳しいことや最新の
情報は、1カ月たって注文したものが届いてから各自が調べていけばよい、そういう
つもりで編集しました。巻末資料では視覚障害者の置かれている状況が概略的にわかる
ようなものを集めました。

  この1年間にいろいろな方と知り合い、お話をうかがったり情報をいただきました。
個々のお名前はここでは挙げませんが、ここであらためて感謝したいと思います。
私は多数の人々が少しずつの努力を寄せ合うことが肝心だと思っています。ですから
この冊子を編集する私も、けして無理をしないこと、少しの努力で出来ることだけ
をする、というつもりでいました。私の教育実践は1年間で終りですので、この
1年間に私が得たことや多くの方から寄せられた情報を、このような形で残すことが
できてよかったと思います。

  おそらく多くの人は私と同様に、白杖をついた学生と始めて話す時、どのように
接したらよいのかとまどうと思います。でも彼らはキャンパスの中のどこにでもいる
普通の快活な学生にすぎません。勉強したいと思って大学にきたごく普通の学生です。
ただ目が不自由なだけです。少しの気くばりと適切な環境があれば勉学の状況も
ずっと楽になり、晴眼者
の学生と同様に能力を伸ばすばすことができます。施設の不備や教材の不足も問題で
すが、それ以上に回りの人が、目が不自由な人にはこれはできないだろうと勝手に
思い込んだり、何となく避けて近寄らないことの障害の方が大きいのではないかと
思います。このことは、今まで女性だからという理由だけで多くのハンディキャップを
かかえてきた私にとって、決して人ごとには感じられませんでした。

バリアフリーというのは、目の不自由な人にとってのバリアをなくすという意味
でもありますが、同時に、目が見える人にとっても、心のバリアフリーを意味する
ことでもあると思います。

1998年2月  加藤万里子  (慶応義塾大学)